four

 どのくらいの人がいるだろうか。自分の性別に疑問を持った人が。僕は昔から自分自身がどちらの性と言われても納得できなかった。でも幼いころはどちらの性でも基本みんな同じように扱われていた気がする。いつからか、心も体も大きくなっていくにつれて、自分が普通だと言われているものと違うことを自覚した。生物学的に決まっている性別に従わなければならない。納得している部分もあったし、納得していない部分もあった。



 高校生の時に先輩に恋していたことがあった。多分初恋だった。あこがれも入っていたのだろう。同じ美術部でかわいがられていた方だと思う。


 絵が好きだった。先輩をまだ好きじゃなかった頃、一人で黙々と作品を仕上げていた。特に風景画を描くことが好きで、あちこちに出向いては描き、日が暮れ始めていることに気が付かなかった時もあった。


 そんな僕を見かねたのか先輩が隣で一緒に絵を描くようになった。

 初めは何なのだろうかと思っていたが、毎回何気ない会話をすることは嫌いじゃなかった。


 そんな日々を過ごしていたある日


「綺麗だね」


「そうですね」


 夕焼けのことを言っているのだろう。展望台から見る夕焼けは一段と綺麗なものだった。


「静が綺麗だから、この景色も見れたのかもね」


 僕のことを綺麗だということが、顔の事なのか、また別のものなのか、そんなものはどうでもよくて、僕はただ、先輩の言葉に固まってしまっていた。そして、そこから僕の恋は始まったのだと思う。



「先輩」


「どうした~?」


 あの日、誰もいない美術室で、僕は先輩に本当の自分について語った。


「男でもあり女でもあります」


「生物学的な性別は仕方なくても心はどっちも持っているんです」


「先輩が好きになりました。付き合ってください」


 初めての恋で初めての告白だった。

 自分のことを語っていくたびに不安になったけど、先輩は真剣に聞いてくれていたと思う。そう信じたい。


「ごめん、静がそうでも同性は好きになれない」


 そう、同性なのだ。先輩からしたらただの同性だった。多分、先輩にとって僕はなついてくれる可愛い後輩だったのだろう。知っている、知っていた。それでもやめられないのが恋だった。恋していた時が一番自分らしくいられた。


 同性を好きになることや性別の不一致が病だというのなら、恋だって病だろう。どちらも精神を患うのだ。いや、どちらも病気ではないのかもしれない。ただ、元々あったものが当たり前に埋もれていただけで、これらは悪いものではない。


 高校卒業してからは、自分が自分らしくいるために、ジェンダーレスな身なりになり、好きなものを好きなように着た。

 そしたらいつの間にか先輩への想いは思い出になって、恋に恋するようになった。いや、正しく言えば、『恋する人たちを “美しい” 』と思い始めた。きっかけは分からない。ただ、趣味としていた絵がそう言っていた。


 絵を描くことだけは変わらず好きで、美大に入り、アートの道を目指した。


 高校の時と変わらず、絵を描く日々。

 初めて松山夜に出会ったとき、描きたい衝動にかられた。松山夜の恋に一直線なところが、僕の奥底にあったペンを走らせた。


 本気で恋している人々を “美しい” と思った。恋する者は輝くというのは本当なのだとわかった。この出会いは僕の『絵』を変えた。僕自身である『絵』に命が宿ったような気がした。その後にあった絵画のコンクールで最優秀賞をもらった。でも、それよりも僕が描く本当の『絵』が完成に迫っていることが嬉しかった。あと少し、あと少しで、僕の最高傑作が描ける気がしたのだ。


 大学四年生になった僕の前に現れたのはふゆという年下の子だった。

 ふゆは僕と同じだった。だから、会うたびに何でも話してしまった気がする。自分をこんなに出せるとは思っていなかったからびっくりはしたけど、それもまた良いと思い始めた。


 そして、僕はまた絵を描き始めた。


 それが、『最高傑作になるのだ』という確信を持った手で……

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