10

「早速ですが、これから和睦の使者として出向いて貰います」宿舎へ戻るなりマナの無茶振りが始まった。

「和睦とは?」エアには思い当たる節がない。

いつものロビーに3人、それぞれのソファに掛けてはいるが、そこに休憩という概念はなかった。テーブルには茶と焼き菓子のようなものが置かれていた、ルアと私の二人分と思われるが、飲み物の種類は別という点から私の好みのものを用意してくれたのだろう。単にルアが特別なものを飲んでいる可能性もある。

和睦とは、唐突だな… そもそも他の連中がまだ戻らないが、それぞれの安否を気に掛ける必要がないのが常なのか。とりあえず、例の子供はベッドに寝かせ、ポレポレはその辺に置いた。ポレポレについては、ホームに戻れば何らかのアクションがあって然るべきものと考えていたが、どうやらその予想は外れたらしい。今は騎士の置物として鎮座している、置物と言うよりは玩具に近い。反応がない点について、これはこれで良いらしいが、大きな作戦だった割には成果が読みにくい。てか、こいつは一体何の役に立つのだろう、ただのマスコットってことはないだろうが… そもそもこの世のものではないと本人が言っていたが、それについて考える暇がない。落ち着ける時間があれば良いが、まだ先の話となりそうだ。


「知っての通り、今回急襲したのは自国の基地です。そこで、シスは千人以上を斬りました、恐らく、大半は殺してはいないと思いますが、回復には時間が掛かるでしょう、多分… そこで、エアは国王と交渉し、和睦の他に有利な条件を引っ張ってきて下さい」

多分ってなんだ… どちらに掛かる言葉なのか。そもそも死傷者の数が多すぎる、これでは交渉の余地すらないだろう。そして、有利な条件には何が含まれる? この殺戮からの和平交渉に何の意味がある、これ以上犠牲者を増やしたくなければ和睦を受け入れろ? まぁ、のこのこと出向いたところで戦争になる予感しかないが。マナの隣で頷いているルアも深刻な問題とは扱っていない、暢気なもんだな、この辺の感覚がぶっ飛んでいるような気がしなくもない。この組織がおかしいのか、この二人がおかしいのか、答えがどちらでも結果は同じだが、私の立場が定まらない。識者として、否定していくのが正解なのかどうか、尤もその基準こそが曖昧だが。まぁ、今回は単独任務であるから断る必要はないだろう。


「その有利な条件には何が含まれる?」マナの指令は大雑把なため、一々確認が必要となる。

「それは流れや状況に左右されますので、ここで議論したところで役には立たないでしょう。要するに、今後はティアマトのマナという看板を立てる必要があるのです。我々が相手にするものは人や国に限ったことではありませんので、国内での諍いなどに構っている暇はありません。但し、既に事態は動き出しました、盤面をひっくり返すのに必要なものは機転と機知、あなたの他に適任はいないでしょう」

動き出したというか、こいつが勝手に動かしただけなんじゃないのか… ポレポレを取り戻すだけならばここまでの被害は出なかった筈だ。そして、ウィットに富んだくらいで何とかなる盤面とも思えないが、寧ろ、既に詰んでいると見るのが正しい。そもそもマナが描く盤面は、宙吊りとなっていることが多い。せめて、地に足はついていて欲しいところだ。結局のところ、臨機応変に上手くやれってことだ。しかし、失敗は許されない、というか、私が殺される。


「当然、国王と面会の約束は済ませてありますので、時間に遅れないよう行動願います。詳細はルアから聞いて下さい」発言を終えたマナはいつも通り自室に戻る。

仕事が早い、恐ろしく早い… 戦場から戻ったのが数分前ということを考えると尋常ではない。そして、国王とやらも会う気はないだろう、今のマナにそれほどの権力があるとは思えない。では、如何ほどなのか? まぁ、見た目以上には持っているのだろう、単純な理由としては配下にシスがいる。直接目にした訳ではないため、測りかねてはいるが、恐らく、無傷で千人斬りとやらをやってのけた。しかし、基地を半壊させた組織と国王が直接交渉する理由などない、つまり、目的は他にある、か。

「まぁ、言いたいことは分かる。結論から言おう、お前は投獄される。その先に今回の目的がある。先ずは武力の誇示だ、監獄を破壊し、典獄を殺せ。まぁ、お前にも思うところはあるだろう、これらは意気込みの話として聞けば良い」ルアは淡々と補足する。

うん? 私は投獄されるのか、先程の暢気な一時は何だったのか… こいつらが心配していないのが不思議だ、未来予知の能力でもあるのか、ネガティブが悪なのか。しかし、『獅子』を投獄するには相応のリスクがある、その辺りには興味はあるが… とりあえず、決まった話ということであれば従えばいい。準備と言っても何も持ち込めないだろうからな、特にすることはない。

「殺しとは穏やかではないな、目的はそれだけか?」エアは念のために確認しておく。

「当然だが、監獄であれば典獄の結界に立ち入ることになる、まずは制限下での仕様や立ち振る舞いを学べ。最初に言ったように目的は和睦だ、脅して勝ち取るのが早いと思わんか?」

そうは思わないが、形だけならば問題ない、のか…

「それなら他に適任がいるのでは? 例えば、シスは何をしている?」

「いや、シスとは会話にすらならない、彼には彼の目的があって、そのためだけに動いている。正確には、シスはここに属している訳でもない、恐らく、お前に憑いているんだろう。それも、行動を分析した結果であって、確証はないがな」ルアはつまらなそうに言う「まぁ、お前も似たようなもんだろ? 目的はそれぞれだが、ここでは腹の中を探らせない。お前は俯瞰しているようでいて感情を殺している訳ではない、如何なる盤面も飲み込んだ上で最善手を探す、何処までも受身だが、そこでしか得られないものの正体を模索している、お前が最も大切にしているものは場所ではなく環境だから」

「そう見えるのか?」エアは短い沈黙を置いてから続きを話した「ある意味では正しいが、私は確率で選んだに過ぎない。私自身、確信はないが、実際にマナに付いてるってことは、そういうことなんだろう」

この状況は今に始まった訳ではない、導きとも違う、単に路傍の石を蹴り飛ばした先の過程や結果を見るためのもの、ここまで来るのに何年掛かったか分からないが、それに近いことは理解した。まぁ、この場で話すことでもないか。

「ところで、ネオは何者だ? 遠征隊とは何かある様子だったが…」

邪魔なだけだったネオについても聞いておく必要はある、この国に関わる問題だろうから。

「ネオは遠征隊の隊長だ、元な。訳あって離反した、あいつも変わり者だからな…」

流石に隊長はないだろう… 軍の元隊長が何故テロ行為に加担しているのか、理不尽ななぞなぞより難しく、考える価値すらない。つまり、そこには大層な理由もないことが分かる。その他、子供の安否やポレポレの扱いについて確認しておく。

「なるほど、大体分かった。これからの動きはどうなっている?」

「とりあえず、王宮へ向かうとしよう、もちろん、お前単独で。王宮への道は分かるか? 途中までは飛んでいけばいいが、結界内ではそれも儘ならないだろう。王都へ掛かる橋の手前からは歩いていけ」

エアは地図の確認を済ませてから、テーブルに用意されていた焼き菓子を手に取る。ここへ来てからというもの、不思議と腹は減らない、エネルギーを外から得ているからだろうか、若しくは、他で補っているのかも知れない。そもそもこれはエアの身体だ、そこに区別がある訳ではないが、周りからの認識や理解ではその通りだろう、何らかの理由があってもおかしな話ではない。しかし、それが分からないからこそ少しでも入れておく必要がある。ここにエアの理解者はいない、あるだけの情報を整理したところで浮かんだ人物像は穴だらけである、尤も、そうなるように操作したのもエア自身だ。果たして、何を守る必要があったのか、理由は私と同じで、求めるものがあるからだ。それは相反する可能性があるもので、立ちはだかる者を斬るには心が弱い、そうならないように立ち回っているといったところか。それでも、なるべくに過ぎない… 二面性、若しくは、段階はある。その境界は酷く遠い場所、酷く揺れている、葛藤の軌跡だけは私にも理解できた。


「そういえば、隣国カザンで『龍』が放たれたらしい、その情報も有効に使えばいい。ああ、『龍』とはその国家の保有する最大の兵器のようなものと考えばいい、形式はさまざまだがな。ちなみに、らしいと言ったのは、この情報は確かだが、現時点では確認する術はない、という点からだ。面白いだろう」

「なるほど…」

それは、ひょっとしたら沈黙するしかないのではなかろうか…  マナが言っていたのもこれのことか。『龍』とは、紋章兵器なようなものか…しかし、この世界に於いてはその規模が異なる、具体的にどうこうではなく、抽象的な視点からだろう。この地図を見ても分かる通り、恐らく、ここには世界地図すらない、終わることのない黎明期が遥か昔から続いている。つまり、転がり続ける賽をどのように眺めるか、そのレベルの話にしかならない。


「ちなみに、カザンは滅びた。相応の代償は必至だが、その規模は未知数、つまり、如何なる計器を持って臨むのが正解か、という話となる。『龍』たらしめる所以の方に解がある、護るべき対象である反面、発動は袂を分かつことを意味する、これがこの世の常である。破滅の美学を用いることなく、因中有果と成るより先に世界そのものが塗り替えられる、それは悲しいことなのだろうか、私は否定も肯定もしないが、お前はどうする? お前は昔からそうだった、無限の選択肢を喰らうことだけを考えていた、故に『狼』と呼ばれた。『殥』も『誄』も本来であれば手に余る、だが、必要なピースでもある。まぁ、波紋が広がるのをただ待つことはないよ、多方面と渡り合うことは本望だ、そのために私がいる。マクロもミクロも視点が代わればその概念がそっくり入れ替わるだけだ、すべての情報はミクロに集約される、例えば、記憶なんかもそうだ。対外的にはまるででたらめな地図のようにしか映らない、認識できない、アセンブラを持たない我々には正確に読み解くことは難しい。そもそも変換できるものかどうか、その一歩を踏み込むことができない。課題は多いが諦めるには早すぎる、この先もお前は必要な存在となるだろう。今回の遣いも重く考えることはない、さっさと行って帰ってこい」

「ところで、まさか、今から行くのか? 結構な距離があるようだが…」

「2000km以上」

「面会時刻は?」

「今夜23時」

「書簡などはあるのか?」

「そんなもの用意する訳がない、お前を遣いにやると言うことが最大の意思表示だからな」

このままルアの得意顔に説得されてしまいそうだが、まるで鉄砲玉だな… そして、既に陽は落ちた、ここにマナー等は存在しないのか… 非常識にも程がある、且つ、相手が国王となれば…ありえない。いや、考えるのは辞めよう。とにかく、向かうしかない。朝とは違う、今ならば上手くコントロールできるだろう、速度は上げられると思うが体勢を崩すと危険だ。


エアはさして役に立たない地図を捨てた、そもそも方角と距離しか載っていない。基地の更に北であれば、ここから北西を目指せばいい、点在する街を目印とすれば何とかなるだろう。道中の交戦も想定しておく必要はある。というか、私は『殥』以外にも何かを所持しているのか、認識すらないものをどうやって所持しているのかは不明だが、今回の鍵となるものかも知れない。欠けた知識を補うように矢継ぎ早に思考が求められる、応えられる内はまだいいが、そうならないことの方が多いだろうか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る