第1話

うつろ』という化物がいる。


 その名の通り、虚ろな目をして実体を持たない人外。彼等は人の魂を喰らい力を付け、更なる被害を及ぼす存在。

 怨霊や悪魔とも呼ばれる彼等は、いつなんどき、何処から現れるのか解明されていない。

 故に虚による年間被害(世界統計)は一千万件を優に超える数字となる。


 問題なのは人は虚を認識出来ないことにあった。

 目に見える脅威であれば、人は本能的に逃走という判断を得る。しかし、敵が見えないのであれば、街を歩く人などただの餌。何せ近付けば喰える食べ物なのだから。


 しかし、当然『虚』に対抗するための組織も存在する。


『聖堂協会』

 法皇と呼ばれる聖人を筆頭に四隊 二千人の隊員を持つ組織である。

 世界各国に支部を置いている聖堂協会は、各支部に十数人程度の隊員が配置されており、虚による被害報告があれば直ぐに出動し対処を行っている。

 しかし、彼等の存在はあまり公にされておらず、聞いたことはあるが、宗教的な何か、という認識が殆どだ。

 だから支部が設置されている地域毎に風当たりが強かったりと、不遇な扱いを受ける時もある。


 さて、何故聖堂協会が虚への対処が可能なのか。

 その答えは、彼等の持つ特性にある。言うなればそれは、特殊能力、魔法とも言える力。

 その名を、


聖十せいてん


 それは神に捧げた神聖なる供物、別名 聖遺物と呼ばれる聖なる物質を用いて世界に干渉する力。

 聖十は発動時に使用者の右手の甲に十字架が浮かび上がることから、いつしか使用者の中で聖十と名付けられたのが由来だ。


 文字通り聖なる属性を持つそれを虚は非常に拒絶し、聖堂協会発足前は、とある一人の女によって虚は退治されていたそう。

 聖遺物を用い、異形のモノと戦う姿を人は『聖術士』と呼び、敬い、恐れた。

 それから、聖堂協会が設立され、隊員達は聖術士として今も尚活動を続けている。


 そんな彼女の記録は聖堂協会に今でも遺っており、現法皇とその女性は知り合いである、などの話もある。


 こうして設立された『聖堂協会』は、人々の知らぬところで人々を護り、日々虚と戦っていた。


 これは、そんな聖堂協会に属する少年少女達の物語である。


 ◇


 自分に才能が無いことなんて言われなくても分かっていた。

 周りが特質して優れている訳でもなくて、ただ単に自分に力が無くて、才能が無いだけ。

 それだけで十二分に理解が出来る。


 なら何故この道を選んだのか。

 何故、周りから否定された道を歩み続けるのか。

 何故、挫けそうになっても前を向き続けるのか。

 何故、理不尽とも器用にたたかいつづけているのか。


 約束があった。

 自分だけの、決して手放す事の出来ない、大切な約束。


 《ーー大丈夫、私はいつでも君を信じてるからーー》


 いつかは覚えていない。それが誰だったのかも分からない。

 でも、ただこの言葉だけがずっと心の中に染み付いていて、自分を奮い立たせてくれる。

 そんな大切な約束。


 自分なんかを信じてくれてる人が居た。

 ならばそれに応える事が、才能も無い自分に託された想いではないか。と。


 ただそれだけを胸に、いつか見た誰かも分からない彼女を心に、彼は戦う。


 ※


 春の桜が満開に空を照らしている。

 青空の下の桜色は美しく、新たな生活の始まり、新たな出会いを連想させるとても温かい世界。


 ここは日本列島から少し南に離れた島 神代町。


 入学式が終わり、今日の日程が全て終わった学園の正門には、下校する生徒達で溢れている。

 中には今日から新たな高校生活!ということでら正門前で仲の良い友達と写真を撮って笑っている学生達もちらほら。


 自分も去年はこんな感じだったか?と、かつての記憶を辿るが、そういえば去年は大雨が降って桜が全て散っていたことを思い出して少し気持ちが沈む。


「りつー!!」


 そんな彼の背中に、陽気な声が掛けられる。

 入学生を避けながら近付いて来るのは、学園に入学してからずっと同じクラスの 山村凛也である。


「これから西屋のコロッケ食って、ゲーセン行かね?今日こそはあのメダルタワー落してやる」


 一昨日の土曜に挑戦した、巨大メダルタワーを狙うゲーム。

 この神代町に初めて出来た大型ゲームセンターの一番目玉のゲームであり、建設されて二年経つが今まだに誰もタワーを倒していないのが恐ろしい話。

 土曜は凛也と共に、昼から閉店まで挑戦したが、結局獲得メダル枚数は150枚程度。

 凛也が毎度、とても悔しそうに家路に着いたのを見たのが印象深い。


「別にいいけど、俺今日夕方予定あるし、二時間程度しか出来ないぞ?」

「いいさ、ちょっとでもアレを倒せる位置までズラせれば、今月末には俺の名が横断幕として飾られるだろうさ」


 意気込みが凄いな。と、彼 柏木律は若干引き気味に承諾し、善は急げということで家に戻るのは後にして、そのまま神代町でもかなり有名な肉屋『西屋』のコロッケを目指して歩き出した。


「あ、そうか。華ちゃん今日から高校生だもんな。今日は柊木家で夕食?」

「そうそう。華の入学祝いと俺の進級祝いだとさ。おばさんが寄りによりをかけて作ったご馳走か待ってるらしい。舐められたもんだよ、全く……」


 華。柊木華は、律の隣家に住む幼馴染である。中学では頭脳明晰、スポーツ万能。あげくその美貌からかなりのファンが居たそう。


「学生代表挨拶もやってたもんな。相変わらずの存在感だったよ」


 凛也は何が、とは言わなかった。恐らく華の胸部を指していることは間違いないだろうが。


「誘っておいていうのもなんだけど、一緒に帰らなくて良かったのか?せっかくの高校生初下校なのに」

「今日は友達と帰るって連絡来たからね。高校生初日を幼馴染と過ごされたら、一応兄立場として心配が勝る」

「はっはっは、確かにな。まあ華ちゃん性格良いし、お兄様が心配されなくても上手くやるだろさ」

「それな、間違いない」


 実は柏木律は幼少の頃、両親を失っている。


 それから柊木家にお世話になりながら今に至る。柏木家と柊木家は昔から神代町にある名家であり、それなりの交流が現代まで続いていた。そのお陰で、身寄りの無くなった律は今日まで生きてこれたと言える。

 その中で、華とは六歳からの付き合いで、当時は本当の兄妹として育ってきた。故に、自分より出来のいい妹というのは誇れるものもあるが、なんと言うか自分の立場も考えものであった。


 十年前、神代町を襲った巨大地震。

 震度七の地震は神代町にある活火山『奉霊山』を刺激させ、噴火はしなかったものの、火山口から黒煙が立ち昇らせた。

 巨大な黒煙が街をどんどんと侵食させ、飲み込まれたモノは全て息絶え、通り過ぎた先には死の世界が作られ、律の両親もソレに巻き込まれて亡くなった。

 死者二百人の災害は、日本を超えて世界中で報道され、今では終息しつつあるも、未だその傷跡は遺り続け、奉霊山の山開きは十年間行われていない。


 律のように身寄りを失った者も多かった。

 地割れと大火災により家屋は倒壊し、震災後五年程は神代町の住民は本島へ移動を余儀なくされ、大切な人を失った悲しみは今も尚消えない。


 そしてその震災が起こったのが、丁度十年前の昨日 三月三十一日である。


「昨日はどうだった?墓参り」

「毎年通りだよ。何とか進級出来ましたって報告しといた。多分母さんは怒るだろうな、父さんは笑って許してくれそうだけど」

「それで許してもらえんのかよ。うちは両親共に激昂だな。多分ゲーム機一個破壊されるかも」

「やば。でも凛也は頭良いんだし、大丈夫だろ?」


 実際、律の学年で最も成績が良いのが凛也である。日頃の態度が良ければ、生徒会長にでもなれるのでは?と律は思ったりしていた。


 そんな山村凛也の両親は海外で仕事をしており、特段由縁があるわけでもないが、この神代町に凛也だけ移り住んで来た。

 そうしてたまたま律の家の隣に家を借りて、一人暮らしをしている。そういった経緯もあり、今も尚仲の良い親友と呼べる存在となった。


 二人の最初の会話は、一年生の頃、入学式を終え教室の自席で座っていた律に対して、


 《俺、お前の家の隣に引越して来た山村凛也。一人暮らししてるんだ。一緒に帰らね?西屋って肉屋知ってる?あそこのコロッケめちゃくちゃ美味くてさ、是非食べて欲しいんだよね》


 だったのを今でも律は覚えている。

 友達を作る気が無かった訳では無いが、初日からエンジン全開で話し掛けてくる凛也に対して、少なからず律は嫌な感じはしなかった。

 寧ろ、面白いやつだな。というのが第一印象である。


 《良いぜ。西屋のコロッケは格別だからな。晩飯用に買って帰ろうと思ってたんだ》


 快く了承。

 それから二人は互いの家で食事をしたり、遊んだりと仲良くなっていった。


「何笑ってんの?思い出し笑い?」

「いーや。西屋のコロッケって俺らにとっては縁の深いものだよな〜と思ってたんだ」


 二人の初会話を思い出してふっと笑う律に、凛也は怪訝そうな顔をした。


「あー、確か入学初日の夜って、律の家でコロッケ爆買いして二人で喰ってたよな」

「あれば馬鹿だった」

「入学二日目にして二人共腹壊してトイレ駆け込んだもんな。あれは笑った」


 今となれば良い思い出。そんな昔話をしながら件の西屋のコロッケを買い、昔から変わらない店主のおばちゃんの「まいどあり〜」を背中にゲームセンターへ向かった。


 十年前の震災から、復興支援として多くの寄付金が支援され、そのお陰で町は元通りとはいかず、震災前よりも栄える町となった。

 その一環として造られた巨大ゲームセンターは、日々賑わいを魅せ、夏休み等の長期休みでは学生達の溜まり場となる。


 そんなゲームセンターを前にして凛也や拳を作って闘志を燃やしている。


「ぜっったいに俺が最初の勇者となる……」

「キャラ変わってない?」


 何故か巨大コインゲームになるとキャラが変わる凛也。余程感銘を受けたのか、初めて一緒に行った時は時間を忘れて没頭していたのを記憶している。


 そうして二時間程度ゲームセンターで遊び、戦果はと言うと、


「くそったれ!!!一ミリくらいしか動いてないじゃんあれ!ってか、みんな何であのゲームやってないの!?俺一人でやってるもんじゃん!!」


 惨敗。

 見事に、凛也の所持していたメダル三百枚を投与してさえ殆ど動かなかった。

 実は律、学校でこんな噂を聞いていた。

 あのコインゲーム、人気が無くなりつつあるらしい。理由は言うまでもないが、理不尽なほど倒れないあのタワーにある。今日の凛也のように、何百枚も投資してさえ殆ど動かないタワーに皆が戦意喪失。

 それなら隣のジャックポット狙えるやつの方がお得じゃん。って話になり、今ではあの機械に近付こうとする者は居ないのだとか……


 そんな噂知らずの凛也は、「もっと皆で力を合わせてさーーー」と、ゲームセンター内に居る人達に若干睨みながら抗議しそうになった。


 なんとか無事に凛也を宥めた律は、その場で凛也と別れ帰路に着いた。

 柊木家での食事は一ヶ月ぶり。ちょくちょく顔を出しては居るが、基本的に自宅に籠ることの多い律は、何か手土産にと商店街を歩き、簡単なお菓子の詰め合わせを用意して家に戻った。


 自宅前に着いた頃、家の前に誰かが立っており、それが誰か分かると、律は小走りに彼女に近づいた。

 隣の豪邸 柊木家の長女 柊木華である。


「華!」


 ショートボブの低身長な彼女は、制服で手さげ鞄を両手で持って律の自宅前に立っていた。


「鍵渡してるんだし、勝手に入ってて良かったのに。どうかした?」

「………」

「……ん?」


 何故か律の言葉に反応することなく、ただじっと律を睨む華。

 下から睨まれているせいか、余計に目に怒りを感じた。


「私の連絡、見た?」


 睨み続ける華は次に律のポケットを指差し、携帯を見ろ。と促す。

 そこに、


 《今日友達用事あるらしくて、一緒に帰らない?》


 《まだホームルーム終わってないのかな?下駄箱で待ってるね!》


 《今日律君の好きなハンバーグと唐揚げとオムライス作ってくれてるんだって!楽しみだね!

 もしかして先生に呼ばれた?待ってるね!》


 三件のメッセージ通知が表示されていた。

 時間は正門で凛也から誘われて、ゲームセンターを出た時刻の間で送られている。


「ごめん、気づきませんでした」

「だよね?だって山村先輩と一緒にゲームセンターに居たんでしょ?真帆ちゃんが、律君と山村先輩が一緒に居るって連絡あったもん」


 なるほど、と律は頷く。

 確かに顔に見覚えのある女の子が、こっちをチラチラ見ていたなと思い返す。


「うぅ……下校する先輩達に「あの子大丈夫か?」みたいな目で見られた。明日にはクラスで、変な子として扱われるんだ……うぅぅ」


 華は顔を両手で覆い隠して蹲った。

 律が連絡に気づかないことに怒っているよりも、恥ずかしい思いをした自分を叱咤しているようだった。


「ご、ごめんて、てっきり友達と帰るんだと思ってたから携帯は見なかったんだ。まさかずっと待ってたなんて」


 時刻は午後四時半。学校を出たのが午後一時前だったことから、恐らく三時間は律を待っていたことになる。


 お土産買ってて良かった。この時律は自身の行動に感謝した。

 これ、と言って華に渡したのは商店街で販売されている大判焼き。カスタードと餡子の二種類をそれぞれ二つずつ。


「……むぅ〜、許す」


 柊木華はちょろかった。

 大好物の大判焼きを前にすっかり満面の笑みを浮かべる華に安心し、家に入るかと玄関に向かった、



 その時ーー


「「っ!!!」」


 律、華、二人共が神代学園の方に異常を感知した。

 背筋がゾッとするような、首筋から頬にかけて鳥肌が立つこの感覚。

 何度も感じた嫌な雰囲気、間違いない。


「虚かっ!」


 人の魂を喰らう化物 『虚』。

 何時どこから現れるか不明の人外。


 しかし、虚を察知してから二人の行動は速かった。


「学園の方か」

「そうだね、急ごう!」


 神代町。日本列島から少し離れた小島の町。主に漁業が盛んで、町に行けばいつでも新鮮な魚が食べられると、割と有名な町であり、それと同様に虚の発生は日本国内でもトップの発生率を誇り、世界危険箇所の一つでもある。

 観光箇所でもあり、危険箇所でもあるこの町は、巷では観光スポットとしての評価は下がっているのだとか。


 虚の発生率が高い神代町は、聖堂協会 日本支部神代支所が設置される程協会からも危険視をされている町であり、それに対して神代町に在住する聖術士は十人程の少数である。

 その理由は、本来神代町が聖術士と深く関わりがある土地であるということにある。


『柏木家』『柊木家』『楠木家』。この御三家と呼ばれる三つの家系は、代々古くから神代町で聖術士として活動していた。

 それは未だ聖堂協会が設立される前とされており、詳細は記述として遺されていないが、恐らく聖術士の発祥は神代町ではないかとされている。

 柏木律、柊木華は、名字にあるとおり御三家の人間。故に彼らは聖術士として聖堂協会に所属し、神代町に現れる虚への対処を行っているのだった。

 つまり、神代町に聖術士が少ないのは、協会とは別に御三家の術士達による加護が働いているため、聖堂協会は戦力としてそこまでの人員を神代町に投与する必要がないのだ。

 この古くからの聖堂協会と神代町御三家との共闘により、御三家の若き術士は将来聖堂協会へ所属することが決まっている。

 当然、律も華も例外に漏れないのだが。



 律達の通う神代学園は、古くからある神代町唯一の中高一貫の学校。島の中心部に設立された学園は、隣に奉霊山を臨み正面には広大な太平洋を見渡すことができる学園として、島の学生から好かれ愛される学びの宿。偏差値がそこまで高いわけでもないが、海外の学校との交流や、本島にある『御笠女子学園』という大変エリートなお嬢様学校と姉妹校であったり、色々と環境の整った学園なのである。


 そんな我らの愛する神代学園を眼前に、律と華は数時間前下校したはずの正門前に立ち、学園から感じる異質な雰囲気を肌で感じ取っていた。


「校舎内と校庭.....なのかな?律君どう思う?」

「んー、具体に詳細までは分かんないな。何となく学園内の何処かから、ってだけしか何とも」


 訳あって虚の感知が不得意な律。実際虚が現れた時は、何か怖いモノを感じる程度の感知力しか持ち合わせていないのだ。

 どちらかというと、華の方が感知系は得意であり、たまに本島に現れた虚のことすら感知していたりしている。本人は「たまたまだよ~、現れた虚が大きかっただけ?かな?多分、きっと」とご謙遜なさる。


「虚の力はどうだ?二体居るなら二手に分かれたいとこだけど」


 その方が時間的にも手っ取り早く済ませられる。


「多分、そこまでじゃないかな......でも、うん...どうだろう?」

「?珍しく歯切れが悪いな。華でも詳細は分からない?」

「何なんだろう、存在は感じるのに大きさがイマイチ見て取れないんだ。何だかモヤで隠されてるみたいに」


 目を細めて虚の詳細を探ろうとする華は、んんー、と唸りながら校舎と校庭を見ているが、それでも感じきれないらしい、結局「ちくしょー」と諦めて感知で酷使した目を閉じた。


 異質な雰囲気の学園には昼間には感じなかった異質な空気が漂っていた。虚の出現がそうさせているのかもしれないが、どこか別の原因があるのではないかと律は疑った。

 現に華は「モヤで隠された」という表現をした。感知系に優れた華がそう言っているのだから、華の言う表現と律が感じる違和感は概ね正しいのかもしれない。


「とりあえず中に入ってみるか。華の表現どおり何となく学園全体にモヤがかかってる気がする」

「そうだね、誰かが襲われる前に早く倒そう」


 二人は正門をくぐり学園の敷地内へ侵入した。

 時刻は午後五時半。空は若干暗くそれに合わせてか学園は暗澹としており、化物が出るという言葉がまさに似合うかたちとなっている。


 律は校庭、華は校舎内を探索することになり、二人常に電話を繋げた状態を維持。何かあればすぐに報告できる体制とした。


「......」


 薄暗い校庭はいつもは部活動で賑わう活気を失い、今はただ暗黒を纏って静かに律の侵入を待っている。


「不気味だな。まだ空は若干明るいはずなのに校庭に入ってから一気に暗転したみたいだ」

「(校舎内も凄く不気味。生徒も居ないし、先生も居ない)」

「やっぱ、おかしいな」


 異質な雰囲気は学園全体に及んでいるようで、華の報告だと職員室でいつも遅くまで残っている教員も見当たらないらしい。例え今日が入学式のみだったとは言え、この時間で既に全員居ないというのは考えづらく、虚に襲われた?と最悪の予感が律の脳裏を過った。


「華はそのまま虚の捜索と、被害者が居ないか確認頼む」

「(分かった)」


 一端通話を切り、律は校庭内に設置された部室棟へ向かった。

 虚の出現はどこから現れるか分からない。細心の注意を払いながら部室棟一階、更衣室のドアをゆっくりと開けた。


「ァ、アオ、オ、オオオオオ。アオ、イロ、ノマーカー、ドッコ......?」

「ぃっ!!!!」


 室内に入って直ぐに感知した。更衣室と繋がるシャワー室のドアの前。そこに異形な化物が独りうずくまり、モシャモシャと何かを漁っていた。

 先に声で気付けたのが幸いだった。律は直ぐに近くのロッカーの陰に隠れ、化物 虚の視界から隠れた。


 室内に入って直ぐに感知した。更衣室と繋がるシャワー室のドアの前。

 そこに異形な化物が独りうずくまり、モシャモシャと何かを漁っていた。


 先に声で気付けたのが幸いだった。律は直ぐに近くのロッカーの陰に隠れ、化物―虚の視界から隠れた。

 

「....きっも」

 

 小声で虚の外面を見た感想を述べる。


 比較的人型に近い化物だが、人と異なる存在であることは明らか。腕と思わしき所からは無数の触手がまるで波に揺れる海藻のようにうねっていた。


 どうしてこんな化物が存在するのか。

 律は目の前の虚を見ながら、自身が嫌な汗を掻いていると分かった。

 

 虚を一つの形として捉えることは出来ない。

 彼等は常に変化を繰り返す存在で、個としての境界は無く事例として一体の虚が複数の別の虚を取り込み巨大化した、という事例もある。

 言えば虚とは水のようなモノ。個体は存在せず、そのどれもが1つの共通意識として存在するモノであると。


 しかし異例として、自立した虚も存在する。

 有名な妖怪や悪魔などがそれに当たる。虚という水が別の生命に宿ってしまった時、それらは個体としての存在と力を得ると言われる。

 神代町に語り継がれる『三大怪』という妖怪伝説もその1つとされる。


 話を戻す。

 律の目の前に居る人型もあれば、獣のような形、時に球体の虚も発見されており、聖堂協会の学者は虚への可能性を感じて日々虚に対する研究が進んでいる。

 そのおかげで虚への対抗策も発見され、研究には拍車がかかっている。


 誰が、何のために、どういった目的で虚を作り出しているのか。

 彼等が何処から来た存在なのか。何も分かっていない。


 

「......」

 

 今ならやれる。

 相手に気付かれていないこのタイミングはまさに絶好の機会と言えた。律は手提げ鞄を開け、中から持ち手の付いた刀身が紙で出来た剣を取り出した。

 

 名を『紙折り』という。

 紙折りは聖堂協会術士が持つことを許された人工的な聖遺物。

 術士は柄から力を込めることで、通常時は折り畳まれた白い方眼紙ほど厚さの紙を、鉄をも切り裂く剣へと変化させることが可能となる。

 虚に対抗しうる力の一つとして、術士の必須アイテムである。

 

 律はそっと背後から忍び寄り、紙折りに自身の力を込める。

 ポウッと小さく水色に輝いた紙折りが一瞬の内に剣へと変化。

 

 狙いは一つ、『霊魂』と呼ばれる生物としての急所。実体を持たない虚は、その半透視性故に霊魂の場所が分かりやすくあった。


 赤く光る部位がある。

 生命を維持する臓器とは別に霊魂とは魂を司る別次元の臓器である。これは人間と虚にのみ存在することが分かっており、例え人間の心臓が機能していたとしても、霊魂が破壊されれば生命としての活動は終わりを迎える。

 

 聖堂協会の所持する武器はどれも、人間・虚の霊魂を捉え破壊する。

 

 眼前の虚の霊魂は頭部。赤い光が点滅しているのは、霊魂が呼吸をするように胎動している証拠。

 振り翳して斬れば一撃で屠ることが出来る。

 

 油断は無い。慢心だって有りはしない。

 律は極限の集中の中、剣を振り上げ核を狙って振り下ろす――――


 

 《ピロロロンッ、ピロロロンッ、》


 

 その瞬間、時が止まったように感じられた。

 

 何の音だ?律の思考が一瞬停止。

 その一瞬後、それがポケットに入れた携帯から鳴る着信だと理解。

 

(やばっ......!!!)

 

 携帯の音は止まない。恐らく背後に迫る刃に虚は気付いているはずだ。

 やけくそ。

 律は半ばやけくそ気味に剣を振り下ろし、虚の霊魂の破壊に迫った。

 

 その時、ギョロリとそんな交換音を想像させるようにして、虚の巨大な一つ目が滑るようにして後頭部に流れてきた。

 同時に律と目が合い、一秒後

 

「ガァァァァ!!!」

 

 鈍痛。甲高い鳴き声と共に虚は、剣を振り翳し、がら空きの律の腹部へ一撃。

 

「.....っ、ぐ!!」

 

 胃が捻れる感覚がした。大腸と小腸が混ざり合ったみたいに耐えがたい。

 唯一、虚の腕が鋭利でなかったことが幸いだった。

 しかしそれだけ。臓器を捻るほどの打撃は確実に律へダメージを与え、その衝撃で更衣室のドアを突き破りグランドへ放り出された。

 

「ぁぐ」

 

 4回。まるで水切りの石みたいに砂地を跳ね校庭の中央付近まで飛ばされ、身体はまるで怠慢しているように力が入らない。

 

「ぉぇ......、くそっ、」

 

 胃に当てられた衝撃で嗚咽し、昼間のモノが吐瀉物として吐き出された。


 口の中の酸っぱさを拭い、幸運にも離さなかった紙折りを握り締めて更衣室から這い出てくる虚へと戦闘意識を向ける。


「セン、センセンセイ、キタァァァ、ネ……」

 

 人も真似事みたいに発する覚束無い言語は、恐らく生徒達の会話を聞いて覚えたものだろう。

 虚にも学習能力があることは証明されている。現に、紙折りに対する拒絶反応は凄まじく、自身を破壊する物であると認識している証拠。


 そんな警戒心剥き出しの虚を屠る唯一方法と言えば―


「っ!!!??華!!」


 突如、校舎の3階の窓が割れる音が響いた。

 同時に律の意識は虚から離れ、割れたガラスの箇所と、そこから飛び出した柊木華に向く。



「……っ、まさかコイツ、1体の虚!?」


 音楽室を調査していた華はそこで律が遭遇したものと同じ虚を発見していた。

 感じる力としてはそこまでの強さではない。眼の良い華はそう判断した。


 律同様に紙折りにて霊魂の破壊を試みる。が、その虚に霊魂は存在していなかった。


 有り得ない事態に戸惑う華。感知した虚は身体を形状変化させ、音楽室を覆う大きさで華に襲いかかった。


 それがつい5分程前の出来事である。


 足元の無い空中。自由落下で落ちるのみの身体で華は、おそらく分身体であろう虚の討伐法を考えた。


 現状における紙折りでの攻撃は不可。足場が無ければ、狙うべき霊魂もない。

 脱却法としては一撃で虚を消し去る他無い。

 であれば、


「まだ自信は無いけど……やるしかない」


 このままだとどの道虚に喰われるだけ。もがく事は生きる者として当然の責務である。


 力を集中する。

 大地、空気、世界に存在する全てを感じる。それが力を開くための方法。


 不思議と時間の流れはゆっくりで、華の意識はまだ廊下の窓から飛び出した瞬間でスロー再生されている。


 華の周囲に光が舞う。

 そして、


 名を解放する―――


「聖―――」


 極限まで集中された意識。その中で、


「華!!」


 大切な人の声が、華の研ぎ澄まされた集中を遮った。


「律君!!」


 華に集まりかけていた光は消え、落下の速度が速まった。



「華!!」


 律の存在に気が付いた華は何か行動を止め、背中から地面に向けて落下を始めた。

 距離として10メートル以上。走ったところで間に合わないし、律の状態として俊敏な動きは出来ないだろう。


 だが、落下する華の身体は割れた窓から這い出でる虚により阻止された。


「……っく!」


 触手を伸ばし華の身体を掴み取った虚は、ゆっくりとした動作で口と思わしき大穴へ華を誘う。


 グランドに居る虚は再度意識を戻した。

 先まで律を捉えていた1つ目が頭と思わしき部位をグルグルと、まるで何かを探しているかのように回っていた。


「……」


 意識は律へとは向いていないらしい。証拠に地面に倒れている律に対して興味が無いかのような態度。


 今ならいけるか?


 律の戦闘本能が問う。

 だが、喰われかけている華を放ってはおけない。一度に2体の虚ろの相手は出来ないだろうし、遠距離を狙う術も律には無い。


 絶体絶命。脳裏に言葉が過ぎる。


「ァ、ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!」


 突然、虚が叫ぶ。

 かと思えば、グルグル回ってた目玉がそのスピードを増し、何回転したのかも分からない中で、1点を見つめて止まった。

 いや、正確には睨んでいる。というべきか。


 視線の方向は、律の後ろを目指していた。


「――――」


 それに気が付き、ゆっくりと視線を背後へ向ける。

 誰が、何が居るのか。見ると捕らわれて身動きが取れない華も視線を同様の方向に向けている。


 そして、律の視線の全てを向ける前に、


「聖十 火柱―!」


 律の耳にはっきりと聞こえた声。

 そのすぐ後、巨大な塔が地上から出現したのかと錯覚した。

 その一瞬静止した世界の中で、律は地表から空へと伸びる火柱を見たのだ。


 火柱は華に纏わりついた虚の触手を焼き切り、その炎が続き胴体とその破片も跡形もなく焼き消した。


「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!」


 四肢を焼かれた痛みに苦しむ声は、鳴き声というより悲鳴に近かった。

 そしてその声を発しているのは、紛れもなく律の目の前に存在する虚であった。



「やっぱりこっちが本体だったか」


 声の主は小さく声を発し、敵本体を確認した。滅するべき敵は眼前である。と。


「ふぅーーー」


 今1度力を込める。

 全身に通う霊脈を伝い、自身の糧と言える霊魂へと力を流す。

 大地に流れる力は膨大である。それこそ人を呑み込む巨大な津波のよう。


 故に篩はここでかけられる。


 この力の波に呑まれるか、それとも力を飲み込むか。

 聖術師の先、彼等を代表とする聖なる十字架はここで生き延びた者にのみ与えられるのだ―!


「聖十……」


 名を呼んだ。


 大地の鼓動。脈動する霊脈を自身の霊魂へと流し込む。

 力の奔流に呑まれながら、それでも内なる力を込め、少女の右手の甲に青く輝く十字架が出現する。



「あれは……聖十字」


 輝きは増すばかりで、律はその光に目を奪われつつも、力の正体を悟った。


「聖十か………」


 聖十。

 それは聖術師の持つ最高峰の力の象徴。光の聖十字に選ばれる者は限られており、聖堂協会の中でも聖十を持つ者は数少ない。

 それが今、律の目の前に。



 少女は右手を虚へ向け、甲に光る聖十字へ力を流し込む。

 途端、少女を覆っていた青い光の群衆は収束をはじめ、右手を引いた少女の手に紅い紅蓮の炎が集まる。


「聖十 火炎葬―――っ、はぁっ!!!」


 収束した火炎は槍状に変化し、少女から虚へ向けて放たれた。


 一直線に延びる炎線。その熱気は少女と離れている律にまで感じさせるほどの熱量だ。

 律の隣を通り過ぎる熱線は、触れる空気すらも燃やし尽くす。


 まるで一瞬で走る爆熱は一撃で虚の頭―即ち、霊魂を穿つ。

 だがそれだけで虚は消滅させられない。故にこそ、炎槍は霊魂を貫いた先から爆発する。


「ァ――――――――」


 短い呻き声を残像に、虚は一瞬で屠られた。


 爆発音は無く、ただ静かに霊魂を破壊した炎は吸い込まれるようにして消え去った。



「………」


 爆ぜた虚の破片がハラハラと宙を舞う光景を静かに見届け、律は炎の使い手へと振り返った。


「――――」


 そこに、神代学園高等部の制服を着た少女が立っていた。

 見た事のない少女であった。

 高等部は1クラス40人が4クラスある。100人を超える生徒数だが、彼女の特徴を覚えていないはずが無い。


 紅い髪は彼女の聖十を体現してか、夜風に揺られ靡く姿はまさに陽炎。

 その妖艶たるやこの夜に相応しい。月明かりさえも彼女を際立たせており、薄紅い瞳はまっすぐ律を見下ろしていた。


「―――――」


 少女は何も言わない。


 でも何故か。

 この状態に既視感を感じたのは、気の所為ではないはずだ。


 そう思いつつ律は少女の紅い瞳を見つめ返していた。

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