ブラッディサマー☆シューティングドルフィン
鍵崎佐吉
失われた夏
時刻は午後三時過ぎ、風は西に一メートル、気温は三十二度。監視塔の上は風通しがいいのでそこまで暑さは感じないが、上り下りには梯子を使うしかないのでここまで来るのはかなり面倒くさい。それでもまあ、ここに配置されたことはラッキーだと思っている。
「ねえ、スイカ割りって知ってる?」
「なんだそれ」
聞き馴染みのない単語に俺は手元のタブレットから顔を上げる。稲葉は足元に置かれたクーラーボックスからアイスを取り出しながら続ける。
「昔はさ、夏になると砂浜にスイカを転がして木の棒で叩き割ってたらしいよ。で、ぐちゃぐちゃになったスイカをかき集めてそれを皆で食べるんだって。うちのじいちゃんが言ってた」
「それ何が楽しいんだ?」
「割る人は目隠しして周りの人間が右!とか左!とか指示を出すらしい」
「ますますわからん。何の儀式だ?」
稲葉はスプーンの先端をこちらに向け真剣な表情で告げる。
「多分だけどさ、武道の修行みたいなものだと思うんだよね」
「はあ」
「不安定な足場で視覚に頼らずに正確に対象を捉えて破壊する……きっと並の素人にできることじゃない」
「まあ、確かに」
「というわけでさ、今度訓練がてらやってみない?」
「やるって、ここでか?」
「他にできる場所なんてないでしょ。普通の地面でやっても意味ないし」
「別に砂場とかでもできるだろ」
すると稲葉はわざとらしく首を横に振る。わずかに香る制汗剤の甘ったるい香料が鼻をくすぐる。
「はぁ、わかってないなー。こういうのは雰囲気が大事なのよ。せっかく近くに本物の砂浜があるんだから、もうやるしかないでしょ」
「お前、まさかあそこでやる気なのか? しょっちゅう死体がうち上がってるような場所だぞ?」
「……まあスイカは皆に振る舞えばいいでしょ」
「うわぁ」
とはいえ本当に砂浜でやるとするなら他に選択肢がないのも事実だ。奴らの手に落ちていない安全な海岸なんてもう瀬戸内海の一部にしか残されていないし、そういう場所は富裕層向けの高級リゾートになっている。俺たちの安月給では到底手が届かないし、そもそも有給が取れるかどうかも怪しい。
扇風機から送られる風が稲葉の髪を揺らす。どこまで本気で言っているのかはわからないが、あいつの興味は既にアイスの方に移ってしまっているようだった。
「んー、やっぱ夏はアイスだね」
「お前冬でも食ってるだろうが」
「だからさぁ、こういうのは雰囲気だって言ってるでしょ。ほら」
そう言うと稲葉はアイスの乗ったスプーンを俺の前に突き出す。これはお前もアイスを食って夏に酔いしれろ、ということなのだろうか。稲葉の表情をうかがおうとしたがすっと視線を逸らされた。ゆらゆらと揺れるスプーンだけが所在なさげに二人の間を漂っている。これは果たして脈アリなのかナシなのか、恋愛経験の乏しい俺では判断しかねる。だがとりあえずは誘惑に逆らわずに差し出されたそのスプーンを咥えることにした。透き通るように甘い冷たさがじわりと口の中に広がってゆく。
「……うまい」
「でしょ」
そう言って笑う稲葉は夏の太陽のように輝いて見えた。
『敵襲、敵襲! 北北西に百頭近い群れを確認、総員第一級戦闘態勢を取れ!』
緊迫した声が鋼の海岸に響き渡る。アイスクリームのように甘い夏のひと時は終わりを告げ、俺たちは現実に引き戻される。稲葉は食べかけのアイスをクーラーボックスにぶち込んでライフルを構える。遠く水平線の方へ目を向ければ、海面を切り裂いてこちらへ接近する無数の背びれが確認できる。
「どうも夏休みがないのはあいつらも同じらしいね」
「兵隊なんてのはそんなもんさ」
俺も銃を構えてスコープを覗く。海中から姿を現したのはビームライフルとジェット推進機で武装したイルカたちだった。奴らが突然変異なのか生物兵器なのか侵略的宇宙人なのか、その答えは未だにわかっていない。とにかく人類が生き残るためにはあの殺人イルカたちと戦うほかなかった。特に周囲を海に囲まれた日本にとって奴らは天敵とも言っていい存在である。国の存亡をかけて今日も俺たちはイルカ相手に射的をしている。
「命中」
発砲音に紛れて稲葉のつぶやきがかすかに聞こえてくる。あんなおちゃらけた奴のくせに狙撃の腕は俺よりこいつの方が上だ。冷静かつ的確に、まるでゲームでもするかのように次々と敵を撃ち抜いていく。まあ相手が武装したイルカではこれが生死をかけた戦争だとわかっていてもいまいちシリアスになり切れない部分はあるのだが。するとスコープの先、俺が狙っていたイルカの頭が不意にはじけ飛んで海面を赤く染める。
「……スイカ割りってこんな感じかな」
「やめろ。食えなくなる」
「あはは、繊細だねぇ」
お前がいかれてるだけだろうが、と言いかけた時、轟音と共に激しい衝撃を全身に感じた。とっさにスコープから目を離すと、隣の第三監視塔が木端微塵に吹っ飛んでいた。熱を感じなかったということはビーム兵器やロケット弾の類ではない。
「敵の新兵器か!? でもいったいどうやって……」
「多分音響兵器だ。イルカたちがでっかいラッパみたいなのを担いでる」
スコープを覗いたまま稲葉は冷静に告げる。しかしそうなると厄介だ。音を避けられるはずもないしあの威力では防ぎようもない。そうこうしている間にも次々と他の監視塔が吹き飛ばされていく。それでも稲葉はスコープから目を離そうとしない。
「おい、そんなことしてる場合か!?」
「どうせ逃げても間に合わないよ。梯子を下りてる間に狙い撃ちされる。……それにまあ——」
稲葉の横顔は少し笑っているように見えた。
「——あんたと一緒なら死んでもいいかなって」
不意に早くなった鼓動はきっと危機感と暑さのせいだ。俺は自分をごまかすように稲葉の手を取った。
「いいわけねえだろ! スイカ割りするんだろうが!」
そのまま有無を言わさず稲葉の体を抱えて、俺たちは監視塔から海に向かって飛び下りた。その直後、再び轟音が響き渡り俺たちのいた第二監視塔が見えない力によって吹き飛ばされる。
「ああ、私のアイス……!」
いや、そこなのかよ。心の中で突っ込みながらも俺は謎の清々しさに襲われている。アイス食って射的して海に飛び込んでスイカ割りをする。今は失われてしまった古き良き夏ってのは多分こんな感じだったのかもしれない。血とバラバラになった監視塔の残骸が浮かぶ海が二人の体を受け止める。イルカたちには悪いがこんなところで死んでやる気はさらさらない。俺たちの夏はまだ始まったばかりだ。
ブラッディサマー☆シューティングドルフィン 鍵崎佐吉 @gizagiza
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