あなたの代わりに
ドーダム中央病院は三階建ての、セレイにとっては極めて見慣れた大型建築物である。王都に行くとファンタジー感あふれる華美な装飾の建物にも出会えるが、殊にドーダムではそういった余裕がないのか、雑居ビル群を思い出させる光景が主である。故に、セレイの職業が看護師であること以前に、ここに来ると別の意味で落ち着く気がする。
午後休を無理矢理取った彼女が向かったのは、中央病院の二階。その一番奥の個室。
『レータ・サトライカ』
別に親族でも何でもないが、適当な看護師に声を掛けたら、お見舞いの許可はあっさりと下りた。
「あの、お見舞いに来ました。セレイ・ヘイランです」
「聞いています。どうぞ。ただし、あまり長くは」
病室前にいた衛兵もすんなりと通してくれた。安心した。
「わかっています」
セレイはそういって部屋に入る。
病室の隅。ベッドで寝ているレータは随分と小さく見えた。空気を浄化する薄く半透明な幕がかかり、心音を図るもの、点滴代わりの管が複数本、多くの機材が彼を囲んでいるからだろう。そっとセレイが近づくと、レータがゆっくりと顔を向けた。
「君に、お礼を言うべきかな」
セレイが口を開くより早く、レータは言った。セレイは思わず目を丸くした。
「その、どういうことでしょうか」
セレイはつい、どこかで聞いたようなセリフを口走った。
「いや、そういわないといけない気がしたんだ。なんでかな」
セレイは内心、安堵した。
「そうですか。とにかく、生きていて、本当によかったです」
セレイは少し目が潤むのを感じた。危なく彼が死んでしまうところだったのは、彼女が一番よく知っていたからだ。
「……そうかな」
ところが、レータは小さく、しかしはっきりとした声で言った。
「何言ってるんですか」セレイの言葉に勝手に力が入る。
レータは小さく首を振った。
「もう、何人も見送った。上官も、部下も、同期も、たくさんだ。いつおれの番が来るかと思っていた」
「そんなこと言わないでください」
「こんな部屋もいらないし、衛兵もいらない。もしも魔族がもう一度おれの前に来るなら、今度こそ、おれが止めを刺す」
ベッドが小さく震えた気がした。
「落ち着いてください。らしくないですよ」
「それは、ずっとだ。おれは、やっぱり兵士だ。魔族を、あいつらを殺すんだ」
「やめてください、ごめんなさい、変なことを言いました」
セレイは慌てて謝った。よくよく考えれば、自分と彼の接点は戦場の病院である。なにか刺激をしてしまったのかもしれないと自省した。
「じゃないと、家族が安心して暮らせない。おれも、みんなも何のために戦ったんだ」
「……」
「足、なくなったよ」
「聞きました」
セレイはそちらを見ないようにして言う。
「悔しい。生きていても、今度こそ、戦えすらしない。第三衛兵隊にすらもういられないだろう。本当に引退だ」
レータの目から涙がこぼれた。
「そうかもしれませんが、それはそれでいいじゃないですか。別の道もあるでしょう」
「だとして、兵士じゃないおれは、どうすればいい」
「それは……お孫さんの、ムニカちゃんもいるじゃないですか。優しいおじいちゃんになってください」
「だけど、おれは……」
「大丈夫です。あなたが、上官や部下の思いを引き継いでいるのと同じです。ここには、そういう人がたくさんいます」
この前だって、レータの身を案じる血気盛んな兵士を見た。昨晩だって、魔族を前に、怖気づいて絶望した人間など一人もいない……セレイは自分の両手を見た。今、この手には鋭い棘も滅茶苦茶な長さに変化した指もついていない。この前は握ることも差し出すこともできなかった、彼の手を強く握った。
「だから、わたし達に任せてください」
「……〈ダオド〉を見た」
急に、ドキリとすることを言われた。
「き、聞いています」
努めて冷静にセレイは返事した。
「だけど、第四にも言っていないんだが、あれは〈ダオド〉じゃない気がするんだ」
「違ったんですか」
「昔、別の機会でも〈ダオド〉を見たことがあるが、あれよりも、なんだか不格好だった。そんな気がする」
「……」
「でも、おれは、でこぼこなそいつに救われた。なあ、『そういう人』だと、いい。そうは思わないか」
「そうですね。わたしも、そう思います」セレイの手に、自然に力が籠った。
それをゆっくり返しながら、レータは小さく頷く。しばらく経った後、セレイはゆっくりと手を解いた。
「あまり、長くいても怒られるので。とにかく、元気になってください」
セレイは居心地が悪くなって、すぐに立ち上がった。
「そうだな。そうする。あと、一つ。今日は早く帰って、家から出るな」
「なんでですか」
「あの魔族は、ドーダムの中にいる。この前、糸を使う魔族が未発見の地下通路を使っていたことがわかった。おれが襲われたのは、その調査中だったんだ。隠れるとしたら、街の地下かもしれない」
「……わかりました。では、お元気で」
セレイは足早に立ち去る。廊下に出ると、一人の女性と、十歳に満たないであろう女の子が待っていた。
「お見舞いに来てくださるなんて」
その女性は、レータの息子、ハイト・サトライカの奥さん、フィルナ。そして、小さい女の子は彼女の娘のムニカだった。
「そんな、当然ですよ。あと、渡しそびれてしまったので、これ」
セレイは手に持っていた花束を半分押し付けるように渡した。いきなり話しかけられて、完全にタイミングを失ってしまったのだ。すると、フィルナは小さく笑った。
「同じ!」
そして、誰よりも早く、ムニカが花束を指差した。
「午前中、フラックさんが来てたんですよ」
「やっぱり」
「でも、おじいちゃんは寝ていて……仕方ないから、花だけは、って。飾ってあったんですが」
セレイは全く気付かなかった。無意識のうちに緊張していたのかもしれない。
「そうですか」
「珍しいですね。二人別々なんて……あ、ごめんなさい」
「いえ。喧嘩しているわけではないので」
セレイは慌ててそう言った。
「お医者さんでしょ? おじいちゃんは元気になりますか?」
ムニカがセレイのスカートを引っ張った。それをフィルナは急いで止めさせる。
「お医者さんじゃないけど……大丈夫。元気になるよ」
セレイはしゃがんでムニカにそう伝える。
「でも、ムニカちゃんからも、無理しちゃダメだぞー、って伝えてあげてね」
「パパが言っても、おじいちゃんは聞いてくれないからね」
やや呆れたようにフィルナは言った。ムニカは力強く頷いた。
「よろしくね。ちゃんと言ってね」
念押しすると、はい! と元気な返事が飛び出た。セレイは笑ってしまった。でも、この念押しには意味がある。孫からもしっかり言ってもらわないといけない。
――だって、わたしはもう、二度とレータ・サトライカを救うことはできないかもしれないから。
「じゃあ、旦那様にもよろしくお伝えください」
「はい。それでは。もっとよくなったら、また来てください。喜ぶと思うので」
「わかりました。約束、します」
そういって、セレイは病院を後にする。
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