09

「そいつは…月灯だ…」

ノイズ混じりのルアの音声が途切れる。

つきあかり? 誰だそれは… とりあえず、ここが今作戦に於けるクライマックスだと理解した、黒い塊に見えたそれはローブの様だった。天から地へと回転しながら落ちる、真っ直ぐにここを目指して。私を中心として半径30km程度、円状に黒い靄が掛かる、檻を形成するかのように辺りを急速に包む、通信が遮断されたのもそれが原因だろう。どうやら、それは光を通さないらしい、真昼だったものが明かり一つない闇夜へと変わる。


「これは…想定外だ」エアは思わず溢す。

帷が下りる前に抜けられるか? いや、それはない。こいつは最初から私を狙っていた、その程度の抜かりはない、あり得ない。子供を連れている状態でこれ以上速度を上げられないことも織り込み済みだ。対象の落下速度は一定、まるで隕石のような軌跡で、近付くほどに得体の知れない重圧も増していく。ルアが提示したのは3分間、ならば迎え撃つのみ。


エアは翻り地表を確認した。丁度、盆地に差し掛かったため、着地を選択した。恐らく、暗闇での戦闘になる、地形の把握は優先事項だろう。辺りには平地が広がる、背の低い樹木が数十本、草原という表現が近い、ここであれば走破できる。次に、意識のない子供を離し、安全のために一定距離を取る。同時に周辺にあった石を月灯に向けて最大出力で撃ち出した。交渉の余地はないだろう、殺意はなくとも、それ以外のすべてがそこにはあった、既に無視をすることなどできない。音速で飛ばしたそれらはやはり失速し、落ちはしないものの難無く弾かれる。全方位からレールを配置するものの、圏内に入ったものから勢いを失う。間もなく完全な闇に包まれるが、奴だけは光を反射しているため見失うことはない。月灯はエアから少し離れたところに着地した、地表近くで身体を起こし、片脚でステップをするような動きで落下の勢いを相殺した、それだけで分かる精度、強敵に違いない。それは頭部のない人の形をしていた、黒のローブに風に靡くデザインのフレア。異形と言うべきか、勝手は分からないが、その点を除けば人と変わらない、腕も脚も付いている、手には長めの黒のサーベルを持っているが、本体と違い光の反射がないため形状が分かりにくい。さて、何が出るかは分からない、油断はなくとも危険は多くある、理由は多くの事象を解明できないからだ。


「月灯か… こんな所に何の用だ?」

偶にはこういうのも良い、エアの左目から赤の光が零れ落ちる。心拍数と共に演算速度が増していく。ここでの敗北はポレポレ、攫ってきた子供にも適用される、逸る心を今一度鎮める。


「闇夜か、こういうのも悪くはない…」

夜の帷は音も包む、辺り一帯が静まり返る。やはり、月灯からの返答は無し、か… そもそも頭部がないのだから、会話は不可なのか。エアは両手に短剣を取った。月灯の目的は読めないが、少なくとも、あの子供は無関係のようだ。そして、時間稼ぎは失敗する、月灯が一歩を刻む、基本的に浮遊の状態なのか、纏っているものにも重力は宿らない、そして、蹴り出しもなく一定の速度に達し音もなく間合いを詰める、幽霊のような動きで文字通り掴みにくい。しかし、この辺りのマッピングは既に完了した、闇に覆われていようが、地形やその他を把握するのに何も問題はない。光と『殥』による補助、異なる景色を重ねているものの、それを感じさせない精度の高さ… 『殥』が如何に優れているかを表している。月灯の独楽のような軸移動から繰り出された回転斬り、まずはバックステップで避ける。どのような効果が齎されるのか不明のため他の選択肢はない、また、サーベルの間合いについての情報もない。不可視に近い初太刀。これは『リニア』が一定の領域に於いて打ち消されているという結果でもある、その解を『殥』に組み込めないが、それ以外は塗り潰せるということでもある。そして、死角というものがあるのか、相対位置を探ろうとしたが、避けた先にそのまま軸が追従する。つまり、私と月灯の距離が全く変わらない。避けるのは無理か… 傀儡のように抑揚のない動きを、右手の短剣で弾く、そのつもりだったが一撃が重い… 磁力のような、強力な引力が働いているのか、強引にいなすこともできない。このままでは武器の上から叩き潰されそうだ… 咄嗟に出した左手の短剣で月灯のサーベルを叩く、これも想定外で、エアのイメージ以上の速度と重さのある反撃となった、月灯の本体まで衝撃が抜ける。10メートルほど飛ばし、軽いダメージはあったと思うが、瞬き一つで次の距離を詰められる、移動という概念を越える動き…もはや特化していると言って良い、二の太刀が迫る。


今、私は何をした?

『リニア』は常に全開で発動している、しかし、そのすべてを相殺され、空回り状態で稼動している、そう考えていた。しかし、相殺されない領域があることが判明した、最優先でそれを探る必要がある… あるとすれば体内に限られるだろうか、ある意味では占有権の行使のようなものかも知れない… 空転がなければ、それはそれで自爆の危険性はあるが…


「他に道はない」エアが呟く。

サーベルが届く前にエアの短剣が刺さる、月灯はサーベルを防御に使う、双方に衝撃が走る。そもそも頭部のない相手のため、胴体への攻撃は有効なのか、ただの傀儡なのか、エアには一つも情報がない。これは命のやりとりだ…とにかく、破壊してやればいい。しかし、内部で青天井の『リニア』が発動できるのであれば反撃も可能と考える、相殺時には致命傷となるか、そのまま両断される可能性もあるため、その機会を待つより先に沈めたいところではあるが… 奴が既に手札を切った状態であれば簡単に殺せるが、そうはならないのだろう、ルアが私には手に余る相手と告げたのだから。今のところ、サーベルに特筆すべき点はない。黒の帷はどうか、視界を奪うだけではないだろう。手を抜く理由に何が考えられる? 何を待っている? 3分後に何があるかは分からない… いや、既に3分は経過したか… ある意味では隔絶した空間か、ここでは時の経過にも影響があるのかも知れない。とにかく、その時までに新たな能力を制御する必要がある、現状では過出力気味でバランスを度々崩している、それが故意にやっていると奴に認識して貰えれば良いが… 月灯に至っては何の感情も推移も変位も読めない。頭部も視認できないだけで、存在はしているかも知れない。月灯の移動には特徴があるが、それさえ組み込めば対処は容易、また、取り巻くレールに関しても連結は不可でも積荷の受け渡しは可能なようだ。つまり、理論上では減衰のない『リニア』を発動できることを意味する、尤も、その立式は容易ではないが…


月灯はサーベルのみの単調な攻撃を繰り返す、戦術や剣術といいった類の技術を感じない。実際、この環境下でこの速度と重さがあれば、ほとんどの場合で問題とはならないだろう、相手が何千人いようが簡単に殲滅することができるから。力点の制御や操作はともかく、総合的な身のこなしという点では拙いという一言で済んでしまう、やはり、これは傀儡の可能性が高い… まぁ、初太刀も二の太刀もクリアした、以降は私の時間となる。何分残っていようと、今度はお前が耐える時間としかならない。サーベルを打ち落とし、本体に短剣を突き立てる。瞬間、走る暗幕のような障壁が見える、ガンっという鎧にぶつけたような音と共に月灯に向かう衝撃のみを散らしているようだ。なるほど、これが第三の能力のようだが、果たして… ここへ来てからは分からないことだらけだ。経験に基く知識が乖離している、つまり、当然知り得た知識を放棄しているという嘘に他ならない、今も単純な見落としがあるだろう。違和感の正体を暴いていければ、一人でもやれただろうに…


「ああ、あの帷が急速に狭まっているのか…」

その後はどうなる? 決して愉快なことにはならないだろう、初期段階では目測だったが、現状では『リニア』による簡易的な計測をしている。それに依ると、半径1キロメートルを切っている。それまでに、どうにかするしかないだろう。短剣を握る腕に力を込める、しかし、この短剣もやけに丈夫に出来ているもんだ、特別なものなのかも知れない。


「さて、やるか」エアは駆ける。

月灯の一振りの間に一回以上反撃しているが、月灯の防御にも癖はある、やはり、守るか… 暗幕は破れないのか、そうではないのか、力積以外に必要なものがあるのか、次第に何も考えられなくなる… 破壊のみに特化した攻勢、右腕のサーベルも叩けば響く、こうなればどちらの傀儡か判別できない、崩れた姿勢にも動じないことは理解できるが、どのみち反撃もできない。数十回の剣戟を重ね、月灯の背中に短剣が深く入る、限界まで加速しているためあまり感触は伝わらないが、そのまま『リニア』で飛ばす、骨を突き抜け内臓まで達しているだろう。


「ようやく届いたか。これといった苦労があった訳でもないが…」煽ったところでどうにも反応は薄い。

このまま殺せるのか? 観測結果では人と変わらない筈だがな… どこかで引いてくれれば嬉しいものだが、そうはならない、何者かは知らないが厄介だ。静粛に、淡々と目的を達する、戦闘に於いて多くの場合で会話は不要だが、何より情報を欲する身としては歯がゆくもある… そういう背景もあり、今の一撃も加減はしたが、無用だったかも知れないな。


月灯はすぐに体勢を立て直す、背中は致命傷の筈だが…今の動きに不自然なところはない。さぁ、次は切り飛ばしてみよう。月灯より動き出しより早く、二人を結ぶ線上に一条の光が現れる。これは? そこへ乱入してきたものは、ルアの爆弾馬じゃないか… そういうことか、しかし、そういうことでもある、離れないと不味いな。エアはステップで後方に下がる、その1秒後に馬が激突し派手に爆発した。地面に衝撃が走る、まるで自分にのみ襲い掛かってくるような気配だが、助け舟のつもりか、月灯を狙ったものか、あの着弾点からは読めないが… 間一髪だった、横たわる子供を爆風から守る。心做しか、奴の方に向かって爆風が伸びた気もするが…


「最大火力だ!」同時にルアの声が聞こえる。

やはり、私を過大評価しているのか、中の状況は読めないだろうに… どうせ、私が何とかすると思っている。合図だのがあれば話は別だが、爆弾を放り投げてから何秒思案する時間があった? もう少しゆとりを持って欲しいものだ。てか、時間か… どう考えても3分間ではなかったが。この最大火力てのもはったりだな、それが布石になるのかすら怪しいが。まぁ、その辺はどうでもいい。それより、月灯はどうなった、爆弾よりも闇を払った効果について知りたいところだ。爆風の中、ルアの姿を捉える、一条の光だったものは黒の帷を溶かすように、まるで意思を持ったようにその光度を増していく。


「エア、お前が月灯と渡り合えるとは思わなかったよ。見ての通り結界は既に破壊した、奴にはここで退場してもらう」

結界は闇のフィールドか… ルアが刀を構えるものの、月灯の姿は既にない、光に当たると雲散する仕組みなのだろうか、この辺りの仕様の問題には全く付いていけない。それとも、短剣の一撃が効いたのだろうか。


「ふむ、もはやその意思はないか。お前の完勝だったな…」

どうやら、月灯は去ったようだ、その方法までは分からないけれど… まぁ、それも些細なことではあるのだろう、任務は達成した。闇夜が散っていく、元々満ちていた光がその干渉を嫌うように縦横無尽に暴れる、ほんの僅かだがその様な振舞を写す。

「例の子か…」ルアは周囲を確認しつつ刀を収める「ネオはまだ遊んでいるか、グレンも含め、どうしようもない奴らだ… ところで、聞きたいことがあるのだろう?」

「ポレポレはこいつで間違いないな?」エアはジャケットの内ポケットから騎士の玩具を取り出し、隠すように見せる。

「いや、今の姿は知らない。でも、お前がそう感じたのであれば合っている。残念ながら、私には干渉することができない、ポレポレはこの『世界』の住人ではないからな… 唯一、マナとお前だけが例外だ。お前が『リニア』と呼んでいるあれも、元来この『世界』のものではない、恐らく、接点はそこにある。交流と言うより折衝という表現が近いか… そのためのツールなのだろう」

「つまり、使い方次第か…」エアは即座に腑に落ちた点を数える「ところで、グレンは無事か?」

「あいつとはあれ以降交信できない、端末の故障だろう。但し、ネオがいるからな… あいつが連れ帰るだろうよ。それより、月灯だ。怪我一つないのか?」

「無理をした部分での負傷はあるが… 直接はないか」

「うん、信じられんな。戯れだ、構えてみろ」ルアが笑顔で柄に手をかける。

居合いか… 軽やかで冗談交じりの構えだが、それでも洗練されている、面白い。エアは再度、意識のない子供を寝かせ、ルアと向き合う、見た目はちゃちな短剣なんだがな、月灯相手に刃こぼれの一つもなし、か。さて、結界が解けた反動で何やら騒々しく思うが、居合いを如何に凌ぐか、後の先、パターンは一つだが… 筋力ではない、結局、不可視の領域で無数の無限の技術が存在する。それは私にもできることだ、そして、ルアの反応からそれは高いレベルを表している。つまり、逆に試しておく必要はある。

「いつでもいい」

「ふむ」ルアは目を閉じ、返事と共に刀を抜いた。

紅の羽織が舞う横薙ぎの閃、斬り上げるか… 同時に向かう『リニア』は即時消滅する、感覚的な問題でしかないため確証は得られないが、消滅ではなく吸収されたようにも見える。そこまでは良い、何の影響もない。エアは左手の短剣で刀の地を弾いた、そのつもりだったが時が止まったように剣が重なる、音すら届かない。体感では1秒間、その後は予測通りの軌跡を描いた。ルアは漆黒の目を丸くし、舞のように回転しつつ納刀する。衝撃は喰われたのか、私のようにカウンターの設置とはまた挙動が異なる… そもそも、ルアには『リニア』が見えている、その特性を分解した上での対応も可能かも知れない。散った先までは追えない、感覚での補足範囲に違いがあるのか…


「ふむ、やはり化物だな…お前もシスも。しかし、これで次の計画が決まった」ルアは含み笑いをする。

何やら楽しそうだ。嫌な予感しかないが、私自身も協力したいという思いはある、この思いがどこから来ているのかは分からない。元来、私は一匹狼だった筈だが…今はそうでもないらしい、きっと、見限ることができないからだ、未知の能力があればそれは私の信念と無関係ではない。


「一つ、私の考えを教えておく。『獅子』の裏付けは、協調、因果…趨勢を具現化したもの、要は、傾斜や天秤のイメージに時の概念を加えたもの。それが正体には違いない、尤も、その扱いは個々に委ねられるが… 一例だが重力の軛を断ったとき等が該当する、重力とはそれだけ重要視されるものでもある。お前がいて良かった、軍師としてはな…」

ルアのささやかなガッツポーズ… やはり、嫌な予感しかないが、今回は抱えたものも多い、後のことは丸投げで良いだろう。

「この後はどうする?」エアは帰り道を尋ねる。

「とりあえず、宿舎に戻る。その他の連中も飽きたら帰って来るだろう」ルアは他は気にしなくて良いと言った。

相変わらず大雑把な指揮だが、一人でも大抵のことができてしまえば軍師のあり方も変わるのだろう、駒としてはどちらでも良いが、選択肢が増加する分は経験が物を言う、知識だけは集めておく必要があるだろう。てか、この子全く起きないな…

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