誘い

「こんにちは、伊織ちゃん。」


 電話口の声の主が伊織に話しかける。


「ええ、こんにちは。自称神様」


 伊織の前に立つ自称神は、ブロンドヘアに青色の瞳、亜麻布を身体に巻いた、古代ギリシアのキトンのような服装。西洋的な神を思い浮かべたときに、誰もが思い浮かべるイメージ通りの神様、そんな様相の女性だった。


「いい趣味じゃないか、ギリシア人っぽいぞ。」

「ギリシア人? っぽいかな? 人間達が思う神様を真似てみたんだけど……」


 ギリシア人って何? と返してきそうな雰囲気を醸し出す、目の前の自称神を見ていると無償に腹が立ってくる。苦虫を噛み潰したような表情で伊織は神に毒づく。


「神なのにそんなことも知らないのか? 君の衣装はイオニア式のキトンだろう。れっきとした古代ギリシア人の装いだよ。あと、ギリシア人と言われてなぜパッとしないんだい。神なのだろう、しっかりと歴史を学びたまえ」


 自分の知識を、相手も知っている前提で話すのはエゴだと伊織自身理解している。ただ、神を名乗る存在が、人類が脈々と受け継いできた歴史を知らぬと言うのだから、心穏でいられない。


「たかが、人間の学問を神が学ぶわけないじゃない。それに、人類ってまだ五百万年とちょっとしか経ってないじゃなん。知らないよー、ギリシア人なんか」


 もーー、と言いながら手をパタパタと振る姿は人間然としていた。


 伊織は愕然とした、人身が心血を注いで学んできた学問をたかがと言われ。自身が心から愛して止まぬ人類を、文明を、知らないで済まされた。


 伊織は身を焦がすような怒りを感じた。理性のタガが外れそうになる。


「神を名乗るなら、我々人類に感謝するべきだ。君が今存在して、手足を動かし、能書きを垂れているのは。人類が神の存在を定義し、信仰し、形而上の存在に形を与えたからだ。神などいない。だが、人類の歴史は自然現象を神と呼び、形を与えた。我々がいなければ君は名もなき物理現象の一つに過ぎなかったのだよ。解るか、形而上の君」


 神は歴史の中に存在し、人々の心の拠り所として生まれた偶像。超常的な事象を神と呼び敬い、時に畏れ、人類は文明を築いてきた。民主制を重んじた古代ギリシアだって、政治に守護神を祀り、神託によって政治を行った。


 それほどに、歴史の中の神という存在は偉大であり。文明の根幹を担う部分と言っても過言ではない。人類で一番偉大な発明と言ってもあながち嘘ではない。それが、神という存在だと伊織は考える。


「神が文明を知らない? 人類を知らない? 神を騙るならもう少し勉強してから出直してこい詐欺師が」


 伊織の怒りを神は、うんうんと頷きながら聞いていた。


「少し、勘違いしてるみたいだね、伊織ちゃん。人を創ったのは私じゃないよ。私はたまにこっちの世界を見に来てるだけ。伊織ちゃんたちを創ったのは別の神様じゃないかな? わからないけどね」


 神の言っていることが伊織は理解できないでいた。


「じゃあ君はなんなんだい。まさか本当に詐欺師なのか?」


「詐欺師じゃないよ。れっきとした神様だよ、この世界の神様じゃないだけで。」


 やはり伊織は理解できない。パラレルワールドのような並行世界は現在の科学では実証されていないし、伊織としては今後も実証されないだろうと思っている。


「では、別の世界の神が私になんのようだい。さっさと自分の世界へ帰りたまえ」


「伊織ちゃん、理解するの諦めたね。それでいいよ、人間ごときが理解できることじゃないからね。正しい選択だよ。それに、ここはもう、私の世界だよ。長い時間、お話しするにはこっちに呼ぶしかなかったからね」


「は? 私のいた世界じゃない? 何を言っているんだい? じゃあなんだ、君は私を自分の世界に呼ぶために殺したのか? 傲慢すぎるのも大概にしたまえ」


 神の身勝手な行いに伊織は再度怒りをあらわにする。自身の死を受け入れることができないのではない。ただ、自己中心的で自身が正しいと疑わない目の前の神を殺したい激情に駆られる。


「殺したのは、地球の男だよ。私じゃないよ。死んだ君の魂を、こっちの世界に引き上げてきたんだよ私は」


「嘘をつくな!! 君が誑かしたのだろう!! 違う世界の神なのだろう君は、越権行為をした上、善良な市民を殺人犯に仕立て上げ、私を殺したんだろう」


 伊織は、握り締めた拳を神の顔面に叩き込む。

 振るった拳は神の顔を打つに至らなかった。朧のように顔が揺らいだとおもったら、伊織の拳は空を切った。


「殴らないでよー、当たらないんだから。それにしてもなんでわかったの、私が誑かしたの。」


 惚けたように、なんでわかったかなー、などと言っている神に伊織はもう一度拳を振るう。


「だから、当たらないんだって。暴力はなにも解決しないよー。落ち着いて、伊織ちゃん」


「ならば、弁明したまえ。自身の正当性を主張したまえ。できないのか? 神は全てを裁くのだろう? ならば自身の行いを裁かなければ、示しがつかないだろう。神を生み出したのは我々人類だ、ならば神を裁くのも我々の責務。私は、その責務を大いに全うしよう。ほら、早く弁解しろ。早く!!」


 伊織は怒気を孕んだ声を上げる。


「説明するからそんなに怒らないでよー。まず、伊織ちゃんをこっちに呼んだ理由から説明するね。こっちに呼んだのは、神の代行者として伊織ちゃんには伊織ちゃんの世界を観測して欲しいの。私は自分の世界を観測して、管理しないといけないじゃない? でも、こっちの世界も私のものにしたくなっちゃったから私の世界が落ち着くまで、そっちの世界を見てて欲しいの。見てるだけでいいんだよ、なにも干渉しなくていいの。ただ、観測者がいないと無くなっちゃうんだよね、世界って。千年ぐらい観測してなくても大丈夫なんだけも、一万年もほったらかしにしてると、世界が壊れちゃって直せなくなっちゃうんだよ。」


「なら、その観測者とやらにさせるために、私を殺したのか? なぜ私だったんだ?」


 なぜ自分だったのか? 率直な疑問を伊織は神に投げ掛ける。


「うーん。誰でもよかったんだけどね。ただ、伊織ちゃんに向いてるかと思って。人類好きでしょ伊織ちゃん。文明の変移も人類の進化も人の命じゃ、少しも感じられないからさ、永遠に近い命のなかで観測できたら嬉しいかなと思って、選んだんだ」


「私を呼びつけた理由はわかった。だが、私を殺した理由にはなっていない。殺さずに呼びつけることはできなかったのか? なぜ自ら殺さずに男に殺させたんだ?」


 伊織は自分の死を受け入れていた。現状を受け入れていた。ただ、自身のおかれている状態が最善なのかが理解できずにいた。神の怠惰でこの状態が引き起こされているのだとしたら、伊織は許容できない。


「その辺りもちゃんと説明するよ。まず、私は伊織ちゃんに直接は干渉できないの。なんで直接干渉できなかっのかは、私もわからないけど。だから、男を使って間接的に殺すしかなかったの。男に殺される前に私とお話しできたのは、伊織ちゃんの殺される未来が確定したからだね。それと、伊織ちゃんを殺したのは、こちらから干渉できないなら呼びつけちゃえ、と思って。殺しちゃった」


 神の短絡的な思考で殺されたと伊織は確信した。こいつは通り魔と何ら変わらない。そんな存在に、自身が思い付きのように殺されたと思うと、冷静さを取り戻しつつあった脳が怒りで沸騰するのを感じる。


「もういい!! 黙ってくれ!! 私の答えは“NO”だ。お前の誘いには乗らない。神か何か知らないが、歴史を重んじず、文化をないがしろにするお前には従えない。気分で人を殺す通り魔と仲良くする道理はない」


 神は目をぱちくりさせながら、自分がなぜ怒られているのかわからない様子で伊織を見る。


「交渉決裂だね。喜ぶと思ったのになー。これからの仕事をわかりやすくダイジェストにまとめた映画も作ったのに。残念だなー」


 あの映画もお前のせいか、と伊織は考え苦虫を噛み潰したような顔をする。











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