第5話 入れ子メンタル

 スープの入った寸胴ずんどうを荷台に積んでいく。

 これは楽練ガクレンの役目だった。


 今までは男衆に手伝ってもらっていたのだが、楽練が意外に力持ちであるとわかり。

「これからはアンタがやんな」

 と婦長の指示でやる事になった。



 顔家ガンケの家臣や兵達は、日々訓練を行っている。

 その中で、ふた月に一度、大がかりな演習がある。

 行軍や野営を含む、四日間の行程だ。

 それの最終日、毎回、訓練の慰労と親睦をかねて食事が振る舞われる。


 メインは例によって肉だが、それは現場で兵達がガンガン焼いて食うから、くりやとしては特に仕事はない。

 ただ、肉ばかりでは味気ないので、他の副菜や汁物、酒などは、屋敷で用意して運んでいく事になる。



 ここ数週間、楽練の休憩時間はなかった。


 先日、馬屋に行っていて仕事に遅れた。そうしたら──。

「そんなに獣が好きなら、うって付けの仕事がある」

 と、サイ引きの車の御者を練習させられる事になった。

「どーせ座ってるんだし、休憩みたいなもんだろ──」

 と、婦長は勝手なことを言ってくれる。


 もちろん、楽練はこの程度の事は屁でもない。

 前世を引き寄せる絶望感を経験した彼女のメンタルは、大きく変容していた。

 その強度自体は変わっていない。

 が、二重構造というか、スペアがあるというか、立ち直りや切り替えが出来るよう進化していた。


 このときも──。

──ちゃっちゃと覚えて、履歴書の肥やしにしてやる。

 と、「マジかぁー」という憂鬱ゆううつを切り替え、前向きに思考した。


 実際やってみると、それなりに楽しかった。

 しかし、それを見せると、また何かやらされそうな気がするので──。

「あーつかれたー」

 という感じで過ごした。



「じゃあ、くれぐれも頼んだよ」

 婦長達に見送られて、楽練は獣車を発進させた。

 一応、経路は昨日おとといと往復して確認済み。

 今日は肉を運ぶ車が先行するので──、それの後を付いていくだけだ。


 道中は何事もなく、無事目的地に到着した。


 現地では既にの準備が出来ているようで、いたるところで煙が上がっていた。

 楽練がサイをつないでいる間にも、兵士達が前の車から、次々に肉を運び出す。

 何はなくとも、やはり肉であった。


 ひととおり肉が行き渡ったのか、徐々に楽練の方にも兵が来だした。

 楽練が何もしなくとも、勝手知ったるのか、兵達がどんどん運んでいく。


──することもないし、サイに水でもやるか・・

 そう考えていたところ。

「おもっ、もう一人いないときつい──」

 荷台の上から、下に受け渡す仕事をしていた兵士の言葉だった。

 寸胴に苦戦してるようだ。


 実は普段は七割ほどの容量で、荷下ろしようにしていたのだが。満杯でも、楽練が普通に運べてしまったため、今回は容量多めで、寸胴の数は少なかった。

「あー。私がやります」

 楽練はそう言って──。

 兵士が荷台のまで運んだ寸胴を、体を反らせるように持ち上げると、ゆっくり回転し、腰を落とす感じで下に降ろした。


「おおぉ──」

 それを見ていた周囲から声が上がり、パチパチと拍手までされた。

 それからしばらく、楽練が寸胴を降ろすたびに同じ事が繰り返され──。最後のを降ろしたときには、やたらギャラリーが集まってしまっていて、熱い拍手を向けられてしまった。


 楽練も流石に気恥ずかしくなって、ペコペコと頭を下げ、サイの水をくむため、その場を後にした。

 こういう事柄には、メンタルの変容も対応していないようだ。



 水をくんだ楽練が戻ると、そこに文翠ブンスイが待っていた。

 楽練のことを認めると、例のごとくニヤニヤとしだす。

──さては。さっきの見てたなコイツ・・

 文翠の表情は無視して、さっさとサイに水をやる。


「いやぁ~凄かったね~」

 文翠は、楽練が寸胴を降ろす動作をまねて──。

「ずん。ずん。お~。ぱちぱち~。ぺこぺこ──」

 と、効果音付きで再現をする。

──うぜーーー。

 楽練は、なおも続けようとする文翠の頭に「トンッ」と、軽くチョップをかまして、その奇行を止めた。


「お前は何しに来たんだよ」

レイ様が、一緒に食べようって、呼んでくるようおおせ付かったので御座い」

 婦長から、食事はこっちで適当に分けてもらえ、と言われている。

 まして顔麗ガンレイからのお誘いなら、断るべくもない。

「うむ──。ならば案内いたせ」

 と、楽練は大物ぶって言ってやった。



「楽練様をお連れいたしました」

 と、大仰おおぎょうに言う文翠。

 楽練の話にあわせてノリがいい──、わけではない。


 文翠が案内したのは、顔麗の居るところだが──。

 それは同時に、顔勝ガンショウとその配下の面面が卓を囲んでいる場所でもあった。

 重役の食事会に、末端の炊事婦が呼ばれ、あまつさえ要人のごとく紹介されてしまったのだ。


 つまるところ、文翠の意地悪である。


 ここで文翠は、大きく見当違いをしていた。

 彼女は、楽練が先程みんなの前で拍手され、恥ずかしくなってペコペコしているのを見て。楽練のことを、衆目しゅうもくさらせばするに違いないと考えていた。

 実際そうであったし、事実、楽練は大勢の前でスピーチするような行為は苦手としていた。


 しかし、今の楽練の性情せいじょうは反骨の色合いが強く。ことさら、偉い、もしくはエラそうな人間に対しては、前途の苦手意識は──。かえってはらわり、堂々を通り越して、ふてぶてしくなる所があった。



 顔勝以下、全ての視線が、楽練に集まった。

 楽練は据えた目で──。


「楽練だ。呼ばれたから来た。私の席は何処だ?」


 周囲の雑音が停止する程、よく通る声で言い放った。

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