第34話

 茉莉が目を覚ましたのは、時刻が十九時を過ぎた頃だった。背中にはふかふかの柔らかい感触があって、後頭部に低反発の圧力を感じる。身体にのしかかる優しい重さが、自分に暖を与えてくれるのが感じられると、ああ、自分は今、ベッドの中にいるのだと、視界が天井に覆われている段階で理解することが出来た。


 しかし、ここはどこだろう。


 自分は確か、山の中に奏多先輩と一緒に逃げて、瀕死状態の奏多先輩を救うべく駆けだして、偶然出会った敵対している三人に助けを求めて――結果、奏多先輩は救われた。なんだか、キス、という単語が脳裏に浮かんでくるが、それに関してはいまいち思い出せない。


 茉莉はゆっくりと身体を起こし、視線を動かす。やはり自分は、ベッドの中にいたようだ。敷布団に無地のピンク色のシーツを着けていて、掛布団にはこれまたピンク色のシーツを着けている。敷布団と違うのは、無地ではなく、猫のイラストが散りばめられているところだ。


 自分の趣味ではないな。そう思いながら、周囲を見回した。狭い部屋の中に背の高い棚が二つほど置かれていて、その中には化粧品だったり、可愛らしいキャラクターのぬいぐるみが置かれていた。


 中学生の女の子の部屋? 茉莉がそう思い至ったとほぼ同時に、一人の女性が扉を開けて部屋の中へと入って来た。


「物音がしたと思ったら、目が覚めたようだな」


 その女性は、ピンクを基調として金色のラインがいくつか入っているジャージを身に着けていた。

 趣味悪、っと心の中で罵った後、ああ、この部屋はこの女の部屋か、と理解した。中学生ならまだわかるが、あの年でこんな夢ふわな趣味とは……。


「なんか、言いたげな顔だな」


「……いえ、別に。なんでもないです。人の趣味にとやかく言うつもりは、微塵もございません」


「……勘違いすんな。この部屋は……姪の部屋だ」


 横を向きながら嘘をつく。照れ隠しのその仕草が少し可愛く思えてしまったのは、絶対に言ってやらない。


「あ、そんなことより、奏多先輩は!?」


「大丈夫だ、安心しろ。お前より早く目を覚まして、今はリビングでくつろいでる」


 茉莉は慌ててベッドから飛び出そうとして、危うく転げ落ちそうになった。そんな様子を優里奈は面倒そうに眺めていたが、一つため息を吐くと、足元が危なげな茉莉に手を貸して、リビングへと連れて行った。


茉莉の体力はある程度回復してはいるが、つい先ほどまで全速力で逃げまどい、荒れた山道を必死に駆けていたのだ。スポーツ自慢の少年であっても、足が言うことを聞かなくなっていてもおかしくはない。


「あ、新堂。ようやくお目覚めか」


 命の瀬戸際に立たされていた少年は、共に危機を乗り越えた少女を視界に入れると、一言だけ述べて、右手に持っていたアイスバーを頬ばった。目線の先は、五十型ほどのテレビ。バラエティ番組が放送されているようで、奏多のお気楽な笑い声が部屋に響いた。

 

 え、なんでこいつこんなに呑気なの。


 色んな文句が茉莉の頭の中に浮かび上がったが、死の淵から生還したばかりの相手である。今はまだ、罵詈雑言の類は心の内にしまっておこう。


「……坊ちゃん、そのアイス。どうしたんです?」


「んー。甘いものが欲しくなって、冷凍庫開けてみたら入ってたから、食べてる。なかなか美味いぞ」


「……そうですか」


 優里奈の少し悲し気な表情。茉莉には、なんとなくその理由が分かった。自分も頑張った日には、ご褒美として高めのアイスを食べたりする。疲れ果てた日のお風呂上りに食べるのは、なんとも贅沢な感じがして堪らない気分になるものだ。


 息を吐きながら我慢する年上の女性と、それを気に留めることなくアイスを頬張りテレビを見ている少年の構図を見ると、本当に姉弟のように思えた。あんなに無邪気で幼げな顔を見せるなんて。

 茉莉は、少し悔しくもなりながら、どこか嬉しくもなった。


「そういえば、他の二人は?」


「念のため、家の周囲を見回りさせてる。紀代子様が何かしてくることはないが、魔法管理局の奴らが独断で動く可能性もあるからな」


 茉莉は眉根を寄せて、優里奈を見る。どうも、腑に落ちない。


「なんで奏多先輩の叔母さんが何もしてこない、って言いきれるん? さっきまで私たち、殺されかけたんですけど? もしかして、アンタがいるからってこと?」


「そういうわけじゃないが――坊ちゃん、お楽しみのところ悪いですが、宜しいですか? 二人とも目を覚ましましたし、色々とお話をしておきたいんですが」


「――ん」


 奏多はアイスを咥えたままリモコンでテレビの電源を切り、座っていたソファの右端へとずれた。左には、優里奈に誘導されて茉莉が座る。机を挟んだ向かいに、優里奈がカーペットに直接腰を下ろした。


「まずは、そこのガキが言っていた――」


「ガキじゃなくて、新堂茉莉っていう名前があるんで」


「…………っち。新堂が言っていた、魔法使いのおじさん、の話から始めましょう。二人、特に坊ちゃんは、そのおじさんを探してどうするつもりなんです?」

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