憧れの定時退勤
待っている時間、というのは落ち着かない。だが、突っ立っている以外に何をしていればいいだろう。セレイ・ヘイランは病院の廊下で、レータ・サトライカが患者への聴取を終えるのを待っていた。もしも、この様子を看護師長のスザリが見たらなんというだろう。掃除の一つでもしろ、とかほかの病室の様子を見に行け、などというだろうか。
幸い、今は昼を過ぎ、少し落ち着いた時間が流れている。急に彼女が現れることはないだろうが、手持ち無沙汰過ぎるためか、考え事が浮かんでは消え、浮かんでは消え。
特に、今日は早めに家に帰れるので、夕飯を作った後はどうしよう、などと考えていると、病室のドアが開いた。
「ありがとう。無事に済んだよ」
病室内へ手を振った後、レータはそういった。
「よかったです。様子はどうでしたか」
「大丈夫。何事もなく終わった。いたって普通だとも。では、先に帰るよ」
そういって歩きだそうとするレータ。その様子に、セレイは病室とレータを交互に見た。そして、
「ルーマさん、後で少しお話を聞きに行きますから!」
と声を掛け、小さな返事を背に受けながらレータの後を追った。
「お見送りします」
「構わないよ。確かに病院の世話にはなっているが、走れだってする」
そういってレータは膝を高く上げて見せた。が、少し顔をしかめた。
「いえ。実は、ルーマさんの身に起きたことについて知りたいんです」
「それは……難しいな。どう見ても魔族の事件だ。でも、近々第一衛兵隊が討伐する。心配はいらないさ」
「もちろん、隊長のことは信じています。ですが、問題はルーマさんです。最近はましになりましたが、それでも時々急に怯えた様子になりまして。幻覚を見ることもあるようです。病室が広く使えるからうちを使っていただいたと思うのですが、結局何もできなくて」
「ああ。そういうことか……」
レータは一瞬セレイの格好を見、そして少し考えこんだ。
「なにかありましたか?」
「ここ、男性は医者だけだったかな」
「はい。そうです」
ドーダム南病院は看護師六名と医者三名のみで運営している。だが、男性の看護師はいなかった。
「そうか。それがな、どうも相手の魔族は女に化けていたらしい」
「化ける?」
つい大声が出てしまった。慌てて口をふさぐ。
「静かに。言っておくが、わたし自身、君やノルイ先生に助けられたから特別に教えるんだからな」
「はい、わかっています」セレイは緊張して言った。
大分老いたが、やはりこれでも前線にいた兵士には違いない。大声を出さなくても、十分セレイを威圧できる。
「どうも、魔族は黒いドレスを着ていたそうだ」
「魔族がドレスを?」声を落とし、セレイは聞き返した。
セレイをはじめとして、看護師は全員黒いドレスに白いエプロンをつけている。ドレスといってもパーティに行くような派手
さはない。かなり普段着然とした、全身にゆとりがあるものを。
「君たちの格好は彼にとってよくは見えないだろう。怪我もひどいし、トラウマが植え付けられていてもおかしくはない。発言が要領を得なくて困ったが、どうもそういうことらしい」
「そうですか。だから……」
セレイは考えこんだ。
「できれば医者と直接やり取りする方がいい。君からそう促すことが出来たら……」
「はい。父に頼んでみます」
「それいがいい。あと、魔族の特徴はまだ確定じゃないからな。他言無用だ」
「わかってます」
セレイは力強く頷いた。
「頼むぞ。ここまででいい」
病院の入り口まで来ると、そういってレータは手を振った。
「わかりました。道中、お気をつけて」
セレイも手を振り返し、彼を見送る。見送りながら、考える。そうか、女性に化けた魔族か。中央病院に同様の魔族と思われる被害者がほかに三人いる。皆が皆男性で、その誰もが、なぜか服を脱いだ状態で病院に担ぎ込まれたのをセレイは知っている。なんとなく、すべてに合点がいった。
「さあ、お見送りの次は?」
「はい、ルーマさんのところに戻って様子を見てきます」
くだらないことを考えていたおかげで、背後の看護師長の気配に気づけなかった。
「よろしい。あの兵隊崩れがうちの患者に悪いことを吹き込んでないか、きちんと見てきなさい」
「隊長はそんなことしないと思いますが」
「いいから。急ぎなさい」
「はい」
看護師長スザリは無駄が嫌いだ。誰しもが『ロボット』のように定刻通りに動かないと気が済まないらしい。だが、いいところもある。
「あなたは夜勤明けでしょう。定時まであと十分です。長居するようなら迷惑ですよ」
定時を守らせてくれるのだ。上長自ら、ちょっとパワハラ気味に時間管理をしてくれる。わたしとしては、これだけでスザリのことが好きになってしまいそう。
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