第6話 感銘の文化
「多数派に真理はないの?」
「らしいね」
「聖書のどこ?」
「マタイ7章!」
・・・
「救いの少数派」と、
「憂いの多数派」。
政治の場合は「多数決」。
(聖書と異質)
巨大組織と呼ばれる宗派も、その意味では憂いの「広い門」とされている。
マタイ7章 (少数派の門)
13 狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。
14 命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない。
少数派であって、しかも僅(ワズ)かの人しか到達しない。
以外だろうか?
※ それは「イ外」という意味でもある。
(神の名は「イ」の外に無い)
こんな警告もある。
15 にせ預言者を警戒せよ。彼らは、羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、その内側は強欲なおおかみである。
16 あなたがたは、その実によって彼らを見わけるであろう。茨からぶどうを、あざみからいちじくを集める者があろうか。
17 そのように、すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。
18 良い木が悪い実をならせることはないし、悪い木が良い実をならせることはできない。
19 良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれる。
20 このように、あなたがたはその実によって彼らを見わけるのである。
イエスの名を呼んでも駄目なのか?
21 わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。
22 その日には、多くの者が、わたしにむかって『主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。また、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの力あるわざを行ったではありませんか』と言うであろう。
23 そのとき、わたしは彼らにはっきり、こう言おう、『あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ』。
このようにならないため、
次の教えがある。
24 それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。
25 雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけても、倒れることはない。岩を土台としているからである。
「岩を土台とせよ」(基礎が大切)・・・と教えられている。
26 また、わたしのこれらの言葉を聞いても行わない者を、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができよう。
27 雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまう。そしてその倒れ方はひどいのである」。
28 イエスがこれらの言を語り終えられると、群衆はその教にひどく驚いた。
29 それは律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように、教えられたからである。
イエスの権威に驚いたという。
しかしそれは当然。
イエスはモーセがホレブの山で出会った「後の神」に重なる存在だからである。
※ 後の神:二度目の登山で出会った神。
後の神はモーセに告げた。
→ 「岩の上に立て」
出エジプト記33章
21 そして主は言われた、「見よ、わたしのかたわらに一つの所がある。あなたは岩の上に立ちなさい。
22 わたしの栄光がそこを通り過ぎるとき、わたしはあなたを岩の裂け目に入れて、わたしが通り過ぎるまで、手であなたをおおうであろう。
23 そしてわたしが手をのけるとき、あなたはわたしのうしろを見るが、わたしの顔は見ないであろう」。
「顔が見えない」理由・・・
それは、その神が「後ろの神」だからである。
※ 子どもたちが「後ろの正面だーれ?」という遊びで学ぶのは、それを知っていれば、「鬼役」にならないで済むという事。
(つまり、鬼に使役されない)
もし鬼に使役される人になったら、最後には酷い損壊を受けるだろう。
■酷い損壊とは?
聖書では「溶ける」という表現がある。
出エジプト記15章
15 エドムの族長らは、おどろき、モアブの首長らは、わななき、カナンの住民は、みな溶け去った。
解けたら、「箸にも棒にもかからない」・・・
(固形物でなくなる)
この言葉を熟慮すると、こんな思いが浮かんで来る。
→ 記憶の「端」にも「冒頭」にも掛からない。
(思い出せない存在)
英語のヒントもある。
【mnemonic】ニーモニック
1.記憶の助け。
2.記憶を助ける「詩・文・語」など。
→ 端mnemo・冒mnemo
要するに、大切な言葉を忘れてしまうと、それが「記憶のハシにも冒頭にも打ち当たらない」という意味である。
彼らは、「恐れとおののき」で自分自身が溶けてしまう。
「大切な一文」を思い出そう。
出エジプト記33章
21 そして主は言われた、「見よ、わたしのかたわらに一つの所がある。あなたは「岩の上」に立ちなさい。
「岩」が大切なのだ。
※ 現代人は、「岩」を軽く考え過ぎるという意味である。
イエスもまた、
「岩を基礎とする家」に言及していた。(マタイ7章25節)
日本人なら「岩の上の国家」を連想するだろう。
→「岩の上」に立場がある国家は、鬼の嵐にびくともしない。
また、「岩」に拘(コダワ)る理由は、それが神の名に重なっているためだ。
「イワ」の古語である「イハ」が、創造主の純粋な名「イ」に敬意の言葉「ハー」を加えた呼び名になっている。
「イの神」に呼び掛ける敬語が
→ イ・ハー
(「イハウヘ」は更に丁寧語)
「いろは歌」の先頭に「い」が位置しているのも、偶然ではない。
「祝」(イワイ)は、「イの神」が与えてくれた幸を喜ぶ行事であり、だから古語では「イハヒ」と発音していた。
日本では、信仰心を示す「注連縄」(シメナワ)が岩に張られている。
カタカナの「イ」の文字は、
「人」が「右手の神」に手を引かれて独り立ちした姿を思わせる。
※ 最初の人アダムは「神の形」に創造され、独り立ちしていた。
(つまり「イ」の形)
・・・
「左の神」がそれを左に引き倒したので、「イの形」だったアダムが「人」(男女)に分離したのだ。
「支え合う二人」
日本語なら、ここまで謎解きができる。
実に感銘の文化である。
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