第279話 過ぎたるは猶舐めプが如し


圧巻の投球で1回表を終わらせた東堂が今度はバッターボックスに入る。

相対する相手はもちろんエースでキャプテンの五味渕麻里奈である。


彼女は普段、『西宮の執事』というより『ロリコンの忍者』と呼ばれる方が多い。

ただ、『忍者』というのは元来、隠密性だけでなく身体能力も高いと相場が決まっている。

全員が薄々感じているが、『身体能力』という一点で見れば五味渕の能力は東堂を上回っている可能性すらある。


人外vs人外の戦いが幕を開ける――



――スパァァァンッ!!



「…………」 (←東堂)


「「「「…………」」」」 (←観客の家庭科部)



とんでもない剛速球がキャッチャーミットに収まり、球場の空気が一変する。

彼女もど真ん中へとストレートを投げたのは先ほどの東堂への意趣返しだろう。



「み、美保……、さっき東堂のピッチングが凄いって言ってたじゃん?」


「うん……」


「じゃあアレは……?」


「ヤバすぎ」



――『球速119km/h』



計測された球速はスクリーンにそう映し出されていた。



「今調べたのですが……野球の体感速度だと約170km/hらしいですわ」


「ひゃ、170!? 打てるわけないじゃん!?」


「……流石に五味渕もそんな大人げない真似はしないと思うわよ。ほ、ほら! 見せ球って言葉があるんでしょう? 知らないけど」


「ど真ん中の見せ球なんて聞いたこと無いよ!」



二球目、再びストレート。



――『球速120km/h』



これにもバットが出ない東堂。

しかし、何かを掴んだのか一度バッターボックスから出て一呼吸を置いた。

顔つきがより真剣になった東堂を見て観客からは黄色い歓声が上がる。



「あーちゃんがんばぇー!! ほら、みんなも!!」



南雲さんも張り切って応援しおります。


これが東堂への意趣返しなら五味渕は3球目も真っ向勝負を掛けてくるだろう。

観客にもそのアツさが伝わったのか熱い声援が聞こえてくる。

呼吸を整えてバッターボックスに入った東堂はバットを強く握りしめた。


三球目、決め球意識した東堂は思い切りの良いフルスイングは――



スカッ!!



――『球速86km/h』



体勢を崩された東堂はその場に膝をついた。バッターアウトである。



「「「「??????」」」」 (←観客全員)




涼しい顔をする五味渕に球場の体感温度が下がる。

それは表情によるものか、それとも激寒プレイによるものか。

理由は明白だろう。


熱い声援を送っていた観客は真顔で一旦腰を下ろした。



「……なんだ今の? すっぽ抜けたのか?」


「姉貴……多分だけど、『チェンジアップ』なんじゃね……?」



チェンジアップとは、簡単に言うとストレートと同じモーションで遅い球を投げ、相手のタイミングを外す変化球である。

もっと簡単に言うと、真っ向勝負では絶対に投げちゃいけない球である。



「え、ウソでしょ? あの人さむっ……。今度から汚い忍者って呼ぼ」


「あの展開、この観衆の中で堂々とチェンジアップを投げる胆力……流石はお姉様の執事ですわ!!」


「いや、そうはならないでしょ」


「やめなさい。あの女の関係者だと思われたくないわ」



対五味渕に出来るアドバイスも特にないので東堂は静かにベンチへと戻る。

二番打者の土方ひじかたは監督の指示を貰う為にアイコンタクトをした。


監督のサインは……『お前に任せる』。


ベンチの監督とバッターボックスの土方はお互いに高速で首を横に振っていた。

ところが一球目。



(ん? チェンジアップ……じゃないような?)



――『球速95km/h』



土方は見逃したが、球速、コースともにそんなに厳しさは感じなかった。

なんとなく粘ってみたら7球目まで粘る事が出来たが最後は三振に倒れた。

簡単に倒れなかったのは流石は上位打者というだけはある。


……もちろん、理由はそれだけではない。

打者が土方に変わってから球速は100km/h未満で変化球も微妙なものが多かった。

なんか頑張ればギリいけそうなのである。



「西宮さん? 五味渕さんってまさか……」


「待ちなさい。まだ結論付けるのは早いわ……極端にスタミナが無い可能性もあるのよ」



南雲の疑念は三番打者の日暮ひぐらしの打席で確信へと変わった。

日暮は東堂たちが居ない場合の本来の一番バッター。

つまり、チームで一番の巧打者。


そんな彼女に対する五味渕の一球目。


――『球速105km/h』


これで疲れていると言う線はなくなった。つまり……



「なるほどな。打者によってペース配分してんのか」


「ペース配分というには極端ですわ。おそらく手加減と言った方正しいかと」


「要するに舐めプってこと?」


「えぇ……フェアプレイ精神終わってんな……」


「も、もしかしたら五味渕は最後の力を振り絞って投げてるのかもしれないわ」


「あの顔を見て同じことが言える?」



淡々と涼しい顔で投げた五味渕は三振を取った後、軽快な足取りでベンチへ戻っていった。



「…………」


「舐めプクソ忍者ってことでいいね?」


「「「「異議なし」」」」



これ以上下がらないと思われた球場の温度は、五味渕麻里奈の激寒ピッチングのお陰で氷点下まで冷却された。

観客からは既に家庭科部は倒すべき悪として認識されつつあった。


尚、一番冷えたのはあの場に立っていた守備陣の肝なので、その点にはご留意頂きたい。



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