よ、モテ男
「と、いうわけで、転生王が始め、その後百二十年続いた魔界戦争は、我が国の軍が六体の魔王を、最後の一年に立て続けに討伐することで終結しました。このことについて、どうしてか、わかる人はいるかな」
フラック・ヘイランはそういって振り返った。目の前には二十人ほどの子供たちがいる。場所は小学校ではなく、旧魔王城跡、ドーダム魔術研究所の近くに建設された戦勝記念館。そのエントランスにある魔界戦争の年表の前である。
そして、フラック・ヘイランは教師ではなく、ただの研究員である。故に、欠伸をしたりあらぬ方向を見つめる彼らに、どう接すればいいかわからない。昔、王都の大学で講演した時はこうじゃなかったのに。知らず知らずのうち、杖を持つ手に力が入った。足が震えて、二本だけではいよいよ立てなくなりそうだからだ。
「わかる人! リュイ君はどう?」
生徒たちを引率する、学校の先生が助け舟を出してくれた。自分より年下の女の先生が、生徒だけでなく頼りない研究員にまで気配りをしてくれた。そのことが精神的にフラックをより追い込む。
「死んだ!」
しかして、先生の機転は無に帰した。リュイ君の発言に、子供たちが一斉に笑い出した。
「死んだー!」「死んだ!」「死んだ!」
「えっとね、そうじゃなくて!」
先生も焦りだしてしまった。一度興奮した子供たちを宥めるのは大変だ。彼女が必死でいるのを見ると、胸が痛む。
「え、えーっと、理由はまあ、いろいろです!」
フラックは大声を出した。すると、首の奥に痛みが走った。まずい、喉が枯れてきている。唾を飲もうとしたが、口の中がカラカラだった。
「軍の練度が上がったり、医療が進歩したり、社会制度を整えたりしたわけですが、何よりも大事だったのが、魔術の研究です。魔族の持つ道具や、魔族の角や爪、骨なども対象です。それらを利用し、魔王に対抗する術を身に着けたわけです。それらが結実したのが魔界戦争最後の年、というわけですね」
一気にフラックは喋った。子供たちはその様子に静かになった。急に大人が、顔を真っ赤にしてまくしたてたことに驚いたのだ。
「それに、君たちが夜歩くときに明るいのも、誰かが街灯に火を灯して回っているわけではなく、自動で魔術を使って点灯するようにしています。あと、音楽もそうですし、家の暖炉も、今では魔術を利用したものが多いのではないでしょうか。戦争以来ずっと、そういう研究をしているのが、この魔術研究所、というわけです」
フラックはなんとかして話を締めた。
「それでは、次は魔王城で実際に発掘されたものを見てみましょう!」
最後に声を絞ってそういった。息が上がっているのが自分でもわかる。フラックはあっという間にふらふらになっていた。
「じゃあ、こちらへどうぞ!」
様子を見かねたのか、次のエリアにいる研究員仲間が手を振って声を上げる。生徒たちはそちらの方へぞろぞろと移動していった。
「騒がしくて、すみません」
生徒たちの先生がそっと近づいて小さく謝罪した。心なしか顔が赤い。
「僕こそ、こういうことには慣れていなくて。お見苦しいところをお見せしました」
フラックは深くため息をついた。
「そんなこと言わないでください。聞いてますよ、フラックさんはとても優秀な研究員だとか。この前も、特別な賞もいただいたって」
耳打ちでもするように彼女は言った。ふと、普段かいだことのない甘い匂いがした。最近流行りの香水だろうか。
「そんな、僕は大したことありません。子供たちに、ああも振り回されてしまうので」火照った顔を、ついつい逸らす。
「そうでしょうか。立派だと思います。お仕事に熱心に取り組む姿は素敵ですよ」
「これは上司に言われて仕方なく……」
なんとなく気まずくて、フラックは彼女から体を捩って離す。体重のほとんどが、杖にぐいと寄っている。
「だとしたら、向いているかもしれませんよ。わたし、最近ドーダムに越してきたのでよく知らないのですが、もっと知りたいと思いました」
「そうですか。えっと、じゃあパンフレットをお渡ししましょう。取ってきますね」
震える足で一歩、そして杖を突く手を持ち上げようとして、それを制された。彼女の手が重なっていた。
「あの、実は足が悪くて、杖がないと歩けなかったりしてまして」フラックの額に脂汗が浮かんだ。
「存じています。ここの研究員のアムはわたしの叔母なんです」
「あー、そうですか。アムさんと……」
フラックは頭を抱えたかったが、無理だった。杖を握っていない方の手すら、彼女によって握られていた。
「フラックさんは、わたしと同じぐらいのお年なのに大変ですよね。わたし、いろいろとお手伝いできますよ」
フラックの杖の上、それを握る彼の手に重ねられた彼女の手が、より強く密着する。
「いえいえ、お構いなく。慣れれば案外どうとでもなります」
いよいよ汗が顎、首と伝う。全身が蒸す感覚があった。
「でも、ご結婚されていたとは聞いていませんでした。アムも意地悪ですね」
「そうです! なので、困るといいますか」
「しかも、職場まで来られるなんて。とても仲がよろしいようで」
つん、と突き放すように彼女は言った。
「え?」
フラックはあたりを見渡した。と、杖を握る手が軽くなり、甘い香りだけが残った。はっとして記念館の奥を見ると、すったすったと早歩きして消えていく彼女の影が見えた。
「なに、あれ」
そして、背後から鋭く刺すような声がする。フラックは次から次へと襲い来るイベントに恐怖した。バギバギバギバギと聞いたことのない心音がする。死ぬかもしれないと本気で思った。
「何もない。見ればわかるだろ、セリー」
フラックは後ろを振り見る。仕事でいつも縛っているためか、わずかにウェーブした髪に、あまり化粧っ気のないこざっぱりとした印象の女性がいた。セレイ・ヘイラン。ドーダム南病院に勤務する看護師であり、彼の妻だった。
「わかんない。この前、足がつらそうだったから心配して来たんだけど」
そして、機嫌が悪いらしい。今度は血の気が引く感覚がフラックを襲う。襲われてばっかりだ。
「いや、それはその通りだよ」フラックは慌ててそう言った。
「しかも、全然わたしに気付かないじゃん」
「それは、その、いつからいたの? ……いたんですか」
「かっこつけて眼鏡外してるからじゃない?」
セレイは彼の胸を指した。フラックは胸ポケットから眼鏡を取り出す。そして眼鏡を掛けたことを後悔した。眉間にしわを寄せる妻の顔をはっきりと見てしまったからだ。
「いや、ほら、年表とか、近いものは見えないからね、眼鏡かけてると」
眼鏡を外し、年表を指差し、フラックはかすれた声で精一杯の声で弁明する。弁明しようとした。だが、後半はもう音にもならなかった。
「ぷ」
すると、ついにセレイが笑った。
「うわ、なにそれ。変なの」
ははは、とセレイは口に手を当てて笑っている。
「ひどい。弄んだな」
何とかかき集めた唾を一飲みしてフラックは言った。
「はい、じゃあそろそろ患者さんの体に悪いだろうから、罰ゲームはこれくらいにしてあげるね」
「そうしてください、看護師様」
眼鏡をかけ直して安堵した。故に、なんの罰ゲームかは訊かないことにした。つまらない質問をしてこの笑顔が失われるのは嫌だったからだ。
「はい、水」ちらりと彼の様子を見たセレイは、鞄から水筒に入った水を手渡した。
「ありがとう」
素直にフラックはそれを受け取ると水を飲む。生き返るようだった。あー、と思わず声が漏れる。
「食堂で待っててくれる? あと少しで退勤できるから」
「そう? 別に外で待ってるけど」
「いや。最近物騒だから。人に化けた魔族が出ると思う。夕方から人を誘って室内で襲うみたい」
フラックは急に声を潜めてそう言った。これにはセレイが驚いた。
「知ってるの?」
「まあね。だから、午後には外には出ないこと」
セレイは少し考えた。自分が知っている情報を教えてあげれば、そんな心配は無用なのだが。
「うーん、じゃあ、そうしよっかな」
気づいたらそんな返事をしていた。
「そうしてください。まあ、それも今日だけだから」
フラックはそういって得意げに微笑んだ。多分、彼は、自分の顔に心配で影が差したことになんて気づいていないのだろう、セレイはそう思った。
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