第2話 依頼主

 蛍以外に誰もいない空間で椅子に深々と腰掛け戸を叩く音がするのをじっくりと待つ。

ここは空洞化現象の典型例。昼間は外から話し声がチラホラと聞こえるばかり。むしろコップを置く音、椅子が軋む音、机に置いた時計の針が騒音に感じてしまう。

当然、新装開店だからと依頼人が殺到するとは考えていない。最低でも一週間は誰も来ない、ひと月後に片手の数ほどの依頼人が来れば万々歳。利益は必要だが、それらを求める仕事に辟易としていた。これは蛍にとってのリハビリである。だからそのくらいでちょうどいい。

 一時間が経過し、二時間が経過。三時間が経過したことに気づいたのは本を読み終えて時計を確認した時である。わずかに口角を上げて満足な笑みを浮かべると本を棚に戻した。

「期待していないが……誰も来ないと寂しいものがあるな」

コンビニであれば新装開店で商品を割引する。パチンコであれば当たりやすくする。と、様々な方法で集客を狙うが、この仕事はそうはいかない。

安価で請け負うからと仕事が大量に舞い込むわけではない。一般的に探偵の依頼料など不明瞭であり安価となっても実感がわかないだろう。それに蛍には大量の仕事を請け負える技量がない。正確には実力がないため殺到されれば再び倒れてしまう。

 蛍は棚の前で本の背表紙を眺めていた。今日という日の残り時間とそれに合う本。何冊用意すればいいのか、なんて時間を潰すことばかり考えていた。

「さてと………ん? あぁすみません、気がつきませんでした」

時間を潰す予定の本を手に取り振り返った時、扉の前には若い女性が立っていた。

見た目は女子高生かそれより上。中学生にしては顔に幼さがない。大人びた雰囲気、というよりは緊張や不安で委縮した雰囲気がある。服装は喪服を思わせる黒で統一されており委縮した様と相まって陰鬱さを強調する。耳にはピアスやイアリングはなく、手には指輪も付けていない。ただ首元にあるチョーカーは飾り気のない彼女の中で目立っている。

他に気になる点がいくつか。

学生であればこの時間は学校にいる時間。当然、学校を休んでここへ来た可能性は十分にあるが不信感を拭えない。そして玄関には呼び鈴があったはずだが彼女はそれを鳴らさずにこの部屋まで来た。非常識、というつもりはないがこれもまた不信に感じてしまう。

 蛍は手に持った本を棚に戻すと小さく咳払いをした。

「ここは探偵事務所ですが……御依頼でしょうか」

相手に対して失礼だとわかっていても疑心暗鬼がそのまま言葉として口から零れてしまった。

彼女は返事をせずにコクリと頷いた。これもまた蛍に不信を募らせる。

 蛍は彼女をソファまで案内し適当な飲み物を用意した。飲み物はいくつか提示したが「お構いなく」とだけ話して再び口を閉じてしまったため無難な緑茶にした。

第一印象は不気味が垣間見える控えめな女性。仕事の都合上、偏見を持つことはいけないとわかっていても抱いた印象を誤魔化すことはできない。

「あの……大丈夫ですか、」

一通りの準備を終えた蛍が席に座るや否や女性は心配そうな瞳を向けていた。

「首のあたりに発疹が、」

女性の言葉に蛍は首筋に手を当てた。彼女の言う通り首筋を撫でるとボコボコした感触が指の腹で感じ取れる。

「あぁこれですか。最近ここに引っ越してきたのが精神を不安定にしているのでしょうか。すぐに治まりますので、あぁ気分を害されますよね、少々お待ちください」

「あの、いえ気になりませんので。心配になっただけですから」

「そうですか、お見苦しくて申し訳ありません。ではご依頼についてですが、ここで探偵をしています五月女ケイです」

簡単な自己紹介を述べながら名刺を差し出した。

蛍の読み方はそのまま『ホタル』であるが探偵業を行う際には『ケイ』と呼称している。ホタルという名前は嫌いではないがケイの方が違和感がない。男女平等であり中性的な名前ではあるが偏見を拭えない人間が多い今、そちらの方が受け入れられやすい。

「あなたのお名前は………苗字だけで構いません。それと身分証があればそれも見せていただけると幸いですが……失礼ですが高校生でしょうか」

大人であれば運転免許証など持ち歩いている可能性は大いにあるが、高校生であれば身分証明証を持ち歩くことは珍しい。学生証でも十分だがそれすら持ち歩いている生徒は蛍が学生の頃には稀有であった。

「ええと、名前は……ミヤオ…宮尾です。高校二年生ですけれども学生証がないんですけどどうしたらいいでしょうか」

「宮尾様ですね。身分証は次回お持ちいただければそれで。では本題に、何がお困りなのでしょうか」

二人の距離は三メートル弱。この距離では香りの強い香水は蛍の鼻腔を刺激するがその傾向はない。袖が僅かにまくれているがその陰に腕時計はない。ポーチなどの小物入れもない。異様なまでの飾り気のなさに蛍の常識が揺らいでいく。

この場に何も持たず来ることはあるのか。依頼内容に沿った『なにか』を持ってくるなり学生であればリュックやカバンを持っているのが妥当。ポケットにスマホや財布を入れていることも否定できないが近所のコンビニに行くわけでもなし。

 宮尾と名乗る女性に対しての不信感が蛍を急かしている。本来、本題に入る前にすべきいくつかの事柄を省き本題に入ってしまった。

省いた内容は、住所や電話番号の記載と紹介があったかの有無。

紹介に関しては親戚の叔母から以外にはない。しかし叔母からは何の連絡も受けていない。ともすればこれは省略しても構わない。だが決まりとあればやらなくてはならない。

これらは数年間の仕事で染みついた習慣である。それを忘却させるまでに宮尾に対する疑心が募っている。

それだけではない。彼女に対する疑心もあるが別の何か。今朝治まったはずの蕁麻疹の再発、事故物件に住んでいるという事実も相まって嫌な予感を生み出している。

蛍は宮尾の言葉に耳を傾け目を鋭くさせる。睨むような視線は依頼者を威圧し委縮させるほどに鋭利である。

 何度も注意されたことである。話を聞くところから始まる仕事に対し、蛍は推理から入ってしまう。事実を確認した時点でいくつか推論立てている。そしてその多くは見当違いであり偏見が生み出す負の功績となる。

今では話を聞いて行動に移すがその時の癖がなくなったわけではない。どうにも納得のいかないことがある時にはこうして鋭利な視線で物事に取り組んでしまう。


 ここまでの一連の流れでわかることだが、宮尾は初対面との対人関係が得意ではない。得意な人が少ない事ではあるが、声が尻すぼみになることや視線をあわせず床を見つめる様はその典型である。そんな人が鋭い視線を向けられればより言葉がでてこなくなるのも当然である。

宮尾は口をパクパクと開閉させ言葉を必死になって探している。そして落ち着くためにお茶を一口飲んだはいいが熱いお茶に驚き全身が跳ね上がった。

まるで計算されたコントを見ている気分である。だがその原因が自分の視線であることを蛍は知らない。

一通りに驚いて冷静さを取り戻した宮尾は大きく息を吸い込むと依頼の内容を口にした。

「半年前に行方不明になったおじいちゃんを探してほしいんです」

依頼主の言葉の中で蛍が印象的に感じた言葉は三つ。

半年前、おじいちゃん、探してほしい。

行方不明は探してほしいという言葉にまとめることができる。他は気にする必要はない。

「半年前ですか……。であれば、おじい様はもう」

「わかっています。ただ半年経ってなにもわからないんです。生死も、どこへ行ったのかも、」

宮尾がおじいちゃんと呼ぶのであれば対象者は高齢者である。

例外として、結婚可能な年齢である十八歳で子供を産み、その子供が十八歳で子供を産んだと仮定するとおじいちゃんは三十六歳差であり、高校二年生ならば十七歳であり、対象は五十三歳。授かり婚であれば若干年齢は下がる。

「おじいちゃんは今年で……えっと何歳だったっけ。あの、もう仕事もしてなくて、白髪まみれで皺だらけで、」

蛍が特徴を尋ねる前に宮尾は必死な様相で特徴を挙げていく。

両親の年齢を言える子供はいる。だが二世代上を覚えている人は珍しい分類だろう。蛍も父母の年齢は時間を掛ければ思い出せるが祖父母の年齢は自信がない。

特徴的な年代、例えばオリンピックや終戦、二一世紀の始まりであればまだ覚えやすいが、それでも覚えられるわけではない。

「おじい様はなにか病気を罹患されていましたか。最たるもので認知症などありますが……。それとおばあ様についてお聞きしても」

初めて一人で受け持つ依頼、形容できない疑心は蛍から冷静さを奪っていく。本来は順序良く整理しながら話を進めるべきだが、気になることを優先して掘り下げてしまう。

蛍は自分を落ち着けるために用意したお茶に口をつける。

「熱っ‼」

それは数分前に見た光景であり滑稽に見えた場面である。

 蛍が取り乱した様子を見せると宮尾はクスッと笑った。

これが蛍の計算であれば格好がつく。相手の緊張を解す処世術と胸を張り次の行動に移すことができるが、緊張と不安と疑心で盲目となった蛍にとってはただの事故。赤面を隠すことが精一杯である。

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