three
ある日、午前の授業が終わって思いっきり背伸びをしていると、いつの間に来たのか凪津が弁当を持って目の前に座っていた。
「はやっ」
「ちょっと話したいことあって」
「なに?」
「こっち」
そう言って手を掴んだかと思えば、椅子から立たせて教室の外へと向かう。
「待って、どこ行くつもり?それにべんと…う」
勝手に取ったのだろう、凪津の手にはふゆの弁当箱が握られていた。どこに行くのかと何度も聞いたが「いいから」と言って答えてくれない。だけど、掴まれた手を見て少し嬉しくなっている自分がいた。
やっと着いたかと思えばそこは空き教室だった。ここは少し奥まった場所にあるので、人はめったに来ない。こんな所で何の話があるのだろうか。
「で?話って?」
そう問うと、なぜか正座してしまった凪津。
そういえば朝から何か考えこんでいたなと思いながら凪津が口を開くのを待つ。
「よく好きな人ができるじゃん」
多分自分自身のことを言っているのだろう。
「そうだね」
何を当たり前のことを……と思う。
「この前色々調べたり考えたりしてみたんだ」
「うん」
何を?と疑問に思ったが、口に出すことはなかった。君の表情が何かいつもと違って、声が出なかったのだ。
でも、そこに君は爆弾を落とした。
「多分、ふゆが好きかもしれない。恋愛対象として」
一瞬何を言っているのかわからなかった。だから、冷静を装い聞いた。
「どうして、そう思ったの?」
「最近思ったんだ。何ですぐに好きになるんだろうって。だから、もしかすると今までの好きは恋じゃなかったのかもしれない。そこから恋愛漫画を読んだり、恋人がいる人達に聞いてみたりしたんだ。それで……」
「それで?」
沈黙が嫌で一瞬止まった君の話の続きを問う。
「いろいろあるけどまとめるとしたら、どんな姿でもどんなことがあってもずっと好きでいられる人」
「うん」
「それがふゆだと思った」
「うん」
そこからは沈黙が続いた。これ以上聞かなかったのは自分の考えを整理したかったから。これ以上君が話さなかった理由もきっと同じだろう。多分君は一緒に考えてくれる人がほしかったんだ。ただそれを他人にしなかったのは君なりの配慮だと受け取る。
「違う…と思う」
先に言ったのはどうしても否定したかったから。君のそれが恋愛感情であることを。恋とはそこまで綺麗なものじゃないよ。そう言いたかった。
「な、んで……」
「凪津は多分、勘違いしていると思う。その感情は友達としても持てるものなんだ。」
「えっ…」
「だって、今も分らないんだろう?」
そこで昼休みが終わってしまった。
そしてこの日以来、こういう話はしなくなった。何もなかったかのように、前と変わらない日々を過ごした。唯一変わったことは君が“好きな人”の話をしなくなったことだろうか。
「また会ったね。いや、これで三度目か。」
今日はコンビニに行こうとしていた。ついでに、この公園に来てみたのだ。平日だからいるとは思ってなくて少しびっくりした。静さんはポンポンとベンチをたたく。「おいで」と言っているようだった。
「今日は何を描いているんですか?」
「そうだね……華かな」
「花?」
そう言って疑問に思いながら見せられたのは、花というより華やかな景色だった。なんて変哲もない素朴な公園が舞い散る花弁と共に華やかに描かれていた。
静さんが言う “はな” は抽象的な意味の華なのだろう。
「そういえば、もう松山さんを描かないんですか?」
「あぁ、あの子はしおれてしまったんだ」
「それって……」
なんとなく分かったかもしれない。あの『絵』を見た時から気づいていたのかもしれない。
「松山さんは失恋したんですね」
そう言うと静さんは寂しそうに笑った。まるで肯定するように。
「僕が描きたい美しさではなくなってしまったんだ。僕は恋する子たちが描きたい。とても深い恋に堕ちた子の。失恋もまた違う美しさがあるのだろう。でも、それを描くということは、僕自身を描くことになるから。」
だから描きたくない、その言葉が初めて静さんの本音を聞けたような気がして、密かにうれしくなった。絵にしか現れなかったはずの静さんの声が聞こえたから。
それと同時に静さんが失恋していたことに驚いてしまった。松山さんへの想いは違うのだろうと思っていたから、多分別の人なのだろう。
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