第3話

俺の気遣いも虚しく、試合が始まってしまった。


明日佳は指先に溜めたビー玉ほどの魔弾を、虫でも払うかのようにわずかに手首をスナップさせて撃つ。魔弾を放つまでのモーションの自然さ、そしてあんな軽い振りなのに魔弾が高速なこと。それらに虚を突かれた桐島は一瞬ギョッとして回避が間に合わない。


桐島は反射的に両腕で魔弾を受け止めたが、それは悪手極まりない。魔弾は桐島の両腕をはじきとばして顔面に直撃した。


魔弾の大きさと溜めの短さから威力は低いと推測したのだろう。しかしそんなの『真の自由自在』である明日佳には通用しない常識だ。その上、今の魔弾には明日佳の魔力特性『加重』が付与されている。


腕で威力を殺したとはいえ、明日佳の魔弾を顔面に喰らった桐島は吹き飛ぶ。そして明日佳は魔弾を放つと同時に駆けだしていた。桐島が倒れた時には既にその傍にいる。


明日佳は尻を地面につけたまま結界の壁にもたれかかって息も絶え絶えの桐島の前に立つ。


「言ったでしょ。拓翔の予想は外れない」

「畜生…」


そして明日佳は人差し指と中指を親指で抑えて桐島の前に出す、所謂デコピンの形だ。そのままデコピンで動けない桐島の額を叩いた。


「がぁああああっ!」


桐島は壁に押し付けられ、苦しみの悲鳴をあげる。えげつないな。衝撃が逃げないように壁際で響く打撃をしやがった。打撃は殴られた箇所と殴り方によって衝撃の広がり方が違う。頭蓋骨などの骨を叩けばその衝撃は内部に浸透し、寒気がよだつ気色の悪い痛みが広がる。ファンタジアではプレイヤーが感じる痛覚に制限があるから、ただ思い切り殴られるより、ああいう響く痛みの方が効くのだ。


明日佳のデコピンで会場はどよめき立った。あからさまな舐めプを批判したり、その舐めプで桐島が苦しんだことについて語っているのだろう。


あれは身体能力強化に『加重』を付与し、インパクトの瞬間だけ指を重くしたのだ。舐めプには変わらないが、その威力は何も知らない奴らが想像している30倍は出ている。


そこで審判は明日佳の勝利を宣言した。明日佳は満面の笑みでこっちに戻ってくる。


「満足した、棄権して東京観光しよっか」

「……そうだな」


…最悪だ、よりにもよって舐めプで倒すなんて。これで桐島玲奈は復讐鬼と化す。このままだと原作通り俺たちは負けてしまう。一流のトレーナーになるという俺の夢が一歩遠のいたも同然だ。




俺は会場の外の自販機で水を買っていた。東京観光に行くために明日佳のシャワーを待っているのだ。


近くのベンチに座り、空を見上げる。意外と空は明るい。スマホで時間を確認するとまだ11時ごろだった。朝早くから連れ出されたのと、ずっと屋内にいたせいで時間感覚が狂ってんな。もう夕方くらいの気分だ。


さて、これからどーすっかなぁ…。3年後の桐島玲奈に勝つために俺は何をしたらいいんだろうか。


一番先に思いつく方法は3年後、明日佳と玲奈のオーダーをズラして戦わせない、だ。でもそんなの俺が掲げるプライド政策に反する行為だし、明日佳も許さないだろう。


桐島玲奈を復讐鬼に変えない、…はもう失敗した。今更リカバリーできる気もしない。


などと色々考えているとタオルを頭にかけて顔が見えない桐島玲奈が何も言わず、俺の隣に乱暴に座った。


……………………超気まずい。さっきの気まずさを優に越えてる。いっそ何か用事を思い出したフリでもして立ち去ろうか。


「なんで…」

「ん?」

「なんで私があの人に通用しないと分かったんですか」


話しかけられたことが驚きで思考が止まる。逡巡の後、俺は天啓を得た。ここで上手くフォローできれば復讐鬼にさせないこともできるんじゃないか?


「誤解のないように言っとくと俺はお前を超評価してる。身体能力もセンスも抜群で、魔力特性の『回転』も超優秀だ」

「でもあの人には通用しない。あなたの言った通り練習にもならなかった…!」

「…俺が明日佳にお前と闘わないよう勧めたのは、お前の将来を潰したくなかったからだ」

「そんな嘘が聞きたいわけじゃ…」

「本当だ。お前には明日佳がとんでもない怪物に思えただろうけど、実際は違う。お前にも明日佳に匹敵する才能がある」

「匹敵する才能…。それって何ですか?」

「名づけるなら……『理の自縄自縛』。他のあらゆる動きを捨て、一つの動きだけに集中したときお前のパフォーマンスは何倍にも跳ね上がる。まぁ、要は一点読みが当たれば最強ってことだ」


もちろん俺が考えた言葉ではない。原作の受け売りだ。口にするのは気恥ずかしいが、こういう時はより具体的に褒めないと励ましにならない。


「…からかってます?」

「本当だよ。俺はお前の試合を何十回も、いや下手したら百回は観てる。信じろ」


まぁ、原作でだけどな。


「ちょっと怖いんですけど」

「か、勘違いすんな。お前だけじゃねえよ。俺は有望な選手のデータは全部取ってる」


思わず嘘をついた。しかし仕方がなかった。精神年齢30過ぎの俺にとって女子中学生に気持ち悪いと思われるのはとても許せることじゃなかったのだ。


「データ…。そういう趣味なんですか」

「ちげえよ、俺はトレーナー志望なんだ」

「トレーナー?」

「練習メニュー、体調、メンタル、成長の方向性、試合の戦略、選手の全てを管理し、最適化する影の立役者。それがトレーナーだ」

「はぁ…」

「俺は才能ってやつが嫌いでな。だから、どんな凡人でも天才にする、そういうトレーナーになりたいんだ」


人が折角夢を語ったのに桐島はいまいち反応が薄い。正直、ますます傷ついた。


「まぁ、とにかく、そんなわけでお前も才能あるからそう落ち込むな」


俺はこれ以上ボロが出ないように話を切り上げようとする。心なしか桐島の声から張り詰めた雰囲気が消えたし、充分励ませただろ。これで原作と違う流れになればいいんだが…。


「ま、待ってください!」


立ちあがろうとした俺の腕が捕まえられた。ここでやっとタオルの中の顔が見えた。頬には涙の跡が残り、目は赤く充血している。…なんだか俺まで申し訳ないことをした気分だ。


「名前、教えてください」

「あ。あぁ。そう言えば名乗ってなかったな。日暮拓翔。明日佳のトレーナーだ」

「四季明日佳の…。……って結局、天才を支えてるじゃないですか」

「デカいことするには実績が必要なんだよ。明日佳は強くなって、俺は名を売れる。俺たちはそういうビジネスライクな関係なの」


桐島は黙って何かを考え始めた。なんか俺の言い分を審査されているようでちょっと怖い。


「…あの、連絡先教えてもらっても?」

「ん? あ、あぁ、良いぞ」


桐島は試合着の上からジャージを着ていた。ジャージのポケットからスマホを出し、連絡先を交換する。…とくに断る理由も思いつかなかったけどこれ、別にいいよな?


「あたしも拓翔さんに鍛えてもらえばあの人みたいに強くなれますか?」

「期待に応えられなくて悪いが明日佳の強さはほとんど自前。俺の力なんて微々たるもんだ」

「できるか、できないかを訊いてるんですけど」

「…できる」


そりゃあできる。俺は桐島をどういう風に鍛えたら何ができるようになるか、原作で知っているのだ。むしろ明日佳を鍛えるより遥かに楽だろう。


「けど、やらねえ」

「な、なんで」

「逆になんで今日会ったばかりのヤツのためにそこまでしなくちゃいけないんだよ」


俺はなるべく優しく桐島の手を払おうとした。しかし全然放してくれない。


「おい」

「今日会ったのも何かの縁です。ときどき相談くらいしてもいいですか?」


泣き痕が残った顔で真っすぐみられるとどうにも弱い。腕も放してもらえないし…。


「まぁ、それくらいなら…」


承諾するとやっと腕を放して貰えた。そろそろ明日佳も来る頃だろう。俺は立ち上がって別れようとする。しかし義足の付け根が傷んでバランスを崩してしまった。


「大丈夫ですか!?」


桐島が俺の上半身を支えてくれたおかげで転ばずに済んだ。た、助かった…!この足で転ぶと立ち上がるのは本当にキツイ。クソッ! 身長が伸びたせいでまた義足のサイズが合わなくなったんだ! 魔法でそこそこ自由に動かせるのはいいが、そういうところも魔法でどうにかならないのか。


「あ、ありがとう。悪いな、足がちょっと傷んだだけだ。もう大丈夫だから…」

「すみません、あたしそういう気遣いできないんで率直に言います。義足ですよね。立ち上がる時の音で分かりました」


別に隠してはいないが、そうひけらかすことでもないと思って口にしなかったのに看破されてしまった。なんだか強がりを見抜かれたようで恥ずかしい。


「あたしが支えて送りますよ。どこまで行きたいですか?」


桐島は手早く姿勢を変えて、俺に肩を貸してくれる。


「いや、本当に大丈夫だ。大したことないから大袈裟に扱うのはやめてくれ」

「そっちこそ変なプライド張ってないで素直に助けを求めてくださいよ。その足、今も痛いんでしょ」

「お前なぁ、こういうのは助けられる側も気を遣うんだぞ」


「楽しそうだね、拓翔」


全然楽しそうじゃない声が背後から聞こえた。…凄いな、今日だけで俺の気まずさの最高記録はどんどん更新されていく。


俺たちは肩を組んだままゆっくり後ろを振り向く。するといつもの余裕綽々な笑みは消え失せ、ただ真顔で桐島を睨む明日佳が仁王立ちしていた。


「四季明日佳…さん」


桐島は一応敬称をつけたした。


「まずは拓翔を放してくれるかな?」

「…放しますから拓翔さん、座ってください」


桐島は俺をベンチに座らせるよう方向転換をしてくれた。俺はベンチに降ろされ、二人は無言のまま見つめ合っている。


やがて明日佳が何も言わずに俺を抱えた。同年代の女子におんぶされるなんて屈辱だ。周りからの視線も痛い。けど、今の不機嫌度マックスな明日佳に逆らうのも恐ろしい。


「あの…明日佳?」

「足、痛いでしょ?」

「お前も分かるのか」

「当たり前でしょ」


「いつか!」


止めとけばいいのに後ろから呼び止められる。頼むから刺激しないでくれよ。今、明日佳がキレると俺の身が危ない。


「いつか必ずあなたより強くなってみせます…!」


桐島の顔は決意に満ちていた。


「私たちに勝てるとでも?」


明日佳は振り返って再び桐島と見つめ合う。とても熱いシーンなのに俺が背負われているせいでぶち壊しにしている気がする。


「勝ちます!…その時はあたしに乗り換えてくださいね」


桐島は明らかに、俺に向けてそう言って場を後にする。…残された俺たちはなぜかこの場に留まり続けていた。


明日佳は一言も喋らないし、一歩も動かない。背負われていると表情も見えないし、殊更不気味で恐ろしい。


「拓翔」

「はい。何でしょうか…」

「どこ行きたい?」


意外にも明日佳はうってかわって朗らかだった。


「えっと、あの…怒ってないんですか?」

「別に。はは、まぁちょっとイラっとしたけどすぐ治ったよ。だってさ、私たちが負ける訳ないもの」


明日佳は俺の夢を知っている。だから俺が明日佳を実績のために利用していることも承知の上だ。お互い分かっていてパートナーになった。


「まぁな…」

「言ったでしょ、私たちが組めば最強なんだよ」

「…世界ランク1位のファデルにも勝てるかな」


俺は気が緩んで軽口を叩いた。明日佳は俺なんか重くないみたいにスタスタ歩いていく。


「拓翔が弱点を見つけてくれれば勝てるよ」

「バーカ、そんなの世界ランク1位にあるかよ」

「才能に屈していいの?」

「経験と知識で負けてんだから才能の勝負にもならないだろ」


その後、俺たちは電車で地元の群馬に戻って病院で義足を新調した。気軽に観光できるような場所は意外と東京にはなかったのだ。


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