第5話 被害妄想

 ゆいかは、そんな自分に恐怖を感じ、自分から、カウンセリングを受けることにしたのだ。

 そんな同じカウンセラーのところに、まりえも通っていた。

 実際に通い始めたのは、まりえの方が先で、まりえの場合は、本人にはカウンセリングを受けるという意識はなかった。

 それを、まわりが見るに見かねて、

「いや、このまま放っておけば、自分たちがどんな被害に遭うか分からない」

 という意識から、まりえをカウンセラーの元に行かせたのだ。

 さすがにいきなり、神経内科に行かせるのは逆効果だという意識があった。まりえという女性は、頑なであるのと同時に頭の回転も早かった。それだけ、自分に危機が迫ってきているという意識が本能的に防衛に走らせるのだろう。

 そんな防衛本能を持った、まりえは、自分の中で自分を理解することができなかった。

 ゆいかのように、自分を冷静に分析することができなかったのだ。

 何か自分の中にいる自分を見ようとすると、そこには、真っ白な、霊魂が人魂となって光っているかのように見えるのだ。

 それを見た瞬間に、ゾッとしてしまう。ゆいかのように、それ以上見ようとしないのだ。

 あくまでも、

「自分の中に、妖怪が住んでいる」

 と思っている。

 しかし、それを他の人に悟られたくないという思いから、必要以上なオーバーアクションを起こすことで、自分の本性を覗かせないようにしようと思うのだ。

 そんなまりえは、それが、

「自分の強さ」

 だと思っていた。

 本当に強い人間は、少なくとも自分の内面を必死で押し隠そうとはしないだろう。

 それを思うと、自分のまわりの皆が、自分よりも弱いということが確定しているかのように思えてしまうのだった。

 それが、自分に安心感を与え、その安心感を絶えず持っていないと駄目な性格にさせたのだ。

 それによって、安心感を味わうことができなければ、永遠に苦痛が続いてしまうように思え、ここだけは、頑なな気持ちになることはなかった。

 本当は誰かに助けを求めたいのだが、

「今の私であれば、誰も助けてくれるわけはない」

 という、これは間違いのない発想を抱くことで、余計に、自分の考えに固執してしまうのだった。

 これは、

「自分が天邪鬼だ」

 ということを分からせるに十分だったのだ。

 だが、この天邪鬼な性格は、自分では嫌いではない。逆に天邪鬼でなければ、自分を信頼することができず、ただ、何に頼ればいいのか分からないそんな存在になってしまうことで、ただの意固地な女の子なだけになってしまうことだろう。

 二番煎じが嫌いで、人と同じことをすることを、余計に嫌うその性格は、

「嫌いになれれば本当は気が楽なのだろうが、嫌いになれないという、自分の本性が垣間見えるという強い意志の表れなのだ」

 と思っていた。

 だから、天邪鬼というのは、この本性からの派生であり、

「天邪鬼という言葉を、決して嫌ってはいけないものなのだ」

 ということであった。

 そんな意識を持っているまりえは、カウンセラーからすれば、

「一番の強敵」

 であった。

 カウンセリングに来る人は両極端で、自分にまったく自信がない人なのか、それとも、逆に、自信過剰になりすぎて、心に入り込むことすらできず、すべてをシャットアウトしている人なのかである。

 自分に自信のない人は、自分の本性を分かっていない人が多い。だが、本性を知ろうとすると、自信がないことで、自分が考えたことを疑うことから入ってしまって、まったく信用できないのだ。

 そんなまりえの最近の悩みは、

「ストーカー」

 だった。

 駅を降りてから、家までの間、20分くらい歩くのだが、明るいのは、最初の5分くらい、そこから先は、メイン道路から少し離れて、しばらく行くと、そこは、とにか暗いだけだったのだ。

 住宅街の中にあるマンションが、まりえの住まいだった。中学に入ると、塾に行くようになったのだが、それは、まりえが行きたいと言い出したからだ。

 中学1年生から塾というのは、親から、

「塾に入りなさい」

 と言われるのであれば、分かるのだが、自分から言い出したというのは、どういう心境なのか分からなかった。

「友達が塾に行くから」

 ということであったり、

「好きな火とが通っている」

 などというような理由でもなければ、普通は考えられ会い。

「勉強ができない」

 と言って、慌てる時期ではまだないし、さらには、

「友達が行くから」

 という理由も考えにくい。

 何しろ、まりえは、天邪鬼で、友達を作るよりも、一人でいる方がいいと思っている。だから、そんなまりえが、

「友達が行くから」

 という理由は、最初から矛盾していることだったのだ。

 好きな人という理由も少し違っている。前述のように、まりえは、晩生だったのだ。

 晩生ということは、そもそも、好きになる相手がいないから晩生なのであって、

「好きな人ができたから」

 という理由も矛盾している。

 やはり、単純に、

「勉強ができない」

 という焦りから来ているのだろうか?

 ただ、まりえは、天邪鬼なのである。しかも、それを自覚している天邪鬼だった。

 そんな、まりえが、中学1年生から、

「勉強ができない」

 ということで、塾に通いたいなどと言い出すだろうか?

 すべてが、矛盾に結びつく。

 しかし、

「逆の逆は正」

 と言えばいいのか、矛盾の矛盾は、正常な判断だといってもいいだろう。

 そう考えると、まりえは、

「自分の天邪鬼を、天邪鬼として楽しんでいるのではないか?」

 と思えるのだった。

 まりえには、

「自分にないところはたくさんあるだろう」

 という発想はあるが、

「自分に足りないところは、そんなにあるのか?」

 と考えていた。

「足りないということは、少しはあるということで、中途半端にあるくらいだったら、ない方がマシであり、これから吸収するのに、邪魔になるばかりだ」

 と考えるようになった。

「天邪鬼というものは、どこか節目を自分で見つけ、我を見直す時期を自覚することが大切だ」

 と思うようになっていた。

 まったくないものの方が、中途半端にあるよりも、まだマシだという考えが、天邪鬼の真骨頂であると思うのだが、それは、よくよく考えると、正論ではないだろうか?

 若い連中が、答えを急ぎすぎて、思いついたことがすべて正しいなどという発想が生まれてくるのだ。

 塾通いをするようになって、学校のある駅から数駅乗って、通うのだが、終わる時間は、午後8時、これから帰ると、9時近くになるのだ。中学生の女の子としては、少々危険ではあった。だが、最初の頃は、まりえも一切気にしていなかったのだ。

 天邪鬼な性格というのは、基本強気である。虚勢を張る必要もなく、天邪鬼だという意識さえ持っていれば、自然と強気になっているのだ。

 そんな強気な毎日だと、本当は疲れるはずだが、疲れを感じさせないということは、見た目は何ともないようだが、裏にまわると、結構きつかったりする。精神的な疲れなのか、それとも、肉体的な疲れなのか、自分でも分からないということで、勝手に、

「精神的な疲れだ」

 と思い込まされる。

 そんな時、またしても、

「自分の中の妖怪」

 が顔を出しているような気がする。

 それが、

「もう一人の自分なんだ」

 と思うようになったのは、しばらく経ってからのことだった。

「妖怪が本当は自分だったのか?」

 と考えた時、我に返ったような気がした。

 妖怪が自分だと思った瞬間に、強気だった自分の正体が、妖怪だと思っていた自分だと気づくと、我に返って、ハッとしてしまったのだろう。

「自分の中に妖怪がいるのでは?」

 と考えていた時、図書館で、妖怪図鑑のようなものを見た気がした。

 それは、もちろん、本物の図鑑ではない。何しろ、実在のものではなく、

「想像上の動物」

 だからである。

 その図鑑というのは、昔から妖怪マンガの第一人者と呼ばれている人が書いた図鑑だったのだ。

 日本の妖怪から、世界の妖怪まで、何巻にもまたがっていて、描かれている。その中で興味を持った妖怪もいたのだが、そのうちの一つが、数年前に世界的なパンデミックを引き起こした時に話題になった、

「アマビエ」

 という妖怪である。

 妖怪伝説というのは、似たような話が全国に伝わっているものが多いが、このアマビエ伝説というのは、熊本地区に残っている話が一番一般的であった。

 その地区に伝わっている話としては、江戸時代のある時代、数年に一度の飢饉に見舞われていた。

 そんな時、ある役人が、海を見ていると、そこに、不気味な妖怪がいたという。

「この村は、今後は栄えることになるが、もし飢饉などの問題が起こった時は、私の姿を描いて、それを他の住民に見せよ」

 ということを言い残したという。

 このアマビエという妖怪は、予言の神様として伝承しているのであったが、今回のパンデミックの復興シンボルとして、描かれることで、再度脚光を浴びることになった、いわゆる、

「善玉妖怪」

 と言っていいだろう。

 しかし、アマビエのようにいい妖怪ばかりではない。

 まりえが意識したのは、

「ドッペルゲンガーのような妖怪」

 であった。

 その妖怪は、

「トモカヅキ」

 という妖怪であり、海女さんにもっとも恐れられているという妖怪である。

 自分ソックリの姿の人が現れ、

「アワビを食え」

 と言われて、断ったりすると、そのまま海に引き込まれて殺されるという伝承が残っている。

 だから、海女さんは海に入る時、五芒星を形どったものを身に着けて入るようにしているという話を聞いたことがあった。

 実際には、もっと詳細にあるのだろうし、微妙に違うところもあるのだろうが、実際に伝承というのは前述のように、いろいろな地域に微妙に違う形で残っていたりするので、

「何が真相なのか?」

 ということになると、微妙だったりするのだ。

 それを思うと、以前、ある妖怪マンガ家が言っていた話を思い出す。

「妖怪というのは、その存在はなかなか人間に認知されないが、存在はしている。存在はしているが、見ることができないというところが、魅力なんだ」

 というようあ話だったと思う。

 だから、人間が勝手に解釈しているのであって、

「いい妖怪なのか? 悪い妖怪なのか?」

 ということも、その解釈で違うだけなのかも知れない。

 妖怪というものを考えた時、

「一体、妖怪と人間とは、いかに関わっているのだろうか?」

 と思った。

 その時頭に浮かんできたのが、前述の天界の話であったり、生まれ変わりというものであった。

 ゆいかは、自分のことを主観的に、

「生まれ変わりだ」

 と思っていたが、まりえの方は、客観的に、勉強心とでもいうのか、興味津々という意識で見ていた。

 だから、ゆいかの方は、

「自分に関係のありそうなこと以外は、あまり気にすることはなかった」

 のだが、まりえの場合は、興味を持てば、それがどんどん膨らんでいく。

 ある意味永遠と言ってもいいかも知れない。無限に広がる発想は、大げさにいえば、半永久的に続いていくもののようだ。

 だから、妖怪の存在をどのように解釈するかということを考えるのは、

「本人が妖怪をどのように、自分に取り込んで考えるか」

 ということに関わってくる。

 自分に都合よく解釈するという、楽天的な考えや、恐怖の代償として、あるいは、自分を戒める手段として考えるというのも、一つの解釈だといってもいいだろう。

 そんな妖怪を考えた時、自分の恐怖とさらに、恐怖を乗り越えた時の安心とが、境界として、そこに存在しているものが何なのか、それを考えるようにしている。

 ゆいかには、そのような考えはない。どちらかというと現実的だった。

 だから、絵画が好きである。自分で描くのも、見るのも好きだった。

 子供の頃から、よく親戚に人に連れて行ってもらって、美術館などに言っていたが、

「これの何がいいのかしら?」

 というのが、本音だった。

 自分の中で、絵画という芸術に対して、

「バランスと、遠近感が勝負なんだろうな?」

 という意識はあった。

 成長してからこの話をすると、

「子供の頃からそんなことを考えていたの? すごいわね」

 と言われたものだった。

 最初は、

「皮肉を言われている」

 と思っていたが、そうでもなかったようだ。

 というのも、現実的に物事を自分が考えているというのを自覚したのが、その頃からだったのである。

「皮肉というのは、あくまでも、自分では本心ではないと思った時に感じるものだ」

 と考えていて、

「これを自分では、本心だと思っているので、あながち皮肉ではないかも知れない」

 と感じると、自分にも芸術の感性があるのかも知れないと感じたのだ。

 芸術の感性については、中学生から持っていると思うようになっていたが、絵を描けるまでは考えていなかった。

 それが、実際に描けていると思うようになったのは、

「皮肉だと思わなくなった」

 その頃からだった。

 ゆいかが、まわりから言われることを、

「皮肉だ」

 と飛躍的に考えなくなったのは、芸術に一気に自分が近づいたことであろう。

 そこに生まれてきたのは、自信であり、自信が今度は行動力になった。そのおかげで、「皮肉かと思うようなことでも、皮肉とは本心で思わないようになった」

 ということであった。

 自分で絵を描いていて、

「どうして描くのが好きになったのかしら?」

 と考えたが、その理由が、

「目の前にあることを忠実に映し出すことが芸術だ」

 ということだった。

 すべてお芸術がそうであると思ったが、よくまわりを見渡すと、そうではない。

 むしろ、絵画のように、忠実なものは少ない。そこには芸術家の感性が、抽象的に描かれるもので、描かれたものは、想像力のたまものだといってもいいだろう。

 小説などの文学、そして、クラシックやポップスのような音楽、それらすべては、

「無から生まれるもの」

 であり、そこに原点があるとすれば、それが、

「作者の感性」

 ということになるのであろう。

 ただし、それぞれに法則のようなものがある。一種のルールと言ってもいいだろう。

 そのルールというのは、自分の中で完結するものではなく、その芸術に携わる人たちすべてに共通したものだ。

 そのタブーを破ってもし、作品を製作したとすれば、誰からも受け入れられない作品ができることだろう。

 だが、稀に、それを超越したような作品が生まれることがある、

 そんな時、初めて、芸術というものが、

「決められた枠などない」

 ということで、タブーがタブーではなくなることになるのであろう。

 ただ、長年タブーとされてきたことが破られるには、かなりのハードルの高さがある。芸術を生業にしている人は、一生を棒に振るような勇気が持てるかどうかというのが難しいところであろう、

 自分を犠牲にできる人などそうはいない。

 自分の感性を表に出して、それを認めてくれる人がいることを喜びとするのが芸術家なので、余計に芸術家というのは、

「自己中心的だ」

 と言われてしまうが、芸術家から言わせれば、

「それが個性だ」

 ということになるのだろう。

 芸術が、

「個性だ」

 と言われるゆえんと同じものが根底に広がっているのではないかと思うのだった。

 だが、ゆいかが目指す絵画というのも、次第に変わっていった。

 それまでの、

「忠実に描く」

 という発想ではなく、それよりも、自分の感性を織り交ぜるという考えである。

 そういう考えが主流なのだということを、ゆいかは感じていない。だから、その時感じた感覚は、

「自分のオリジナルなんだ」

 と考えた。

 だが、すぐに、現実として存在しているものだと理解するようになると、

「少し無駄な時間を過ごしたかも知れないな」

 と感じるようになったが、それはそれで自分が答えに行き着くための、必要な時間だったと思うことで、自分なりに納得できていたのだ。

 だが、現実主義的な考えが変わったわけではない。

「現実主義的な考えを持っていても、十分に芸術に親しむことだってできるんだ」

 と、むしろ、そう考えたくらいだった。

 個性というものと、現実主義的な考え方、どちらも持ち合わせているからこそ、できるものがあると考えるようになった。

 その頃までは、他に芸術に親しんでいる人と知り合いたいとまでは思っていなかったが、想像力を自分も膨らませているということに気づいてくると、

「誰かに聞いてもらいたいな」

 という気持ちになってきた。

 その時初めて、それまでまわりと交わりを持たなかった本当の理由が分かった気がした。漠然と分かっていた気がしたが、その理由として、

「孤独というものが、悪いことではない」

 と考えていたからだと感じるようになった。

 それは今でも変わりはないが、孤独という言葉を拡大解釈すると、どうしても、悪いことに固まってしまう。それは、全体から見て、表面上に悪いことだと思っているようなことが、見えるからなのかも知れない。

 そのうちに、ゆいかにも、話のできる人が出てきたのだが、その口調が、言いたい放題の人だったのだ。

 そんな人であっても、言い方が重々しければ、こちらも考えるのだが、まくしたてるようにいう方なので、こっちが悪くなくとも、悪いかのように考えてしまうようになった。

 本当であれば、重々しい口調の人から言われれば、自分でも考える余裕もあるのだが、まくしたてられると、何も言えなくなってしまう。

 そのうちに、自分が被害妄想になってくるのを感じた。

 人のいうことが信じられなかったり、信じようとしている自分に対して、嫌悪感を感じたりするのだ。

 そんなゆいかだったが、ふとしたことで知り合ったのが、さくらだった。

 さくらも、神経内科に通っていたのだが、その理由は、彼女にあるトラウマがあったからだ。

 普通の人であれば、そこまで感じないのかも知れないが、さくらのトラウマは、

「殺人事件現場を目撃したこと」

 だったのだ。

 別に殺害現場を見たわけではなかったが、殺害された後の、惨状を見てしまったのである。

 それがトラウマになり、絵の具のようなドロドロしたものや、少し濃い紅の色を見ると、身体に震えが起こり、意識が朦朧としてきて、指先の間隔がなくなって、そのまま意識を失うこともあったようだ。

 そのうちに、そのハードルがどんどん低くなり、ドロドロしたものを見ただけで、身体が震えてくることがあった。

「これは、拒否反応の一種なんだろうね?」

 と先生は言っていたが、どうしても、トラウマというと、PTSDを思い浮かべてしまう。

 何かショックになったことが、心的外傷として残ってしまうのが、トラウマと言われるもので、それが影響する、

「心的外傷後ストレス障害」

 というものが、残ることが多い。

 つまり、トラウマとして心の奥に残ってしまった場合、ストレスを感じることで、せっかく封じ込めていたトラウマが出てきてしまって、それが新たな障害を引き起こすというものである。

 特に、天災の場合などに起こると言われている。

 地震であったり、戦争などの経験というのは、意識では覚えていなくても、トラウマとして残っている場合など、極度なストレスによって、その思い出が戻されるというのだ。

 それは、被害妄想というものとも、密接に関係している場合があるのではないかと先生は言っていた。

 ただ、さくらの場合は、

「PTSDの可能性は大いにある」

 と言われていたが、被害妄想という感覚はないということだった。

 被害妄想は、ストレスからくるものではなく、例えば自分に自信がないくせに、友達からは慕われていると思っていたが、やはり、慕われていたわけではないと思うと、自分に自信がないことが災いして、被害妄想になるのだった。

 ストレスの場合は、自分に対して自信のあるなしは、あまり関係はない。

 というのは、自分に直接関係があるかないかということが、ストレスを生むわけではない。

 あくまでも、外からの圧力が大いに関係している。そういう意味では、PTSDの元祖になる、

「トラウマ」

 という現象が、被害妄想を引き起こす可能性はあるだろう。

 そういう意味では。トラウマがすべての元凶であり、PTSDも、被害妄想も、トラウマからの派生型だと思うと、あながち、PTSDと被害妄想が、まったく違うものだとも言えないのではないだろうか。

 ただ、ゆいかとさくらは、結構意気投合した。

 何がよかったのかははっきりと分からない気がするが、最初に近づいたのは、ゆいかの方だった。

 さくらは、自分から女性に近づくということはしない。なぜなら、自分が、

「なぜか女性に嫌われるタイプだ」

 ということが分かったからである。

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