第8話 攪乱
最近、
茜の心配を
駄目と分かっていながらも
その日もいつも通りに
出掛ける
三つ指ついて見送ると
そのまま急いで裏木戸を出て帯刀を尾行した
剣客を
さすがの帯刀も気付く事無く
そのまま歩き続け
そして町外れの寺の中へと消えて行った
茜が寺の前で身を
周りを見渡し付けられていないか確認して
寺の門を潜る
二藤様は帯刀様と一緒に動いているのか
あの二人は何を調べているのか
人目を避けるように町外れの寺で落ち合うとは
他の藩士に知られては不味い事なのか
藩内に敵がいるということか
と茜が考えているうちに
更に一人二人と若い侍が寺に入って行き
確認できただけで十五人はいるようである
茜はそこまで見届けると本家へと戻った
―――—— ―――—— ―――——
それから数日後の夜
廊下から
「旦那様、奥様」
とクマが声を掛ける
「何事か」
障子を開けクマに問うと
「いま
塀の向こうに
中の様子を伺っているようなのです」
茜が落ち着きながらクマに問う
「何人程いるようか」
「はい、提灯の数は七つありました」
帯刀が茜に問う
「奴らの狙いは何だと考える」
茜は暫く目を閉じてから
「一番の狙いは帯刀様、
ですがそれなら昼でも良いはず
夜更けに徒党を組み襲うのは
一家皆殺しにし家に火を付ける腹づもり」
「やはりそう考えるか」
「そして奴らの黒幕は
焼け跡に不審な点が見つかっても
全て揉み消す地位にある者
差し詰め城代家老の一人でしょう」
「まぁそんなとこだ」
「ついでに言えば
帯刀様は江戸家老の牧本様に命ぜられ
本当は殿からの命ですね」
「そこまで見通すとは
我が女房殿には噓は付けぬな」
「それで、この騒動の黒幕に従う者の人数は」
「調べでは四十ほど」
「困りましたね、四十人も集まれば
とても二人じゃ
「兄上も居るから三人だ」
「それでもべら棒過ぎですよ。
クマ、
「はい、覚えております」
「では二藤様に事情を説明し
仲間を引き連れて助太刀に来て欲しいと
頼んできておくれ、急いでだ」
「はい」
夫は妻の口から
「なぜ二藤に助太刀を頼むのだ」
と問う
妻は涼しい顔で
「一度だけ帯刀様を尾行をさせて頂きました
その時に
ここは二藤様にお仲間を引き連れ
お出で頂いても構わないのですよね」
逆に問われた夫は
「十内先生から
尾行されていたとは油断した」
とぼやく
妻は夫の言葉を聞き流し
クマに向かい
「
身が危険な時は抜いて構わない、
遠慮なく斬りなさい」
「はい」
茜に言われた通りにクマは小太刀を持ち
裏木戸から外に出て静かに走り出す
いま自分の肩に
朝倉家の皆の命が掛かっている事を
仲間である使用人達の命が掛かっている事を
痛い程に嚙み締めながら
先の見えない暗闇を
己の命をかけて走りぬく
―――—— ―――—— ―――——
「
一人残らず広間に集めてください
そして
「分かっている
兄上には一緒に刀を振って頂く」
静かに皆を起こして広間に集め終わると
刀を取りに戻った部屋で久し振りに
髪を一本に結び
帯刀の
「この様な事態になり済まない」
との言葉に
茜は、もしもの時に帯刀を守るため
一緒に
などと本当のことは言えず
「この依頼、高くつきますよ」
「
帯刀も笑みで
大広間へ行くと
いま危機的状況に置かれていると知った
家人達は誰一人取り乱す事無く
落ち着いて座っている
先に支度を終え
兄の
「まさか茜さんも行かせるつもりか」
と
朝倉家の者達には茜が剣客である事は
一切話していないので
「茜は剣術の心得が有り
その腕前は私にも
心配は無用です」
「そうなのか茜さん
無理をしているのではないか」
自分を気遣ってくれる
剣客であるとの真実を伝えない事を
半分申し訳ないと思いながら
「義兄上様、帯刀様の負担にならぬように
精一杯努めさせていただきます」
茜本人の言葉に
「私も父上と共に参ります」
信利の一人息子の
その十二歳の少年の眼光は鋭く
臆することなく戦う意思を
「
この場は最後の
もし父達が破れ敵が侵入して来たら
砦を、皆を
少年は唇を嚙み締め
「はい、父上の申し付け
覚悟の言葉を父に伝える
「
既に三十はいるようだ
何か策は有るのか」
茜が
「まず二、三人が塀を越え
門の
その前に塀を越えた者を斬って
時間を稼ぐのが得策です」
「なるほど、
茜さんは兵法にも通じているとは
恐れ入ったぞ
一刻を争う、急ごう」
三人が外へ出ようとした時
「
後生ですから母の
「いい加減にせぬか」
と妻を
「婿養子は黙っていてください
朝倉家の本来の
大事な
許しません、帯刀が行く事を許しません」
なおも帯刀の足を離さない
「母上、いい加減にしてください
ここに居る皆の命が掛かっているのです」
母の手を弟から引き離し
「急ぐぞ、開けてくれ」
「何が有っても決して開けてはならぬ」
と言い聞かせ
―――—— ―――—— ―――——
三人は急いで門へ向かったが
時既に遅かった
無数の
その灯りは今まさに門を潜ろうとしている
敵は皆が手拭で顔を覆い隠し
眼だけが提灯の灯りに照らされていた
茜は全力で走りながら鯉口を切り
刀を居合抜き一番前に居る男の首を斬り
首から血を噴き出す男の体を
蹴られた体は仲間の中へと倒れ込み
皆それを
そして、
提灯に照らされ映し出される無残な光景に
恐れをなし体を硬直させる
茜の行動に
「刀を握らぬ者を斬るのは不本意ですが
これで敵は死への恐怖心を煽られました
刀を持つ手は定まらないでしょう」
茜の言葉に
「ですが時が過ぎれば
逆に死への恐怖から逃れるために
死に物狂いで向かってくるは必定」
続けての茜の言葉に
帯刀は肩の力を抜きながら
「それで女房殿、
我々はどう対処するが最善か」
「弱い者は群れたがるが人情
兄上様は
初めに斬り掛かって来た者は受け流し
その次に来る者を盛大にお斬りください
さすれば皆が斬り込むのを
そうやって
時間を稼ぎましょう」
「だ、そうです兄上」
「ふむ、あい分かった」
「それにしても帯刀様は
四十程と
五十はいる様に見えますが」
茜のぼやきに帯刀は
「そのようだな。
報酬の
でどうだ」
「それで手を打ちましょう」
二人は揃って、くすりと笑う
「では、行きますか」
義兄の緊張を
わざと緊張感無く茜が言う
茜は息を吐きながら脇構えを取り
多勢に無勢の戦いが幕を切る
茜は敵陣に踏込み
目の前に立つ者と刀を一つ交え
隣の帯刀の方へと追いやる
それと当時に茜は次の上段に構える者の
脇を斬ったかと思うと
素早く身を
肩から腹へと見事に斬り抜く
それを何度も繰り返し時は過ぎていく
見事な
体から炎を発するが
全神経を集中させ
敵は又しても足を
すると敵の最後尾から
「何をしておる、相手はたかが三人
さっさっさと片付けぬか」
静かな闇夜を切り裂き怒号が響いた
その声に急き立てられる様に
敵が動きだす
「親玉は後ろで高みの見物とは
恐れ入谷の鬼子母神ですね」
肩の力を抜きながら茜は
そして心の中では
参ったな、
こりゃ厄介になりやがったぞと呟いた
その時、
「
ようやっと到着した二藤達に押され
敵が門の中へと雪崩れ込み
その後ろから同志十六名が続き
広い庭は一挙に
「旦那様、奥様」
大声を出しながら人波を搔き分け
クマが近付いて来た
帯刀と茜の姿を見つけると
「ご無事でございましたか
間に合って良かった」
息を切らし汗を流しながら
安堵してクマは座り込んだ
「クマ、
よくやってくれた、礼を言う」
帯刀の労いの言葉に茜は
「クマならやると分かってましたよ
何たって私の一番弟子なんですから。
クマ、小太刀を抜き戦えるか」
茜のその言葉に
「はい、出来ます」
心地よいほどに力強く答え
クマは戦いの場へと立ち上がった
月明かりに包まれた庭に
敵も味方も入り乱れ
一斉に刀のぶつかる音が鳴り響く
人並みに揉まれ茜と
互いを見失う
二人は心穏やかでは無い
が、今は敵を倒さねば
大丈夫、きっと無事でいてくれると
互いを信じて刀を振る夫と妻
茜が目の前の敵と
背中が灯りに照らされた
はっ、として後ろへ目を向けると
雨戸が開き中から灯りが
隙間から義母の
その灯りを目掛け別の者が斬り込もうと
突進して来ている
茜は、このままでは家人が危ないと
目の前に対峙する敵の腕を素早く斬り
そのまま直ぐに身を
開いた雨戸から
屋敷内に入ろうとする者の背中を
真っ直ぐに深く突き差す
勢いで顔を隠す
茜が刀を抜くと大きく目を開き
口から血を吐出し絶命した
悲鳴を上げ腰を抜かし震えている
茜の
「早く閉めろ」
の言葉に下男は慌てて雨戸を閉ざした
月は沈み、空は
敵にも味方にも怪我人が増え
皆の疲れの色は濃くなっている
疲れているのは体だけではない
藩士同士で斬り合っているのだ
幼い頃より見知った者もいるであろう
心も穏やかならず疲弊するが人情である
このままでは不味い
早く決着を着けねばと茜は焦り
親玉さえ押さえれば敵は動きを止める
と考え
最後の力を振り絞り
後ろで高みの見物をしていた親玉を探す
そして一人の男に目が留まった
上等な着物に頭巾を被る男が
数人に囲まれ護られている
茜はこいつが親玉と見極め近づき
頭巾男を護る者等に刀を向けたのだが
親玉を囲むその中の一人を見て
こいつぁ
獲物を見つけた狼が唾を飲むが
剣客の血を全身に沸き立たせた
茜は体の緊張を
深く息を吐き中段に構え
その者と刀を交える
正面からの突きを刀で右に弾き
更に下から刀を合わせ上へと押し込み
相手はそれを押し返し
茜は後ろへ飛び下がり
一呼吸する間無く二手三手と上段から繰り出し
ぶつかり合う刀は火花を散らす
次の一手は小さく刀を動かし
相手の手首に傷を負わせ
そのまま大きく踏込みながら
刀を真横構えで腹を深く斬り流し
見事に相手を倒した
頭巾の男を護る他の者達は驚き逃げて行く
茜はそれは追わずに
頭巾の男に近づき刀を向け
肩を峰打ちし首に刀を押しつけ
「皆に刀を置く様に言え」
と迫り頭巾の男は震えながらも
「ここで負ければ
我々には死あるのみ
最後まで戦うが武士の一分」
と言い放つ
どうしたものか
いっそのこと首を斬り
騒動を収めるかと茜が思案したその時
「静まれ、静まれ」
と町奉行の役人達が庭に入って来
潮が引くように皆が動きを止める
役人達は人目から隠すため門を閉ざし
茜が捕まえていた頭巾の男を捕縛し
戦いは終わった
それまで敵味方に別れ
刀を向けあっていた者達は刀を収め
同じ菱尾藩士として力を合わせ
丁重に遺体を並べ
敵味方なく傷の手当をする
茜はその光景を見つめながら
やっと終ったと安堵したと同時に
我に返って
「茜、茜」
と呼ぶ声がする
茜は声の方へ足早に向かい
「茜、無事だったか」
と駆け寄り、愛する妻を抱きしめる
庭はすっかり白い朝日に照らされていた
―――—— ―――—— ―――——
屋敷に入ると広間には
既に
茜以外は傷を負ってはいたが
深手を負う者は無く家人は安堵し
父の
「ようやった、ようやった」
と息子達の肩に手を乗せ喜び
「茜、
礼を言うぞ」
と言葉をかけたのだが
尊子は興奮しながら茜に向かって
「鬼、お前は鬼だ。
人の皮を被った
平気で人を斬り
わざと私に血を浴びさせて」
と
「母上、それは余りの言いよう
茜さんのお陰で母上は助かったのです
朝倉家の嫁として
立派に戦ってくれたのですよ」
尊子は尚も興奮収まらず
「女の身でありながら
平気で人を殺す恐ろしい鬼など
朝倉の嫁では無い、出ていけ」
と
仕方なく茜が立ち上がり
広間から出ると尊子が走り追いかけ
廊下を歩く茜の背中に
「二度と私に顔を見せるな」
と強く言葉を投げつけた
帯刀が無言で立ち上がり
茜の跡を追い広間を出ようとすると
尊子が立ちはだかり
「今すぐ離縁しなさい
あんな者が
「帯刀、気にするな
尊子は気が動転しているだけだ
早く茜の所へ行ってやれ」
広間を後にした
「茜、済まない。
命懸けで皆を救ってくれたのに」
夫は母への怒りと妻への申し訳なさで
顔を
「大丈夫ですよ
帯刀様のご用向きが片付けば
二人で江戸に戻れるのですから」
妻は夫の自分を想ってくれる気持ちが
嬉しくて、優しい微笑みを見せた
―――—— ―――—— ―――——
朝倉家は町奉行所の検分の為
三日の間
門を閉ざし雨戸も開けられずに
屋敷の中に
その間に城代家老の
「朝倉家の家人皆に申し渡す
この度の騒動、幕府に知られれば
藩の存続に関わる一大事
口外せし者は極刑に処す」
使用人達までもが釘を刺されて
あの晩の事は誰も口にしなかった
死者が出るような騒動が有ったなどと
関わった者以外は知る
三日が過ぎて門が開くと
「本日は、お宅のお嬢様への縁談で
お伺いしたんです」
突然の来訪に何事かと思えば
娘の縁談と聞き
「まぁ、それはお気遣いいただき
ありがとうございます。
それで、お相手はどちら様でしょう」
「宅の二男、
「たしか帯刀殿は所帯を持たれたと
お聞きしておりますが」
「そうなのですが今の嫁は鬼でして
もう直ぐ離縁いたしますので。
帯刀は江戸目付け役、
いずれは江戸家老になる身ですから
こんなに良い話はございませんよ」
「どの様な訳で離縁されるかは存じませんが
筋の通らない話ではありませんか」
「帯刀は家老になるのですよ
離縁すれば縁談話が押し寄せます
その前に楠原様のお嬢様を
嫁に迎える約束をして差し上げる
と申しておるのです」
怒りを超え呆れた
「随分と当家を見下しておいでですこと
どうぞお引き取りください」
と言うと尊子は腹を立て
「せっかく由緒正しき
朝倉家の嫁にしてやると言うのに
後から泣いて
嫁にしてやりませんからね」
「結構です。
誰が大事な娘を
貴女のような姑の下に
二度とお出でくださりますな」
尊子は怒りで唇を震わせながら
楠原家を去った
―――—— ―――—— ―――——
討入り騒動から二ヶ月後
未だ
あの日から
身を潜めて暮らす茜を
一日も早く江戸に戻りたいと願いながら
そんな中、兄嫁の小夜子が
朝倉家の二男は嫁と離縁するとの
武家の婦人達の間で流れる噂を耳にし
夫の
「帯刀が離縁するなどと
いったい何処からその様な
根も葉もない噂が流れたのか」
弟夫婦を想い
小夜子も
「茜さんが知ったら
どんなに心が傷付くか」
と義妹を心配し
二人は噂の
事の真相究明に
夫人は迷惑そうに話した
「私は事実を人に話しただけの事
それに尊子様は他でも
息子は離縁する、嫁は江戸の実家に帰すと
言い
これを聞き
まさか母の尊子が噂の根元だったとは
家に戻ると
父の
話し合いの場を
「母上、何故に
噓を言い
と
初めて知った
「馬鹿な事を言い
それではまるで
親が子の不幸を願っている様ではないか」
と強く言う
が、妻は
「あの女は江戸者だから容赦も情けなく
平然と
私は見たんですよ
あの女が楽しみながら人を斬り殺すのを
そして
私の顔に掛けさせたのです
思い出すのも
あの女は人の心が無いのです、鬼なのです」
気を高ぶらせ
「それは其方が止めるのも聞かずに
雨戸を開けたからであろう
茜がいなければ死んでいたのだぞ
命の恩人ではないか」
夫のこの言葉に尊子は目を吊り上げ
「帯刀は私の大切な息子です
鬼が妻では余りにも
鬼と離縁させるのは親の
婿養子の貴方には分からないんですよ」
と息巻き
夫は目を
「帯刀の婚儀は殿の肝いり
それを勝手に離縁するは
朝倉家の為にも二度と勝手なことを
口にしないで頂きたい」
さすがに尊子も
謀反の言葉には太刀打ちできず
苦々しい顔を見せながら
「あい分かった」
と言い
それきり言いふらす事は無くなった
だが既に、帯刀夫妻は離縁し
茜は江戸の実家に戻されるとの噂は
重臣等の耳にも入り
茜とは何者なのかと注目が集まり
尊子の浅はかな行動が結果として
帯刀と茜の運命を大きく
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