004

『狼』の少年はアパートの一室を訪ねた。

インターフォンは破損しており鳴りはしないが、監視は常に行われている。少年が部屋の前に着くと解錠された音が聞こえる、ドアをノックすることもなく、そのまま入室した。何処にでもある変哲のないアパート、駅からは離れており閑静な住宅地の一角で人通りも少ない、そこを政府のとある機関が利用していた、用途としては大半が兵器に関する特殊な依頼となる。第三者が生活が送っているかのような、何の取り柄もない点が返って精度の高さを表している。

「ようこそ、依頼は今回が初めてではないわよね?」スーツ姿の女性が声を掛ける、退屈な部屋にスーツ姿というのも違和感があるが、ここで着替えたものと思われる、若しくは、隣室が研究所となっており、そこの職員の可能性もある。その理由としては、研究者特有の草臥れた様子が伺えたからだ。

「そこに掛けて、資料はこちら、依頼内容は単純、部品を取り戻して下さい。資料は持ち出し不可となっているので、この場で記憶して下さい。期限は特に設けていないけど、あなたなら3日は掛からないでしょう?」

少年は説明を聞き流しつつ、まずは資料を一読する。

「部品についての説明がない理由は?」少年は資料を元の位置に戻す。

「必要がないからです、部品は見れば分かるようになっています。それに形は一定ではありませんから」スーツ姿の女性はこれで話は終わりという態度で資料を回収する。

「報酬は部品の状態に左右されますが、十分な情報を用意してあります」

「それは結構。しかし、今回の依頼は簡単じゃない。この資料では紛失に至るまでの経路すら不明だ、これでは当りを付けるのも難儀するというものだ、しかし、依頼を断る理由を探している訳ではない。許可を求めただけだ、私も相応の行動を取らせて貰う、ある程度の行動には目を瞑るべきだ」

「被害の大きさに依ります。死傷者の数は問いませんが、境界が揺らぐようなことは控えて下さい」

「随分と曖昧な表現ではあるが努力はしよう。つまり、目撃者を消すということはしない、私にできるのは精々殺意を返すことだけだから。まぁ、あなたが考えているようなことには決してならないだろう」

「あら、私の考えが読めるのでしょうか、迂闊な意思表示は反って迷惑だったかしら?」スーツの女性は微笑んだ。

「いや、どのような選択をしても結果は同じだろう、あなたが私の能力を過信している内は、ね」

「そう、既に当りを付けたということね、結果が楽しみだわ。と言っても現状では報告を待つ余裕すらないんだけど、忙殺されているからね。まぁ、あなたの方がもっと大変な立場にあるのでしょうけど、それは間違いないわね」スーツの女性は憐れむように瞳を細める。

「それほどでもない、理性や感情は揺れるものだから、比較することもない。ただ、今すぐ仕事に戻る必要もなく、そう疲れていると言うならば、私の任務に同行しても差し支えないが…」少年は微動だにせず手を差し伸べたものの、スーツの女性は微笑み返すのみ、そこには動けない理由があった。少年の方も一欠片の情報を得るための演技に過ぎなかった。

「まぁ、好きにするといい。とりあえず、これで必要なパーツは全て揃った。その他の連絡手段は何がある?」

「政府の提供する回線のみです」

「時代遅れの専用端末に超低速回線か」少年はポケットの中の端末を思い浮かべては落胆する。

「申請が通れば回線は開きます」居た堪れぬ作り笑いがもはや眩しい。

「その申請が通ったという前例はないようだが、まるでテスターのような扱いだな。秘匿通信技術の方向性からして誤っている気がしなくもない。ここの政府が何の研究をしているのかは知らないが、是非、自らの足元の設計から再建するよう忠告しておこう」少年はそう言って部屋を出た、スーツの女性は煽るように手を振った。


得られた情報が任務に見合うものであったかについては疑問だが、結果を得るだけであれば問題はない、少年はそう考えていた。

「あの依頼は個人的なものだ、そこにはいくつかの理由が考えられる、つまり、その理由を潰すだけで依頼は完了するだろう」


少年は研究所へ向かった。予め、職員を通じて視察の申請を出しており、政府がこれを受理する、研究所は「NGC 5005」と呼ばれていた、単に29番目の施設というだけの意味合いしかない。施設は巨大都市に紛れるように点在しており、隔離されている訳ではないが、表向きとしては民間企業となっている。特に発覚したところで問題となる訳でもなく、業務内容は半々だが役割は完全に分断されていた。少年がロビーを抜けると、所長が慌てて現れた、そして、自室へ案内する、そこにはスペースがあるだけで、仕切りはなかった。

「はじめまして、私がここの責任者です。関係者以外の視察に関しては前例がないため、ご希望に添えるかどうか分かりませんが、先ずはご案内しましょう」所長は簡単な挨拶を終えると、施設の案内に関しての順序を考える。寝不足気味の疲れた顔に草臥れた白衣を纏っている、揃えられた髪のせいか、清潔感は損なわない。

「いや、責任者であれば忙しいだろうから、部下を貸してくれればよい。こちらこそ急な訪問で申し訳ないと思ってはいるが、政府からの依頼も無碍にできないため許して欲しい。そうだな、あそこにいる二人はどうだろうか?」少年は所長の散らかったデスクを眺め、それから角のデスクで作業中の二人を覗く。所長は資料を集めながら少年の視線を追う、デスクの二人と目が合うとすぐに呼び寄せた。

「こちらの方は政府からの使者です、二人には施設内の案内をお願いしたい」

二人は同時に返事をした、内一人が手振りで進路を促す、少年は二人に続いて奥の部屋へと移動する。一人は眼鏡を掛けている、もう一人は長髪を後ろで束ねている、如何にも研究者といった出で立ちで、施設の雰囲気にも合っていた。


「こちらの部屋では生態学の研究をしております。最も多い種は糸状菌類になりますが、様々な種を揃えております。一部、過酷な環境の再現もありますが、テーマとしては均衡状態に於ける偶然性や振る舞いとなります」

説明を受けた少年は施設内を必要以上に眺めている、見落としがないことを指摘する方が困難といった具合に、二人の目には鬼気迫るように映った。話し掛けることも憚られるが、それは数秒に満たずに解けた。

「や、気になる点でもございましたか…細かい説明は資料の方に載せてありますので、質問があればいつでも承ります」資料を胸に被せ、ぎこちない笑顔を見せる。

「いや、設備についての説明は不要だが、二人に聞きたいことがある。これは治療用の生物兵器だろう、つまり、被験者がある、そちらの情報が欲しい。この施設の取り扱いはレベル3までの情報であるから、開示には何の問題もないと思うが、どうだろうか」

二人は突拍子もないことを聞かれた表情となっているが、少年は続ける「また、所長の出向先を知りたい。30と31で合っているとは思うが、念のためだ」

「ええ、所長の所属に関してはその通りでございます、その他でしたら私たちにも知らされておりませんが、スケジュールで確認する限りでも、ここを含めた三ヶ所で間違いはないと思います。また、被験者につきましては、別の機関の指示で動いておりますので、こちらで管理している情報は限られております。デスクの端末にファイルがありますので、後ほど閲覧して頂ければ」説明を終えて、次の部屋へ案内をしようとしたが、少年は先に端末を調べたいと言う、元の部屋へ戻ることになった。所長は三人に気付くと再度会釈をする、時間的に不測の事態が生じたものかと案じるものの、空気に変化はないことから杞憂であるとの結論に至り自身の業務に戻る、声が掛かるまでは気に掛ける必要もないと考えた。少年は一台の端末を起動し、件のデータを参照する、被験者とそこに付随する情報に目を通す、最初のページには数十人のデータが並んでいる、氏名を確認しながら順番に開く。少年は数人のデータを確認したところで、必要な情報をすべて揃ったと言った。二人は何のことかは分からなかったが、そのまま退出するだろうと思い、適当な返事をした。

「それは何よりです。では、我々の案内は以上となりますが、宜しいでしょうか」

「ありがとう、後はこちらで動くので問題はない」少年は出口の方に視線を移しながら話す。研究者の二人は一度だけお互いに視線を合わせた後に席に戻る、目配せにもならず、単に間を測ったものだった。

少年は端末を閉じると所長に声を掛ける。

「全員の希望を通すことはできない、選択をすべきだ。そう考えているのに何故できない? 現実は非情でも、あなたの心はそうではない、上手くやればいい」

所長は認識が追いつかず一点を見つめて固まっている、数秒後にようやく取り繕うための笑顔を見せた。

「お察しの通りです、彼女が貴方に依頼したのですね、亡くした部品を探すように、と。確かに、部品の方は然程問題にはなりません、勿論、再度作製することは容易ではありませんが、不可能でもありませんから。但し、紛失していた方が何かと都合が良いのも事実です。情けないことではありますが、この施設内ではそれだけの問題を抱えていると打ち明ける方が遥かに楽なのでしょう」

「私への依頼は部品を取り戻すことではあったが、何も解は一つとは限らない」

「所長という立場にありながら、このようなお願いをするのは恐縮ですが…私には舞台を整えるだけの力がありません」

「問題を履き違えているだけに過ぎない、部品が未完成であったことを前提としているがそうではない。偶然の産物だろうが、君たちの手を離れたというのが正しい。そう、レベルの更新があった、故に失った。それだけのことだが、同時に君たちの希望であったことも確かだろう。所長である貴方が諦める訳にもいかない、しかし、職員の移籍を訴えたところで上手くはいかなかった、さて、次の一手をどうするか、これはそういう類の問題だろう。彼女はあなたに成果を奪われる、貴方は職員の希望を叶えたい、そして、貴方にとっては彼女も大切な存在ではある、部品と同列であり、決して同様ではない。つまり、移籍ではなくここを変えてしまえば良い、失った部品を除いてもそれ以外の必要なピースは揃っている、例えば先の二人、彼らは何者だろうか? あなたが雇った訳ではない、その様な意識のずれが正しい認識を狂わせる、もう一度言っておく、ここに足りないものはない。唯一の例外は私という存在だけだろう」


少年は施設を後にし、政府の回線へ接続する。

「コードをどうぞ」ノイズ混じりの自動音声が流れる、少年は11桁の数値を入力する。

「早かったわね」ノイズ混じりの女性の声が流れる。

「やはり、あなたか…部品は入手するまでもない、君はその時を待っていればいい。今回の依頼からは下りる、任務は失敗で良い」

「あら、状態は問わないと言ったはずだけど、あなたはそれで良いのかしら?」

「確か、左右されるとは聞いたが…まぁ、異論はない」

「ところで、私は何を待てば良いのかしら?」

「その様子だと、既に連絡があったのだろう。ならば、私に聞く必要はない。依頼があればまた連絡してくれ」

「ありがとう、そう言って貰えるのを待っていました。またね」

疲れを振り切れていない声に、彼女の気概を感じる。


「停滞が悪いとは思わないが、いつの世も時間は限られているもの、忘却の世界は時の癒やしと重なるが、失ったものは他で支払うしかない…今は見えなくとも、それでも考え続けることが肝要だ」

少年は回線を閉じた後でそう呟いた。

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