一人
「痛いなあ」
うっかり独り言が漏れる。フラック・ヘイランは自分の肩近くまで伸び切った、細く長い葉っぱだらけの草むらに、ゆっくりと身を沈めた。『準備』が済んだのもあるが、それ以上に、腕も足も悲鳴を上げていたのが原因だ。
ギブスは真っ黒に汚れ、せっかく書いた魔術紋がほとんど見えない。おかげで、クッション性を高め、松葉杖と併せて動く指向性のバネを仕込んでいたはずなのに、その効果が薄れている。
そんな彼の足元には自然の岩にしてはきれいな立方体の岩があった。その周辺には青黒い痕跡がある。魔族の、比較的新しい血痕であった。
昨晩。ドーダムの外、東駐屯地付近から逃げた〈針の魔族〉はしばらくぐるぐると飛行したのち、西に逃げた。つまり、ドーダムへ向けて飛んだのだ。だが、城壁を超えたとは聞いていない。消えたのだ。
森に紛れたのか、もっと高度を上げたのか。まだ衛兵隊はつかんでいない。衛兵隊の通信をこそこそと傍受しているフラックはその様子をすべて把握していた。
そして、フラックは、第三衛兵隊よりも先に、〈針の魔族〉の痕跡を見つけていた。未発見のドーダム地下通路に、青い血痕があったのだ。その地下通路は、〈糸の魔族〉を〈ダオド〉として倒した時、ついでに見つけたもの。
〈糸の魔族〉を撃破した後、去る前にフラックはその地下通路に細工をし、行き止まりに見せていた。まだ誰も見破れていないため、その行き止まりの先に、まだ通路があるだなんてことは誰も考えていないだろう。
あとは、通路の出口をいじるだけ。魔術で巧妙に隠されているそれを、ドーダムの外、かつ、衛兵隊が張っていない、ちょうどいいもの以外、全て塞いだ。いっそのこと通路をすべて潰してもよかったが、それでは魔族の生死がわからない。
フラック・ヘイランは、確実に魔族を殺すつもりだった。
セレイとの約束は破っていない。〈ダオド〉を使わずに魔族を殺す。やってできないことはない。なにせ、人類はそうして魔王を倒したのだ。たかだが魔族一匹でなにを騒ぐものか。
人間がこうも戦争の時より苦戦しているのは、真正面からではなく、突発的かつ小規模の殺人に終始し、彼らが逃げることを覚えたこと。数を押して真正面から人間を殺しに来ていた戦時が懐かしい。あの頃は、攻撃を避けもしなかった。
だからこそ、人間も変わらなくてはならない。
以前から用意していた罠を持ち込み、やっとのことで仕掛けた。手足がいまだ不自由なので苦労したが、何とかなった。思ったより時間はかかったが、日が落ちる前に終わって本当によかった。
そうしなければ、セレイはまた、魔族を殺すために夜な夜な〈ダオド〉になるだろう。昨日行った封印だって、気休めだ。無理矢理引きはがそうとすればできてしまうだろう。最悪、戸棚ごと壊されたらひとたまりもない。
背伸びをし、肉眼でぎりぎり視認できるほどの距離にある小さな岩の出っ張り。あれが魔族の出入り口。あそこから飛び出した瞬間、ガケクズシオオカワズの毒に浸した有刺山蚯蚓の大棘が飛び出る。一滴で一帯の草原を一瞬で腐らす猛毒に、人間の指ほどの太さがある癖して、ちょっと振っただけで二センチの鉄板をやすやすと貫く大棘。組み合わせ困難なこの二つを、〈オド〉の助言と数百回行った実験で一つにまとめた魔導具である。これで殺せぬ魔族はいないだろう。特別製故、二本しか用意できなかったが、問題ないはず。一本は罠、もう一本は予備として持っている。
フラックはなんとか地面に腰かけながら、鞄から痛み止めを取り出した。あとは寝ていても罠が作動し、魔族を串刺しにするはずだが、この目で見ない限りは何も信用できない。
水を、と思い、さらに鞄を探すが、不慣れな指先から水筒が飛び出て行ってしまった。仕方なく、半ば這うようにして身を乗り出す。今度は暗くて何も見えない。小型のランタンを取り出し、照らすが、全く見当たらなかった。がさがさと草むらを分けて移動し、漸く水筒を手にする。もはや、薬を飲むためではなく、単純にのどを潤すために必要だった。と、そこで、フラックは奇妙な現象に気付いた。
――まだ、がさがさ、という草むらを分け入る音がする。
動物か、と思ったが、獣除けの術も張ったし、この辺りにはなかなか人間もやってこないはず。と、するならば!
フラックは振り返りながら慌てて身をよじった。
かん、と乾いた音がして、手放した水筒に穴があく。
銀色の、まるで針のような腕が、地面から生えていた。そして、不快な金属音のような叫びをあげて、土を、石材を吹き飛ばし、地面を崩しながら、その姿が現れる。
「なるほど。出入口なんて、自分で作ればいいもんな」
フラックは頷いた。
細長い、針のような手足に銀灰色の胴体。尖った目のない不気味な頭。
〈針の魔族〉が地面から現れた。
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