第3話

だがこれがきっかけで宮尾は過度な緊張がなくなり、おそらく彼女は自然体になったのだろう。蛍の質問に対してハキハキと返答していく。

 蛍のメモには必要事項が書かれていく。

おじい様は半年前から行方不明である。宮尾が必死に探している中、おばあ様が探していないのは昔に離婚をしていたから。宮尾はおばあ様の顔を知らない。

おじい様は普段から後ろ向きなことばかり話していたらしく宮尾はそれを聞いていた。

「なるほど。離婚されていた事もありおじい様は精神的に不安定だったと。ふーむ、半年前の失踪と重ねるとやはり存命の可能性は、」

精神的に不安定であり半年前に失踪した。どこかで保護されていないのであれば………。

「他に何か知っていることはありますか?」

「……そういえば、おじいちゃんがいなくなる前の日にこの館にたくさんの人が来ていました」

「この館にですか、なるほど」

なるほど、などと言いながら蛍は言葉の意味ではなく整理に気を向けていた。だからその言葉どれほど重大な意味であるかに気づくのが遅れてしまった。

「………あの聞き返すようで申し訳ありませんが、この館に来ていたのですか?」

コクリと頷く宮尾をみて思わぬ情報に蛍は再度思考を白紙にされたのである。

彼女が嘘を吐く理由はない。依頼者が嘘をつけばそれだけ依頼達成から遠ざかるだけである。もしくは蛍が戸惑う姿を見て楽しむ算段の可能性もあるが、ここに来た時の表情からは悲愴が見受けられた。これが偽りであれば彼女は女優になるべき逸材である。

 仮定として宮尾の言葉が本心だったとする。

つまり宮尾のお爺様は蛍の祖父に当たる人である。この館は蛍の母の父であり蛍の祖父の所有していた館である。宮尾の話では宮尾の探すお爺様はこの館で暮らしていた。ある時、この館に大勢の人が集まり、その翌日から姿がみえなくなったのである。

(……爺ちゃんは自殺したはず。この館に集まったとは遺体の発見された日か葬式の日だと考えられる。つまり彼女はそのことを知らなかったことに、)

蛍はとっさにスマホを取り出し母に電話を掛ける。

「すみません、確認すべきことがありますのでしばし席を外します」

蛍はペコっと頭を下げると部屋を後にして玄関へと向かうと母が電話に出るのを待った。

行儀悪く踵をつけたままつま先を上げては床に打ち付ける。

1コール、2コール、3コール、………。

一分ほど経過しただろうか。蛍は両親が共働きであり仕事しているのであれば電話に出られないことをすっかり忘れていた。そのため電話の目的をメッセージで送信することにした。

「………ん?」

部屋に戻る前に玄関を眺めていた蛍はその場の違和感に気づいた。

それは『靴が蛍の分しかないこと」である。

出掛ける時用のスニーカー、買い物用の安価な靴、家の周りを散歩するサンダル。普段から見慣れた三足の靴が端に寄せられているがそれ以外に靴がない。靴置き場もビニール袋も用意していないこの事務所で靴がないのである。

「どういうことだ。これ───」

蛍は玄関に備え付けられているシューズケースを開けようと一歩踏み出した時、全身に鳥肌が立ちその場から動けなくなってしまった。気がつけば呼吸は荒くなり額には嫌な汗がじっとりと搔いている。

(───っ⁉)

蛍は振り返りリビングに戻ろうとしたその時、モザイクガラス越しに宮尾がこちらの様子を覗うように扉の前に立っていた。生憎とモザイクガラスであるため互いに視線を交わすことはない。だが蛍を監視する行動に思わず一歩、二歩とたじろいだ。

(真夏の心霊特集じゃないんだぞ、)

警鐘を鳴らす心臓を落ち着けるために深呼吸を二、三度行う。

その間も宮尾は蛍を監視するかのような様相を見せている。

(行動を監視することに意味はあるとすれば、それは彼女が何か隠しごとをしており気づかれることを恐れている。もしくは私を疑っている、か)

前者の場合は彼女の靴がない事が関係するかもしれない。

後者であれば館の主がお爺様ではなく蛍である事が関わる。

 モザイクガラスは考察の全てをぼかしてしまう。

彼女の視線がどこに向けられているのか。眼差しはいかなるものか。

蛍が扉に数歩近づけば宮尾は何事もなくその場から離れて平生を装うだろう。

 蛍の呼吸は音のない廊下では煩いほどに荒れている。

ここが事故物件という前提条件が恐怖を想起させているのか。常ならざる状態は蛍の精神状態をかき乱し呼吸として体現している。

不安定な感情に支配されながら、蛍は扉に近づくために体重を前に掛けた。キシッと床が軋み静寂な廊下を音のある空間に引き戻す。

その音を聞いてか、宮尾はモザイクガラスから離れこちらから姿を確認できなくなった。

緊張の糸が切れると蛍は大げさな咳払いをして精神をより現実に近づける。

今すぐに宮尾に会ってしまえば心情をすぐに悟られてしまう。今の蛍の心情など、初対面の人間でさえパッと見ただけで判断できてしまう。

(今は必要な部分だけを覚えておけばいい。余計な感情は後回しに、)

そう自分に言い聞かせる。

これは蛍に特別な言葉ではない。親、友人から聞いた言葉でもない。普段から自分を落ち着けるために言い聞かせるおまじない。

 蛍は現状の要点だけを頭のメモ帳に記す。

結果を見ればこれらすべて無意味でした。なんてこともある。覚えた要点以外が重要でした。なんてこともある。

だがそれらは要点を覚えて初めて成り立つ。前提条件は要点を覚えることである。

(……うん。大丈夫、普段通りに)

それでも僅かに残る不安は自己を慰め、言い聞かせる。

 スマホの画面を確認し連絡の有無を確認し操作した蛍は扉をノックし数秒の間を空けてから入室する。蛍の視線は狡猾な狐よりも鋭く宮尾を含める周囲すべてを観察し違和感を探す。

「お待たせしてすみません。連絡がつかなかったもので時間が掛かってしまいました」

声色は視線の鋭さとは対極に位置する怪しい勧誘をする穏やかで優しい音。聞く人の警戒を解して心の隙間に付け入るものだった。

宮尾は入室した蛍に一瞥もすることなくお茶の入ったカップを眺めている。だが神経が鋭敏な蛍はそれすらも、反射でこちらを確認しているのではないか。などと疑りを向けてしまう。

 蛍は席に着くとまだ温かさの残るカップを手に取り口の中を潤すと依頼に関する話を再開した。

「改めてご依頼の確認をしたいのですがよろしいですか」

宮尾が杭を縦に振ったことを確認すると、蛍は机の上にあるメモ用紙に先の疑問をつけたしながら依頼の概要を完成させていく。

「ご依頼内容は、半年前から行方不明のお爺様の捜索。お爺様はこの館に住んでおり半年前に大勢の人がここに来たのを機に姿が見えなくなった。これでよろしいでしょうか」

よろしいでしょうか。等と問いかけているが蛍は自身の言葉に錯乱している。情報を整理すればするだけ現状がわからなくなる。

だが今はそれを飲み込まなくては進まない。

宮尾が再度首を縦に振ると蛍は椅子を軋ませながら背もたれにもたれ掛かる。

 何を質問すればいいのか。何か話す必要があるのか。

そう彷彿とさせるように蛍と宮尾は視線を交差させたまま動かない。

 やはりこの沈黙の空間において耳障りな音は時計の音だけである。

一定のリズムが時間の流れを現実化させ次の行動を急かす。

宮尾の口が僅かに動いた、ように思えば下で唇を程よく湿らせる。

蛍が宮尾に問いかけた、ように見えたとしても顎に手を当て再考してしまう。

蛍が声を出したのは針の音が百回を超えた頃。あらゆる思考の末に導いたのは、

「宮尾さんはお爺様の行方不明が私と関わりがある。そうお考えですか」

と、口調が穏やかながらも苛立ち、不快、荒々しさを感じる文言であった。

 他に聞くことがあったかと言われれば今の蛍は首を横に振る。

様々なことを考えても行き着く先は『宮尾はいったい誰なのか』というもの。

蛍にとっての親戚、従兄妹、腹違いの誰か、なのか。

宮尾のお爺様と蛍のお爺ちゃんが同一人物の時点で余計な思考が邪魔をする。

 宮尾は蛍の眼を真っ直ぐ見つめたまましばらく口を閉じていた。対する蛍も威圧するわけでも、弱々しくも見つめるわけではなく真摯に見つめ返す。

「いいえ、この家に住んでいて怪しいとは思いましたけど売り物件であったこの場所に今は誰が住んでもおかしくないですから」

「それはよかった。困惑している最中宮尾様からも疑われていては身動きが窮屈になってしまいますから」

蛍は下手くそな作り笑顔を浮かべた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る