転生

「交渉決裂だよ。さっさと私をもとの世界へ返せ」


「無理だよ。もうあっちに伊織ちゃんの肉体が無いもん。諦めて、消滅してね」


 復活できると、信じていたわけではないが。能天気に消滅してねと発せられた言葉はいただけない。

 伊織は、自身の消えることが確定しているように振る舞う、目の前の神に対して最大限の侮蔑を込めて罵詈雑言を飛ばす。


「消滅しろだ? 何を言っているのだい君は。神なのに責任の取り方も知らないのか。呆れたものだ。今まで誰がお前の責任を取ってきたのだ? ママか? それともパパか? まあ、どちらでもいいが、私の住んでいた国の責任の取り方を教えようか? 腹切りだよ。ハラキリ。わかるか。死んで詫びるんだよ」


 伊織は自分の腹を十字に撫でながら、切腹のジェスチャーをする。


「交渉決裂したんだから仕方ないでしょ。あと、神の死を望むのはあまり感心しないなぁ。不敬だよ。たかが人間ごときが」


 神が怒気を孕んだ声で、伊織を威圧してくる。


 伊織はその声に恐怖を感じながらも、もう一度神に罵倒を吐き捨てる。


「根源的な恐怖だろうが、私は経験し、理解した。それが人の持つ能力で、人類の進化の大前提だ。君のような生まれながらにして自身を完璧と思い込んでいる奴には到底理解できないだろうがね。経験を知らない凡夫は黙って、死んでくれ」


 伊織は、余裕ぶっていた神の顔に苛立ちを感じ取り、内心ほくそ笑む。


「どうした? 余裕ぶっていた表情はどこへ行ったんだ? イライラしないでくれ、神なのだろ。ストレスはお肌の大敵だよ、神様。まあたかが、形而上の君には関係ないことか。すまない、すまない。配慮が足りなかった。君の見下している人と同一視してしまい申し訳ない。人モドキ」


 表情に出ていた苛立ちを隠すように、神は顔を横に振る。そして、伊織の方向に向き直り、余裕ぶった表情を見せる。


「私が人間ごときに苛立つわけないじゃん。それより、伊織ちゃんこそ大丈夫? 足、震えてるように見えるけど。怖いんなら泣いてもいいんだよ。恥ずかしくないよ、神様に怒られたら誰でもそうなっちゃうから。心配しないで」


 神は伊織の足元に目を落とし、クスクスと笑う。


 事実、伊織の足は震えていた。恐怖を克服できたわけではなく、精神力のみで内から湧き上がってくる恐怖を伊織は抑え込んでいた。


「体の反応だけを見てものを考えるのは、些か早計ではないかい、神様。確かに私は今、恐怖を感じている。だが、逆を言えば恐怖を理解している。対処法を確立しようとしている。さっきも言っただろう。経験だよ、人が持つ最も偉大な能力だ」


 神の顔から笑みが消える。怒りでもない、興味を失ったかのような無表情になる。


「そんなに言うならいいよ。消滅させないであげる。私の世界に転生させてあげるから好きなように生きたらいいよ。本当にめんどくさいね、お前」


 女性のような声だった神の声が、無機質な男女両方とも取れる声に変わる。


「らしくなったじゃないか。真似事じゃなく、やっと本心を見せてくれたな。神様っぽいぞ」


 伊織は軽口を飛ばす。


「だが、転生はしなくていい。消滅させてくれ。君の創った世界へは行きたくないからね」


「わがままだね、お前。でももうダメ、決定事項だから。君には私の世界に転生してもらうよ。奴隷か、魔族かそのあたりに転生させるから、頑張って生きてね」


 奴隷の言葉を聞いて、伊織は少し嫌な顔をする。農奴ような土地に縛られモノのように譲渡される奴隷ならまだ死にはしない。歴史を見れば、帝政ローマ期のように市民権を獲得することだってできる。だが、剣奴のような戦うことを強制された奴隷ならすぐに死ぬだろう。


 まだ、転生を許容したわけではないが、転生するならば、目の前のクソ神の世界を無茶苦茶にしてやりたいと伊織は考えていた。ならば、転生してすぐ死ぬのは伊織の本意ではない。


「奴隷って言葉に反応したみたいだね。でも、奴隷よりも魔族のほうがもっと悲惨だよ。奴隷よりも地位は下だし、生まれた時から奴隷みたいなもんだしね。すべての民から忌避される存在だよ」


 伊織はヴァルナ制のアチュートを思い浮かべて、考えを訂正する。宗教由来の階級差別があるのなら一定の文明を築き上げた状態であると推測できる。唯一伸であろう目の前の神を神の座から引きずり下ろすには好都合。弱き立場のマジョリティを獲得できるのは大いに結構だと伊織は考える。人類史において神は人が作るもの、伊織自身はすぐに死んでもいい。種火を蒔こう、いずれ大きな火となって世界を混乱させる種火を。


 伊織は決意した。神を殺すと。


「転生させてもらって構わない。魔族だろうが、奴隷だろうが何でもいい。さっさと転生させてくれ」


「私を殺すみたいだけど、無理だよ。でも素直に転生してくれてありがとう。無駄な手間が省けたよ」


 神が伊織に感謝を述べた瞬間。辺り一面が真っ白に光り輝いた。


 徐々に伊織の体が周りの光と同化していく。


「そうだ、聞き忘れていた。先生の前に現れた神は君かい? 君なのなら、誤っておきたまえ。先生は“地球”の神を研究している。違う世界の神が来たら研究が滞る。あれでも私の恩師だ」


 伊織は薄れゆく意識の中で、恩師のことを思う。


「先生? わからないな。でも、君の恩師の前に現れた奴には心当たりがある。君たちから見たら神と言っても遜色ない存在だよ。私から見たら異分子だけどね」


 最後に謎を残しやがって、と思いながら伊織は意識を手放した。




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