第5話 擬い者

十内じゅうないとおせい

茜が今思い出した帯刀たてわきを巻き込んだ

一連の騒動を聞き


「いやだ、いやだ、茜さん

 八方やかた組だの蜂の文左ぶんざだの

 色も恋もありゃしない」


と、お勢は腹を抱え、涙を流しながら笑い


「それで、いったい何がどうなって

 朝倉様は茜さんに惚れたのかしらねぇ」


と不思議そうに考え


「他に思い出すことは無いんですか」

と尋ねる


お勢に尋ねられても

当の茜も、さっぱり分からず

答えは

「さあぁ、思い当たりません」

である


「じゃぁ、朝倉様は茜さんの

 他人ひと様の為に一肌脱ぐ心意気に

 惚れたんですかねぇ」


茜は首を傾げながら

「さあぁ」


師匠の十内は苦笑いで

「縦食う虫も好き好きと言うからな」

と言う

するとお勢が

「十さん、その言い方は無いですよ

 茜さんの身の上を全て知って

 その上に刀も置かなくていいなんて

 朝倉様の茜さんへの気持ちは

 上っ面じゃぁ無い

 心底惚れ込んでおいでなんですから」


そして茜に

「茜さん、私は深川で芸者をしていて

 飽きるほど男を見てきましたからね

 だからわかるんですよ

 朝倉様は飲む打つ買うなんて

 した事が無い真面目なひとだって

 だから所帯を持っても

 泣かされる事は決して無いですよ

 それに言うじゃないですか

 惚れるより惚れさせろってね」


「はあぁ、なるほど」

茜は気のない返答だ


「ねぇ、十さんは朝倉様の事を

 どう見てるんです」

「そうだな、実直で勤勉な男なのは

 立ち振舞いを見て分かっている

 それに私の信頼する友

 菱尾ひしび藩主の光定みつさだの折り紙付きだ

 人柄に間違いはない。のお、茜よ」


「あっ、はい」


「可愛い弟子が同じ嫁ぐなら

 少しでも苦労少なく幸せになって欲しい

 それが私の本心だ。

 何が何でも朝倉殿の嫁になれとは言わない

 だが朝倉殿は

 お前を安心して任せられる器の男だ」


―――——  ―――——  ―――——


十内の屋敷を出て

さて、どうしたものか

と考え悩みながら街中を歩き回り

家に着いた時には

外は暗くなっていた


「あら茜さん、お帰りなさい」

「はあぁ」


「もう夕餉ゆうげは済んでしまったけど

 何か食べて来たの」

「あっはぁ、食べていません」


「まあ、お腹が空いたでしょうに

 台所にタカとサダが居るから

 支度をさせましょうね」

「あぁはい、大丈夫です」

と茜は台所へと向かった


義姉の美佐子との遣り取りも上の空で

いったい何があったのかと

美佐子に心配を掛ける有り様である


台所に行くとタカとサダが

「お帰りなさいまし

 夕餉がまだなんでございましょ

 そう思じゃないかと思って

 今日は火を落とさず待っていたんですよ」

「直ぐに支度しますからね」

「あっ、うん」


タカは

茜が山里家に引き取られる前から

仕える女中で

他の使用人達が妾の子とさげすむ中

一人、茜の世話を良くしてくれた女中で

茜は今でもタカに感謝している


サダは

山里の母が亡くなってから来た女中で

江戸っ子らしい

さっぱりとした気性で

茜と気が合う仲だ


「さあ、お待たせしました」

タカが膳を目の前に置いたのに

茜は上の空


「茜様、出来ましたよ」

タカの目を覚ます様な大きな声に

「あぁ、うん有難う」

と、気もそぞろに箸を運ぶ

その様子を見て

タカとサダは何が有ったのかと

心配になった


茜の食事が終わると

「まだ湯が熱いですから

 早く風呂に入ったらいいですよ」

サダが急き立て

「あぁ、うん」

と茜が風呂場へ向かうのを見届けると

タカとサダは

せきを切ったように話し出す


「ねぇちょいと茜様ったら

 どうしたんだろうねぇ」

「いつもなら口に栓をしたくなる程

 よく話すのに

 今夜はやけに静かだね」


「タカさん何か知らないのかい」

「知らないよ」

二人は何事かと心配で仕方ない


―――——  ―――——  ―――——


茜は寝床に入っても寝付けず

「どうしたものか」

と独り言を繰り返しながら

寝返りを打つと

文机の上に飾られた

帯刀たてわきがくれた風車が目に入り

起き上がった


「これじゃあ寝れやしない」


廊下に出て雨戸を開き

ぼにゃりと空を見上げていると

かわやに起きた平左衛門へいざえもん


「どうした茜、まだ起きていたのか」

と話し掛けた

「はぁ」


「おう、今夜の下弦の月は綺麗だな」

「はぁ」


妹が何か悩んでいると気付き

平左衛門は茜の隣りに座り


「何だ、何を悩んでる

 何か失敗でもして

 十内先生にお𠮟りでも受けたか」

「はぁ。いえ、違います」

「なら何だ」


茜は意を決したように平左衛門に


「なぜ兄上は今回の見合いの事を

 何も仰らないのです」

「何もって、そりゃお前が決める事だろう」

「でも何か意見とか助言とかないのですか」


平左衛門へいざえもんは少し考え


「そりゃ有るさねっ

 可愛い妹の一生を左右する事だ

 お前には幸せになって欲しいからな」

「では朝倉様のことを、どうお思いですか」


静な口調で


「朝倉殿の人柄は見合い前に

 十内先生から聞いて安心していた

 だが他人ひとから聞いただけでは

 本当のことは分からゃあしない。

 見合いの日

 桜の下でお前と話す朝倉殿を見て

 なるほど十内先生が言う通りに

 実直そうな男だと納得した

 そして、この御仁ごじんならば

 大事な妹を任せられる、と確信した」


「任せられると確信したのに

 なぜ言ってくださらなかったのです」

「だってお前は俺が口出せば

 いつだって煙たそうにするだろう」


全くその通りで茜は返す言葉が無い


「誰かにとつごうが

 一生独り身で過ごそうが

 お前が幸せならそれでいい

 それが俺の本心だ」


平左衛門は幼い頃のように

妹の頭を

ぽんぽんと優しく叩いた


「まぁ良く考えて

 自分に正直な答えをだしな」


―――——  ―――——  ―――—— 


茜は再び寝床に潜り込み

考えた

帯刀たてわき八形やかた組へ殴り込んだ時に

黙って手を貸してくれた

蜂の文左の処へ行った時も

文句一つ言わずに付き合ってくれた

きっと広い心を持っているのだろう


いや、帯刀たてわきのことは

初めて立会いをした時から分かっている

帯刀たてわき剣捌けんさばきを見て

真っ直ぐに前を見据える姿勢から

性格の実直さを感じ

それと同時に眼光の鋭さからは

お役目のためなら

何時でも人を切ると言う覚悟が伝わり

真面目を絵に描いたような人柄だと

自分は既に知っているではないか


それから風車に目をやる

「優しい人でもある」

何故だか風車をみていたら

くすっと笑えてきた


「存外と面白い人だ

 まぁそりゃそうか

 この私を妻に求めるのだから

 普通じゃぁないよな」


と独り言を言いながら笑う茜


―――——  ―――——  ―――——


翌朝

心を決めた茜は

直ぐにでも帯刀たてわきに返事をせねば

とは思ったが

今日は大店おおだなの娘の警護の仕事がある

商売は何事でも信用第一だし

口入屋の黒木屋に迷惑は掛けられない

朝食を済ませ仕事へと向かった


目的の大店おおだなへは真っ直ぐ進むはずが

何故か茜は左に折れ立ち止まり、身を潜めた


慌てた足音が近づいて来る


茜は足音のぬしの腕をじ上げ

体を壁に押し付けた


てっ」

と腕を捩じ上げられ

たまらず男が声を上げた

声の主は岡っ引きの耕吉である


てぇですよ茜様」

「耕吉親分だったのか」

「手を離してくださいなぁ」


茜が手を離すと


ひどいですぜっ

 いきなり手を出すなんぞ」

「そりゃこっちの台詞だよ

 家の門の前で待ち伏せて付けて来るなんて

 一体どういう了見なんだい」


「ばれてやしたかぁ」

「当たり前だろ

 私を見くびっちゃ困るねぇ」


耕吉はうなじを搔きながら

「こりゃ面目ねぇ」

と下を向く


「なぜ私を見張り後を付けたのか

 訳を聞かせてもらおうか

 こっちは奉行所の世話になる覚えは

 無いだけんどねぇ」

「へぇ、それがですね」


耕吉は言いづらそうに

「実は、五日ほど前の夜から

 物取りが出てやして

 まぁそれ自体は珍しくもんですが

 ただぁ、ですねえ」

と口ごもる


「ただ、何だい」

「へぇ、被害にあった者達の話じゃ

 その下手人てのが

 男のなりをした女だそうで」

「それで」


「その下手人が刀を抜いて

 自分は山里茜だと名乗ったそうで」

「ふぅん、それで」


「昨晩、被害にあった者が刀に驚き

 転んだ拍子に刀が腕に当たり

 怪我をしたんですよ」

「それで私を疑って見張ってたのかい」


「いや逆ですよ

 茜様の潔白を証明する為にやった事です」

「馬鹿馬鹿しい

 私が、そんな守銭奴しみったれた事をするもんかい」


「全くもっておっしゃる通りです」

「それにしても勝手に

 私の名をかたられるのは

 い気はしない」


「そりゃそうで御座んすよね」

「そのまがい者の顔を

 是が非でも拝見したいもんだ」


そこに

「痛い痛い、痛いですよ」

と言う男の声が近づいて来る


「あっ親分、助けてくだせぇ

 見つかちまって、このざまです」

耕吉の子分の定介じょうすけ

後ろ手を捕まえられ痛がりながら

助けを求めてきた


定介じょうすけの後ろ手を掴む者を見ると

それは帯刀たてわきである


「朝倉様、一体何が有ったのですか」

と茜が驚き尋ねた

 

「藩邸を出たら

 この者が後ろを付けて回るので

 取り押さえたら

 自分は怪しい者では無い

 耕吉親分の子分だと言い

 茜さんが

 下手人の嫌疑を掛けられたと言うので

 茜さんを探していたんです」


「おい耕吉さん

 何で関係無い朝倉様まで巻き込んだだい」

と茜は耕吉に詰め寄る


「へい、それがぁ」

「何だい、はっきりと言いなよ」


「昨晩、下手人の女が

 被害にあった者が血を流すのを見て

 震えて動けないでいると

 物陰から男が出て来て

 女の腕を引っ張って逃げたそうで」

「まさか、それで朝倉様を疑ったのか」


「いやぁ茜様と朝倉様が

 連れ立って歩くのを見た事が有ったもんで

 一応、見張らせて頂きやした」

「なんて失礼なことを

 私のせいで朝倉様にまで

 ご迷惑をお掛けして申し訳ございません」


茜が頭を下げると帯刀たてわき

「いえ構いませんよ

 悪いのは茜さんでは無い

 悪いのは他人の名をかた

 悪事を働く者達です」


「耕吉さんさんが勝手に動くはずは無い

 同心の鴻上様の指示なんだろ」

茜が半分呆れた顔で問うと耕吉は

「へい、鴻上様の言いつけです」


「それで、鴻上様は今はどちらに」

「十内先生の処に行くと仰ってやした」


「それは好都合ではないですか」

帯刀たてわきが言い

続けて

「筆岡先生に相談した方がいい

 それに事のあらましを報告せねば」


もっともな意見である

茜と帯刀、それに耕吉と定介じょうすけ

連れ立って十内の屋敷へ向かった

が直ぐに茜が


「しまった、仕事を忘れていた

 定介、悪いが私の代わりに

 人形町の加賀ノ屋へ行ってくれ」

「いいで御座んすよ

 行って何をすりゃ宜しいんで」


「娘さんの通い稽古の警護だ

 私は病で来れないと伝えておくれ

 耕吉親分の子分なら

 あちらさんも嫌とは言わないだろう」

「合点承知ですぜ、お任せください」


二つ返事で了解した定介じょうすけ

ちらりと帯刀たてわきを見て

脱兎の如く走って消えた

茜は定介の様子から

よっぽど帯刀たてわきが怖かったのだと察し

可笑しくなってしまった


―――——  ―――——  ―――—— 


十内の屋敷に着くと

南町奉行所同心の鴻上は

十内と悠長に碁を打っていた

それを見て茜は

人が大変だって時に暢気にも程がある

と腹を立てた


鴻上は尚も悠長に碁石を手に

碁盤を見ながら

「おう、茜。そろそろ来ると思ってたぞ

 菱尾ひしび藩士の朝倉殿も

 御出ましなすったな」


「おう茜、ではありませんよ。

 朝倉様にまで嫌疑を掛け、見張らせて

 一体どういう了見なんですか」


「なぁ鴻上よ、私が言った通り

 茜は大層な立腹ぶりだろ」

「本当だ、今にも嚙み殺されそうだ」


と十内と鴻上の二人は笑い

続けて鴻上は

菱尾ひしび藩士を嫌疑があるからと

 奉行所へ呼び出せば

 幕府と大名家の対立問題になる

 だからおびきき寄せたって訳さ

 済まないな、朝倉殿」

「いえ、私は一向に構いません」


帯刀たてわきは言うのに

茜は一人で更に腹を立てる


「鴻上様、それこそ酷いですよ

 先生も先生ですよ、

 弟子の一大事だというのに」


十内は落ち着き払った低い声で

「一大事か。

 それで、お前は何をしに来たのだ」

「先生に事の報告と、

 下手人を捕える為のご相談に参りました」


鴻上が

「茜、なんぞ他人ひと様から

 恨みを買った覚えは無いのか」

十内は

「鴻上、茜は私の弟子で剣客だ

 無暗矢鱈むやみやたらに人は斬らずとも

 何かしら逆恨みを買う覚えは有り過ぎて

 本人にも分かるまい」


鴻上は笑いながら

「そりゃそうだな」

と碁石を打つ


茜は更に、いらつきを増す

十内が茜の様子を横目で見ながら

「この事件、裏があるとは思わぬか」


「あると思います」

帯刀たてわきが答えた

「ただの物取りならば

 刀で脅せばよいものを

 わざわざ山里茜と名乗るのは

 他に目論見が有るものと推察します」


「さすが朝倉殿、冷静な推察だ

 これは茜をおびき寄せる為の

 罠であるのは間違いない」


十内は帯刀たてわきにそう言い

続けて茜を𠮟責した


「茜、ここに居る者は

 その事に気付いているのに

 今日のお前のは考えが足りぬ

 何に気を取られておるのだ

 外に出て素振り千本してまいれ」


茜は悔しい顔をし


「確かに先生の仰る通りです」

木刀を手に取り庭へ出て行く

帯刀たてわきはその後ろ姿を

心配そうに見送った


茜は素振りをしながら

朝倉様の事で気を緩め

冷静に判断できぬとは情けない

いつ何時でも

正確に状況を判断できなければ

全てが負けに繋がる

自分を剣客と名乗るのならば

心を鍛えろ、常に平常心を保て

と己を鼓舞した


千本素振りを終え屋敷に戻ると

既に下手人を捕まえる策が練られていた


下手人は毎回

五ッ半頃に浅草橋に現れる

鴻上と定介じょうすけ

十内と帯刀たてわき

茜と耕吉の三手に別れ見回り

見つけたら呼子よびこ笛で知らせる

と決められ

早速に今夜から見回る事になり

一同は解散し其々に夜を待った


―――——  ―――——  ―――——


五ッ半時

江戸の町は殆どの者が眠りにつく時間だ


一同は浅草見附で落合い

打合せ通り、そこから三手に別れ

浅草橋へと向かった


茜と耕吉は何も話さず

無心で夜の町並みの中に溶け込み

五感を研ぎ澄ませ

異変を見逃さない事だけに

神経を張り巡らせていたのに

急に耕吉こうきち


「茜様、擬い者の件はお宅の方には

 話されたんですか」

と尋ねた


「いや、誰にも話していない」

「そうですよね。いやねぇ鴻上様が

 鬼の平左へいざが知ったら必ず付いて来て

 妹大事で暴れて手が付けられ無くなると

 心配されてたんですよ」


茜は苦笑いをした

自分もその通りに成るに違いないと考え

兄の平左衛門へいざえもんには何も言わずに置いたのだ


その時

近くから男の悲鳴が聞こえた


茜と耕吉は声の元へ走り出し

腰を抜かし倒れこむ町人風の男

刀を抜く男装の女を視野に収めた


茜は

間違い無い

これが自分のまがい者だと確信した


刀を抜き擬い者の刀を払い落とす茜

知らせの呼子笛を吹く耕吉


「お前さん、怪我は無いかい」

「は、はい」


「私が本物の山里茜だ。

 済まねぇな私のまがい者が

 悪さをして」

「へっへい。貴女様が山里茜様で」


「だから、そう言ってるだろ

 お前さん危ねぇから

 そっちの物陰でじっとしていてくれ」


町人風の男は茜に言われるまま

這って物陰に身を隠した

その間に耕吉はまがい者を取り押さえ

縄を掛け終わっていた


「おい、いつまで隠れてるんでぃ

 早く出てきたらどうだい」


茜の言葉に引かれるように

一人の浪人が姿を現した


そこに十内と帯刀たてわきが到着した


「私に何の恨みが有って

 罪のない町民を脅しやがる」

「お前、俺に見覚えがあるだろう

 忘れたとは言わんせんぞ」


月明かりに照らされあらわになった

浪人の顔を見て

十内と茜は、はっとした

師弟には覚えの有る顔である


「お前が何故、私を陥れようとした」

「この手でお前を殺し

 我が師匠をあやめた筆岡十内に

 地獄の苦しみを味わせるためだ」


「てめぇ、気は確かか

 あれはまぎれれも無い

 真っ当な果し合いだった

 なのに仕返しとはな、笑わせるぜ」


ようやく鴻上と定介じょうすけが到着した


――――――――――――――――――――

――――――――――――――――――――


今から一年前

十内に果たし状が届いた

送り主は木戸部きとべ九郎

木戸部は若かりし頃に

十内と因縁が有った者であるが

今更、果し合いとはと十内は戸惑った


しかし相手が正式な果たし状を送って来たのだ

無下にするのは同じ剣客として

失礼なことだからと受けることに決めた


いくら正式な果たし状を受けても

立会人がいなければ

勝った者には罪が課せられ投獄となる

十内は立会人に茜を選んだ


立会人は果し合いを見届けるのが役目

決して何が有ろうとも

助太刀をしてはならないのが掟である


当日

木戸部きとべ九郎も

弟子を立会人として同行させ

四名は其々それぞれに名乗り

果し合いは始まった


茜と木戸部の弟子、齋藤さいとう一馬かずま

互いの師匠の後ろに下がり見届けた


刀を抜いた十内と木戸部は向かい合ったまま

長い時が経つ

茜は微動だにせず二人を見詰める


しかし、十内と木戸部が動き出した途端に

一太刀で勝負はついた


十内の刀は

木戸部の腹部を横一文字に切った


仰向けに倒れる木戸部


それを見た齋藤は

「おのれ、筆岡」

と刀を抜き十内目掛けて走りだした

茜は鯉口を切り

齋藤の前に立ちはだかり刀を抜き

峰で齋藤の手首を打ち

その手から刀を落とさせ

「立会人が手出しするは掟破り」

と低い声で言い放った


木戸部きとべ

「一馬、何をしている

 弟子が師匠に恥をかかせるでない」

そして十内に

「筆岡、すまぬがわしの脇差を抜いて

 持たせてくれ」


十内は旧知の木戸部の願いを聞き入れ

体を起こしてやり脇差を抜き持たせた


齋藤は

「先生、何をされるのです」

と悲痛な声で問う


「一馬よ、わしの負けだ

 この傷では助からぬ。

 筆岡、手間をかけた」

 

木戸部は最後の力を振り絞り

脇差で心の臓を突き自尽じじんした


十内と茜は木戸部に手を合わせ

その場を立ち去った


「先生、先生」

と木戸部の亡骸にしがみつき

泣き叫ぶ齋藤の声を聴きながら茜は

まかり間違えば

自分が泣く事になったのだと

背筋を凍らせた


――――――――――――――――――――

――――――――――――――――――――


いま茜の前に立つ浪人は

木戸部の弟子、齋藤一馬である


茜は考えた

齋藤の性根は生涯変わらないだろう

この先も自分と十内をかたきとして

纏わりつくに違いない。


「おい、齋藤よ

 お前みてぇな愚か者を相手にするのは

 時間の無駄ってもんだぜ。

 木戸部先生も不甲斐ない弟子と

 草葉の陰で泣いてる事だろうよ」

「何を言うか

 先生は、お前ら師弟が地獄に落ちるのを

 心待ちにされているわ」


あぁこいつは駄目だ

と茜は心を決める


「齋藤よ、そんなに私が斬りたければ

 正式に果し合いを申し込みな

 逃げも隠れもせず、受けてやるぜ」

「死に急ぐとは、よい心がけだ

 齋藤一馬、山里茜に

 ただ今、果し合いを申し込む」


茜は齋藤から目を離さずに

後ろに居る鴻上に背中から

「鴻上様、立会いを御頼み致します」

「南町奉行所同心が鴻上、しかと承った」


 茜の

「これは正式な果し合いにて

 ご一同様、手出しはご遠慮願います」

との一言に

皆は無言で後ろへと下がった


齋藤は刀を抜き青眼せいがんに構える


茜は大きく息を吐きながら

足幅を少し広げ鯉口を切る


齋藤は真っ直ぐに突きを繰り出し

茜は素早く抜いた刀で右に打ち払い

続けて齋藤の剣先を左へ打ち上げる


身体の柔らかい茜は

その特徴を活かした

柔軟で早い剣捌けんさばきを得意とする


齋藤は再び青眼に構え

後ろに下がったまま

今度は間合いを詰める気配が無い


茜は齋藤の動きを不思議に思う

なぜ攻めて来ないのであろうか

何か策が有るのかも知れないと

わざと脇構えを取り

相手の策を探るために隙をつくった


それを見た齋藤は

再び真っ直ぐに突きを繰り出し

茜がその刀をはじこうとすると

刀を握る左手を離して

右腕を大きく伸ばし

茜の左腕に傷を付けた


傷は深くはなかったのだが

月明かりに照らされた齋藤の刀を見て

十内が

「うっ」

と声を上げた

茜も、その刀を見て悟った

なぜ齋藤が

思い切り斬り込まなかかったのかを

齋藤の刀先は鈍く濁っている


こりゃぁしてやられた

なるほど、そう言う事かと茜は合点する


「齋藤、お前ははなから

 私に勝てないと分かっていた訳か。

 刀に毒を仕込むとは、大した芸当だ」

「どうだ山里茜、死ぬのが怖いだろう

 もう直ぐ毒が回り体が動かなくなる

 存分に死を恐れろ」


齋藤の言葉に

茜は薄ら笑いを浮かべながら


「馬鹿を言うな

 剣客が刀を抜く時は

 何時でも臨終りんじゅう只今が覚悟

 死ぬのが怖くて刀が抜けるかよ。

 その覚悟がねえからお前は弱いんだよ」


齋藤がなぜ斬り込んで来ないのか

その理由が分かった今

茜は躊躇ちゅうちょなく攻め込む


軽やかに舞うが如く素早く確実に攻め続け

齋藤を追い込み

最後の一太刀を入れ終わると


「てめぇ何ぞに刀を持つ資格は無え」

茜は吐き捨てるように言い

動きを止めた


なぜ動きを止めたのか

毒に侵され戦う事を放棄したのか

と茜を見詰める齋藤


茜が静かに刀を鞘に収めた


次の瞬間

齋藤の刀を握る右のひじから下が

ぽとりと地面に落ち

腕から血が吹き出た


やっと自分の身に起きたことを理解し

血をまき散らしながら

痛みにもだえ苦しむ齋藤


茜は崩れ落ちひざを付く


「いけない、毒で体が痺れて力が入らない

 でも先生、刀は離さずに

 ちゃんと鞘に収めましたよ」


帯刀たてわきは茜に駆け寄り

十内はまがい者女の喉元に

脇差しを突き付け


「毒は何だ

 齋藤は何の毒を使ったのか

 言わねば喉をかっ切るぞ」

と問い詰めた


茜のまがい者は

目の前で血を吹き出す

齋藤の姿の恐ろしさと

脇差しを突き付けられる恐怖で

小便をらし震えながら


鳥兜とりかぶとです

 私が齋藤に言われ取ってきた鳥兜です

 何も知りません

 金をくれると言うから

 言われるままにしただけなんです」

と叫びながら狂ったように訴える


「朝倉殿、鳥兜だ」

十内は帯刀たてわきに大声でしらせ

鴻上は定介じょうすけ

「医者へ案内しろ」

と命じた


茜を背負う帯刀を

「こっちです、こっちです」

と道案内する定介じょうすけ


いとしいひとを背負い

心の中で

死なないでくれ、死なないでくれ

と叫びながら

帯刀たてわきは必死に走り

背中の茜に言い聞かせる


「茜さん、死んではなりません」


茜は呂律ろれつの回らない口で

帯刀の耳元に


「まだ死ねません、

 朝倉様へのお返事がまだですから」

「そうです、

 私はまだ貴女から返事を頂いていません

 だから死んではいけません」

 




 













 


 

 

 

 




 

 














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