一言

「どうして、逃げた」


「相変わらず話が通じない!」


 フラックは再び、全身で跳ねるように移動した。彼が寝転がっていた場所に、一瞬遅れて〈針の魔族〉の腕が刺さる。


 運動能力に差がありすぎた。もう次はない。魔族の腕は三本あり、すでにもう一本がこちらを向いている。だが、フラックもおちおち殺される気はなかった。手に持ったランタンを口に咥え直し、指先でランタン側面の小さなメモリを最大にする。じゅう、と焼ける音がし出す前に、口を離してそれをしっかりと手で握り、魔族に投げつけた。彼の用意した罠に比べれば大したことはないが、人間を殺すなら十分な熱と、破裂した際の欠片が飛び散る爆弾だった。激しい熱と光が、魔族の攻撃を一瞬阻害する。魔族が一歩二歩と後退するのを見た。


「来い!」


 フラックの言葉に引かれ、松葉杖が飛んでくる。が、それを〈針の魔族〉が腕で弾く。わかっているじゃないか、とフラックは内心で敵を称賛した。その中に『予備』があったからだ。


「どうして、逃げた」


「逃げたくて仕方ないってのに」


 そういいながら、フラックは地面の四角形の石材に触れる。爪で、その表面にぎりり、と傷をつけた。その瞬間、地面から一本の矢が空に飛び、ぐにゃりとその軌道を曲げて、魔族の体に突き刺さり、さらに弾けた。


 魔族の血液を触媒にした〈呼び焦れ還り戻る矢〉だが、その威力は改造済み。夕方を吹き飛ばす輝きと、あたりの草木を焼き尽くす熱があたりを覆い、フラック自身も大きく吹き飛ぶ。ああ、これどこか折れたな、という新鮮な痛みが胸に走った。魔王城で使われていた、水に浸しても消えない火と、永遠に続く絨毯を使った強力な燃焼魔術。ドーダムどころか王都でも使用厳禁だろう。先の毒針より余程危ない。だが、なんとか体を起こして魔族を見ると、右側の腕一本が消失しているだけだった。


 当たり所が悪かったのか、と反省したが、そうではなく、魔族の体が再生しているのがわかった。目の前で、〈針の魔族〉はすぐさま新しい腕を一本作り出す。結局、計三本。否、さらにもう一本生えて四本になった。


 もう一矢。フラックは地面の別の石材に爪を立て、新しい魔術紋を刻む。すると、すぐさま仕掛けていたもう一本の矢が飛ん

だ。


「どうして、逃げた」


 だが、魔族は羽を弾けるように動かすと、それを躱し、腕で弾いて遠くへ飛ばした。そして、一瞬でフラックとの間合いを詰めて針で刺す。今までの動きが遊びだったかのような速度だった。ずぶり、と彼の胸に針が通った。


 だが、貫通はしない。保険の胸当てが彼の命をつないだ。兵士には使えない、超重量と引き換えに頑丈な素材を使った代物。とはいえ、胸に鈍痛がする。貫通はしないが、刺さっているし、この針にも毒がある可能性がある。さらに、魔族は残った腕でフラックの頭を狙う。それを彼は、ギプスで固められた腕で受けた。万事休す。ぎりぎり、と胸当てを貫通した針が胸をゆっくり穿つ。異物が肉を割いて侵入してくる気持ち悪さが首筋にまで走った。


「この……」


 一瞬だが、下手に胸当てなどつけずにいた方が楽だった、という考えがよぎった。


「どうして、逃げた」


 もう、逃げるどころか抵抗する気すら失せていた。体がもう疲れ切っていたのもあるかもしれないが、彼の裡にあるのは別のことだった。


「……あの矢、避けたな」


 フラックは微笑んだ。


「あの術は、思ったよりも安定して運用できる。資料は僕の机にあるから、いつか仲間があれを複製して、お前を殺すぞ」


 魔族は答えなかった。ただ、ぐりぐりと手元を動かし、フラックの体を貫こうとするのみ。


「あとは、そうだな。てっきり死なないと思ってたから、セリーになんか残さないとな……」


 生まれて初めての経験だった。肋骨がごり、と砕かれる。フラックは思わず顔をしかめた。


「アクセサリーとか、もっと買ってあげればよかったかなあ。そうだ、さっきの魔術の特許資料とかでせめてお金とか……」


 唯一空いた手で野帳を取り出し、書き残そうとしたが、片手では難しそうだった。ギプスの中も血でいっぱいだ。びちょびちょとした不快な感覚が腕を埋める。いよいよ、胸も合わせて出血がひどい。


「どうして、逃げた」


 魔族は同じ言葉を繰り返すだけ。おそらく意味も分かっていない。だがこの瞬間、フラックはふと、魔族に問われた気がしたのだ。


「だってさ、言葉尽くしたってさ、好きだって伝わったか、ずっと不安なんだ。でも、そういうのもよくなかったかな」


 そうだ、せめて野帳には、と思ったが、そのとき、胸当てが砕けた。そして、あっさりと〈針の魔族〉の腕がフラック・ヘイランの胸を貫いた。

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