血痕

 帰途、セレイは魔族と人間の争い以上に醜いものを見てしまった。人間同士の言い争いだ。


「いいから第三衛兵隊は帰れ! こっからは我々の持ち場だ」


 甲冑を身に着けた衛兵が言う。


「サトライカ隊長がまだ残っている! それを置いていくことはできない」


 それに対して制服の衛兵が言い張った。甲冑を身に着けた衛兵は第一衛兵隊、魔族に対抗するための衛兵であり、制服の衛兵は第三衛兵隊、すなわち魔族の調査を主としている。さっきの看護師の話をもとにすると、もう魔族との戦闘が始まっている以上、第三衛兵隊の出番は終わっているはずだ。


 制服の衛兵はまだ年若く、セレイよりも年下に見える。


「いいから、一旦退くぞ。問題になる」


 やはり、と言うべきか、後ろからやってきた別の衛兵が声を掛け、彼を無理矢理引きはがした。


「隊長が残っているんです。我々はまだ調査中です」


「もうその役目が終わったんだ。隊長もじきに戻ってくる。落ち着け」


 そういって宥めている。セレイの首に汗が走った。どう考えても第三衛兵隊の隊長、レータ・サトライカが浮かんだからだ。顔見知りだからと言って特別扱いするのよくないとは思うが、気になってしまうのは仕方ない。若い衛兵が指差していたのは居住区のほう。だが、もちろん第一衛兵隊が封鎖している。無理はできない。


「あの、南病院まで戻りたいんですが」


 代わりに、セレイは衛兵へ道を尋ねた。別に居住区に忍び込もうとは思っていない。急患が来る可能性がある。早く病院に戻らなくてはならない。


「なら、遠回りになりますが、あちらの開発区を抜けてください」


 衛兵が指差す先は、城塞都市ドーダムの中でも異質な木々の茂った区画だった。ドーダムは魔王の城跡に作られた都市である。すべてを人間が作ったわけではないので、壁の内側なのに、庭感覚なのか、なぜか森があったり川があったりする。彼が差す開発区は、そんな森のエリアを切り開いている最中の場所だった。


「わかりました。ありがとうございます」


 セレイはそういって小走りでそちらへ向かう。衛兵の数が足りないのか、そこに人は立っていない。遠回りになるので、もしかしたら数十分歩く羽目になるかもしれない。明かりのほとんどない中、セレイは十分ほど、息が切れない程度に急いで歩く。


『よい選択だ』


 急に、声がした。セレイははっとして手元の杖を見る。


「なにが」


『レータ・サトライカを救いたいのだろう。なら、よい選択だ』


「どういうこと?」


『われにはわかる。手伝ってやろう』


 急に、杖を持つ手が熱を持った。


「待って、どういうつもり?」


 セレイは悲鳴のような声で訊ねる。


『われは、ある程度近い距離にいる魔族の位置を探知できる。フラックからも聞いていただろう』


 セレイは背筋が凍る感覚を覚えた。


「こっちにいるの?」


『そうだ。見てみろ』


 杖が発熱しているが、とくに右に向けるとよりそれが強くなった。そして、ほんのりと光る杖の先が、近くの枝葉を克明に照らした。


「これって……」


『これは、お前の方が詳しい、否、見慣れているだろう』


 杖の声はいつもと同じ、『機械的』だ。だが、この時ばかりはそれに愉悦を感じてしまう。


「……血?」


 真っ赤に染まった葉を湛えた植物たち。


「伝えなきゃ」


 セレイは振り返った。


『何を伝えるつもりだ? 死体の位置か』


「もう、亡くなってるの?」


『否。生きている。後三十秒の命だが』


 血の気が引いた。


「ど、どうすればいいの」


『お前にできることはない。お前の足で走っても、五分は掛かる。魔族はその間にレータ・サトライカを殺し、次の獲物、お前を殺して先に進むだろう』


 セレイは歯噛みした。杖の言いたいことを理解した。少しうんざりする。それは、杖はもちろん、自分にも、であった。


『レータ・サトライカのことは知っているぞ。記憶もないフラックに、息子と妻の話をよくしていた男だ。戦争が終わったら、家族との時間を大事にすると……』


「どうすればいいの」


 セレイは詰問した。だが、答えはもうわかっている。杖を握る手が震えている。否、全身がそうだった。


『お前にはもう時間はないが、この世界で、まだ時間があるものがいる。〈ダオド〉の足なら時間は作れるぞ』


「代償は?」


『ない。われは魔神〈オド〉、人の願いを叶え、救うのがわが役目。取引がわが本意でない。お前の望みをわれに願え。どうすればいい、の答えだ』


 レータ・サトライカのことは、セレイもよく知っている。昔は前線に立って兵を指揮する勇敢な男。今は足の怪我がもとで戦いには出ることはない。魔族の調査や被害の計測を行う裏方の仕事に回ったはずだった。杖は知ったような口ぶりだったが、そもそもレータは、フラックとも旧知の中だった。二人の結婚式まで来ていたのだ。この杖に彼のことを語られることが不快だった。


 杖を握る手が熱い。見れば、杖は真っ赤に発光していて、それがまるで溶けるように自分の肘にまで浸透していた。


 フラックが、レータと喋っているところだって何度も見ていた。彼へ思い出話をしているレータがいなくなるということは、フラックの過去が本当に喪失することに他ならない。


 気づけば、杖を握る手だけではない。肩口も、胸も、首も、全てが熱を帯びていた。


「でも、あなたに従うのは、何か納得がいかない」


 この杖はフラック・ヘイランの仇のようなものだ。彼から今以外のすべてを奪った元凶である。


『理解はする』


「だから、とにかく、わたしにできる全部をする」


 深呼吸。ここまで、何十秒使っただろう。その瞬間、風にそよぐ木々が静かになった。杖も何も言わない。


 そんな中、草木をへし折り、血の跡を追って歩いた。ここまで時間を止めたことはなかった。そもそも、これは時間を止めているのではなく他人の運命に両手を突っ込んでいるだけだ。かき混ぜている間は進行しない、それだけ。距離もあるため、いつまで持つかも自信がない。


 とにかく歩く。そして、セレイはレータ・サトライカと、魔族を見つけた。魔族は二メートル近い長身と、針金のように細い四肢を持っている。両腕は地面につくほど長く、その先端に指はない。肘から先がレイピアのように鋭く伸びていた。そして、真っ赤に血濡れている。


 問題は、セレイの力がもう及んでいないのか、二人ともゆっくりと動いていることだった。息が勝手に切れてきていた。本気で使うのは久々だからか、それとも、こんなに長く使ったことがなかったから気づかなかったのか。どんどん体がしんどくなった。そんな中、ついに〈針の魔族〉はその腕を振り上げ、その先端をレータに向けていた。対照的に、レータはもう地面に這いつくばっているだけ。片足はあらぬ方向に曲がり、頭からも血を流し、躱すことなどできないだろう。


 全身で呼吸しながら、セレイは必死でレータに走り寄った。そして、その背に手を乗せる。


 ――生きて。


 最後にその一心で彼に願い、そして、〈針の魔族〉を正面から見る。試しにその尖った腕に触れるが、やはり魔族の運命は変えられない。彼らはどうやら、人と在り様が違うのだろう。逆に、レータ・サトライカの生存を願い、彼の運命を歪めたからこそ、自分のなすべきことがセレイにはわかった。


『われに仕え、全てを奉じてきた王の名を呼べ。さすれば、彼らがお前の願いを導くだろう』


 ゆっくりと〈針の魔族〉の鋭い腕先が近づくのを額で見ながら、セレイは口を開いた。


「――〈ダオド〉!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る