第3話 弾けろ心拍数震えろ承認欲求胸のうちはアナタ色

 もう後戻りはできない。

 たとへ、身を焼き切るような運命だとしても。

 彼らは前へ進まなければならない。


 まだまだ戦火の香りが残る帝国の街には徐々に人々の足跡が戻ってきた。

 同時に、露頭に迷う人々を相手に非合法な商売を始める人間、出どころ不明の商品が並ぶ闇市が血を帯びていくように活気付いてきた。

 市が出来れば店も出る、店に売るため並べるためにそこら辺から金目になりそうなものを掘り返す。

 首都から東南の方面。

 焼け焦げた家を拠点にデンキたちは雨風を凌いでいた。

「少し冷えますね。リンさん」

「デンキ君、外を見張っていて。私は食料がないか探してくる」

「お願いします」

 ここからさらに東に進めば海を背にした工場地帯に入るが、資材を狙う人間が後を立たない鋼鉄の激戦区。デンキのような装備が薄い人間が足を踏み入れたら身ぐるみを剥がされて死ぬだろう。

 工場を抜けたら、海が見えるのに。

 軽い食事を終えてデンキたちは夜を迎えた。雨はとっくに止んでいて冷たい風が居間吹き抜けてがまるで咆哮のように音が響いている。

 幸い今日は月が出ていて火を灯す必要がなかった。

「何ですか、それ」

 デンキは壁を背にして外を警戒しながらリンに訊いた。

 リンは月明かりを頼りになにか、焦げた紙をめくっていた。

「絵本だよ。子供向けの」

「読めるんですか」

「うん。昔帝国の言葉を勉強していたから。それなりに読み書きできるよ」

 そういえばそうだとデンキは今更ながら気がついた。

「意外です。リンさんそういうのも読むんですね」

「そうだね。帝国の人たちの価値観がなんとなく読み取れる良い資料だよ」

「確か、猫が主人のために戦車に乗って敵を倒すんですよね」

「うん。うん、そう書かれてる。ちょっと私には不思議に見えるな」

「へぇ……」

 デンキもむかしメイドに読み聞かせてもらった覚えがある。

 その時はただ母親の体温を感じたくてひたすらに泣いていた。帰らないことを理解しているが認めなくなかった故に泣いた。

 泣くことに疲れて、友達に目が赤いことをバカにされて次第に求めることを諦めていき、メイドの体音と心音を母親代わりに涙を枯らしていった。

 ある意味、枯れて良かった。

 涙を見せたくない相手ができたから。デンキは故人の注いでくれた愛に感謝を添えて噛み締めた。

 リンに悟られないようこっそりと平静を保って。

「絵本を資料って言う人初めて見ましたよ」

 デンキは穏やかに言った。

「大学に行けばいるよ。保育士になりたい人とか特に」

「学校って、楽しいですか」

「一概にはいえないね。決めるのは本人だから」

「ふーん……まぁ、俺には縁おない話ですけどね」

「爆弾解除したら、一緒に大学行く?」

「そもそも金も家もないですよ。俺」

 デンキは乾いた笑みをこぼした。

「お金は奨学金とかあるし」

「帝国の人間に屋根を貸す賃貸物件なんてありませんよ」

「私とシェアハウスすれば良いよ」

 デンキは、一瞬だけ頭が真っ白になった。次第に、思考は熱を帯びていきデンキは自分の想像力を呪いそうになる。


「失礼を承知できいて良いですか」

「うん。いいよ」

「ど、同棲?」

「そうだよ?」

「マジ?」

「マジマジ」


 心なしかリンの利己的な白い肌に赤みが刺していることに気がついた。デンキは冗談だと思ったがリンは何も言わない。ゆったりとした目でデンキを見つめるだけ。

 しかしデンキ。余裕ある理性で冗談めかしく言葉を返す。困惑の色に染まってはいるが。デンキ自身は冷静を保っているつもりだ。

「機会があったら、まあ」

「今決めちゃおうよ」

 負けそうになる。この人には羞恥心とか知らないのだろうかとデンキは焦る。


 デンキは女友達が少ない。遊びか、本気か。それとも何気ない会話の一部に組み込まれているかさえもわからない。

 デンキは絞り出すような笑みしか出せなかった。

 デンキは視線を下ろして、なるべくリンと目をあわせないようにした。リンからの印象は悪くなっても構わないとさえ思ってしまった。

 鋼の心臓は不機嫌そうにうぃーんと静かに唸っている。

 ぐいっと、リンが距離を詰める。

 きゅっと、エンジンの回転数が跳ね上がる。

 驚いたが、デンキはこの感覚に歓喜するわけではない。

 むしろ嫌なことを思い出した。

 デンキは人が嫌いだと言うことを。

 バスに乗る時、電車に乗る時、メイドにつきっきりで勉強をさせられている時。

 人の熱が自分を殺してしまうような錯覚に襲われていたことを。

 滅入りそうなほど体温を感じて、吐き出したいほどの匂いにうんざりして

うざいと思うことがほとんどだった人間の存在が、求めていた実態がデンキをことごとく壊しにかかっている。


 人って、わがままな生き物だと身をもって教えられた。


 回転数が加速する。

 シリンダーがうぃんうぃんとうるさい。

 情熱的な欲求がリンと一緒にいたいと叫んでいる。

 デンキは紅潮する耳たぶをさすって、もう一度リンを見る。

 理性が緩みそうだ。

 全てを見透かしたかのような深い瞳に、デンキは飲み込まれそうになる。

 多分短いデンキの人生でこんな美人に同棲を求められる日なんて二度とないだろう。

「どうするの?」

 ゆったりと聴くリンに、デンキは応えるしかなかった。


「……………………………………………………………ぜひ、お願いします」


 デンキは目の前が真っ暗になった。

 それでもリンが満足したように微笑んだ気配を感じた。

「おっけー」

 リンは、そう言った。

 熱くて頭がズキズキする。手の血行がいつもより明るい。前はもっと灰色みたいな色をしていたはずだ。デンキは、リンの手が重ねられて肩が上下に揺れた。

「一緒に頑張ろ。デンキ君」

 汗ひとつかかないリンははじめからこうなることをわかっていたかのように言った。

 デンキは、残った理性を振り絞って部屋に駆け込んだ。

 これ以上は取り返しのつかないことを察したのだ。

 残されたリンは扉一枚を挟んでデンキとリンが一方的に愉しみながら話した。

 デンキは顔が熱くて眠れなかった。

 余裕綽々のリンを恨みながら、そんな彼女をかっこいいと思う自分を情けなく感じながら夜明けを待った。

「デンキ君、お腹すいた?」

「…………………いえ、そんなに」

「もう食料が底をついたから、明日にでも闇市に行って補給しよう」

「わざわざ闇市にですか? 俺賞金首かけられているんですよ」

「この辺りの食料はもう全部闇市に流れてる。探しても無駄だよ。弾丸も補充しなきゃ。少しだけど交換できるものもある」

「……わかりました。けど一つだけ約束してください」

「うん」

「一人にならないでください」

「うん。わかった。はぐれないように手、繋ごっか」



 目指す先は闇市。



 昨晩の興奮から落ち着いたデンキは寒そうに身を縮こませるリンに布切れを手渡す。

「リンさん。これを」

「……フード?」

「俺たちには懸賞金がかけられています。闇市に向かうなら身元を隠さないと」

「ちょっと血の匂いがする」

「闇市に着いたら、ついでに消臭剤も買いましょう。少しはマシになるはずです」

「……デンキ君デンキ君」

「はい?」

「同棲して、何かしてほしこととかある?」

 デンキはめんくらった。

 不覚にもえっちなことを妄想したが、それよりもっといいものがあることを思い出した。

 デンキは焼け焦げた家の居間を見つめて、リンを見た。しかし、今は言うべきではないと危機感を感じた。

「爆弾を解除したら、言います」

「絵本を読み聞かせてもらいたいんだね」

 デンキは走った。耳たぶを紅くして。

 リンはくすくす笑ってからデンキを追いかけた。

 To Be continued.

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