第16話
「あれ聞いた?」
「なにをだよ」
「もう鹿王は勝ち終わったってよ」
「流石にそんなことあるか? 決勝は勝ち負けに関わらずシングルBまでやるだろ」
「なんでも決勝の試合全部30秒切ったらしいぜ」
「今年もバケモノかよ…」
「しかも新しく入った一年二人もバカ強いらしい」
「はあ? ちょっとガチ過ぎだろ」
「なぁ。 やっぱ広告塔がいるとことは金あんだろな」
「でも俺たちだって次、翠晴に勝てば優勝だろ? もしかしたらワンチャンあんじゃね?」
二人は互いを見ながら歩いていたせいで、向かい側から来た青年にぶつかりそうになる。そしてぶつかる前に男の隣にいた女子に軽く抑えられた。ほんの少し指で止められただけなのに壁でもあるかのように前に進めなくなる。
二人は謝ろうとしたが、何も言えなかった。口をパクパクと開けては閉じてを繰り返す。
「口と前には気をつけなよ」
何も言えない二人に変わって明日佳は冷たい口調でそう言い放って、それぞれを指一本で道の両端に押し込んだ。
「そう怒るなよ、明日佳。別に広告塔は悪口じゃないだろ」
「拓翔の実力が無視されてる感じがムカつく」
端へと避けた二人の間を拓翔と明日佳が通る。そして高校生には思えないほどの長身の長津と、高校生には思えないほど小柄な雪寝が後に続いた。
「自分ら、運悪すぎやろ。お祓いとか行った方がええで」
「自業自得。むしろ幸運な方」
未だ茫然としている二人の間をさらになぜか縦に並んだ風間と桐島が通り抜ける。
「喧嘩なら俺が買うよ?」
「あたしには風間も似たようなものに思えるけど」
六人が通り過ぎてやっと二人は正気を取り戻した。互いに目を合わせ、まだ少し震える声で独り言のように呟く。
「な、なんで鹿王がこんなところに…!?」
――――――――――――――
俺たちは観客席の空いた一画に腰を降ろす。そして始まった決勝戦を渋い顔で眺める。試合場では翠晴高校のメガネをかけた少女とオールバックの仏頂面の男が審判の掛け声を待っていた。
「……」
桐島はメガネの少女 伊林を心配そうに見つめる。一応、あの練習試合から交流は続いていると本人からは聞いているが、どこまでの間柄なのかはまだ俺も分かっていない。
「お、あれが噂の五十嵐ですか?」
「そうだ。風間が俺のために倒してくれた二年生。長津、お前は去年も闘ってるぞ」
「え、ホンマですか? いやー、全然ピンと来ませんわ」
「無理もないんじゃない? 口だけ達者な雑魚だったし」
大口を叩き、相手を悪く言う風間の傾向は人間としては醜いものかもしれないが、アスリートとしては決して悪いものではない。むしろ俺の鹿王のコンセプト「勝ちに拘り、敗北を侮蔑する」というのに最も近い性格をしているとすら言えるだろう。風間のビッグマウスと喧嘩腰は自分を追い込むことで発揮する分かりづらい向上心の表れなのだ。
「肯定。ウチだとせいぜい準レギュラー、もしくはそれ以下」
五十嵐の動きを見た雪寝までもが酷評をするが、雪寝の見立ては感情にとらわれていない正確なものに思えた。事実、俺の見立てとも一致する。しかし、これは…。
「あっちのメガネの子は動きはイマイチだけど、読みはそこそこだね。長津のスタイルに近いんじゃない?」
「いや、明日佳。あれは長津の先読みとは全くの別物だ。真逆といってもいい」
「どういうこと? 拓翔」
「長津の『俺の打席は終わらない』は長津の瞬間的な思考力、および経験による異常に確度の高い予測能力だが、あのプレイヤーがしていることはあらかじめ立てた戦術どおりに相手を動かす誘導」
「あー、なるほどねえ。誘導かぁ。考えたこともなかったなあ」
「そうだろうな。ハイリスクすぎる上に要求される技術もかなり高い。あまりに割りに合わないスタイルだ」
「…タマはあのスタイルの方が強いんだと思います」
「桐島のいう通りだな。かなり無茶だが、形にはなっている。けれど不確定要素の多いペア戦には向いていないだろう。ソラの奴はいったい何を考えているのやら…」
「いやいや、まだ試合始まってすぐやで? なんであれだけの動きで誘導だって確信できんねん。やっぱ拓翔さんも大概よなあ」
「異議なし。…それにしてもあの一年思ったよりできる。風間は危ないかも」
「あー、確かに。風間は単純やからなあ。性格的にも相性悪いわ」
「誰が!」
「それはないと思います。拓翔さんが誘導だって見抜ける以上、あたしたちにもタマの戦術は通用しないんだから。タマの闘い方は事前にバレたらほぼ無意味なわけだし…」
「分かってるね、桐島ちゃん。…なのに、ねえ、拓翔。なんでそんな渋い顔してるわけ?」
「…強すぎる」
試合は特に盛り上がりもなく翠晴ペアの勝利で終わりそうだった。
「へ? いやいや。拓翔さん。どこがですか? 悪いですけど俺やったら二対一でも負けませんよ」
「拓翔の予想より翠晴高校の生徒が成長してる、そういうことだね?」
明日佳が補足してくれたが、実際は少し違う。俺が引っかかっているのは原作との流れが違い過ぎることだ。桐島をウチに引き込んだ時点でもう考慮する意味もあまりないかもしれないが、それでもこれはおかしい。
原作ではこの伊林と五十嵐のペアは負けるはずだった。惜しいところまで追い詰めるが、最後の最後に一歩足りずに敗北し、後ろのシングル戦二つで桐島とソラが勝つ、これが正史である。
それが、特に押されることもなく優位を貫いて勝つとなるのはあまりに妙だ。桐島が入部しなかったことで他の部員が育つというのもあまり納得できない。発破材となるような出来事もなく、練習相手のレベルも下がったなら弱体化するのが自然だ。
「…ソラめ、どうやったんだ」
長津のいう通り、今の翠晴なら大した脅威じゃないが、トレーナーとしては何としても知りたいほどの成長具合だ。どうにかしてメソッドを知りたい。クソ、この前邪険にしなければよかったかな。いや、そもそも敵だし、友好的にしたところで教えてはくれないか。
翠晴のペアが順当に勝った。次のシングル戦Aではソラが出てくる。相変わらず試合前だというのに一切の緊張が見られない。むしろまるで観客に挨拶する俳優のような、スターのごとき余裕と貫禄まで醸し出している。
「風間は特によく見ておくといい」
「監督、俺があの翠晴の部長に劣るっての?」
「少なくとも武器の扱いではな」
「ダサ」
「桐島、お前もソラには学ぶところが多いと思うぞ」
「なっ!?」
去年と一昨年、翠晴高校に苦戦しなかったのは明日佳がソラを倒したからに他ならない。中学時代は同じチームの明日佳のせいで脚光を浴びることはなく、高校時代も敵として立ちはだかった明日佳に惨敗したがために実力が評価されていない。ソラは昔の俺によく似ている。明日佳という怪物の影から抜け出そうと必死なところは特にそうだ。
風間と桐島は俺の評価に不服そうだったが、試合が始まってすぐに二人は強張らせていた顔を驚愕へと変えた。
「あんなデカい槍を軽々と…。確かに手強そうだね」
「バカ、そこじゃないでしょ。問題なのはあの長さの槍をあそこまで自在に扱えている技術の方」
ソラは大身の槍を実に巧みに操る。相手との距離に合わせて、槍の持ち手の位置を調整しているのだ。それも見事な手さばきとタイミングで持ち替えている。槍を手の中で投げて、長さを瞬時に調節している……理屈ではわかるがあまりに速すぎて、一瞬で槍の長さが変わったようにしか見えない。
自在に変わるリーチとテンポに対応できる人間などそうはいない。なす術もなく、相手はソラの槍に貫かれた。まだまだ全力ではないだろうが、動きは去年より格段によくなっている。
「拓翔さん、あたしはあの人に勝てますか」
桐島が生唾を飲んで俺の返事を待っているのが、顔を見なくても分かった。
「現状では厳しい」
ポテンシャルなら桐島の方がある。しかし桐島はいまだなお発展途上なのだ。ほぼ完成されているソラには勝てない。…まぁ、その発展途上の状態でウチのナンバースリーまで上り詰めたことがまずバケモノじみてるわけだが。
「…そうですか」
それでも桐島は自分の凄さなど微塵も知らないかのように悔しそうだった。やはり超一流になる人間というのはおしなべてこういうものなのだろう。自分より上に誰かがいるのが許せないという子供じみた執念こそが人を超人たらしめる。
既に翠晴の優勝は決まったが、決勝戦ではシングルBまで行う。最後の翠晴の試合に出てきたのは絵にかいたような好青年だった。整ってはいるが地味な顔つきで、優しそうな雰囲気が漂う。真ん中で分けられた茶髪の毛先が跳ねている昔の音楽家のような長髪だが、なぜか清潔感がある。
「おー…、相変わらずなんも汚いこと知らんって顔しとるわ」
「長津は本当に及川君好きだよねえ」
「好きやないですよ、明日佳さん。興味はありますけどね。ただの世間知らずのボンボンなのか、ホンマもんの善人なのか」
「不遜。あの人は三年。私たちは二年。上からは控えるべき」
「お前に正論言われるとなんか腹立つんよなぁ…」
及川京四郎は日本有数の名家の第四子だ。彼は才能と環境に恵まれており、誰よりも順調に成長を重ねている。唯一の欠点は欠点がないこと。彼と話すと誰もが嫌気を覚える。
ひたすらに人の良いところを見て、心の底から褒めたたえて尊敬する。ひたすらに人を信じて、相手を理解しようと常に全力でいるヤツなんて理解不能で恐ろしい。なにより、彼のあり方は相手に自身の汚さを自覚させてしまう。
眩しいくらい真っ白で空虚。綺麗をとっくに通り越して気色悪いまでの善性をもった人間、それが及川京四郎だ。
「拓翔はどう思う?」
「良い選手ではあるが、強い選手ではないと思う」
「そういうのじゃなくて、人間性の話」
「相手の弱点を突く戦術を覚えたならレベルアップするだろうな」
「監督って時々バカだよね」
「うるさいぞ、風間」
俺だって明日佳の質問に答えてないのは分かってる。でも俺が他人の性格を分析するのは作戦を立てるためだ。ウチの奴らならほぼ確実に勝てる相手の内面まで分析しようとは思わない。
及川はお手本のような試合を展開していく。距離が空いたら魔弾。近づいたら徒手による近接戦。ただ純粋に力量の差で相手を追い詰めていく。地味で退屈。そして何とも正々堂々としたスタイルだ。
「…バカな」
確かに地味な試合展開だが、この試合は殊更におかしい。原作では及川が辛勝のはずだ。
それが手合い違いと思わせるほどに及川が圧倒している。いったいどれだけ成長すればここまでの芸当ができる? これじゃあまるで長津レベル……。もしくはさらに上だ。
「拓翔。彼ってあんなに強かったっけ?」
「断じて違う。今年、急に強くなった」
なんだ、これは。いったいどうしてこんなことが可能なんだ。明らかに不自然なレベルアップ。確かにプレイヤーの成長曲線は一定じゃない。でも、限度ってものがある。こんなのかなり有能なトレーナーでもいないかぎり不可能だ。まさか翠晴に俺以上のトレーナーでもいるのか……?
「まさか」
俺は自分の直観を拒絶した。そんな訳はない。あの人がわざわざ、そんなことをする理由がない…。
「来たか。日暮、四季」
俺の現実逃避は一瞬で崩れた。掠れた男の声が降ってきたからだ。ゆっくり振り返ると懐かしい悪人面がそこにあった。年はたしか30代半ば、トレードマークの真っ黒なスーツを今日も着ている。骨のような白さをした肌で、生気のない目、やせこけた頬、若白髪でもう完全に真っ白に染まった頭。見間違うはずがない。どこからどう見ても俺たちの中学の顧問であり、俺にトレーナーのイロハを教え込んでくれた恩師 六条彦禰、その人だった。
「あれ、六条先生! お久しぶりです。高校生の大会に興味あったんですか?」
まだ事態に気づいていない明日佳が朗らかに挨拶を返した。無理もないだろう。俺だっていまだに信じられない。本格的に翠晴を指導しているなら先生は中学の顧問を引退したということになる。仕事を変えるというのはそんな簡単なことじゃないはずだ。先生ならもっとよいスカウトだってたくさん受けていたはずなのに…。
「なんで翠晴の指導を引き受けたんです?」
「…答えたところで意味はない」
先生は明日佳を堂々と無視して俺を見つめる。
「俺の気は晴れますよ」
「…こちらのメリットではないな」
先生の返答はいつも遅い。なんでも流暢な会話ほど信用できない、という怪奇な確信があるらしい。先生曰く、人は素早く喋ることに夢中だと言葉を軽んじるそうだ。
「え、六条先生。ソラに味方するんですか? もしかして見る目なくなりました?」
やっと事情を理解した明日佳が自信満々に煽る。もしかしたら挨拶を無視されたのが癪だったのかもしれない。
「…勝ち馬に乗るだけでは三流。駄馬を駿馬にして二流。千里の馬を躾けて一流だ」
「そんなお節介な人でしたっけ」
慣れている俺には先生の回りくどい言葉の真意がすぐに分かる。『千里の馬』とはおそらく明日佳のこと。要するに俺が力不足にも関わらず明日佳の手綱を離さないから、敵として立ちはだかることで俺の代わりに明日佳を鍛えるとでも言いたいのだろう。
「ソラや明日佳ばっかり気にかける不公平はどうかと思いますよ。俺だって先生の生徒じゃないですか」
「…そうやって浅慮のままに喋るから早合点にも気づかんのだ」
先生は険しい顔のまま俺たちの元を去った。見栄で捻り出した闘志が衰え、代わりに恐怖が押し寄せる。先生は疑いようもなく優れたトレーナーだ。そして俺が両親の次に尊敬する大人でもある。そんな人が俺たちの夢を阻むように立ち塞がった。裏切られたショックと負けるかもしれない恐怖が俺を掴んで離さない。胸がムカムカとし、どうにも落ち着かない。なぜ何度呼吸をしても息苦しいままだ。
…さりとて、それを顔に出すことはできない。俺は監督だ。弱気な姿を見せれば士気に関わる。
冷静に、冷静に頭を回せ。このまま先生が翠晴を指導した場合、俺たちが勝てる確率はどの程度だ。先生の指導の特徴は最適化。先生の指導を受けた奴らはもれなく自分に最適なスタイルを見つけ出すことができる。故に基礎能力は高いが、それを活かしきれない奴ほど成長しやすい。及川は長津レベルか、それ以上にまで成長するかもしれないな。他の奴らもウチのレギュラーに匹敵するまでになるか?
「なんや、間の悪いおっさんやったなあ」
「同意。なんか嫌い」
「あの人はたしか…拓翔さんの恩師ですよ」
「え、なんで桐島ちゃんがそんなん知ってんの。普通に怖いんやけど…」
「別にいいでしょ」
桐島の声を聞いた時、俺は胸中の動揺が少しだけ収まるのが分かった。そうだ、桐島だ。いくら先生でも桐島のポテンシャルは見抜けていないはず。桐島が覚醒すれば先生の目論見を越えられる。ソラはもともと先生の指導を受けていたから、今更急成長は遂げないだろう。となれば、やはり明日佳は勝てる。つまり桐島が覚醒すれば、明日佳と一勝ずつ勝ち取って間違いなく翠晴に勝てる。
「大丈夫だよ、拓翔。私が勝つ」
蜘蛛の糸を手繰るような弱気な思考は顔に出してはいないはず。しかし明日佳にはなぜか俺が動揺しているとバレてしまう。いつもより一層優しい笑顔で俺を励ましてくれた。
「もう一勝はよろしくね、みんな?」
明日佳が後輩たちを激励する。
「言われるまでもないけどね」
「おうおう。イキんなや、風間。こういうのは大人しく二位に任せとき」
「拒否。私が勝つ」
ペア戦のことはまるで想定してない物言いに俺は思わず苦笑する。全員シングル戦の方が好きなのは知ってるが、ここまであからさまとはな。
「桐島ちゃんは?」
「いい加減口だけの女になりたくないんで、結果で示します」
「そう、ならいいよ」
自分から聞いたくせに興味なさそうだった。さっきまでの朗らかな雰囲気が嘘みたいに張り詰める。それを察した長津が大げさに肩をすくめるジェスチャーをした。
「疑問。どういう意味?」
「おい、雪寝。口で言えへんからジェスチャーしてるんやぞ。お前はホンマ、わびさびが分からん奴やなあ」
「不明。わびさびってどういうの?」
「どういうって…」
長津が助けを求めて、懇願するような視線を寄越した。下手にリアクションするからそうなるのだ。巻き込まれたくない俺は話には乗っからず、ただ立ち上がって偵察の終わりを示す。
「拓翔、総評は?」
明日佳がニヤニヤと、いかにも厳しいことを言ってほしそうに存在しないマイクを向けるフリをしてくる。まぁ、偵察でこういうのはお約束だよな。俺もコホンと咳払いをして、キメ顔で答える。
「恐るるに足らず。俺たちの敵じゃない」
強がりだ。しかし嘘じゃない。というか嘘にはさせない。翠晴は予想以上だったが、残された短い時間で俺がみんなをもっと強くして、余裕で勝てるくらいになればいいだけの話だ。
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