第10話 伴侶の反応とこれからと向こう側と
「アキラが、帰っちゃった」
「ここにいるじゃないか、ねえ、カナデ。今日目覚めて一番最初に見た花はなんだと思う?」
そこにはもう、かつての幼馴染のアキラはいなかった。いるのはこの世界に元々いた「アキラ」という青年。カナデよりすこし年上だ。
この問答も、目覚めて一番最初に見た花は、君のことだよ、というような口説き文句なのか惚気なのか。カナデにはよくわからない。
なので。
「私が目覚めて一番に感じた風は貴方よ」
とか言ってみる。
朝露に濡れた薔薇なら朝一番に見ちゃったし。その時感じた一陣の優しい風は彼に近かったのだから。
これにロマンがあるかわからないけれど、なんとか手探りでラブラブな方向に持っていくしかない。
そうでないと若旦那様と若奥様の不仲説が流れてしまうくらいには、幼馴染のアキラとの別れはカナデを心細くし、憂いを見せたのだ。
しかし、そんな憂いを周囲は、まさか、もうご懐妊したのでは?!とそわそわしだし。
なにやら吐き気は?足はつりますか?などの医師の問診から始まり。たまらなく心細くなったカナデがなんと泣き出すと、皆はしずしずと退散していった。ジャンヌだけが、千里眼とまでは言わないまでも予知や星の導きによってカナデと運命を共にしてくれる友人だ。
「若奥様、ほんとうに、二人きりの時はお名前で呼んで良いのですか?わたくし、自分でもこんなふうに大きなお屋敷の奥様のお側に仕える事になったことが、不思議で不思議で、いえ、祈りはしたのですが」
ジャンヌはちょっと自信を無くしていた。海水浴のあと、アキラを祈りのちからで光の粒子にするように体から飛散させた。残ったのは、
「海水浴以外には何があるんだい?そもそも浴とはなんだろう。教えてくれ、愛しい妻。きみとジャンヌがいれば人生で退屈することなんて絶対にないよ!」
好奇心旺盛な、年相応の青年、アキラだった。
別に嫌いではない。ただ。
(かつての自分なんだよなあー……)
そう、この世界の風貌はしていても、かつての自分自身にそっくりで。
まだ中に幼馴染のアキラが入ってくれていた方が、商家の御息女、カナデ嬢にとっては恋心に近い感情が湧くというもの。それもこれも、みんなジャンヌが祈りでこちらのカナデにしてくれたおかげ。
夫婦円満にしなくては、カナデがこの世界で楽しむのはそれからかもしれない。付け焼き刃でなんとか言葉を見繕ってみる。
「夏の涼しい日は森林浴。森林から感じられる静けさに心が癒されるでしょう。冬、いえ、季節に関係なく暖かい地では岩盤浴もいいですね。あまり熱すぎない温度の平たい岩の上に横になって腰や全身など温めても良いかと。余分な汗をかいて心も体も水分を入れ替えるのです。近いものでサウナ、というものがあって、これがまたものすごく暑い部屋を用意してひたすら汗をかくのです。倒れないように我慢比べなどは程々にして。さらに熱した石に水を差して水蒸気を浴びることにより、よりこのサウナの感動を感じることができます。暑さのなかにさらなる熱を見て整えていくというか」
なんだそれは?!サロンの、より野生的な感じのする概念というか、施設だね!
と青年アキラ。
キラキラとした目で「いちばんはサウナが楽しそうだなっ、でも、そんな暑い部屋で過ごしてどうするんだい?」
「今度は反対に水風呂に入ると気持ちいいのですが、健康にいいかは諸説あります」
「水風呂?それはぷーるとはちがうのかな?いや、まてよ。当てて見せよう。ズバリ美しいタイルで着飾った湯船だろう?一人一人並んでサウナで熱して息も絶え絶えな体を冷ます!」
「いえ、美しいタイルで飾られたお風呂というのは合っているのですが丸い円のような形で数人が入ることが可能です。サウナの規模に合わせても良いかもしれません」
なんだか、無理して話しているわけではないのだが、どうしても敬語になってしまう。アキラとはフランクだったのに。あの日、一緒に楽しく海水浴できたのが最後だったのか。また気持ちが逆戻り。
「ありがとう!カナデ!ぼくも新しい事業を起こしてみるよ!父さんとは違う、食品業界とはちがう、果実や加工した酒類じゃない、それらを提供しつつくつろげて、尚且つ市民に愛される公共の場を!」
ええっ!!
待って!
今気軽に事業に手を出すと言ったか?
「アキラ様。今一度、お考えを。きちんと方針と客層などを固めてからお父上に打診し、出資を募るべきかと」
「そんなことはとっくに考えてるよ!要は起源となる種があればいいんだ!」
アキラが怒鳴るように言い、部屋を出て行った。
静寂が訪れるがその間をカナデとジャンヌは苦々しく思っていた。
「アイディアさえ出してくれればこちらが利益を出すからしゃべってくれ、と……」
「あの、カナデ様」
「なあに、ジャンヌ」
「カナデさまは、むこうでは、お体もお心も男の方に天秤が傾いたような、なんと申しましょう、要するに。今現在女性であることをどうお思いになりますか?なんでもよいのです。気分が優れないとか、無理をしている、とか」
「ありがとう、ジャンヌ。でも、話し言葉とは裏腹に、やっぱり気持ちは男性寄りかな。むこうでの体つきもあるけど、それが長かったし……」
「だんせいより……?」
「どちらかというと、男の人の気持ちが勝る、かな」
「!それでは、いまこの状態のカナデ様とは、齟齬が生じて、それは、なんと申しましょう、生き、づらい、のでは?」
ジャンヌのなんと申しましょうは優しくて可愛い。
「それが、小さい頃はむしろ女の子感覚が強かったからこの十代のちょい後半な、ジャンヌと同じくらいの年齢に心が引っ張られて、ちょうどいいと言えばちょうどいい」
「カナデ様に、前の奥様とは訣別してもらって、立派なスローで有意義なセカンドライフを送っていただこうと思っていたのに、オンナノコカンカク、というのも感覚がつかめません。ひとまず、無理はしていないのですね?」
「ジャンヌのおかげでむしろ馴染んできてるよ。ありがとう」
「そんなっ、わたしがなにをっ、まだ何もできては」
歳の近い娘が二人、というだけで結構保てるものがあるのだ。
そして。
「つぎにアキラが聞いてくるのはなにかわかる?ジャンヌ」
すこし気だるげにしたいけれど、いつも優しく佇んでくれているジャンヌに申し訳ない。
アルバイトのポップでも仕上げていくみたいに集中して現代知識を提供していく。転生前というか異世界では居酒屋のアルバイトでポップに串揚げに注文を取ったりと色々した。
「あっ、まさにそれです。若奥様」
「?どれ?」
「市場では値段の書かれた、板?札?のようなものが少ないので毎回店主がお客さんに口頭で値段を何度も伝えているのです。ですから、えーと、立て札?と言ったものや厚紙に値段が書かれれば回転が良くなる、と星の知恵の泉からは受け取りました。ただし、これは、利益にならないのであまり話題にならないかと。あくまで市場の改善の話ですね」
「……思ったんだけどジャンヌ、心も読めるようになってない?」
まだ思い浮かべただけだが、そうだ。ジャンヌのちからは予知だ。
「私自身恐ろしいことに、そうかと思う時もあるのですが。あくまで予知と。この星にたゆたう力によってカナデ様のいうアイディア、という贈り物はなされていると信じたいです。以前感じた魔女裁判、あれは恐ろしい幻覚で一ヶ月言葉を発声できませんでした」
そこで、わたしはぎょっとする。ジャンヌも恐怖で苦笑いしている。
「世が世なら、戦場とやらを馬に乗って走る私もいたのかもしれません。これ以上は考えたくありませんが。いまのこの生活こそ、人生こそ、私にとってはセカンドライフなのです」
わたしの嫁入り前から変わらない。しかし髪の結い方を変えてまるでクリスマスリースのような黄金の輪を頭に戴く少女。彼女さえいればこの国のあらゆる水準が大きく動く。
「ジャンヌのたまに使うセカンドライフって、わたしにとっては、……ぼくにとってはどんなもの?」
「それは私にとってのセカンドライフに似て非なるものです。戦場という場所か、お屋敷に仕えているか」
「ぼくにとっては、男女どちらかの世界から、結婚をした商家の娘か」
「隔たりは、大きいでしょう」
「うん、大きい。毎日悩んでた。ちなみにアキラが次に聞いてくることは?」
「流行の、泡です」
「あわ?」
「なんといいますか、こう、」
手で頭を揉む動作をする。
「これにぴったりな泡です」
「ああ、次はシャンプーとリンスかな」
「……夜空の向こう側から、断片的な、散り散りの印象は届くのですが。頭や髪を泡で包む、あれは、なんでしょう」
ここにはまだシャンプー、リンス、コンディショナーがないのか。
作るとしたら。泡立つものが必要だけれど、たしか、灰を使ってどうこうなんて話もあったような。
「こればかりは答えられそうにないね。木の実や花の種かなんかでおしろいばな、とかは、だめだ、わからないや、白粉が必要なわけじゃなくて泡立つ何かが必要なんだから。何言ってるんだろう。できれば答えて相手をぎゃふんと言わせたいといつも考えているんだけど」
あー。
「インターネットがあればなあ」
「恐れながら、カナデ様。私自身が、カナデ様の、拙いいんたあねっとなのです」
「どうしたの、ジャンヌ、急に……」
「私自身もよくわかっていないのですが、何かを調べたいときに言葉を投げかけ答えてみせる。それが、わたしがここに生きる使命です」
「それはジャンヌが決めたこと?それとも、決めららている何か?」
ジャンヌは激しく動揺した。
「いえ、私自身には夢があって、同じ星の末裔と家族を持つことが、最終目標です。たくさん、できれば方々に売られる前のかつてのように……」
「そんなの、わたしのことで祈る前に叶えることだよ」
決めた。わたしのセカンドライフ。
ジャンヌに星の末裔の伴侶を見つけてあげる。そして女として自分も幸せになる、のもアリだ。アリだけど。
でも心残りというか、定期的に気になっていることがある。
「いま、向こうの、ぼくはどうしてる?」
「それは夜空の見える時間にならないとわかりません。昨日はご友人とご飯を食べて、細い線のたくさんある紙に文字を書いていましたよ」
「アキラは?」
「アキラさんはでんわとやらで、そのう、しばらく会わない、と言っていましたがあれはなんでしょう」
「……もしかして、こっちでのこと覚えてるのかな?」
海水浴をしていたあの時、とにかく嬉しそうに「戻れるって!」と気持ち悪そうに波に揺られていた。
夢だと思っているか。それとも、ぼくがこちら側にいると考えているか。
いづれにせよ、ぼくは向こうにも、わたしとしてここにもいる。
「ねえジャンヌ」
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