彼を見上げた夜があって
最初の出会いは、どっちが正しいのだろう。ふと一人、ベッドの中でセレイは考えた。
セレイがドーダムの街にやってきたのは、魔界戦争終結から八年。父であり医者の、ノルイ・イーザルと一緒だった。ドーダムは渓谷にあり、その立地から、開発中の事故や魔族の奇襲に遭いやすく、医療関係者は常に必要な場所だった。
戦場で高名な医者であったノルイは、当時の関係者に招かれてここにやってきた。セレイは当時二十歳。独り立ちしてもいい年ごろだったが、結局彼女は父と一緒にいくことにした。多分、父一人では役目を果たせないだろう、なんて思惑もあった。そんな、ちょっとピクニックにでも行く気分で彼女は父についていったのだ。だが、そこで目にした光景はセレイの想像を超えていた。
――西の七番作業所で事故だって。多分うちに三人来ます。
――昨日の晩、魔族のお陰で五人増えたから。セレイさん、あなたに任せる。
――二番坑道で崩落だって。被害者数はわからないけど、こっちからも何人か回すから。セレイさん。お願い。
――旧魔王城採掘中に魔族と交戦だって。休憩終わり。セレイさん、用意して。
ある意味、戦場よりも性質が悪かった。
戦場では、魔王させ討ち取ればおしまいだった。戦争が終わると、戦場を渡り歩くことに疲れたからか、父は比較的穏やかな場所にいた。
だが、ドーダムは、今もなお、戦いが続いていた。
実は、ほかの魔王城跡の都市でも似たり寄ったりではあるのだが、立った数か月で、戦争とは違う疲労が、セレイをゆっくりと蝕んでいた。
「当然だろう。魔族を一匹残らず倒さない限り、平穏は来ない」
父、ノルイは彼女の相談にそう答えた。魔王を倒しても魔族はいまだに人間の生活圏の周辺にいる。そして、その最前線である城跡の各都市は魔界に刺さる棘のような形で飛び出ているのだ。常に、魔族の襲来に晒されている。
だが、その現実がセレイには耐えきれなかった。
「だってさ、がんばったら、戦争なんて終わると思ったのに」
ついそんな独り言が漏れてしまう。それは、今のセレイではなく、幼い日の彼女の言葉でもあった。病院からの帰り道だった。
道の途中に立つ石碑に、戦没者の名が刻まれている。その中には、彼女が治療したり、『強くした』人の名前も無数にある。それが、彼女の肩に重くのしかかった。足がどんどん遅くなる。
すでに日は落ち、ドーダムを闇が包む。夜道の女性の一人歩きはいつでもどこでも推奨されないが、セレイの家は病院からほど近い。しかも、かなりの数の街灯が道を照らしていて、先まではっきり見えることが、彼女の油断を誘った。橋の上から川を眺め、物思いにふけってしまったのだ。
「うまくいなかいね」
そんな彼女に同調するような声がした。
いつの間にか、隣に人影が増えている。
「どなたですか」
セレイはつい、声を掛けた。相手は、深くフードを被っていた。
「うまくいかないね」
相手は同じことを繰り返した。声を掛けたが、こちらを見向きもしない。嫌な予感がした。
「あの、よくはわからないですが、思いつめない方がいいですよ」
どの口が、とセレイは思った。でも、相手が自分のように落ち込んでいるのなら、助けてあげないといけない気がした。それに、場所が場所だ。もしも飛び込みなんて考えているとしたら大ごとだ。
「うまくいかないね」
相手は橋の下をずっと見つめている。
「わたしでよければ、話、聞きましょうか」
おこがましい考えかもしれないが、この人のことなら救える、セレイにはそんな気がした。
「うまくいかないね」
「なにがあったのか、聞かせてください」
いよいよ手すら届きそうな距離。そのとき、ついに相手がこちらを見た。そのとき、セレイは思わず絶叫した、はずだった。
「うまくいかないね」
もしも叫べていさえすれば、誰かが聞いてくれたに違いない。だが、彼女の口は真白な手で塞がれていた。セレイは必死で己の口に張り付いたそれをはがそうとするが、まるで効果がなかった。そもそも、爪さえ刺さらない。
「うまくいかないね」
そういいながら、相手はセレイを見た。だが、その表現は適切ではない。相手には目がなかった。骸骨、と表現すればいいだろうか。しかも人間ではない、何かの骸骨。しかも、眼窩や口腔内に、爪や角といった尖ったものがそこかしこから突き出ている。まるで、いろんな魔族の骸骨の集合のようだった。それが、ぼろ布を着ているのだ。
「うまくいかないね」
〈骸骨の魔族〉の右腕が存在しない。体から離れたそれが自分の口を塞いでいるのだとセレイは理解した。だが、理解がこの状態を覆すわけではない。彼女の力では〈骸骨の魔族〉の腕をはがすことなどまるで叶わなかった。魔族は左手を持ち上げ、セレイに向ける。指が七本あり、そのうち一本はまるで刃物のように薄く研ぎ澄まされている。
「うまくいかないね」
セレイの数奇な人生の幕引きにしては、あまりにあっさりしたものだった。二十年こちらで生きて、いろんな人に出会い、その人たちの力になりたくて頑張ったのに。
『あなたに、この世界を救う運命と、戦う力を授けます』
嫌なことを思い出した。ちょっと気まぐれに人だと思ったものに話しかけてこの様だ。人助けをしようとして、殺されようとしている。
――わたしはずっと、後ろがお似合いだ。立たないで、座っていればよかったんだ。
「うまくいかないね」
――そうだね。
セレイは〈骸骨の魔族〉に内心同意した。
「そうだ。うまくいかないんだ」
その時、深く、地の底から湧くような低い声がした。〈骸骨の魔族〉の頭を、後ろからがっしと掴む手が現れた。そして、そのまま握り潰す。飛び散った破片がセレイの顔をかすめた。同時に、彼女の首を握っていた手ががらがらと崩れ去る。セレイは全身から力が抜けていくのを感じ、そのままその場に座り込んだ。
そして、〈骸骨の魔族〉を握りつぶした、相手の姿を見上げた。
セレイも噂で聞いたことがあった。ドーダムにいる、魔族を殺す黒い魔人〈ダオド〉、まるで甲冑を纏ったような出で立ちの人型がそこにいた。
その後ろ、ふいに吹いた風に、〈骸骨の魔族〉の纏っていた布が舞う。ふと、その中に、砕けたはずの骨がちらりと見えた。
「後ろ!」
彼女が叫ぶより早く、〈ダオド〉は後ろ回し蹴りでもって〈骸骨の魔族〉を砕いた。だが、次の瞬間には再び、〈ダオド〉の右側に魔族が立つ。それを〈ダオド〉は固く握った拳でもって粉砕する。それでも、今度は堂々と、〈ダオド〉の左側に〈骸骨の魔族〉が現れた。無数の指の骨が突き出た腕で、〈ダオド〉の首を締めあげにかかる。だが、〈ダオド〉は首を絞められたまま堂々と相手の頭を掴み、そして粉砕した。すると、やはり〈骸骨の魔族〉はバラバラになって塵と化す。
しかし、四度も同じ場面を見ていれば、セレイですら魔族の種がわかる。
「それが本体か」
砕けた骨に紛れてひらひらと風に舞うぼろ布を見、〈ダオド〉は独り言つ。拳を解き、骨ではなく布をがっしと掴む。掴まれた布はその隙間から骨を産みだし、〈ダオド〉の体にまとわせ、ぎりぎりと締め上げる。だが、〈ダオド〉はその程度では揺るがない。掴んだ布から煙が、そしてやがて火を噴く。初めて〈骸骨の魔族〉は絶叫した。骨の間からも火炎が噴出し、あっという間に全身を覆う。炎の塊と、それに手を突っ込んだまま動かない魔人。ついに自身が炎に晒されても〈ダオド〉は不動を貫き、相手が灰になるまで立っていた。
セレイはその様を、腰を抜かしてみていた。そんな彼女を、〈ダオド〉はふと思い出したように振り返ると、こう言った――今思えば、彼は困っていたのかもしれない、とセレイは思った。
「大丈夫ですか、お嬢さん。■■■■■■?」
――あれ?
この時、わたしはなんて言われたんだっけ? セレイはふと、自分の記憶が欠けていることに気付いた。大事なことだったはずなのに。
いっそのこと、聞きに行ってもよかったが、なんとなくベッドを出て立ち上がる気も起きなかった。
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