ちょっとだけお披露目します
「お先、失礼します」
セレイ・ヘイランは退勤前、受付に座る同僚にそう声を掛けた。
「お疲れ様。まっすぐ帰るの? 寄らなくていいの?」
同僚は少しにやにやしながら病室を指差した。
「もう会ってきたから大丈夫です」
むっとしてセレイは答えた。
「そう。一人は寂しい?」
「いいえ。それに今日は寄るところがあるから」
「え? 男?」
絵に描いたような下賤な表情。セレイは思わずため息をついた。
「中央病院。あの人の忘れ物、取りに行くから」
「なあんだ。つまんない。早く行っておいで」本当につまらなさそうにため息をつくのだからセレイは困った。
「そうする。じゃあね」
足早にセレイは病院を出た。
なんとなく憂鬱だった。同僚とのやり取りは抜きにしても、あの杖を取りに行く、というのが嫌だった。フラックに言われ、彼愛用の杖の所在をドーダム中央病院に訊ねたところ、忘れ物として保管されている、と言われた。
あの杖は好きではない。だからだろうか、普段は進んでやらないことを、ついやろうと思ってしまった。それは、ふと見た街灯に照らされていた。ドーダム南病院の庭の隅、一羽の鳥が怪我をしているようで、必死で暴れている。
セレイはさっと辺りを見回し、誰も見ていないことを確認する。
――これは、さすがに父も、そして夫も知らない秘密である。
『お前の力を最も正当に評価しているのはわれだ。われは、お前こそが魔界戦争を終わらせた張本人だと知っている。それを忘れるな』
杖の言葉を思い出してしまった。頭を振ってかき消す。
深呼吸。大きく息を吸って、ゆっくり吐く。全身に酸素がいきわたるのをイメージする。セレイが息を吐いている間、風に舞う枯葉の動きがゆっくりになって、空気の流れもねっとりと、肌にまとわりつくような感覚がする。そして、ついに、あれだけ暴れていた鳥の動きも、巻きあがった葉も空中で微動だにしない。全てが止まった、そんな中でセレイだけが歩いて、セレイだけが屈んで、セレイだけが鳥に触れ、そして、その体を抱き上げる。
この鳥が怪我をしたのはいつだろう。きっとそう時間は経っていないはずだ。十分ぐらい、それとも一時間ぐらい戻れば大丈夫だろうか。抱きしめて、目をつむる。そのまま、しばらくすると、急に鳥がセレイの体を突っぱねた。そして、そのままばたばたと羽ばたいてそのまま空に消えていった。すでに風で草木は揺れ、小さな街灯がセレイを照らす。雲も流され、隠れていた月が顔を出した。
もう見えなくなってしまった鳥へ、恩知らずだなあ、とセレイは苦笑い。でも、怪我も治ったみたいだからまあいいか。
久しぶりに行った、気まぐれ。否、これは気晴らしだろうか。再び辺りを見回して目撃者を探し、いないことに安堵する。こんなことをしてしまうなんて、そんなにわたしは杖を取りに行くのが嫌なのだろうか。らしくない、とセレイはぱちん、と頬を叩き、歩き出した。
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