あと、こういうこともありました

 わたしが全部に気付いたのは、セレイ・イーザルが十二歳の時。わたしの人生に一つ、運命的なものを見出すなら、過労になりがち、ということだろうか。この時もわたしは働き過ぎで意識を失っていた。そして、夢と現実が混じった状態でうっかり電車の前に飛び出す自分を思い出したのだ。


「これが、異世界転生……」


 SNSなどでうんざりするほどよく見るマンガアプリの広告でよく見た文字。それがまさに今、自分に降りかかっていたことに、泥まみれになって思い出した。


 ――バスカ前進基地。


 楽しい大学生活や高校生の頃の部活の出来事、家族との電話、そして××連勤を達成し、ふらふらで電車の前に飛び出したのを思い出した一方で、わたしがなんでこんな洞穴のような場所で寝ていたのかも覚えていた。わたしは確かにわたしだが、今のわたしの記憶もきちんとあった。この世界の幼いころの記憶のさらに昔に、電車で轢かれるまでの記憶があるのは、とても不思議なことだが、一方で当然と感じる。それだけでも頭が少々おかしくなりそう。


 わたしが目覚めたのは、この『異世界』で魔族と戦う人間の前進基地にある病院だった。


「セレイ、起きたかい」


「はい、お父様」わたしは反射的に返事をする。


「じゃあ行くよ。救急箱を」


「はい」


 わたしがいた世界も平和とは言えなかったが、それでも、恒常的に人間全体が脅かされているということはなかったと思う。その点で言うと、わたしが今いるこの世界にいる人間は絶滅の危機に瀕していた。


 魔界戦争という人間とは全く異なる種族との争いの最中にいた。十二歳の少女であるわたしも、医者である父に連れられ、死んだ母の代理として兵士の治療に同行していた。そういう意味では、前世の××連勤などぬるいもので、働いていることが日常だった。


 異世界転生に対する印象なんてほとんどなかったが、あれだけマンガにもなって流行っているのだからきっと楽しいものだったに違いない。だけど、少なくともわたしにとってはそれは違うようだった。


 風に乗ってくる血の匂い。

 病院に響く医師、看護師が施術する静かな音。

 清潔とは程遠い雑魚寝状態の負傷兵。

 地響きのような負傷兵のうめき声。


 バスカ前進基地は魔族の首魁、六体の魔王の一人を倒すためにバスカ山脈に建てられた基地だ。木がほとんど生えないぐらい高い標高にあり、天然の洞窟を改造して作られている。


 バスカ山脈はこの世界の中でも最も高い山がある。そこに作られたこの基地を、雲の上から悠々と見下ろすのが魔王ウルアの城である。


 ここは本来、魔王と戦う最前線として定義されていた。だが、見えていた魔王の城が、まだまだはるか遠く、そしてその天辺は雲の上にまで続いてるとわかったときに目的は変わってしまった。本物の最前線はさらに下ったバスカ山脈麓のウルアトン前進基地に譲られた。バスカ前進基地の名前は、人間が余裕ぶっていた時の名残となった。


 おかげでバスカ前進基地の役目は、ウルアトンから回収した負傷兵を治療して前線に戻す、場合によっては国に帰す中継地、あるいは、


「どけ、危ないだろ」


 小さなわたしを蹴り飛ばす様に兵士が担架を担いでいく。そこからだらりと垂れた土気色の手と、どうしても慣れない、つんとくる死臭に顔をしかめる。


 殉職者を国に送る役目が増えていった。気温が低く死体が腐りづらいのをいいことに、積もっていく死体たち。それに反して、この基地まで上がってくる物資の数は減っていた。中継地として働くはずのバスカでは、日に日に人が積もるだけになっていた。


 人間は六体の魔王を同時に相手にしている。補給の数がだんだん減っていくのは当たり前ではあったが、そういえばわたしだって、最後にご飯を食べたのがいつか思い出せない。


 父の後を追うわたしの足が、つい止まってしまう。そのとき、基地全体が大きく揺れた。


 魔王は最近になって漸く、わたし達人間の、この小さな基地の存在に気付いたらしい。時々、まるで思い出したかのように基地周辺へ、遊ぶように巨大な岩の塊を飛ばしてくるのだ。


 がしゃん。


 ランタンが一つ落ち、割れて火を散らす。そして、そのまま燃え広がることなくそっと消えた。


 ついさっき、うっかり前世の記憶を取り戻すまでは日常だったそれらが、一気に恐怖としてわたしの心を支配した。


 ――ここは、地獄だ。


 前世の自分がそう絶叫し、大人の知識と知恵を持ったセレイ・イーザルが悲鳴を上げる。今、人類は真っすぐに滅ぶ道を歩いていることに、気付いてしまったのだ。


 と、そう思ったとき、あたりが静かになっていた。皆が皆、ぴたりと動きを止めている。まるで冗談のような光景だったが、セレイ・イーザルはとても落ち着いていた。誰もが微動だにしない世界。前世の知識を込みにするとありえないことだが、セレイ・イーザルにとってよくある現象。しかし、今回のこれには違和感があった。そう思ったとき、異常の声がした。


『あなたに、この世界を救う運命と、戦う力を授けます。だって、前世の記憶がある分、有利でしょ。だから、少しぐらい不運になってよ』

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