【承】

2/


「ら!」

 謎の綿毛が高らかな声を上げる。

「……なぁ、お前。こんな生き物見た事ある……?」

「さ、さぁ……」

 わたしと柳が首を傾げていると、綿毛はふわふわと宙を舞い出した。

「ちょっ! ちょっと! 飛んでるぞ、こいつ!」

「そりゃ、綿毛だしね……」

 わたしはあっけらかんとそう答える。

「……お前、意外と冷静だな」

「そ、そう?」

「まぁいいや……」

 柳は呆れたような溜め息を吐くと、綿毛を手の平に乗せた。

「……なぁ、お前、橋口とか言ったよな」

「えっ! わたしの名前を憶えてるの!?」

「そりゃ、クラスメイトだし……。知らない方がおかしくね?」

 きょとんとした顔で柳はわたしの顔を見据える。

「で、下の名前は何て言うんだ?」

「……美々」

「橋口美々か。じゃあ、お前の事はこれから〝ぐみ〟って呼ぶわ」

「……何よ、それ」

「気に入らないか?」

「……別に。じゃあ、わたしは〝もも〟って呼ぶわよ」

「……ぐみこそ」

「何よ?」

「いや、あーしの名前を憶えているんだなって」

 そう言われて、わたしは顔を真っ赤にする。

「何だよ、照れるなよ……。こっちまで恥ずかしくなるじゃんか……」

「だ、だって!」

「それより」

「な、何!?」

「こいつの名前何にする?」

 ももは手の平に乗せた白い綿毛をわたしの目の前まで持ってくると、目を輝かせながら朗らかに笑ってみせた。

「何にするって、まんま見た目が綿毛なんだから、〝たんぽぽ〟でいいんじゃない?」

「はー、ぐみって安直な奴だなぁ……」

「何よ、悪い?」

「いや、悪くない。実はあーし、意外とそういうの嫌いじゃない」

「ぷっ!」

「何だよ、自分で付けた安直な名前で笑うなよ」

「そ、そうじゃなくて! ていうか、えっ!? 今……、わたし笑ってた……?」

「ああ。こっちまで釣られそうな良い笑顔だったぜ」

「…………」

 思い掛けない事を言われ、わたしは口を開けて呆然とする。

「な、何だよ。変な奴だなぁ……」

 ももはくすくすと笑いながら、わたしの前に手を差し出す。

「……なぁ、いきなりだけど、あーしの友達になってくれないか……?」

 ――友達?

 〝透明人間〟のわたしに友達?

「……わたし、笑い方を知らないし、多分、あなたにとって、つまらない人間よ?」

「つまらないか面白いかはあーしが決める! あーしはお前といると面白そうだから、友達になりたいと思った。お前はあーしと友達になるのは嫌か……?」

「そんな事はないけど……」


〝美々ちゃんって本当につまらないね〟


 脳裏に過ぎるトラウマ。

 わたしは肩を震わせ、その場で塞ぎ込む。

「お、おい、大丈夫か……?」

 ももがわたしの肩に手をやる。

 わたしはももに支えられながら、何事もなかったかのように、ゆっくりと立ち上がった。

「……ぁ」

 声が出ない。

 そこから先を言えない。

 ただ一言、


〝友達になりたい〟


 そう言いたいだけなのに。

「らら~!」

 わたしが口を開けず、まごまごしていると、たんぽぽが高らかな声を上げた。

「ららら~!」

 そのきれいで透き通った声にわたしははっとする。

(……そうよ、いつまでも逃げてちゃ駄目だ。わたしはももと友達になりたい!)

 たんぽぽの不思議な声に後押しされ、わたしは勇気を振り絞る。

「わ、わたしで良ければよろしくお願いします……」

 そう言って、ももの手を取る。

「ありがとう、ぐみ」

 ももはまだ少し震えるわたしの手をしっかりと、そして優しく握り返してくれた。

 わたしとももは互いに見つめ合った後、照れ臭そうに小さく笑った。

(……ももとなら、わたしは……本当の自分を見付けられるかもしれない)


          *


 ももと二人でたんぽぽと遊んでいると、ももが不思議な事を言った。

「……なぁ、あーしたちってさ、もうずっと、それこそ途方もない年月を一緒にいるような気がしない?」

「なぁにそれ。わたしとももは前世でも一緒だったとかそういうの?」

「いや、そういうのじゃないんだよなぁ。何だろう、この変な感じ。とにかく、お前とはもうずっと長い事一緒にいるような気がしてならないんだ」

「よく分からない。わたしとあなたは今日友達になったばかりよ」

「……そうなんだよなぁ。まぁこういうのは気にしたら負けだよな」

「そうそう、気にしたら負けよ」

 わたしは背の高いももの頭に手を伸ばし、ぽんぽんと撫でる。

「こ、子供扱いすんなっ」

「ごめんごめん。で、」

「何だよ?」

「この子、どっちが飼う?」

「それはもちろんあーしだろ」

「ふーん、もちろんなんだ」

「な、何だよ、見付けたのはあーしなんだから、良いだろ?」

「ふふっ、良いに決まってるじゃないの。じゃあ、たんぽぽの事はももに任せたわよ」

「ああ!」

 ももがたんぽぽに頬擦りをする。

(たんぽぽの事、余程気に入ったのね)

「じゃあ、わたしは家に帰るわね。また明日学校で」

「またな」

 陽もだいぶ暮れてきた。

 わたしとももは帰路に就く事にする。

 ふと背後を振り返ると、ももがいつまでも手を振っていた。


 〝友達〟


 わたしはももを愛おしく思うと同時に一生大事にして行こうと思った。


          *


 それから後、わたしとももはよく一緒にいるようになった。

 今は学校のお昼休み中である。

 一応言っておくと、前のように校舎裏にはいない。

「あーし、中庭のベンチで昼ご飯食べるの初めてだ……」

「それを言ったらわたしだって……」

 二人してどこかぎこちないが、中庭のベンチでお昼ご飯を食べるのは、わたしともも、二人が決めた事だ。

「ぷっ!」

 照れ臭そうにしているわたしを見て、ももが小さく吹き出す。

「な、何よ。笑わなくたっていいじゃない」

「悪い悪い」

 ももは舌を出して陳謝する。

 わたしは怒ったようにぷいっとももから顔を背ける。

「なぁ、ぐみって漫画が好きなん?」

「えっ! 好き! 大好き! 急にどうしたの?」

「いや、この前……あーしと目が合った時があったじゃん? あの時読んでた漫画、あーしも好きなんだ」

「そうなの!? それなら、あの時言ってくれれば良かったじゃない」

「ばっか! あの時はあーしたち、友達でも何でもなかっただろ」

「それはそうだけど……。でも、そっかー」

「何だよ?」

「ふふっ、何でもない」

 〝透明人間〟

 高校に入ってからずっと揶揄されていたわたしだが、既にもうあの時点であなたには〝見付かっていた〟のね。

「ももは何でわたしに気付いたの?」

「……何でだろう。一つ言えるのは、〝におい〟かな? ぐみはあーしと同じにおいがしたんだよね」

「におい、か。それって、臭いって事?」

「ちげーよ! お前って割りと人をからかうのが好きだよな」

「ふふふ、そう?」

「ああ。やっぱりあーしが思った通り、ぐみは面白い奴だよ」

 〝面白い〟

 そんな事、今まで一度も言われた事なかったな……。

 十七年間生きてきて、わたしは今まで〝死にたい〟とばかり思ってきた。

 だってそれは、今まで生きてきて、良い事なんて何一つなかったから。

 子供の頃、友達に自分と居ても〝つまらない〟と言われてから、わたしは〝透明〟である事を決めた。

 〝見ない〟、〝聞かない〟、〝話さない〟

 〝人とは関わり合いを持たない〟。

 その結果、わたしは学校で、何時しか〝透明人間〟と呼ばれるようになった。

 ももと出会う前、わたしは笑い方を知らなかった。

 いや、正直に言うと、今でもよく分かっていないのが正しい。

 でも、ももと一緒にいると、わたしの心は……、光に照らされているかのように温かい気持ちになる。

「どした?」

 ももがわたしに笑い掛ける。

 〝まただ〟

 わたしはこんな時、どんな顔をしていいか分からない。

 わたしが笑えば、ももはきっと喜んでくれる。

 ……でも、でも!

 冷たい涙が頬を伝う。

 そんなわたしを見て、ももはギョッとする。

「えっ? ご、ごめん! あーし、なんか変な事言った?」

「……ううん、違うの。わたしね、笑い方がよく分からないの……。だから、ももにもきっと辛い思いをさせると思う……。もし、わたしの事が嫌になったら、いつでも捨ててくれて良いから……」

「……お前さー、面倒臭い女みたいな事を言うなよ。あーしは別にお前が笑わないぐらいで捨てはしないよ。それよりも今みたいに気を遣われる方が嫌だ」

「……えっ?」

 泣き続けるわたしを、ももがぎゅっと抱き締めてくる。

「〝友達は友達を見捨てない〟。ぐみだって、あーしの立場だったら、そうするだろ?」

「え、ええ!」

「じゃあ、つまりはそういう事さ」

 ももは『もっと信用しろよ』と、歯を見せて笑った。

「……ありがとう、もも」

「どういたしまして」

 昼の暖かい陽射しよりも、ももの笑顔の方が何倍も温かく感じた。

「それより、もうすぐ昼休みが終わっちゃうぞ。教室に帰る準備をしないと」

「あっ、そうね」

 わたしとももは、いそいそと帰り支度を始める。

「そう言えばさ」

「何?」

「今度お前の家に遊びに行ってもいい?」

 ももがわたしの家に遊びに来る!?

 そこでわたしの思考はストップし、そこから先、何て答えたかは分からない。

 ……だって、いきなりだったし、ビックリするに決まってるじゃない……。


          *


 数日後の土曜日。

 ももがわたしの家に遊びに来た。

「……いらっしゃい。あの時、わたしオッケーしたのね」

「何の話だ?」

「まぁいいわ。入って」

「お邪魔しま~す」

 きょろきょろと落ち着かない様子のももをわたしはすぐさま部屋に連れて行く。

「……何だよ、ご両親に挨拶させろよ」

「ウチの両親は共働きで、土曜日は仕事で居ないの!」

「怒るなよ。そんなに友達を紹介するのが恥ずかしかったのか。ぷぷっ!」

 ――うっ!

 ももの言った事は図星でした。

「まぁ、あーし、こんな見た目だしなぁ」

 そういうももの私服姿は、とにかく派手派手で、何というかその……、

「エロいだろ?」

 わたしは口をごにょごにょさせる。

「今日はぐみの家に遊びに来るから、気合いを入れたんだ」

「はぁ!?」

「にしし! ドキドキするか?」

「もう! いいから、早くわたしの部屋に入って!」

「分かった分かった」

 わたしはももを押し込むように自室へと入れた。

(――まったく)

「へぇー、これがぐみの部屋かぁー」

 ももは物珍しそうに部屋の中をうろちょろする。

 そして、いきなり物色をし始めた。

「ちょっ! ちょっと! 何してるのよ!?」

「いや、なんかエロい物でもないかなって」

「あなた小学生!? そんな物ある訳ないじゃない!」

「へぇー、そうなんだ。まぁ、わたしは持ってるけどな」

「え?」

「え?」

 わたしが吃驚した後に、ももも吃驚したかのような形になる。

 声はほとんどハモっていた。

「そ、そうなの?」

「あ、ああ、そうだけど」

「そ、そう」

 沈黙。

 わたしとももは気まずそうに目を逸らした。

 しばらくして、先に口を開いたのはももだった。

「やっぱりお前の部屋、漫画が凄いな。部屋の半分が本棚じゃん」

「……子供の頃からずっと読んでいるからね。気付いたら結構な数になってたわ」

「そうなんだ。あ、そろそろ出すか」

 ももは思い出したかのように手を叩く。

「出すかって何を?」

「こいつ」

 そう言って胸元に手をやると、胸の谷間からたんぽぽが飛び出してきた。

「ら!」

「わっ! 驚いた! 何てところに入れてるのよ……」

「あーし、おっぱい大きいから、物を隠すのには最適なんだよね」

「……あっそ」

 どーせ、わたしは小さいですよ。

「何一人で怒ってんだよ……」

「……別に」

「あーしは小ぶりなおっぱいも好きだぜ?」

「はいはい、そーですか」

「あー、信用してないな!」

「信用するもしないもわたしたち女同士じゃない」

「ぐっ! そ、そうだけどよ」

「ふふっ、おかしな人ね」

「おかしな奴に言われたんじゃ、世話ないわ」

「何よ?」

「何だよ?」

 わたしとももはキッと睨み合う。

 しばらくして、どちらからともなく、大きく吹き出した。

「「あははははははははっ!!」」

 面白い。

 ももと一緒にいると本当に面白い。

 わたしは床に座ると、ももも座りなさいよ手招きをする。

「せっかく遊びに来たんだし、何か漫画でも読んで行けば?」

「もちろんそうする」

 わたしはゆっくりと立ち上がると、本棚からおすすめの漫画を手に取り、ももに手渡した。

「ありがとう」

「ももが漫画を読んでいる間、わたしは勉強でもしているわ」

「うっわー、真面目か! ていうか、嫌味じゃねーの、それ」

「ふふふ、さぁね。さっ、集中集中!」

 そして、静かで穏やかな空気が流れ出した。

 わたしは勉強をすると言いつつ、気付いたらテーブルの前で寝てしまっていた。

 ふと横を見ると、ももは未だ漫画に集中していた。

「ごめんなさい。わたし、寝ちゃっていたわ」

「あはは、可愛い寝顔だったぜ、お前」

「ちょっと! やめてよ!」

「悪い悪い」

「もう、あなたっていつもそれね」

「あははは、ぐみの前では素直になりたいからな」

「んん? それって、どういう……!」

 わたしの唇にももの唇が重なる。

 突然の事に思考が追い付かない。

「……ごめん、あーしってこういう奴なんだ……」

 薄っすらとわたしの唇にももの温もりが残っている。

「……えっと、あなたって、そういう……?」

「……ごめん!」

 呆然と固まるわたしから逃げるように、ももは慌てて部屋を出て行った。

 あまりの出来事にわたしはぽかんと放心してしまう。

 そんな様子を見たたんぽぽが、わたしの意識を引き戻すかのように、高らかな声を上げた。

「ららら~!」

 わたしは大きな溜め息を吐き、その場に寝転んだ。

「……そっか。ももってそうだったんだ……」

 ぽーっと火照る頬に手をやると、たんぽぽが不思議そうにわたしを見ていた。

「ももってば、たんぽぽの事忘れてるじゃない……」

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