第19話 アイドルと彼氏

正直、長谷の気持ちには全く気づいていなかったし気づいていなかった分、傷つけるようなことをたくさんしてしまっている気もする。

気づかれていない片思いの辛さは私もよく分かる。

だからその分、私までつらくなってくる。


「長谷、私…」


答えを言おうとすると、長谷は手で私の言葉を制した。

私は開きかけていた口を開く。

答えは考えなくても決まっていた。


「今すぐ答えてほしくない。だって、今すぐの答えは俺だって聞かなくてもわかるし。でも、よく考えてみてほしい。このまま優希といて香織が幸せになれるのか、俺はずっと香織を好きでいた分大切にできる自信があるから。だから、考えといて」


帰り、気をつけろよ。

そう言い残して、長谷は帰って行ってしまった。

私は取り残されて座り込む。


「だって、私…」


優希以外のことを考えずに生きてきた。

それ以外の可能性は私の中にはなかった。

優希に振り向いてほしい、優希に好きだと言ってほしい、優希の一番側にいたい。


―「このまま優希といて香織が幸せになれるのか」


その確証はない。

私が想いをつのらせてきた分、ワガママで欲張りになっているからこのままの状態じゃまた傷つくかもしれない。

優希に、そんなつもりがなくとも…。


「香織!」


一人で考え込んでいると、後ろから名前を呼ばれた。

聞き間違えるはずのない声で、今考えていた人の声で、聞きたいけど聞きたくないようなそんな声で。

振り返るまでもないけれど、振り返るとそこにはやっぱり優希がいた。


「どうしたの、優希。息、切れてるよ?」


まるでここまで走ってきたかのような息遣いに私は首を傾げる。

それに、藤宮さんといなかったっけ?

優希の隣に藤宮さんの姿は見えない。


「香織に会いたくて。香織と、話したくて」


まだ肩を上下させながら、優希が言う。

私の思い上がりかもしれないけれど、優希は私を探してくれていたのかもしれない。

そして、探し当ててくれた。


「そんな…走らなくても。連絡くれれば行ったのに」


私は笑っているのか泣いているのかわからないような声で言った。

本当に分からなかった。

嬉しいし、何故か切ないし、感情がぐるぐる回る。


「香織は僕に会いに来てくれたんだって思い上がってたから。自分から会いに行かなきゃやっぱりだめなんだって思って」


私と話したいと、会いたいと思ってここまで走ってきてくれた。

それだけのことかもしれないのに、どうしようもなく嬉しくなる。

ああ、やっぱり私は優希が好きなんだとはっきりと自覚する。


「ありがとう、本当は私…優希に会いに行ったの。でも隣に藤宮さんがいて、つまんないヤキモチ妬いちゃった」


正直に全部言おう。

優希は私の話を聞くためにここまで来てくれたんだから。

全部包み隠さずに優希に伝えよう。


「藤宮は香織と会えずに元気がなかった僕を元気づけようとしてくれてたんだ。変に誤解させたならごめん、藤宮はいい友達だ」


優希の言葉にホッとする。

藤宮さんは友達。

そんな短い言葉でこんなにも心の底から安心できるものなんだ。


「そっか、良かった…。会えて嬉しい」


私が笑いかけると、優希も笑顔を返してくれる。

長谷の言葉を反芻して頷く。

大丈夫だよ、長谷。

優希といたら私はきっと幸せになれる。


「あ、ごめん」


私が確信していると、優希がスマホを取り出して私に背を向ける。

誰かから電話が来たみたいだ。

私は、優希が通話を終えるのを待つことにした。


そして、何やら会話を終えた優希が振り向く。

私はスマホをポケットにしまった優希の手を取ろうと手を伸ばした。

その瞬間に優希の申し訳無さそうな声が鼓膜をかすめる。


「ごめん、香織。ちょっと行かなきゃいけなくなった」


さっきの通話で、かな…?

なにか用事ができたならしょうがないよね。

私の中の冷静な部分は笑顔で送り出せと言っているのに、聞き分けの悪い部分が嫌な予感を知らせる。


「優希…」


私はどこかへ行こうとしている優希の腕を掴んだ。

だめだ、聞くな。

面倒くさいと思われたくない、優希を信用するべきだ。


「どこ、行くの?」


ああ、聞いてしまった。

ここで、なんと答えてもらったら満足だったんだろうか。

私は絶対に聞くべきではないことを尋ねてしまったのだ。


「藤宮にちょっとトラブルが起こったみたいで…」


藤宮、という単語に私の耳は過剰に反応した。

さっき友達だって、聞いたじゃない。

友達のピンチに駆けつけるなんて、やっぱり優希は優しくて格好いい。


でも、行くのは優希じゃなきゃだめなの?

他に行くべき人はいないの?

優希は私をほったらかして藤宮さんのところに行ってしまうの?


「行って、ほしくない…」


醜い。

幼い。

手に負えない。


「ごめん、香織。今度は僕が藤宮を助けてやろうって決めたんだ」


自分でもわかってる。

私は、優希の手をそっと離した。

優希は間違ったことを言ってないし、私が優希を縛ることはできない。


―「このまま優希といて香織が幸せになれるのか」


それなのに、どうして長谷の声が頭を回るんだろう。

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