第17話

話があると明日佳が伝えてくれたおかげで先生は見舞いにやってきてくれた。細かいことは覚えていないが先生相手に無駄話は悪手だとは分かっていた気がする。単刀直入に先生の弟子になりたいと打ち明けたはずだ。


「…………」


先生は沈黙で俺が申し出を撤回するのを待っていたように思う。しかしトレーナーを志す俺の決意は固かった。無言のまままっすぐに先生の目を見続ける。


「…目標などなくても人は生きられる。生き急いで道を見失うな」

「血迷ったわけじゃありません。自分は本当にトレーナーになりたいんです」

「…今回のことで確信した。日暮、お前はトレーナーに向かない」

「な、なんでですか」

「……………背負うことと支えることは似て非なるものだからだ」


しばらく待ったのに、先生から出た言葉は全然納得できるものじゃなかった。というか何を言っているのかわからなかった。俺はまだ自分の本気さが伝わっていないと思い、必死に先生に頼み込み続けた。でも先生はずっと渋い顔で、俺を憐れんでいるから仕方なく話を聞いてるようだった。


「…会わなかったそうだな」


それまでの俺の説得なんかまるで無視して、先生は突然脈絡のない話を始めた。


「誰にですか?」

「…とぼけるな。取材も断っていると校長が嘆いていたぞ」


何も後ろめたいことはないはずなのになぜか糾弾しているような口調に動揺した。


「……会ってしまったら一生の傷になるかもしれません。でも、会わなかったらきっと二、三年で忘れてくれます」


先生の顔はますます渋くなってしまった。慌てて何か言おうとすると、自分を卑下する言葉が口からついて出てきた。


「だって…こんなザマみっともないじゃないですか。カッコ悪くて会わす顔がありませんよ。ハハ…」


自分でも如何なものだろうか、とは思う。でも先生の反応はちょっと過剰だっただろう。先生は激情のこもった目で俺をにらみつけ、閉じている口を必死に食いしばって怒鳴り散らすのを我慢していた。


「あれ、六条先生。来てたんですか」


ナイスタイミングで明日佳が部屋に入ってきてくれた。先生は咄嗟に怒りを抑え込み、静かに立ち上がった。


「帰っちゃうんですか?」

「…日暮。ひとまずはリハビリに専念しろ。座学はそのあとでも出来る」


思えばこのころからよく明日佳を無視する人だった。そしてしっかり仕舞っているはずの早速買い込んだ教材も先生にはお見通しだったらしい。


「上手くいった?」

「…た、多分な」


直前まであんなに不機嫌だったが、最後の言葉から察するに多分教えてはくれるのだと思う。いったいどういう情緒なんだ…?


「やったね! 拓翔!」

「あ、ああ」


自分事みたいに喜ぶ明日佳のテンションに圧されて、俺は先生の不気味なリアクションを無理やり飲み込んだ。バカな話だ。いざ敵対されるまで先生のあの怒りをすっかり忘れていたなんて。


―でも。いまだ先生のことはよくわからない。

結局なんであの時、先生は怒ったんだろうか。



――――――――――――――――――――――



「試合。つきあって」


…あたしはうんざりしてため息を吐いた。普通の人ならそれで十分にあたしの気持ちが伝わって身を引いてくれるのだけど、この人の場合はそうもいかない。


「嫌です。あたしは忙しいんで」

「却下」


雪寝さんは子供のように強情で一歩も引かない。…非常に面倒だ。あたしが三位になり、雪寝さんを追い抜いてからこの執着は始まった。ほぼ毎日練習が終わり次第あたしに挑んでくるが、面倒なのですべて断っている。


「拓翔さん」


拓翔さんがちょうど傍を通ったので、すかさず呼び止めた。子供のような雪寝さんでも拓翔さんのいうことなら聞くはず。事情を説明して、代わりに説得してもらおう。


「どうした? 桐島」

「雪寝さんをなんとかしてくださいよ」

「立腹。勝ち逃げは許さない」

「ああ、なるほど…」


拓翔さんはあたしと雪寝さんを交互に見て、顎に手を当てて考え込む。そして少しすると腰を低くして、目線を合わせて雪寝さんに語りかけ始めた。


「一度闘ったら満足か?」

「否定。勝って満足。そして今回は勝つ」

「勝てる算段があるってことか」

「肯定」


拓翔さんは姿勢を戻してあたしを呼び寄せる。


「桐島。闘ってやれよ。雪寝は勝てる算段が付いたからお前に挑んでいるらしい。またお前が負かせば次の算段がつくまでは挑まれないぞ」

「え」


前々から薄々気づいていたけど拓翔さんは雪寝さんに甘い。…なんだか不公平な気がする。


「あたしにメリットない気がするんですけど」

「雪寝との試合は今の桐島に必要だと俺も思うぞ。けど、そうだな…。じゃあ俺が何か景品を付けたそうか」


拓翔さんは顎に手を当てて考え込む。しかし妙案は浮かばないらしく、結局あたしに訊ねてきた。


「桐島。何か欲しいものとかあるか?」


ちゃ、チャンスだ。あたしはずっと引っかかっていたわだかまりをついに解消できるのかもしれない…!


「よ、呼び方を…」

「呼び方?」

「あたしが勝ったらあたしのことも下の名前で呼んでください」

「そんなことでいいのか?」


ここ数か月の観察で分かったことだが拓翔さんは人の呼び方を周りに合わせている。普段、周りから苗字で呼ばれている奴なら苗字で呼ぶし、下の名前で呼ばれている奴なら下の名前で呼ぶ。また、相手の呼ばれ方の情報がないときも苗字だ。


そして傾向として女性は下の名前で呼び合うことが多いが、男性は苗字で呼び合うことが多い。結果的に拓翔さんは見知った仲であれば女性のことは下の名前で、男性のことは苗字で呼ぶことが多くなっている。


「生意気。桐島にはまだ早い」

「はあ? 付き合いの長さなら雪寝さんより長いんですけど」


あたしは桐島のまま定着してしまった。一度定着した呼び名を変えるためには明確な転機が必要だ。これはそれにぴったりな気がする…!


「まぁやる気になるならそれでいいか」


拓翔さんは結構気軽に構えているが、あたしにとっては大切なことだ。たまたま明日佳さんも周りにいないし、この機を逃せば次はない気がする。


「絶対勝つ」

「無理。勝つのはこっち」


あたしたち二人が勇み足で試合場に向かうと、すでに一つのフィールドで試合が行われていた。いや、ちょうど終わったようだ。一人は伏したまま立ち上がらず、もう一人はそれを見下ろしている。まだ練習が終わって間もない。こんな時間で負けるということはおそらく惨敗したのだろう。


「もう限界?」

「……まだに決まってるでしょ」


明日佳さんが揶揄うように訊ねると、伏していた風間が膝をついて立ち上がる。

別に仲良くもないし、気を遣うような関係性ではないけど、なんとなくあたしは二人からなるべく離れた場所を試合場に選んだ。


「じゃあ始めましょうか」

「了承。いつでも」


あたしはまず駆けた。雪寝さん相手に足を止めれば勝ち目はない。案の定、一瞬にして雪寝さんの指先に溜まった魔弾がつい先ほどあたしがいた場所に打ち込まれる。


雪寝さんの魔力特性は『増幅』。千万人に一人と言われる魔力そのものを増幅する意味不明な魔力特性だ。全身に流れる魔力を増幅するだけで魔弾を準備できるからそもそも溜める行為を必要としない。


普通、一度に二つ以上魔弾を溜めようとすれば、尋常でない集中力と倍以上の時間を要する。つまりは不可能なわけだが、そもそも魔力を溜めて魔弾をつくらない雪寝さんには関係ない。雪寝さんは十指それぞれに人間の頭ほどの魔弾を瞬時に装填した。それを惜しげもなくあたしの方にやたらめったら撃ち続ける。的確にあたしを狙い続けても当たらないことが分かっているからあえてバラまいているわけだ。これが勝ちの算段とやらならあたしのことを舐めすぎだろう。


舞っているかのようにゆらゆらと体と手を動かし続け、その間もずっと十指に魔弾が装填され、放たれ続ける。この魔弾をすべて避けて近づかなければ雪寝さんには勝てない。


大きく踏み込んだ右足が地についた瞬間、あたしは魔力特性によって体を百八十度回転させ、方向転換した。そして勢いを殺さずに走り続ける。


「!」

「早くも想定外ですか?」


魔弾の雨があたしを追いかけるが、あたしの回転による方向転換は自在だ。いくらでもフェイントできる。当然の摂理でだんだんと雪寝さんの魔弾は広範囲を狙うためにバラけていった。密度が下がれば避け易く、近づきやすい。そろそろいい頃合いだろう。あたしは走りながら右手に魔弾を溜め始める。



十分に溜まったならタイミングを見計らって一直線に雪寝さんに向かう。すぐに矢鱈に打っていた魔弾と舞はピタリと止み、あたしに照準を合わせてきた。十指からほぼ同時に十の魔弾が放たれる。あたしは走っている間に右手に溜めた魔弾を放ち、すぐに寝そべって転がって回避した。間抜けな構図なのが腹立たしいけど、あたしの回転の魔力特性を活かす回避方法としては最適解なはずだ。


あたしが放った一発の魔弾は容易く雪寝さんのいくつもの魔弾を貫いた。雪寝さんは追撃を諦め、大きく横にズレてあたしの魔弾を避ける。


『回転』が付与された魔弾の威力は並みの魔弾とは比べ物にならない。数なら負けるが威力ならあたしの方が上だ。


「上等」


雪寝さんは再びあたしに照準を合わせる。けど今回は右手の人差し指一本だった。あたしも喜んで右手の人差し指を突き出し、魔力をそこに集中させる。


どうやら威力であたしの魔弾が上回ったのがお気に召さないらしい。純粋な威力勝負を仕掛けてきた…! 上等はこっちのセリフだ。


雪寝さんは溜めなくても魔弾を撃てる。じゃあ溜めたらどうなるのか。答えは簡単だ。超強い魔弾ができる。ただそれだけ。


雪寝さんが人差し指に溜めた魔力が雪寝さんを覆い隠した。まだ大きくなり続けている途中だというのにすでに地面を抉っている。対してあたしの魔弾はやや大きいくらい。サイズだけなら圧倒的に負けている。


先に放ったのは雪寝さんだった。あたしの背丈を優に超すほどの魔弾が地面を削りながらこちらに迫ってくる。


あたしは遅れて魔弾を放った、いや、これはもはや魔弾ではないか。あたしが放った魔弾は前に進みながら捻じれることによって細長い一本の線と化す。つまり『レーザービーム』だ。


この『レーザービーム』は無類の貫通力を誇る。どんな魔弾もこのレーザービームの前には紙切れと同じだ。


雪寝さんの巨大な魔弾は霧散し、雪寝さんは倒れた。レーザービームは魔弾ごと雪寝さんを貫いたらしい。すぐに試合が終了し、怪我が消えた。あたしの勝ちだ。


「不覚…」

「不覚じゃなくてただの実力差ですよ」

「玲奈生意気。…でも勝者の特権。今だけは大目に見る」

「え」


なぜか雪寝さんがあたしのことを下の名前で呼んできた。しっくりこないし、なんだかむず痒いから辞めてほしい…。


「いや、別に雪寝さんはあたしの呼び方変えなくても…」

「?」

「えっと…」


雪寝さんの心から不思議そうな顔を見ると流石にやめてほしいとは言いづらかった。結局、あたしは雪寝さんにも玲奈と呼ばれることになった。なぜかわからないが少しだけ負けた気がする。





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