それを返してもらいに来た

 もう夜中。退勤したセレイ・ヘイランは、わざわざ中央病院の落とし物保管室を訪れていた。夫のフラックの杖を返してもらうためだ。事前に話していたため、あっさりと通してもらえたそこで、彼の杖を見つけた。真っ黒な鉱石でできた丸い持ち手が特徴的な、少し不気味な杖である。本当はこのまま放置したり、最低でも、もう彼の元には戻したくもないと思っていた。だが、逆に、これが夫でもなければ自分でもない、誰かの手に渡る事こそ恐ろしい。故に、嫌々ながらに彼女はこれを取り戻したのである。


『取りに来ない可能性も考えていた』


 冷たく、性別も年齢も判然としない、機械音のような声が、杖からする。最初はびっくりしたものだが、これが自分やフラック以外には聞こえていないのだから不思議なものだ。


「奇遇だね。わたしも」


 セレイはうんざりしながら返事した。


『フラックは駄目なようだな』


「駄目じゃない。そういうのはやめて」


 本当に怒りを込めてセレイは言った。


『そうか。お前が来たからもうフラックは戦わないのかと思った』


「そうだったらいいのにね」


『だが、われはそれで構わない。お前がわれを使えばよい』


「なんでそうなるの」


『魔界戦争を終わらせたのはお前だ。われにはわかる。お前であれば、より強い〈ダオド〉となる』


「そういう宗教の勧誘みたいなの、やめてよ」


『広義ではそもそも、これは宗教の勧誘である』


「はいはい。もう出るから返事しないよ」


『構わない』


 セレイは暗い保管室を離れ、廊下に出る。入り口では眠そうな管理人が頬杖をついていた。彼はとうに六十歳を超えていて、かつては隊を指揮していた大物である。セレイとも面識があった。が、今は家にいてもすることがないからといい、古い縁をたどって、今は病院のほんの一角だけを見守っている。


「これ、夫のなので持ち帰っても?」


「はいはい。セレイさん、いつもご苦労様です。名前と番号だけ書いてください」


 大して関心もなさそうに管理人は言う。こういうときだけはありがたいと思った。セレイはすらすらと名前、そして杖に付けられた札の番号を書く。


「その杖、不思議だね。フラックさんのだろう。やっぱり、魔術が詰まってたりするのかい」


 しかして、こういうときだけやたらと鋭いことを言った。


「いえ。ただの杖ですよ」


 セレイは嘘をついた。


「そうかい。あなたにしても、フラックさんはなーんか、不思議な人と縁があると思うんだよね。気のせいかな」


「気のせいです。わたしは別に、不思議でも何でもないですよ」


「ふーん。じゃあ、また何かあったらおいで」


 いうことだけは言うが、そんなに興味もないらしい。それが、セレイを安心させる。


 セレイ自身は不思議でも何でもない。検査しても、多分何も特別なものは出ないだろう。だけど、不思議だと言われる、所以だけはある気がする。最近はあまり意識しないようにしていたが、ああいわれると、つい思い出してしまう。


 不思議なこと――それをセレイが明確に意識したのは、魔界戦争の最中のことだった。

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