黒煙

 セレイの体が一気に熱くなる。同時に、あたりを真っ黒な煙が覆い、それは〈針の魔族〉すらたじろぐほど。その内側で、彼女の体をどろどろとした何かがまとわりにつき、やがて固着する。煙が一気に晴れると、そこには真っ黒な甲冑を着たように見える人型がいた。


「だ、〈ダオド〉?」


 セレイは、レータ・サトライカの情けない、そんな声を背中に受けた。そうだ、今の自分の姿は――持ち上げた指先は不揃いに伸び、腕も、脚先も、胸も、全身が黒い何かで固められている。身長も伸びているし、視野が広がり、暗い中でも周囲がはっきり見える。そうか、これが、とセレイは、否、〈ダオド〉は納得した。


〈ダオド〉が自身の姿を見回している間に、〈針の魔族〉がその腕を構えた。背中にはレータ・サトライカがいる。避けるわけにはいかない。見様見真似、拳を握ろうとしたが、不揃いな指先がぶつかり合い叶わなかった。代わりに、その歪な指を広げ、ひっかくように振う。ただ、違うのは速度だった。細く鋭く、そして長い対手の腕の動作よりも、〈ダオド〉の適当に振るった手の方が速かった。刃こぼれだらけのナイフのような指先は、それだけで〈針の魔族〉の銀色の表皮を引き裂いた。夜闇の中でもより黒く散った、青い血液が辺りと、特に〈ダオド〉の全身を染めた。


 それに一瞬、〈ダオド〉はぎょっとしたが、退くわけにはいかない。態勢が崩れた対手に向かい、鈍器でも振るうように両指を振り回して何度も何度も叩きつける。不揃いな長さの指故に、きれいに拳を握れないのがもどかしい。


 だが、それでも〈針の魔族〉を傷つけるには十分だった。周辺の草木も地面も〈ダオド〉自身も青黒いその血液で染まり、

〈針の魔族〉はふらふらと距離を開けて態勢を整えようとした。だが、その空いた距離を〈ダオド〉は素早く前蹴りで埋めた。


 どちゃ、という嫌な感触とともに、〈針の魔族〉は吹き飛び、大木を巻き込んで静止した。そして、そのまま動かなくなる。


 ふと、安否が気になって振り返ると、こちらを見上げ、硬直しているレータ・サトライカがいた。逃げてほしかったが、足が折れているためそうもいかないだろう。否、この強化された視力で見ると、膝から下が血濡れている。事態は思ったよりもよくないのかもしれない。


 と、騒がしい足音が聞こえてきた。まだ距離はあるが、〈ダオド〉の目は遠くに松明を掲げた第一衛兵団の姿を見た。一方、静止していたはずの〈針の魔族〉が、尖った頭をそちらへ向けたのを〈ダオド〉は見逃さなかった。


「待て!」


〈ダオド〉は叫び、一瞬で魔族と距離を詰める。だが、〈針の魔族〉はその背中から昆虫のように薄く透けた羽根を四枚伸ばすと、それを震わせ舞い上がった。そのまま、衛兵隊とは真逆の方向へ飛んで行く。勿論、レータ・サトライカの方向でもない。ドーダムから出ていく様だ。


「終わった?」


 セレイはそう感想した。だが、ここで〈ダオド〉を解くわけにもいかない。もう一度レータの無事を確認すると、まるで自分の状況を忘れたようにこちらを見ていた。不思議な表情だった。その姿に、つい言葉が出かけた。


「あ……」


 だが、ふと伸ばそうとした手に違和感がある。不気味な長さの滅茶苦茶な指。不規則に伸びた刃物のような突起。衛兵たちも近い。〈ダオド〉はそのまま手を降ろし、その脚力を武器に、その場を走って逃れることにする。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る