第6話 衆目

「おー楽練ガクレン! よく来たな、こっちに座ってくれ」

 時を動かしたのは、顔勝ガンショウの快活な声だった。


 顔勝は手招きして楽練を近くに来させると、自分は少し横にずれて、隣に座らせた。

 そこは長方形のテーブルの短い辺であった。



 ここジョウ国の習慣では、天板の長い辺の中央が最も上位で、はしに行くほど下位になる。そして、短い辺には席を設けないのが一般的だ。

 しかし顔勝は、それがあまり好きではない。


 顔勝は人を見ながら食事したい。

 誰かと話すとき、または聞くとき、やはり顔を見たい。

 ところが、その望み通りに行うと、顔を右に左にキョロキョロとするはめになってしまう。それは間抜けなさまで、なおかつ、とても面倒であった。


 だから顔勝は短辺に座る。そこからなら、一望できる。

 だが、やはり席次は必要だった。

 そこで彼は、軍旗を自分の後ろにかかげ、その場所が上座と知らしめた。


『顔』という字を模した紋章は、まさにここに顔があると言わんばかりであった。


 もっとも、これはあくまで彼の陣営内での話。

 顔勝とて、国のならいにのっとる協調性は持ち合わせている。


 ちなみに、北方の国々では顔勝のやり方の方が本則となる。



 つまるところ、顔勝の隣に座るという事は、上座に座るという事であった。


 必然、その卓を囲んでいる者のみならず、周囲の視線も楽練に集約した。

 その中には──。

──もしや、顔勝様はあの者を夫人とされるつもりか?

 などという臆測も含まれていた。


 視線の集中砲火の渦中いる、当の楽練は、反骨モード全開のえた目で、テーブルの御歴歴おれきれきながめている。

 それが傍目はためからだと、涼しげな表情に見えてしまうのも、余計な想像を誘った。


 兵が恐る恐る、楽練の前に肉やスープを置いていく。

 それらが並び終わったところで──。

「どう思う?」

 顔勝が楽練に問うた。


「なかなかイイ眺めですね。テーブルはもちろん、遠くの人たちまでよく見える」

「だろう? そうだよな」

「ところが、コレを理解できない連中が多くてよ。お陰で俺は変わり者だ」


 顔勝はという表情で、かつて諫言かんげんしてきた何人かを見る。

 これは根に持ってるというわけではなく。

──ほら、俺の方が正しかっただろ?

 という自慢である。

 視線を送られた方も。

──もういいでしょ。

 という表情で返す──。

 彼らにとって、お決まりのやり取りだった。


「大丈夫ですよ」

「きっと私より、風当たりは強くないと思いますから──」

 と、楽練は遠くを見ながら言う。


 それを聞いた顔勝は、一瞬の間の後「ワハハハー」と豪快に笑い──。

「大したきもの据わりだ」

 楽練に言い。

「あそこで青くなってるのとは大違いだな」

 と続けた。

 視線の先には文翠ブンスイがいる。

 顔勝は。

「文翠が仕掛けたれ事を、一声でひっくり返して、ここの奴らまとめて凍り付かせやがった」

「それだけでもおもしれぇが、ここに来て、泰然たいぜんとしたれするぜ」

 楽練に賛辞を送った。

「どーも」

 短く返す楽練。


「文翠、お前は楽練を侮った。いや、よく知らなかったと言うべきか。いずれにせよ、武でって立つ者が、相手の力量を見誤るのは命取りだ。いただけんな」

 顔勝はこれまでの陽気さを消した声で語る。

「ひとこと、よろしいでしょうか?」

 女性の重鎮の1人が許可を求め、顔勝は黙ってうなずいた。


 彼女は文翠の方を向くと。

「加えて、予想外の事態になったときに、ただ青くなって固まっているようでは──。いざというとき、顔麗ガンレイ様をお守りする事など、出来はしないのではないですか」

 こちらは、かなり叱責の音を含んでいた。


 これには文翠も。

「悪ふざけが過ぎました。すみませんでした──」

 と、半べそかいたような声で、頭を下げていた。



「つーことでだ。どうだい、そろそろ機嫌直しちゃったりしねーか?」

 顔勝は、先程までの明るさを取り戻した声で楽練に尋ねる。

 楽練も、顔勝にここまで気を使ってもらって、流石に申し訳ない気持ちになった。

「いえ、私は、別に、なんとも──」

 楽練の答えが、急になったのをうけて。

「今度は可愛らしくなりましたなぁー」

 誰かが言ったのをきっかけに、全員が笑い出した。


 通常モードになって、視線のダイレクト感が苦しくなった楽練は。

「旦那──、ここに二人は流石に狭いんで──」

「お嬢。隣に移ってもいいですか?」

 と、斜め前にいる顔麗に助けを求めた。


「ああ──」

 顔麗は少しずれてスペースを作り、楽練はそこに滑り込むようにして座った。


レイ。お前、お嬢って呼ばれてるのか?」

 顔勝も驚いた様子で聞く。

「はい──。いえ、そう呼ぶのは、楽練だけです」

「文翠、貴方は知っていましたか?」

 先程の重鎮の女性が問う。

「はい。知ってました──」

 文翠の答えに顔勝は。

「おいおい──。そんな怖いもの知らずみたいな奴に、よく悪戯する気になったな」

 言って笑った。

 女性も。

「見誤る以前の問題ですね」

 と続ける。

「お二人とも、その辺で。このままでは、文翠も楽練さんも固くなって食事になりませんよ」

 年長と思われる男性がさとす。

 女性が楽練の方を向いて。

「ごめんなさいね。あの子が馬鹿なことして──」

 と、謝る。

「彼女は文良ブンリョウ殿。文翠の母君だ」

 顔麗が楽練に教える。


──なるほど。それで厳しい感じだったのか。

 納得しつつ──。

 もうすっかり小心者な楽練は、ペコペコと頭をさげた。



 顔勝が「飲め飲め」と酒を注いでくれて、楽練はそれを飲んだ。

 しかし、緊張のせいか全く味が分からなかった。

──これは酔えそうにもない。

 と思ったが、体の方は正直で、気付いたときには結構まわってしまっていた。



 文翠が謝ってきたり、顔麗や他とも色々話をしたが──。

 楽練の関心は、帰りまでに酒が抜けて御者が出来るかどうかにあった。


 そうでなければ、婦長に怒られる事は必至に思えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る