血戦

 その晩の事件は、ドーダムを大いに震え上がらせた。久々に魔族による被害者が一晩で十名を超えたからだ。正確には二十五名。そして、死者はそのうち八名。一晩で殺された人数であれば、ここ数年で最も多い。なんでも、その魔族は極めて素早かったらしい。そして、〈ダオド〉により撃退された。人間側、ひいては衛兵側の油断もあったと新聞は報じている。


 その報道は、甘んじて受けることにする。第一衛兵隊、ナルヤン・クークは決意を新たに城塞都市ドーダムの外、東ドーダム駐屯地を発った。


 昨晩、〈針の魔族〉に襲われた第三衛兵隊の隊長によれば、魔族は東側のドーダムの外へ逃げたという。一瞬ではあるが、この駐屯地付近の検知器にも魔族らしき反応があった。証言は一致している。


 第一衛兵隊は対魔族戦闘の精鋭である。その精鋭たち十名で構成された第三小隊がナルヤンの所属。昼間にも魔族の捜索は行われたが、見つかりはしなかった。〈針の魔族〉だけではない。これまでもそうである。今までも、原則として魔族の巣といった、わかりやすいものは見つかったことがない。どこからか現れ、どこかへ消えていくのだ。


 後手に回るのは不服であったが、こればかりはどうしようもなかった。見つからないものは見つからない。だが、それでも人類は今まで、被害を最小限に食い止めてきたはず。今回の油断は重く受け止めるが、それでも前に進まなくてはならない。今回の死者のうち五名は衛兵隊から出ている。今、衛兵隊が行うべきは仇討ちだ。


 道中、捜索に出ていた部隊とすれ違った。第三衛兵隊の連中だ。捜索を主とした部隊の癖に、早期発見すらままならない彼らに挨拶するのも不思議な気持ちだった。


 途中まで一緒だった第二小隊は途中で川に沿って南下する。ナルヤン達の第三小隊は逆に北へ移動する。魔族が水を飲むのかわからないが、少なくとも地形に沿って捜索するのは人間の理に叶っていた。迷うことも少ないし、捜索範囲をきちんと分けることができる。


「これ、全く違う所から出てたりしませんよね」


 しばらく歩いていたところで、仲間がぼそりとそんなことを言った。


「言うな。その時はその時だ。それに備えて、第二からも応援を頼んで都市の警備にあたっている」


 ナルヤンは素早くそういった。と、その時、小さな破裂音があたりに響いた。空を見上げていた仲間が声を上げる。


「第一小隊の信号です。でも、魔術通信には反応ありません」


 見ればわかった。しかも、空に上がった光の色は赤である。緊急事態。応援要請。


「おれ達が一番近い。走るぞ」


 誰かが口を開くより早く、隊長が歩を走に変える。その後ろに皆が続く。やがて、隊が到着したのは開けた場所だった。ドーダムの外、北側は鬱蒼とした森だが、こんな開けたところはあったかと首を傾げた。地図は頭に叩き込んでいる。


 一軒家六個分ぐらいの空間に、木が一本も生えていない。地面は踏み固められていて、昨日の今日出来上がったようには見えなかった。なによりも、第一小隊がいないのが気がかりだった。


「ここじゃないかもしれないな。もう一度信号の魔術反応を……」


 隊長がそう言いかけたとき、ナルヤンの頭に何かが当たった感覚があった。だが、慌てて一歩引いて見上げても、何もいない。頭を触っても、手袋越しに何かが当たった感触もない。


「雨?」


 誰かが言った。今はもう日も落ちてきていて視界が悪い。その上、雨まで降られるのは分が悪い。


「灯りを」


 時と場合によっては、魔族に位置を知らせることになるため使わないが、今回は特別だ。隊員が灯りを用意する間も、雨はどんどん激しくなった。だが、その間に、ナルヤンも、そして部隊の皆が、雨の正体に気付きだした。


「隊長、これは……」


「退避だ! もう第一小隊はここにはいない」


 ばん、と硬い地面の上で何かがはじけた。暗くてわからないが、予感はする。これが、増える!


 立て続け、次々と地面にモノが落ちてくる。急いで木の下に入ろうとするナルヤンは、その何かを踏んで転んでしまった。そして、目の前に落ちたそれと、目が合った。


 ――自由落下で半分は崩れ、歯が飛び出し、片方の目玉がない、人の頭。空から急に振り出した血の雨にに紛れて、人の肉片が次から次へと降ってくる!


「クソッ」


 慌てて立ち上がったナルヤンだったが、不思議なことにそれ以上体が動かなかった。いくら足を動かしても、前に進まない。


「逃げろ!」


 仲間の声がする。だが、体が動かないのだ。そしてナルヤンは見た。己の体から、銀色の棒が突き出し、自分と地面を縫い付けているのを。そして、振り返ると、仲間がようやく用意したらしい灯りが、対手を照らした。


 大人二人ほどの高い身長。そこから伸びた針のようにとがった腕がナルヤンの腹を刺し貫いている。その全長に見合わない小さな体には、青黒い縞模様がついている。そして、その上の銀色の尖った頭。目はない。だが、明確に、口のような器官があるのはわかった。左右に裂け、牙が見えている。それが、大きく開いた。


「どうして、逃げた」


〈針の魔族〉はそういった。


 ナルヤンに、すでに答える力は残っていなかった。体を己の腕ほどの長さの針で貫かれているのだ。痛みを感じないのが不思議だったが、それが何かの助けになるわけでも無し。仲間が剣を携え魔族に寄るが、それよりも魔族の行動は冷徹で正しかった。魔族の腕は二本に見えたが、さらにもう二本、隠していた腕を伸ばすと、さく、さく、と仲間に突き刺した。正確に胸を一刺し。絶命しただろう。


〈針の魔族〉は二人を刺したまま、腕を大きく後ろに振りかぶり、空へ投げた。なるほどな、とナルヤンはうっすらと考えた。変な習性があったものである。


 ナルヤンの視界が大きくぶれた。先の二人と同じ目に合うからだ。〈針の魔族〉が彼を投擲する姿勢に入った。

 なにか、なにか、せめて一矢。そう思ったが、どうにもならない。この姿勢では、体が万全でも斬りかかるのが難しいだろう。


 悔しかった。仇討ちも何もできずに、ただ魔族に殺される。魔術的に強化された甲冑も剣も意味をなさず、〈針の魔族〉の前では紙切れも同然。ただの重たい荷物と化す。


 魔族の動きがぴたりと止まる。ついに投げるのだ。


「どうして、逃げた」


 魔族の問いかけに、何と答えればいいのか。


「昨日逃げたのはあなたでしょう」


 しかし、それに答えたものがいた。その瞬間、〈針の魔族〉はナルヤンを投げるのをやめ、地面に棄てた。


「どうして、逃げた」


「あなたが昨日、逃げなかったらこうはならなかったのに」


 そう答えるものの名を、ナルヤンは知っている。ドーダム衛兵団の顔に泥を塗り続ける、最悪にして最強の魔人〈ダオド〉だ。遠のく意識の中に、黒い人型の影をナルヤンは見た。


〈ダオド〉は血の雨の中を走る。針のような対手の腕を掻い潜り、その胴体をひっかいた。縞模様の〈針の魔族〉の体に新しい模様が刻まれる。


 さらに、〈ダオド〉は相手の首を掴み、ぎりぎりと締め上げた。その様に、思わずナルヤンは叫びそうになった。


 ――逃げろ!


 その瞬間、魔族は腕を〈ダオド〉の脇腹に突き刺した。そして、無理矢理振って、〈ダオド〉を引きはがす。〈ダオド〉は素早く手を離し、醜く地面を転がった。


「どうして、逃げた」


「だから!」


 腹を刺されたのに、〈ダオド〉の勢いは止まらない。滅茶苦茶に振り上げた蹴りで〈針の魔族〉を地面に転がす。そこへ、第三小隊の仲間が火矢を放った。魔術で強化された火矢は、弦ではなく、魔術で飛ぶ。これは、昨晩魔族の一部を入手したからこそ有効の絶対命中魔術、〈呼び焦れ還り戻る矢〉、魔族の体の一部を組み込み、適当に魔術を発動させれば、あとは組み込んだ体の大本に向かって飛んでいく。有効範囲が極めて狭いのが弱点だが、それが命中すると別の魔術が発動し、強烈な熱でもって攻撃する。その熱は一瞬、あたりを昼間と見紛うぐらいに明るくするほど。自分が刺されたままの状態であれを使われていたら、間違いなく死んでいただろう。


 現に、魔族の片腕が消滅していた。


「どうして、逃げた」


 そういいながら、魔族は背中から羽を広げ、鳴らした。だが、逃がすわけがない。第三小隊が立て続けに火矢を放つ。しかし、火矢が魔族に当たる直前、その間に死体が降ってきた。死体が一瞬で蒸発する。


「どうして、逃げた」


 さらに、ちょうど火矢を構える仲間たちの頭上に、死体が次から次へと降ってくる。


「操れるのか」


 木の下に隠れていた仲間たちだったが、そのすべてを枝が守ってくれるわけではない。不快な羽音に合わせ、次から次へと肉が降る。羽の音で死体を操っているらしい。趣味の悪い化け物だ、とナルヤンは薄れゆく意識の中で思った。


「どうして、逃げた」


「待て! 逃げるな!」


 第三小隊、ナルヤン、そして〈ダオド〉が、空から降る死体に気を取られている隙に、今度こそ魔族はその羽で夜空に飛び去った。


 あとを追いかけようとした〈ダオド〉だったが、地面に落ちた血と肉辺に足を取られ、ずるりと足を滑らしその場に倒れ込んだ。あまりにも格好のつかない姿だった。


「待て!」


〈ダオド〉は叫んだが、当然、もう遅い。


 魔族は闇夜に溶け、消えてしまった。

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