第165話 爆速リタイア
南雲と西宮がクッキー作りに勤しむ中、時を同じくして東堂と北条はバイト先で会話をしていた。
「北条はバレンタインデーに何作る? 一応被らないように聞いても良いかな?」
「マカロンにしようかなって。南雲とか好きそうだろ」
「おー。結構気合入ってるね。ふふっ……やっぱり、ゆーちゃん基準なんだね」
「そりゃあ、まぁ……な。お前は?」
気恥ずかしさを感じた北条は東堂にも同じ話題を振る。
「僕はオランジェットにしようかなって」
「おー、お前もまぁまぁ時間掛かるやつを……試作とかはしてんの?」
「試作品は、土曜日に出来るように調整してるよ」
「ん? お前まさか……砂糖漬けに日数掛けてんのか!? どんだけ気合入ってんだよ!」
オランジェットとは、オレンジピール(オレンジを砂糖漬けにしたもの)をチョコに浸したちょっと小洒落たお菓子である。
とにかくオレンジピールの砂糖漬けと乾燥に時間が掛かる為、一般家庭では時短レシピを使う事が多いはず。
しかし、この女は2日掛けて砂糖漬けをした後、1日掛けて乾燥させようと言っているのだ。
東堂は人の事を笑っておきながらとんでもなく気合が入っていた。
「……まぁいいや。じゃあ俺も土曜日に試作品作ってみるからお互いに試食でもするか?」
「いいね。助かるよ」
女子力高い組の2人はそれなりの覚悟と準備を持ってバレンタインデーに備えている。
一方、ストロングスタイルの女子2人は――
***
クッキー作りの翌日、今日の放課後も3人は生チョコを作りに挑戦している。
「はぁぁぁあッ! 柳生新陰流、奥義……ッ!」
「やめなさい。……というかなんで麺棒握りしめてるの!?」
チョコに相対する南雲は今まさに渾身の一撃を繰り出そうとしていた。
数分前に
はずだった。
──パァンッ!! パァンッ!!
さらに、昨日の静かな家庭科室とは打って変わって本日は戦場
「西宮さん!? 包丁はそんな振りかぶらなくてもチョコは切れるよ!?」
「か弱い美少女には厳しかったわ」
実演して見せる西宮は右手で包丁を持ちチョコを切ろうとするがチョコは左へ左へと逃げていく。
それもそのはず、
「……西宮さん? 何故、左手を使わないの?」
「手を切りそうだから危ないじゃない。リスクマネジメントは万全よ」
そう言いながらまたも包丁を振り上げる。
「いやいや! 絶対そっちの方が危ないから!」
百合は西宮に構いながらも南雲にチラリと視線を移すと彼女も包丁を振り上げていた。
「もーッ!! ちょっと一回ストップ!!」
授業中の時よりも砕けた態度で可愛らしく怒る百合にキュンとする2人だが、百合は至って真面目にキレている。
一旦、調理の手を止めて包丁置くように指示を出す。
「2人ともどうしたの? 昨日はしっかりしてたのに!」
「ごめんね、百合先生。でも、ワタシたちもふざけてる訳じゃ無いの……」
「そうよ。私たちはただ包丁が使えないだけよ」
「……なるほど」
深くため息をついた後、百合は優しい表情で顔を上げた。
「分かってくれたかしら?」
「はい。あなたたちが私の授業を真面目に受けてないことが」
「あわわわ」
そもそも2人は以前に百合の家庭科の授業で包丁の扱い方を学んだはずだった。
にも拘わらず、包丁がまったく扱えないのは東堂と北条におねだりして課題をちょろまかしていた為だ。
そう。
本来、彼女たちが真面目に生きていたのなら包丁が扱えない訳は無いのである。
「ごめんなさーい! 今度はちゃんとやるからもっかい教えてー」
「私もこの通りよ。もう一度教えなさい」
南雲はもちろんの事、あの西宮ですら角度で言うと2°くらい頭を傾けている。
呆れながらも百合は彼女たちが少しでも真面目に取り組もうとしている事を嬉しく思った。
「じゃあ、包丁の持ち方から教えますね……」
「わーい。百合先生大好きー!」
「私のハーレムに加えてあげてもいいわよ」
「はい、無駄口叩かない。ちゃんと集中して」
***
2人は非常に時間を掛けながらでもなんとかチョコを刻んで、残りも簡単な簡単な工程であっという間に生チョコを完成させた。
「どう、百合先生? もしかしてワタシたちって結構才能ある方?」
「お店を出せるんじゃないかしら」
「そ、そうね……あと2年くらい真面目に勉強して専門学校に……」
「あ、じゃあいいや。パティシエやーめた」
「これ以上の努力は不毛ね」
「諦め早いよ! 言うほど努力してた!?」
こうしてチョコとクッキーの試作を終えた2人は、バレンタインデーの2、3日前の調理本番を待つのみとなった。
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