怒られる PartⅡ

「僕が、どうして怒っているかはわかる?」


 不思議なことが起こっていた。セレイ・ヘイランは首を傾げたくてしょうがない。片足と片腕を折って入院中の夫、フラック・ヘイランが普通に自宅にいたからだ。夜半、なんとか家に帰ってきた彼女は、ダイニングでギプスを嵌めたまま椅子に座っていた彼に遭遇した。彼は、とりあえず杖をおいて話そうといい、こうして机をはさんで二人は向かい合っていた。


「杖のことですか」


「そうじゃない。杖で、君は何をした?」


 もう一つ、不思議なことがあった。彼は、どうやら、彼女が杖で何をしたのかを知っているらしいということ。確かに彼女はフラックの病室、そのベッドの下から杖をこっそり拝借し、それを使って城塞都市ドーダムでも話題の謎の魔人、〈ダオド〉となって〈針の魔族〉をとっちめたが、まだ新聞にもなっていないはず。


「〈ダオド〉になりました」


「なぜ。君は僕に、魔族は衛兵隊が対応するものって言ったよね」


 何も言い返せなかった。


「でも……」


「君を𠮟りたい気持ちは死ぬほどあるが、一つ分かった。君はこういう気持ちだったんだね」


「……」


 何も言えず、セレイは黙り込んだ。


「お腹刺されたって聞いたけど。どう?」


「大丈夫です。傷もありません」


 そこも不思議だった。今日は不思議なことだらけだと思った。


「魔族は確かに許せない。だから僕は戦うし、君が戦う気になるのになるのも、一定の理解は示す」


「はい」


 無茶の張本人は理解を口にした。


「だけど、その結果君は何をした」


 フラックはセレイをにらみながら言う。


「人を守りました」


「〈魔族〉は倒せた?」


「いいえ」


「それで、君が命を張る意味はある? 今日の死者は十三人。そもそも戦う技術がない君に魔族は倒せない。適当にひっかいたところであれは死なないよ」


「どうして、あなたは〈ダオド〉で魔族を倒せたの」


 それは、セレイの疑問でもあった。いくら魔族の体を捉え、攻撃を加えても、魔族の方が常に一枚上手な感じがずっとしていた。きっと、格闘技の知識があればもう少しまともになるのだろうが、それなら、過去の知識をすべて〈ダオド〉に捧げたフラックが戦えるのは疑問だ。


「言うと思う?」


 フラックは苛々を噛みながら言う。


「ごめんなさい」


「僕が君に戦うな、とは言えない。だけど、一つ言えるのは、その場をかき混ぜるだけならそれは迷惑だ。例え人が死ぬとしても、衛兵隊の作戦を乱すだけだ。君がいなかったら、魔族はあの場に残ってもう少し戦っただろう。例え全滅しても、あと二本でも火矢が当たれば、魔族の破片がもっと残ったはずだ。それは、明日の衛兵隊の武器になる」


 セレイは何も言い返せなかった。その通りだと思ったからだ。


「だけど、人が死ぬのを、わたしはもう見過ごすことが、できない」


 しかし、沈黙を破ってセレイの口を突いて出た言葉は、本人にとっても驚くべきものだった。手が、震えていた。それが、怒りなのか、恐怖なのかはわからなかったが。


「そうだね。わかるよ」


 フラックは静かにそういった。


「だけど、君にはこれを任せることはできない」


 フラックは静かに立ち上がった。足はギプスで固定されているが、松葉杖は使わない。どうやら彼御得意の魔術らしい。そのまま、〈オド〉の杖を手に取り、


「これは、封印する」と言った。


 フラックは戸棚を開ける。すでに中身は乱雑に外に出されていた。彼がその中に杖を投げ入れると、中に仕込んでおいたらしい縄が勝手に杖を縛り上げた。そして、戸を閉めると、取っ手にも紐を一撒きした。


「君の言うことが、僕にもわかった。確かに、今の僕が〈ダオド〉になっても魔族は倒せない。衛兵隊の迷惑だ。だから、僕は〈ダオド〉にはならないし、魔族を倒し切れない君も、〈ダオド〉にはならない。これで手打ちにしないか」


 そういって振り返る彼の目が潤んでいるのがセレイにもわかった。彼は、あまり人に厳しく言うのに慣れていない。


「わかった。わたしも、ごめんなさい。わかってるのに、心配かけました」


「じゃあ、これで僕は何も言わない」


 そういって、半ば倒れるようにフラックはセレイを抱きしめた。


「そこまで無理しなくていいよ」


 自分のためにわざわざハグしに来たのかと思ったセレイだったが、小さくすすり泣く声が顔の横で聞こえ、ついため息が出た。


「君が生きててよかった」


「ごめんなさい」


 セレイは彼の体を折らない程度に抱き返す。


「じゃあ、僕は病院に戻る」


「戻るんだ」


 セレイはなんとなく拍子抜けした。


「一応怪我人なので」そして、もっともなことを言う。


「でも寄り道していいかな。ちょっと部品を集めたら、足を怪我していても自在に動く道具が作れそうなんだ。僕みたいにギプスとか松葉杖に魔術かけるのは難易度高いけど、椅子に車輪を取り付けるとかどうかな」


「それね、車椅子って言うんだよ」


「なんだ、もうあるんだ」


 この世界にはまだないことをセレイは知っている。


「ううん。作ったら売れると思うからいいんじゃない。お金は欲しいな」


「わかった。楽しみにしてて」


「だけど、今日はもう家にいて。っていうかその状態で動き回るの本当に怖い」


 頭の包帯は少なくなったが、見た目にはいまだに片足片腕をギプスで固めた怪我人である。


「わかった。じゃあもう寝るよ。セリーも疲れてるでしょ」


「うん。シャワー浴びたら寝る」


 すでに眠気が襲ってきている。しかし、我慢して寝室へ移動するフラックを見送った。


 ***


 次の日。まだ日の明けきらない時間に、すでにフラックは家を出ていた。まだ、この時に追いかけていれば間に合ったのかもしれないが、セレイのの瞼はどろりと重く、そのまま二度寝してしまった。


 そして、朝。ドーダム南病院に出勤した彼女は、そこで漸く、夫が失踪したことに気付くのである。


「まったく、あいつは」


 セレイは特大のため息をつき、午後は休ませてほしいと父と同僚に頭を下げた。

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