第2話

 

 孤独が心を満たす。

 独りぼっちの心の中はあまりにも虚無の景色が続き、まるで変わり映えのしない人生という道をさみしく走っているみたい。


 さみしい。


 ただそれだけの感情しか表れないものだから、生きるのがとても楽しくない。


 友達が出来た。


 とても大切で、言いたいことをハッキリ伝えてくれる唯一無二の親友。彼女が居てくれなければきっと今頃自分は、このつまらない世界から退出することを選んだだろう。


 彼女の家に遊びに行った。家族が居て親戚も居てとても楽しくて、幸せな空間が形成されていた。

 だからそこに自分の居場所がないことが鮮明に理解できた。悪い言い方をすれば、理解させられたのだろうか。

 家族も親戚も居ない哀れな自分を、彼女達は居場所を作ってくれように接してくれた。本当の家族、本当の姉妹のように自分は彼女達の居場所を根城とした。


 でも、さみしさは消えない。


 ふと思い返したときに押し寄せる孤独の波は、幸せな部分を一気に攫っていく。残った虚無感は無限の闇を描き、私はただひたすらに孤独感に苛まれ続ける。


 人前では強がり、さみしくないフリをした。意味の無い行動だと分かっていたが、そうしなければ周囲の誰かに迷惑が掛かると思っていた。


 《大丈夫、救われるのは今の自分である必要は無い。》


 そう言い聞かせ続け、未来の自分を救うためにと耐えた。


 ぐちゃぐちゃな心。支離滅裂な精神。

 何をしたいのか。

 何をしたいのか。

 何をしたいのか。

 何をしたいのか。

 何をしたいのか。

 何をしたいのか。

 何も分からなくなっていた。


 なんで自分だけなのだろうか。

 なんで自分が苦しい思いをするのだろうか。

 周りは当たり前のものを持っていて、その当たり前にすら気付かずに生きている。そのくせもっともっととねだるのは何故だろうか。


 他にも、もっと苦しんでる人は居る。


 誰かにそんなことを言われた。

 そんなの知っている。分かってる。

 でもそれは他人の痛みであって自分の痛みでは無い。冷酷かもしれないが、今苦しんでいるのは自分であって、その他の誰かなんかじゃない。

 なら、他の人の方が苦しそうだからと、目の前で苦しんでいる私は見殺しにされるのか?

 自分よりもっと辛い思いをしている人がいるのだから、私はそれを我慢し容認し耐え続けなければならないのか?

 そんなの間違ってる。

 それならヒーローなんて居ないし、その誰かだってもっと苦しんでいる人が居るのだろうから、我慢すればいいじゃないか。


 苦痛に順位なんて無い。痛みはただ平等に人を苦しめる。


 そうでなければ、

 そうでなければ、


 あの日、布団の中で独り声を押し殺して泣いた私が、


 あまりにも救われないじゃないか......



 ◇


 〈2018年4月2日 8時03分〉



 今思うと、昨日のアレは夢だったのではないかと考えた。


 グランドで出会った少女は、その後踵を返してその場から立ち去り、残った律は華に抱えてもらって家に帰った。


 幸いにも律の怪我自体そこまで重症で無く、軽い打撲程度と判断され、眠りについた。

 翌日から新年度のスタートの中で、早速病気休暇だと幸先悪いなと考えていたが、そこまででもない怪我に律は安堵し、熟睡したのだった。


 結局華の入学祝いの食事会は延期となった。怪我も大したこと無かった華は終始思い詰めた表情のまま別れ、翌朝は1人で登校することとなった。


 学園では、校内で虚が暴れたとして音楽室は閉鎖。部室棟も使用禁止となった。

 生徒達に被害が及ばなかったのが不幸中の幸い。


 そんな様々な噂が飛び交う朝の廊下を歩きながら、律は昨日出会った少女を探していた。


 4クラスしかない学園だが、人数はそれなりでホームールーム前の廊下は生徒達で埋められている。


 自身の教室を過ぎ、残り3クラスをこっそり偵察。


「…………居ない」


 最後の1クラスを見終わり、ため息と共に肩を落とす。


 特徴的な紅い髪を一度でも気が付かないはずがない。仮に居たとしたら、凛也が伝えに来るはず。


 いや、謎の情報網を持つ凛也なら直ぐに探し出せるか?


 などと考えながら律は自身のクラスに入る。


「おっす〜」

「おは」


 前の席に座る凛也と軽い挨拶を交し席に座る。

 カバンから教科書を出し、1限目の準備を済ませた律は、いつもと雰囲気の違うクラスを見渡す。


「なぁ、今日なんかある日だっけ?」

「ん?あぁ、昨日の虚被害の事だよ。生徒に被害は無かったけど、音楽室のグランドピアノも壊れて音楽科の升野先生が悲しんでるんだって」


 なるほど、と相打ちを打つ。


 音楽科の升野先生は、律達が1学年の時から音楽科を持つ教員であり、優しい、若い、綺麗の3元素で男子生徒から人気があった。

 そんな先生が落ち込んでるのだから、男子達は何か元気付ける方法でも模索しているのだろうか。


 あまり大声で言えないが、昨日の虚との戦闘。そして謎の少女について凛也に話をした。

 様々な情報網を持つ凛也であれば、少女の事を知っているかと思ったのだ。

 だが、


「わりぃ、分かんね〜な」


 流石の凛也も知り得なかった。

 もしかすると新入生かもしれない、と言っていた。確かにこの間入学したわけで、凛也も情報を取り揃えきれていないのかもしれない。


「あ、それとーーー」


 どうやら凛也からの話題はそれだけでは無いようで、身体を半身で律に向けたまま、机に着いていた肘を外し、


「転校生、来るらしい」


 まるでどこかの警視監みたいに手を組んで言ったのだった。


「転校生......」


 その単語を聞いて、脳裏に昨夜出会った少女が過る。


 どうして転校生が彼女だと思ったのか、それは分からない。

 律が知らないだけで、一学年上の生徒かもしれないし、新入生の可能性だってある。ただ、漠然とした予感のようなものが律にそう判断させただけかもしれない。


 昨晩の少女を思い出す。

 夜光に照らされた顔は静かで炎々とした闘志を宿し、風貌は鬼神のごとく存在感を感じた。


 彼女の使っていた聖十。炎を使う術だろう。あの熱気はすさまじく今でも律の頬を熱く――


「......もしかして恋した?」

「っ、な、なんでだよ!?」


 転校生の話を聞いてフリーズした律に、凛也の横槍が刺さる。


「柏木さんは手を回すのがお早いこと。まさかもう転校生に惚れただなんて」

「そ、そんな訳ないだろう!?ただ......」


 律は口籠もり口を閉じた。


「さっき言ってた、律と華ちゃんを助けてくれた謎の美少女の話か」

「うん。美少女とは言ってないけど、昨日突然現れて、しかも今日転校生が来るんだろ?なんか出来すぎた話な気がしてね」

「テンプレと言えばテンプレだな。突然の転校生登場から物語が始まるってのはよくある展開だな」

「偶然、とは考えにくいだろ」


 凛也には、昨晩の出来事は全て話してあった。

 神代町自体、虚という存在に理解があるが故に術士としての動きも活動しやすい。


 あり得なくもない漫画的展開に困惑するが、見覚えのない少女の登場としては十分に有り得る話だった。


 

 ――そしてその予想は、良い意味か悪い意味か当たっていた。


 

「今日は転校生を紹介するぞ~」


 何ともやる気の無さそうな声で、担任の望月玉緒先生は教壇に立ち、恐らく今日一番の行事であろう転校生紹介を生徒達に簡単に報告した。


「ハハッ、相変わらず玉ちゃん先生やる気なさ過ぎな」


 その様子を見て凛也はいたずらに笑い先生をからかっている。


 望月玉緒は神代学園2学年 律達のクラス担任である。

 女性ながらに言動や態度はやさぐれた男の様で、服装はいつもブカブカの白シャツとダメージの入ったジーパンと、中々声を掛けられたくない格好をしている。


 だが、そんな先生であるが故に自称経験豊富な人生経験を基にして生徒達の相談に乗り、嘘偽りのない真っ直ぐな言葉でアドバイスを送ることから、人気はかなり高い。

 加えて、かなりの美人教師であり、豊満な胸を持ってして数々の男と関係を持っていた、など噂は絶えない。


「山村ぁ~、あとで新池と職員室来い」


 どうやら説教されるらしい。先程の噂の生徒会長と共に凛也の説教タイム確定。

 まじか。と項垂れる凛也を無視して、望月先生は教室の外で待つ転校生に入室するよう声を掛けた。


「――――――」


「檜木皐月です。御坂女子学園から来ました。よろしくお願いします」


 現れた転校生は、淡々と挨拶を済ませ、お辞儀する少女は紅色の髪を耳に掻き上げ姿勢を正した。


 昨晩見たとおりの少女――檜木皐月は律のまだ新しい記憶のままであった。


 ここまでは凛也と話した、漫画通りの展開に違いない。だから律としても彼女が教室に入ってきたことに対しては多少の驚き程度しかなかった。

 だが、それ以上に律が耳を疑ったのは――


「檜木――――」


 檜木。という名字であった。

 凛也の話だと、転校生は元々神代に住んでいた人間。そこで檜木という名は、御三家の人間であることを意味する。


「ひのき、さつき......」


 小さく口から漏れ出た少女の名が律の中で巡回する。


 何故だろう。彼女の名に聞き覚えがある。


 

『りっくん――――』


 

 無いはずの記憶の中で、誰かが名を呼んだ。


「さっ、ちゃん......」


 共鳴するようにして、まるで自分ではない誰かが声を発した気がした。


「檜木の席は~一番前か」


 望月先生はクラス内の空いている席を見付けて、そこを転校生の席とした。

 確かに、新学期早々席が一つ空いていることに対して皆不審に思っていたが、まさか転校生とは思ってもみなかったようだ。


 諸連絡を終えて、朝のホームルームは修了。


「ならぁ、柏木。お前、檜木さん連れて校内案内しとけ」

「え、俺ですか!?」

「嫌なんか?」

「喜んで!!」


 二つ返事で了承。

 教員の威圧には耐えがたいものである。


 結局、一限目は自習ということで律は檜木皐月を連れて学園内を案内することになった。


「檜木さんは、どうして神代町に?」


 凛也と数名の男子生徒の視線を背中に受けながら、クラスを出て廊下を歩く。

 皐月は律の二歩後ろを歩き、背後に気を散らしながらまず始めにと屋上から案内することに決めた。


 屋上へ上がる道中、終始無言であったため、律は皐月の素性について問うことにした。


「おばあちゃんがね、この間亡くなったの。私の家って代々受け継がれてきたものがあるから、私がそれを受け継ぐために戻って来たの」

「受け継がれて......」

「先に回答しておくわ。私幼少期ね、大きな事故のせいで意識不明だったの。3年位かしら?だから本島の大きな病院で入院してて、今回を期に帰ってきたの」


 皐月の言った回答は、この後律が聞こうとしていた、「どうして本島に行ったのか?」という問いに対する回答であった。

 その回答を聞いて、律は一瞬だけ皐月に対する「恐怖」を感じ取った。根拠は特段無いが、淡々と話す口調と、彼女の瞳に込められていない生気が、まるで死人と会話していると感じさせたのだ。


 屋上へ到着し、ドアを開けて外の光が差し込んだ。


 快晴の空に浮遊する雲は風に乗って自由に形を変え、春風がそっと律の頬を撫でた。


 律の意識は皐月との会話に向く。


「もしかしてなんだけど、俺は君と会ったことがある?」


 皐月の名前を聞いたときに体に響いた衝撃は嘘では無いはず。

 これは確信だった。

 律は皐月に会ったことがある。もしかすると、律の記憶している、あの時の少女、が皐月であるとさえ確信を持っていた。


「......」


 皐月は何も言わない。

 後ろめたさがあるわけではないのだろう。皐月からは余裕の表情さえ見て取れて、言えないわけでも、言いたくないわけでもなく、ただ言わないだけであった。


 律は続けた。


「昔の、多分昔の記憶で、俺は誰かに助けてもらった。彼女の言葉と彼女の声が俺に勇気をくれたんだ。術士として、何にも特質してない俺だけど、そんな自分でも良いんだって、彼女は教えてくれた。だから俺は――――」


 その先の言葉を発する前に、皐月は白く細い人差し指を1本立てて自身の口元にそっと置いた。


「そこから先は禁足地だよ」


 禁足地。踏み込むことすら許されない禁じられた大地。

 皐月の言葉の意味を理解しようと思考を回す。


「......なるほど。状況は理解したわ。もう結構よ柏木君、いえ、せっかくだから親しみを込めて『りっくん』とでも呼ばせてもらおうかしら」


 そう言い残して、皐月はドアに向かって歩き出しそのまま姿を消した。


「.....君は、」


 独り残された律は、彼女の言った言葉の意味を理解できないまま、まるで懐かしい誰かと会っていたのに、それが誰かも分からなくなった。


「誰なんだ――」


 上空を旅客機が通過した。


 

 ※


 〈2018年4月2日 18時03分〉


 新学年2日目の授業を終え、下校する生徒で溢れる正門前。

 本日から部活動が再開し、新入学生を勧誘しようとそれぞれ部活動の服を着た生徒達がプラカード片手に勧誘をしている。

 どの部活も強豪とまではいかないが、それなりの成績を収めているのは確かで、学園周辺には各部活の出場大会の横断幕が貼られている。


 生徒達の波を避けながら、柊木華は5メートル先の目標を見失うまいと気配を消して尾行していた。


 彼女が2学年の教室から出たのと同時に華の尾行は始まった。一定の距離を置き、彼女に悟られることのないようにと慎重に慎重を重ねた。


 学園を出て15分程歩いたところに彼女の家があった。


「......」


 やはりそうなのか?華の疑問はある意味確信に変わり、ある意味疑念を更に増幅させた。


 神代町 術士御三家の一つ『檜木家』。

 かつて勢力を持っていた御三家故に、敷地面積は三家共に広く、檜木家も例に漏れない。

 柊木と比べると若干狭い敷地範囲だが、それでも豪邸と言えるだけの優美さは見て取れる。


「――――」


 彼女は家の前に着く。と玄関を素通りして、そのまま北側 神代町のシンボル奉霊山の方向へ向かって歩き始めた。


 奉霊山はかつての災害以降登山は禁止され、観光客もすっかり居なくなっており、閑散としていた。

 麓には大きな運動公園があり、かつての傷跡である大きなクレーターが遺されていた。子供達に人気だった巨大遊具も半壊したまま残されている。


 悲惨な現場を見ながら、華の足は対象の歩速と合わせ一定の距離を保った。


 ちょうど、グランドの入り口付近に差し掛かった辺り、


「――――あれ?」


 華の視界から、檜木皐月が消えた。


「.......」


 皐月が消えたと思われるグランド内へ侵入し、殺風景な光景を見渡す。

 野球のバットとボールが落ちたままで、恐らく子供達が遊んでいたのだろうと分かる。


 人の気配は無い。

 虚の感知にも長けた華にとって人の気配感知などお手の物である。ここで気配が無いと言うことは、幽霊?虚の擬態?

 様々な可能性を鑑みる。


「久しぶりね、華」


 可能性は一瞬で消えた。

 それまで冴えていた思考が一瞬で凍結し、背後から響いた声に全神経が転換されたのだ。

 反応としては1秒も満たない時間。

 振り返った先、彼女――檜木皐月は優しい笑みを浮かべ、久方ぶりに再開した幼馴染みを、まるで失った時間の分見つめ、華の健在を歓喜していた。


 

 だが――――


 

「貴女は、誰?」


 それが、彼女と実に10年以上会っていない華の回答だった。


 華にとっても、かつての幼馴染みとの再会は喜ばしいことに変わりは無い。実際に今も、心中の隅では皐月との再会を歓喜している自分が居ることに否定は無い。

 しかし、それはあくまでも皐月が生きていたら、の仮定である。


「誰って失礼ね。檜木皐月。それが分かってて私を尾行してたんじゃなくて?」

「....そうよ。知ってる。貴女は"さっちゃん"であることに間違いない」


 皐月の言葉に対して華は一瞬押し黙る。

 だがそれは、揚げ足を取られたからではなく、再度聞いた彼女の声が、檜木皐月のものであったことにあるから、自身の思考した可能性が否定されそうだったから。


「でも、でも、さっちゃんは10年前に災害で亡くなったはず!あの虚に貫かれて...さっちゃんは死んだの」

「――――」

「でないと、律君は今みたいになることは無かった!あの時さっちゃんが目の前で殺されたから、律君は本当の――――――」

「私のせい?」


 華の言葉が言い終わる前に、皐月の言葉が被さった。

 単純な疑問詞では無い。どこか小馬鹿にするように笑った声は、まるで耳元で囁かれたみたいに鮮明であった。


 皐月は薄笑いを浮かべたまま華を睨んでいる。


「りっくんがどうなったのかは知らない。今日見た感じだと完全に私を忘れているらしいけど、それが私のせいだって言うの?」

「っ、違う!誰のせいでもないの!ただ、目の前でさっちゃんが死んだショックが律君を壊してしまったの」


 悲痛な叫びだった。


 10年前の災害。そこで幼馴染みの皐月を目の前で失った律は心が壊れた。無事に生還できたものの、家族と友人を失った悲しみは律の幼い心を破壊するのには十分であった。

 生気を失った律を傍で見てきた華。友人を失った悲しみはあれど、律の心の傷を推し量ることが出来なかったのが後悔として残っている。

 今まで回復するまで律を支え、逆に彼という存在に支えられてきたのだ。


「それは結果として、でしょ?」


「――――ぇ?」


 思考が止まる。というより、発せられた言葉に対して理解が出来なかった。

 皐月はなんと言った?結果として?


「りっくんが壊れたのは結果として壊れただけ。そこに私は関係ないわ。華が問題として言っているのも分かるけど、そこと私を結びつけるのは着眼点としておかしいと思わない?」


 皐月はただ律が勝手に壊れたのだと断言した。

 哀れみも、罪悪も、何も無い言葉で、ただ皐月は律の自滅を小さく笑って発言した。

 その言葉に悪意が無いことを、華は真っ先に理解した。

 しかし問題なのは、皐月が悪意も無く、純粋な自身の正論として言葉を述べていることにあった。悪意の無い悪行こそ悪である。


「何か言いたいことがあるって顔してるけど。大丈夫?」


 あっけらかんとした顔で皐月は華に問いかけた。

 未だ自身の言葉の意味を理解していないのか、それとも理解した上で話しているのか。


 華は目の前の『檜木皐月』というモノが恐ろしい怪物に見えてしかたなかった。

 鳥肌が止まらない。虚なんかよりもよっぽど恐ろしい存在が、今目の前に顕現しているのだ。


「貴女は、さっちゃんじゃない」


 否定する。


「さっちゃんはそんな人間じゃ無い」


 否定する。


「そんな、心無いことを言ったりしない」


 否定したい。


「さっちゃんは、死んだ。死んだはずなんだ!」


 死を、肯定したい。


「さっちゃんが律君を馬鹿にするなんて有り得ない......」


 昔3人で遊んでいた時、あの平和な時間の中で皐月は律をいつも慕っていた。2人が互いに支え合う関係を羨み、誇り、遠くから見ていた華にとって、今の皐月の在り方はあまりにも歪に見えた。


 そっと、薄ら笑いを消した皐月はゆっくりと口を開く。


「......あの時、聖十を使わなかったのは何故?」


 突然の指摘。

 皐月の言うあの時を記憶から選出する。


「――――」


 思い当たる節はある。それはつまり、皐月の言う真意に気付いた証でもある。

 故に返す言葉を出せない。


「何だ、自分でも分かってるんじゃない。それで?なんで聖十を使わなかった?まさか、私は使えません。なんてホラ吹くつもりじゃないわよね?」


 皐月の眼に確信が見えた。彼女は華の真意を見抜いていた。


 それは正解で、


「あなたは、りっくんに聖十を使えることを隠したかったのよね?」

「.....ち、違う」


 否定は虚しく。見抜かれた以上は、


「華は私を否定したいらしいけど、あなたこそりっくんを否定、いえ、馬鹿にしてる」

「っ!!!」


 泣きそうだった。

 悲しみでもなく、怒りでもなく、ただ自分の醜悪が恥ずかしくて泣きそうだった。そしてそれを、心ない怪物に暴かれたことが余計に華の心を傷つけていた。


 事実、皐月の言葉は正しかった。


 10年前の災害で両親と皐月を亡くしてから律は魂を失った人形となった。それは文字通り生気の無い人形であった。

 言葉も発せず、食事もままならず、ただ1日外を見つめるだけの毎日。救いなんて無かった。律には当然、周囲の人達にも救いは無かった。


 変わり果てた幼馴染みをどうやって助けたら良いのか。

 どうやったら彼は笑ってくれるのか。

 どうやったら彼は救われるのか。


 きっかけは分からない。結論から言うと華は6歳にて聖十を目覚めさせた。


 華の聖十は使用用途が多く、利便性も高かった。使いこなせるまで1年も掛からなかった。それが華の才能と言えるだろう。


 華はその聖十で律の記憶の一部を封じた。


 そうして、10年前の悪夢を封じられた律は、元の明るい性格を取り戻していった。

 医師からは相当なショックで記憶障害を起こしている、と説明されたが真意を知るのは後にも先にも華しか居ない。


 1つ気が付いたことがあった。

 華の聖十の目覚めたきっかけである。律を救いたい。その一心に力が目覚めたのは事実だろう。


 だが、元気になった律を見て華は自身の聖十を嫌悪した。


 

『私の聖十は、律君を哀れんだ結果の力である』


 

 と。思わざるを得なかった。

 華の聖十によって律の記憶は封じられた。が、同時に術士としての才能も封じられたことになる。

 あの時、10年前のあの日、災害を止めた律の力は――――


「自分の聖十を信じることさえ出来ない術士が、どうしてりっくんを救おうと思ったの?」


 皐月の言葉が刺さる。


「あなたが招いた結果なんだから、りっくんの件に関してはあなたが責任を取らなくてはいけない」


 押し黙る華に皐月の言葉が降りかかる。

 ただ、言葉を浴びせる皐月の目には何故か温かい光が灯っており、


「......迷いは誰にでも存在する」


 そっと優しく微笑んだ皐月は、ゆっくりと両手を腰辺りで広げる。


「聖十はあなたの想像を形としたモノ。

 あなたがりっくんを救いたいと願った形なら、それは清く受け入れられるべきもの。力の奔流に呑まれず、聖術士としての力を身に付けたあなたを、私は否定しない」


 故に、


「華、私と一緒に来ない?私達なら聖十の力を正しく教えられる」


 彼女は優しく、抱きついて来いと言わんばかりの姿勢で華を待っていた。

 その光景に、先程までとは別の恐怖を抱く華。身動きは取れず、神々しささえ漂わす皐月の姿に固まったまま、見つめることしか出来ない。


 皐月の言葉は不穏なものばかり。

 情緒の安定していない彼女の口調は普通とは遠くかけ離れている。

 そこで漸く、華は皐月が危険な所に居るのだと分かった。異常な彼女の台詞を言わせるのは、なまじ普通の場所、聖堂協会ではあるまい。


 辛うじて動く口を動かす。


「さっちゃん......、貴女は何を、何処に居るの?」


 皐月は静かに、


「先に安心して。大丈夫。今日のことはすぐに忘れるから」


 忌まわしい禁忌指定を口にする。


「堕堕異典。華なら聞いたことあるわよね?」

「――――ぇ、」


 堕堕異典。


 聞き覚えのある、忌まわしい単語が華の脳を響かせた――。


 

 ※


 〈2018年4月2日 17時53分〉


 

 夕暮れに照らされて放課後の学園内はオレンジ色一色に染まり、まさに夕方を感じさせた。

 時刻は午後4時半過ぎ。生徒は皆下校し、残業の為残った教員が数名居るのだろうか、1階から話し声が聞こえてくる。


 ここは2階の生徒会室。役員の生徒は皆下校し、生徒会長 新池美波は授業の復習と生徒会の仕事の2つを同時にテキパキと作業をしていた。

 そしてその偉業ぶりを正面の椅子で、唖然として見つめる山村凛也。


「どうやったらそんなことできんの?」


 半ば引き気味に、まるで腕がもう2本生えたみたいに復習と作業を交互に行う美波を見る凛也は、あんぐりと口を開け、手に持ったポテトチップスのお菓子をいくつかこぼしてしまう。

 パラパラと床に落ちるチップスの破片に気付き、美波は一時手を止めてギロッと凛也を睨む。


「そこ、後で掃除しておいてくださいね。他の役員達の士気に影響するので」

「はいはーい」

「......」


 この男、ほんとに聞いているのか?と美波の表情は語る。

 だが、山村凛也のテキトー加減は今に始まった話ではないことを美波はよく知っていた。


「それで?この1年間話すらしてこなかった貴方が、どうして来たんですか?」


 美波は再びカリカリとペンを動かし作業に戻る。


「なら、単刀直入に聞く。アレはなんだ」

「......アレとは?」


 とぼけるわけでも、何かを隠すわけでもなく美波は単調に回答する。


「今の間は、知ってますよって間だ。モロ回答しちゃってるもんだぞ~」

「相変わらず人の揚げ足を取るのがお好きなんですね。昔と何も変わってない」

「不変は時に美徳なんだよ。特に俺らみたいな特殊な生物にはね」


 床に散らばった屑を取りながら、凛也はお菓子の咀嚼を再開した。


「...ところで、望月先生に呼ばれたのは、どんな要件だったんですか?貴方の日頃の態度から怒られることは間違いないとして。先生の表情も普通のモノとは異なってましたから」


 よく見てるなぁ。と関心しつつ、先程の問いに対する回答は良しとして凛也は美波の問いに答える。


「学園長が、律と華ちゃんに正式な聖堂協会からの依頼を行ってもらう、ってさ」


 神代学園の学園長 天王寺道典は聖堂協会神代支部の支部長でもある。

 聖堂協会本部と強い繋がりがある神代町は、直接聖堂協会の聖術士や術士が訪問しに訪れるほど関わりが深い。


「柊木華が高校生になったタイミングを待っていた、ってことですか。相変わらず規則がうるさい組織ですね」

「まぁまぁ、そう嫌がるなって」


 美波が聖堂協会に対して嫌悪感を抱いていることを凛也はよく知っている。

 こんな悪態を聞くのも何年ぶりかと染み染みと感傷に浸る。


「望月先生も大変ですね。正規で無いとは言え聖堂協会の術士として、学園長と貴方との連絡係なんて。私だったら断固拒否してました」

「はははっ、学園長もその辺は分かっての選抜だったんじゃないか?美波が俺を――いや、聖堂協会を嫌ってる理由をよく知ってるからな」

「......」

「1つ、聞いても良いか?」


 お菓子を頬張る凛也は、手に付いたのり塩の油をハンカチで拭いてカリカリと作業をこなす美波に聞いた。

 美波は作業の腕を一端止めて、改まった凛也を見る。


「どうしてこの町に来た」


 単純な質問。しかし確信を得た質問に美波は一時押し黙る。

 おおよその理由を察している凛也は質問を続けた。


「10年前の虚による大災害。協会から禁忌指定を受けた災害の生存者 柏木律。

 死んだと記録されている少女 檜木皐月。

 そしてそこには、聖堂協会聖騎士団 元副団長の新池美波。この3つが偶然揃ってるなんて思えなくてね。正確には上が気にしてるみたいで」


 凛也は人差し指を立て、上――聖堂協会の権力者達を示す。


「仮にも辞表した身である美波が縁もゆかりも無い神代町に居るってのはどうしても理由が見当たらない」


 美波からの回答を察し、凛也は鞄を片付けて肩に掛ける。


「お前は、何を知っている?神代で何が起ころうとしている?」


 先程までのふざけた様子は無く。その姿は正に、かつて美波の知っている――――


「さぁ?私はたまたまこの地に来ただけ。本島だと都会が多くて嫌気が差してね。住みやすい田舎は好きなの。だから神代町に来た。この回答で満足頂けたかしら?」


 美波は再び作業を始める。

 回答を受けた凛也はふっと笑い、静かな室内にカリカリと執筆音が響き渡る。


「おっけ~」と軽く返答した凛也は、帰ろ帰ろ、と軽く悪態吐いてドアに手を掛けた。


「とりあえず、美波は問題なし。で返しとくよ。上の人達的には律よりも美波が敵に回る方が怖いらしいから。ただ......」


 一拍。


「何かあった時は頼む。俺にはお前しか――――」


 最後の言葉は夕暮れに鳴くカラスの合唱に掻き消される。


 凛也の気配が生徒会室から完全に離れたことを確認し、美波は作業の腕を止めた。

 今日だけでどれだけ気を散らせば気が済むのだろうか。凛也の顔を思い出しながら、差し入れと言って渡されたコーラ味のグミに手を伸ばす。


「......私の好みはちゃんと覚えてるんですね」


 固めのグミが好きな美波の好みを当然のごとく把握しているあの男。

 憎いがこういう所が嫌いになりきれないという中途半端な気持ちを作り出してしまう。


「――――――団長」


 カラスは去り、夕暮れ空が暗く染まり始めた。

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