第2話 あばよ青春受け入れろ涙少女の名はリン

 空はまだ青かった。

 少年デンキは僅かに西へ傾いた太陽に起こされて乾いた唇を震わせた。

「人を、殺してしまった……」

 鼻腔をくすぐる硝煙に、少年デンキは朦朧とした意識を無理矢理引き上げた。後頭部に食い込んだ砂利を払おうと手を伸ばすが、砂利ではなく何か柔らかいものがデンキの手に応えた。

 女の、手だ。

「まだ動かない方がいいよ」

 上から声が聞こえた。

 デンキの顔を覗き込む少女。

 デンキは少女の膝に頭を置いていたのだ。

 胸にピリピリと流れる淡い電流は、デンキが久しぶりに感じた性への憧れだった。

 少女のゆらゆらと揺れる肩まで届く黒髪に、あまり外に出なかったのか色白の利己的な肌は、暇さえあれば外に出て友達と遊んでいたデンキにとって非現実的に映った。

「ここは? 市街地?」

「居住区の跡地。大変だったのよ。貴方をここまで背負って逃げるのに」

 大変だったというその割には少女の僅かに露出した肌には傷一つない。

 デンキは遅れて気が付いた。

 少女の側には銃があった。

 共和国製の単発のボルト・アクション式ライフル。見た目は狙撃銃のように銃身が長く細いがコンパクトで持ち運びしやすいデザインとなっている。

 デンキは到底この少女が自分お守ってくれたと信じられなかった。

 少女の豪運にデンキは戦慄した。

「なんていう運の強い人だ」

「初対面で言っていい言葉じゃないね。私そんなにひ弱に見える?」

「はい」

「学校じゃ優等生ですぅ。ちゃんとしてるんですぅ」

 デンキはおもむろに立ち上がって、右膝をついて頭を深々と下げる。

「介抱してくれてありがとう。でも俺もういかなくちゃ。北を目指してるんだ」

 少女はポカンとして、うんうん唸ったあと、納得したように笑みを浮かべた。彼女は知らなかったのだデンキの国の敬意の表現方法を。

 理解した少女は屈んで、デンキに目線を合わせる。

「北に向かうにしろ休まなくちゃ。少しだけど、食事も用意してるよ。一緒に食べよ」

 デンキは断ろうとするが、腹の虫がそれを許さなかった。

 にぱっと、少女は微笑む。

 デンキは、空腹に勝てなかった。

 デンキは、少女が先に料理に手をつけてから口にした。

 お世辞にも美味しいとは言えない軍用レーションを胃袋に流し込んだ。

「あなたは?」

「私? リン。よろしくネ」

 にへっと微笑むリンは、一切れのチョコレートを割って、デンキに差し出した。

「……かたじけない」

「あはは。デンキくんまるでサムライ屋さんみたい。コロコロ口調変わるけど」

「……なんでリンさんはここにいるのですか?」

「強くなるため」

「強さなんか求めて、どうしるのですか?」

「保身」

「ここにいる限り死は限りなく近いですよ」

「死んだも同然よ。あっちにいる限り。私はちゃんと生きたいの」

「……」

「私、共和国の人間から嫌われってるっぽいのよ……ロッカーにイモリカエルの卵を入れられたり、体操服牛乳まみれにされたり……これも全部、私が弱いから起こる洗礼に違いないのよ」

「ひどいですね」

「でしょー。今回レンタルしたドローンもバッテリーが膨れ上がって使い物にならないし。頼れるのは自前のライフルだけ」

「頼れる大人はいないのですか?」

「死んだよ。みんな。戦争に行っちゃてそのまま帰ってこなかった」

「……ごめんなさい」

「ううん。仕方ないよ」

「……亡命できる準備は整ってませんが、少しなら力になります」

「折角だけど遠慮しとくね」

「辛いでしょう?」

「んー。……嫌いな人たちだけど……お人好しな友達がね、お節介焼いてくれたの。あはは……私が喘息なのそのコしか知らないから……まさかホントに降らせてくれたなんて、ね」

「帰らないと。爆弾を見つけて、解除するまで」

「ば、爆弾?」

「……日も暮れるし、歩きながら話そっか。後ろ頼める?」

「もし俺が裏切った場合はどうするのですか?」

「んーそれはそれで悪くないかも」

「……冗談です。俺が先導します」

「おっけー。背中は任せて」

 空が朱色に染まりつつある居住区を抜けて、寝床を探しに出発した。

 地面から突き出した電柱に注意しつつデンキはリンをエスコートする。デンキが手を差し伸べるたびになぜかリンがそわそわしていた。デンキには分からなかった。

 なぜ落ち着きがないのかリンに聞いたら、リンは静かに微笑むだけでのらりくらりと話の話題をはぐらかされた。

 つかみどころのないリンに対してデンキは地味にイライラしてきた。

 そのうち、ありきたりな話をした。

 舗装された道を歩くがまだまだ熱くて肉が裂きそうな感覚にデンキは顔を歪ませる。

「サンダル履く? さっきそこで拾ったの」

「いつのまに……」

 サイズは、デンキにピッタリだった。

 歩きやすくなり、デンキの足が軽くなる。自然とデンキは笑みが溢れる。

「ねぇ。デンキくん」

「なんですか」

「幻の爆弾って、知ってる?」

「幻の爆弾?」

「そ。私はそれを処理しにきたの」

「……」

「あ、疑ってる。リンちゃん傷ついちゃうなぁー純粋な心にヒビが入っちゃうヨォ」

「……兵器は全て共和国に破壊されたはずでは?」

「戦前、共和国の優秀な工作員が帝国の研究員を抱き込んで情報を提供させた」

「馬鹿な」

「事実だよ。証言したのよ。爆弾の存在を。でもどうしても見つからなかった」

「……」

「みんなは信じないけど、私は違う。爆弾見つけて、私が未然に災害を防いだ英雄としてちやほやされるって算段」

「……」

「俗で言う、なんだっけ。ほら、下に見られ続けた主人公が周りの偏見を覆して立場が逆転するジャンル……」

「もしかして、『ざまぁ』系?」

「んー、多分それ」

「……もう少し背丈のあった挑戦で良かったのでは? テレビゲームの大会で優勝するとか」

「それもやった。意味はなかった。変わらなかった。もっと、もっと大きなことをしないと」

「才女なのですね」

「そんな私でもこの国のことを何も知らない。だから会話のできるこの国のことをよく知っている協力者が必要だった」

「だからって俺じゃなくても代わりはいっぱいいるはずです」


「そんなことない。

 デンキ君の歯は真っ白。衛生管理を気にかけている証拠。

 私は見た。

 作業ではなく、自分のために他人を埋葬する貪欲な心。

 この国に入国して以来初めて見た種類の人間。

 私は生涯あなたのような人材いや、人間に会えないかもしれない。

 一緒に行こ。デンキくん」


 デンキは、困惑した。

 彼女の熱意と妄信に。

 デンキは、そんな爆弾なんかないと知っている。それを運輸する労力はすでになかった。ありえない。

 事実無根。

 頑なに否定してもリンはおそらく納得しない。それどころか見つけるまで無法地帯に居座り続けるだろう。

 デンキは、ため息混じりに聞いた。

「なにか、手がかりはないのですか」

「王子様」

「は?」

「王子様は終戦直後、屋敷をデモ隊に襲われて焼死した。けど、彼はまだ生きている情報を私は手に入れた」

 デンキは、半ばきいてなかった。ご飯をご馳走になったとはいえ妄想に付き合うほどの心は持ち合わせていないのだ。

「爆弾の居場所と、発射コードを知っているのは王子様だけ。まだこの国のどこかにいる。彼は今国際指名手配犯として顔が知られているからね。外には出れない」

 デンキは飽き飽きしてどこか新鮮な空気が吸える場所を探す。

 まるまると肥えたスイカが、ポツンと置いていた。

 不審に思いつつデンキはスイカに近づく。

 なにかが、四肢を拘束した。口が何者かの手に塞がれて声が籠る。


「おーいデンキくーん? どこー」


「へへ。探してーる探してる」

「〜〜っ」

「お前だな。俺の兄弟をぶっ殺した青二才ってのは」

「っ、んだよテメェ!誰だ!」

「サソリだよ。サ、ソ、リ」

「はぁ?」

「冗談だよ。ただのバウンディングハンターだ。ジャック。泣く子も黙るウルフ・ジャック様とは俺のことだ」

「知りません!」

「別にいいけどよ。地味に悲しいぜ」

「俺を殺しても何もないぞ」

「いいや。あるね。今お前さんには缶詰10缶に上等なトイレットペーパー2ロールの賞金がかけられている」

 それなりに高い賞金をかけられて涙も出ないデンキであった。

「デンキくん、その男の人は?」

 角からひょっこり顔を出すリンは悲しそうに困惑していた。

「来るな! こいつバウンディングハンターだ」

「賞金稼ぎなんか今時いるんだ。ふーん」

 勘のいいリンは困惑から一転、「私は? 私にかけられた賞金は?」

 なぜか子供のように瞳を輝かせているリンであった。

「誰だお前」

「……」

 リンは銃を引き抜いた。

「おおっと。待ちなお嬢ちゃん。俺は早撃ちの名人だ。お前が俺の頭をぶっ放すよりよりこのガキの頭が弾けることになるぜ」

「……っ」

「右手を頭に置いて、左手で銃を下ろしてこっちに寄越しな」

 屈辱に歪むリンはゆっくりと言われた通り銃を蹴飛ばした。

「ほう。共和国製のライフルか。こりゃ高く売れるぜ」

「交換しましょう。その銃と、その少年を」

「んー遅い」

 ジャックはニタリと嗤った。

「ツラには一切手を出さない。別名顔剥ぎジャックとはこの俺様さ」

 ジャックはデンキを突き飛ばし、心臓に向けて銃口を突きつける。チェンバーに直接弾丸を装填させ、スライドを引く。洗練された動きに、デンキは殺される。

 少なくとも、二人はそう思った。

 一人は、殺される人間のデンキ。

 リンは、走り出す。最悪撃たれてもデンキを助ける気だ。

 ジャックは引き金を引いた。

 直後、リンがジャックに体当たりするもすぐに払いのけられた。

 リンは身構えた。反撃されても耐えられるように。

 しかしジャックは立ち上がらなかった。

 なぜか。ジャックの目線は、デンキに固定されていた。一番距離が近い脅威であるはずのリンを放っておいて。

 リンは、意味がわからず振り向く。


 デンキが立っていた。

 静かに、佇んでいた。


「その、肉のうちにある、青白い光、鉄、なんだ、そりゃお前?」

 震えてジャックは聞いた。

「なーんで俺が死なないのか、分かりますか?」

「……わからない。けど今俺が一番会いたくない人間に似てるぜお前」

 怯えたようにバウンディングハンターは震える自動拳銃にリンに突きつける。デンキは全く動じない。


「俺の心の臓はV8エンジン。合計8つのシリンダーが唸る限り、お前に勝利の文字はない」


「近づくとこのお嬢ちゃんを殺す!」

「やってみろよ腰抜け」

「私あの人のこと知らない!!」

「嘘をつきやがれクソッタレ共が!!」

 パン、パパン。

 リンは、ジャックのみぞおちに肘を打ち込んでいた。寸前のところで軌道上から免れることができたのだ。

「遅いよバウンディングハンター。共和国の訓練はもっと正確だったよ」

 リンは悶えるジャックを背負い、地面へと叩き込んだ。

 カラカラと響く空薬莢をデンキは拾い上げて、自分の口へと放り込む。

「うげっ、こいつ、アツアツの空薬莢を喰いやがった!! バケモノがっ! でも殺せる! まだ殺せる!」

 バウンディングハンターのジャックは、軽い身のこなしでデンキの顔を拘束する。デンキは振り払おうとするが鍛え込まれた足の力に首を締め付けられ息が吸えない。酸素が吸えなくて十分に力が出ない。

 肩車するかのようにデンキに飛びついたジャックの右手には石で研がれた使い込まれたナイフが握られている。ぐっと、デンキの肌に刃先を食い込ませながらジャックは叫んだ。

「俺は今からポリシーを破棄する! 最初で最後のルール改変! 今度からは俺は顔剥ぎは顔剥ぎでもズタズタに引き裂いてお前の脳みそを転売する! この屈辱をくらいやがれぇ!!」

「リンさん!」

 デンキはライフルをリンへ蹴飛ばす。

「ありがとうございます!」

 リンは素早く弾丸を装填し、引き金を引く。

 正確にジャックの右腕を貫通させた。

「うげえええっ!! あっあぁ!!」

「急所は外しておきました」

 悶えるジャックを振り払ってデンキとリンは難を逃れた。

「あぁぁぁああ覚えておけよガキンチョ共が!! 必ず俺がお前らをぶっ殺してやるから覚悟しとけよ! クソッタレめ!!」

 走って、走って、一軒の雑居ビル後にたどり着いた。人の気配がない。一つ一つ確認して、屋上に腰を下ろした。やっと一息がつけてデンキはため息を漏らす。

「へへー見た私の射撃。たくさん練習したんだよ」

 リンは興奮混じりに射撃のポーズを取った。デンキはその無邪気なリンの微笑ましく感じたが、同時に恐ろしく感じた。

「リンさん、あなたはこっちに来るべきではありません。今日のリンさんは人を殺さずに済みました。でも明日も殺さない保証はどこにもありません」

「デンキくん……私はね。青い春なんか捨てたよ。とっくにもう」

 リンは俯いて、吹っ切れたかのように夜空を仰いだ。

「今は、デンキ君がいるし。それに狙われてるのはデンキ君の方だし。私は平気平気」

「僕が死んでも同じこと言えますか」

「……痛いこと言うねぇ」

 へへへと、誤魔化すようにリンは小さく笑った。意地悪なことを言ったかとデンキは自分が情けなく感じた。

 リンはひゃっくりを装うが、とうとう顔を隠した。デンキは、寝たふりをした。

「デンキ君、寝た?」

「……」

「寝たね。寝ててよ。お願いだから」

「……」

「(泣くな喚くな意気地なし……下を見るな前を見ろ……私は挫けたくないんだ……)」

 己を鼓舞する言葉は呪いのようにリンの体を縛り付ける。プレッシャーが、リンを崖側まで追い詰めて行く。

「(立派なお墓、買うために)」

 ホントに、殺してこなかったのだ。

 威嚇射撃でここまで生き残ってきたのだ。

 情けをかけるわけではないが、神様にしては趣味が悪いと思うデンキ。

 北を諦めるわけではない。

 あくまで寄り道。寄り道として、リンと同行する。

 ヤバくなったら切り捨てればいい。

 デンキは、眠りについた。

 明日のために。

 やがて、日が上った。

「おはようございます。行きましょうリンさん。ガラクタの国の、王子様に」

ToBeContinue.

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