第4話 恋心

茜は舞い落ちるあか花弁はなびら

手の平に受け止めようとするが

花弁は手の平をけ逃げていく


帯刀たてわきが上手に紅い花弁を手の平に乗せ

「子供の頃から花弁を捕まえるのが

 得意なんです」

と言い

そのあかい花弁を茜の手の平に、そっと置いた


茜は手の平のあかを見つめながら

「桜を見ると友を思い出すのです」

「英之進殿の事ですね」


思いも寄らず帯刀たてわきの口から

英之進の名が出たので茜は驚いた

「すみません、お話は筆岡先生から

 伺っていたので

 江戸の鬼娘の異名も

 英之進殿の一件から付いたのだと」


言いにくい事もさらっと

表情を変えずに言いやがる

さすが能面男だと茜は思った

それと同時に師匠の十内に対しても

べらべらと私の話をしやがって

と腹を立てた


だがまぁ怒っても仕方ない

それより問題は、この見合いである

茜は帯刀を気の毒に思い

素直に口にした


「朝倉様には申し訳ないことです

 私と見合いなんて

 大方おおかたうちの師匠に無理矢理に

 押し付けられたのでしょう

 どうぞ、気にせずお断りください」


「それは違います」

いつもは何が有っても表情一つ変えずに

淡々と対応する帯刀が

初めて声を張ったので茜は驚いた

そして違うとは何が違うのかと

きょとんとする


「違うのです。私が茜さんを好きになり、

 恋心を抱き、それに気付いた殿が

 十内先生に見合いを頼んで下さったのです」


茜は帯刀の話が直ぐには理解できず

首をかしげながら考えた


十内先生が菱尾ひしび藩主の狸爺さんに

私の輿入れ先を頼んで

それを請け負った狸爺さんが

帯刀に無理強いして見合いをさせた

そうでなければ自分と見合いをする

物好きはいやしないと信じ込んでいたので

恋心なぞと言う言葉が入ってこない


帯刀たてわきが耳を赤くしながら

意を決し話し出す

「私は茜さんに妻になってもらいたい

 共に人生を歩んでもらいたいのです」


いくら色恋にうとい茜でも

ここまではっきり言われれば理解する

しばらく視線を遠くに向けながら黙り

しっかりとした口調で


「私は山里家の嫡子では無く庶子、

 妾の子でございます」

「存じております」


これも知っていたのかと茜は驚いた

そして妾の子でも構わないと言うのか


「私は生涯、刀を置くつもりは御座いません」

「勿論です、

 私は貴女が刀を置く事を望んではいません」


ほう、それは有り難い

いや、何が有り難いだ

私はどうすれば良いのか

と茜は露骨に戸惑いを表した


帯刀は再び紅い花弁を手の平に捕まえ

それを茜の手の平に置きながら

「お返事は急ぎませんので

 どうぞ、よく考えてください

 ですが、良い返事をお待ちしております」

そう言い足早に去っていった


茜は手の平の紅い二枚の花弁を見つめながら

よく考えてくれと言いながら

良い返事を待つ、

とは辻褄つじつまが合わない話で

一体どうしろと言うんだろうか


そして紅い花弁を

そっと紙入れに挟み懐へ入れた


―――——  ―――——  ―――——


平左衛門へいざえもんと茜が帰宅すると

姉の千草が待ち構えていた


「それで、どうだったのです」

「私が付き添いましたので

 万事無事に済みました」


「平左衛門、お前が付き添いだから

 心配なんです」

「はあぁ」


相変わらず手厳しい姉である


「茜、お相手は気に入って下さったの

 粗相そそうな事はしてないでしょうね

 第一印象は大切ですよ」

「粗相はしておりません

 それに相手は以前から知る方でしたし」


「まあ、お知り合いの方と

 見合いをしたのですか

 可笑しな話しだこと

 また何で、わざわざ見合いをしたのかしら」

「私に恋心を抱いているそうです」


「まぁまぁ世の中には茜の良さを

 わかって下さる方が居るのね」


そう言い千草は涙ぐんだ

茜はその涙を見ながら

何も泣いてまで喜ぶ事でもあるまいにと思う


「それで、お返事はしたのですか」

「返事は急がないそうです」


「それで、勿論お受けするのよね」

「よく考えて、と言われたので考えてみます」


「何を言ってるのです

 お相手が好いていると言ってるのに

 これを逃したら、もう後がないんですよ」

「はあぁ。私は疲れたので失礼します」

「これ待ちなさい茜」


呼び止めようとする千草に

美佐子が

「義姉上、茜さんは初めての見合いで

 きっと気疲れしたのですよ

 休ませてあげましょう」

なだめた


千草が弟に尋ねる

「それで平左衛門、見合いの相手とは

 どんな方なんですか」

菱尾ひしび藩士の朝倉あさくら帯刀たてわき殿です」

「菱尾藩士でせすって

 それでは茜は菱尾ひしびに住むのですか」


「いえ、家督かとくは兄上が継がれているので

 朝倉殿は江戸詰めが役目です」

「では茜は嫁いでも

 江戸を離れることは無いんですね」


「そう伺っております」

「それなら安心です

 菱尾に嫁いだら

 茜に何かあっても直ぐには

 駆け付けてやれませんからね」


千草も平左衛門へいざえもんと同じで

妹を案じているのであった


―――——  ―――——  ―――——


部屋で帯をほどきながら茜は

桜の下で帯刀たてわきが言った言葉に

噓はない事は分かったが

何で自分を好いたのかがせず

悩んだ

これは見合いを企てた十内を

問い詰めるのが手っ取り早いと結論し

翌日、十内のもとを訪ねた


「先生、昨日の見合いの事ですが」

「ふむ、心は決まったか」


「決まる訳なんて有ろうはずが無いですよ」

「なんだ、朝倉殿では不服か」


「それ以前の問題です」

「それ以前とは」


「朝倉様は私を、この私を好いていると

 そんな馬鹿げた事を言ったのです

 私をですよ、にわかには信じ難いです」


「まぁ茜さん、何でそんな風に思うのです」

十内の隣りに座るお勢が話し出した


「朝倉様は随分と前から

 茜さんに恋しているのは

 私だって気が付いてましたよ」


「なぜ気が付いたのです」

「だって朝倉様ったら

 いつも茜さんばかり見ていたし」

「そうだな、茜のことを見ていたぞ」


「くそっ、してやられた

 不覚にも視線に気付かないとは

 まだまだ修行が足りない証拠」

「はっはっはっは」


十内が笑い出し、続けて

「視線に気付かなかったのは

 その視線に殺気が無かったからだ」


お勢も笑いながら

「好きな方を見るのに

 殺気を持って見る人なんか

 古今東西いやしませんよねぇ」


茜は少し顔を赤くしながら

「でも、何もない間柄なのに

 突然に恋心を抱くなんぞ

 可笑しな話しじゃありませんか」

「あら、一目見ただけで

 恋することだって有りますよ

 男と女なんてそんなもんですよ」


すると十内が

「いや私が光定みつさだから聞いた話では

 朝倉殿は街中で何度か茜と出くわして

 その時の茜を見て惚れたと

 そう聞いているぞ

 身に覚えがあるだろう」


そう言われても直ぐには

思い当たらない

帯刀が仕える菱尾ひしび藩主の諏訪すわ光定みつさだ

そう言うのだから間違い無いのだろうが

茜にしてみると

日頃から諏訪すわ光定みつさだ

狸爺さんと心の中で渾名あだなしている相手だ


茜と菱尾ひしび藩主の諏訪すわ光定みつさだの出会いは

茜が筆岡十内に弟子入りし間もない時だ

十内の古くから友人である光定は

参勤交代で江戸に居る間は

よく十内を訪ねて来たり

二人で夜の街へ出かけたりする仲である


弟子入り当初、まだ十三歳の幼い茜を

光定は面白がり、からかう

茜も遠慮なく言い返す

菱尾ひしび藩主の立場にある光定には

意見する者は少ない

まして遠慮なく言い返す者など皆無である

だからこそ

何事にも遠慮ない茜が可愛くて仕方ない

会うたびに、ちょっかいを出す

茜は腹を立てたが

相手は菱尾ひしび藩主様であるので

心の中で狸爺さんと呼び

留飲りゅういんを下げていた


―――——  ―――——  ―――——


さて、その狸爺さんが言う事は本当なのかと

記憶を辿たどる茜


確かに幾度か街中で帯刀たてわきと会った


あれは、

仕事を求め口入屋の黒木屋へ向かう途中

道の向こうから歩いてくる帯刀を見つけ

ああ、能面男が歩いてらぁ

と思いながらすれ違いざまに挨拶をした


「これは朝倉様」

「いやあ、茜さん

 これから十内先生の所ですか」


「いえ、口入屋に仕事探しに参ります」

「仕事をされるのですか、幕臣の妹君が」


「食べるには困りませんが

 少しは自分で稼がないと

 いい年して

 小遣いまで貰う訳にはいきませんから」

「なるほど、兄上に甘える事無く

 自分のことは自分で、ですね」


さすがに刀研かたなとぎやはかまに使う金を

兄に出してもらう訳にはいかぬ


「まぁ、そんなとこです

 朝倉様はご用向きですか」

「いえ、今日は非番んです

 国元の母がもうすぐ誕生日なので

 何か贈ってやりたいと買い物に出たのですが

 何が良いにか分からず困っています」


それを聞いた茜はうらやましく思った

生みの母も育ての母も既に他界し

親孝行ができない寂しさ

だからこそ母孝行しようとする帯刀を

偉いじゃないか、と感心した


「それなら良い小間物屋を知ってますよ

 よろしければ案内しましょうか」

「それは有り難い

 ですが、お時間は良いのですか」

「構いませんよ、そんな事

 朝倉様の親孝行に一肌脱ぎます」


二人が歩いていると

「茜様、茜様」

と大声で茜を呼び止める男が現れた

男は近くの寺の参道で

出店を営む者だった


「どうした、何をそんなに慌ててる」

「大変なんですよ

 とにかく大変なんです」


「一体どうしたんだい」

八方やかた組の若いのが来て

 饅頭屋に所場代を払えと

 暴れてるんです、助けてください」


饅頭まんじゅう屋の亭主は今

 病で寝込んでるじゃないか」

「そうなんですよ

 店には女房と子供だけで」


「そいつぁ見過ごせねえ

 朝倉様、申し訳ありませんが

 急用ができたので、これで失礼します」


帯刀たてわきは茜と男のやり取りに

面と食らったが

「私もご一緒します」

と一緒に走り出した


参道では八方やかた組の若い衆二人が暴れ

子供が怯えて泣き叫んでいる


「金がねえじゃ話が通らねんだよ」

「誰のお陰で安心して商売ができてんだ

 払うものを払わねえなら

 痛い目に合わせるぞ」


茜が

「おい、てぇめえら何してやがる」

と止めに入ると

若い衆は

「はあ、てめぇ何か文句があんのか」

威嚇いかくした


「ここの亭主は二か月も前から

 病で臥せってる、薬代もかかるのに

 所場代が払える道理があるもんか」


そう言った茜を睨みながら若い衆が


「てめぇにゃあ関係ねえだろが

 痛い目にあいたてぇか」


と二人がかりで殴り掛かって来たが

茜は、ひょいと身をかわし

二人同時に地べたに叩き付け

一人の腕を後ろにひねりあげ


「朝倉様、お手数ですが

 そっちの奴をお願いします」


帯刀たてわきは言われるまま

茜と同じ様に

もう一人の腕を後ろに捻りあげた


茜は心配そうに見守る

出店の衆に

「話はきっちり付けてくるから

 私に任せて安心して待ってな」

と言い

そのまま八方やかた組へと向かった


「おい、長次ちょうじは居るか」

と言いながら茜は八方組の建物に入り

帯刀も後に続く


「なんでぇお前は

 親分を呼び捨てにしやがって」

と若い衆達がいきり立つ


「用があるから呼んでだ

 居るのか居ねぇのかどっちなんだ」


茜の言葉に今にも乱闘が始まりそうになり

場は一触即発である


その時、奥から出て来た男が

「これは茜様、

 あっしに何かご用でございやすか」

と姿勢を正し正座した

八方やかた組親分の長次である


「おうっ長次ちょうじ、久方ぶりだな

 実はお前さん所の若い衆が

 阿漕あこぎな所場代の取り立てをしてたんだが」

「へい、それは一体どういう事で」


「参道で店を出す饅頭屋の亭主は二か月も

 病で寝たきりなのに、所場代を払えと

 女房子供を脅して暴れやがって

 お前さんとこじゃ

 随分と人情の無い事をするもんだな

 八方組の看板も落ちたもんだぜ」


この時、帯刀たてわきは表情を変えずに

黙って聞いていたが内心では

立て板に水の如くまくし立てる茜を

大した物だと感心して見ていた


茜の言葉に長次は

「おい、てめぇら、茜様の話は本当なのか

 そんな事をしやがったのか」

「すいません親分

 上がりが少ねぇと不味いと思い」

「なんて情けねぇ。

 この八方組は商いする衆から

 所場代を頂いて悪党から守るのが生業なりわい

 それを逆に迷惑掛けるたぁ何て事でぇ。

 茜様、面目ねえ

 こいつらの不始末は

 あっしの責任で御座いやす

 二度と、こんな真似はさせやせんので

 ご勘弁くだせぇやし」


「そうかい長次親分

 なら今日は帰るとしよう、邪魔したな」

「へい、お気を付けて」

長次は頭を下げ茜を見送った


茜と帯刀たてわき八方やかた組を出た途端

建物の中から


「親分に、あんな口を利きやがって

 我慢ならねぇ、あんなあまなんぞ

 殺っちまいやしょう」

「馬鹿野郎。

 あの方が江戸の鬼娘だ

 てめぇら首が付いてるだけでも

 有り難いと思いやがれ

 命が惜しかったら茜様に手出しするなよ」


との話声が聞こえた

帯刀たてわきは江戸の鬼娘とは茜の事なのか

と横目で茜を見ながら様子を伺ったが

当の茜は意に介すること無く


「とんだ寄り道をさせ申し訳ありません

 約束通り小間物屋へご案内いたしますね」


といつもと変わり無く明るく振る舞っていた


―――——  ―――——  ―――——


今日、茜は帯刀たてわきと待ち合わせていた


先日茜の案内で小間物屋へ行った折

帯刀たてわき

「本が欲しいが江戸は物の値が高く

 なかなか手が出せない」

とこぼしたので

茜が

「それなら良い古本屋が有りますから

 朝倉様の次の休みに案内します」

と言い一緒に古本屋へ行く事になったのだ


帯刀たてわきが約束の場所に着くと

茜は既に帯刀を待っていた


「お待たせして申し訳ない」

「いえ、とんでも御座いません

 案内すると約束しておいて

 こちらがお待たせしては

 逆に申し訳が立ちませんから」


帯刀たてわきは茜に案内され歩いていると

人混みの何処どこからか

「茜様」

と大声で呼ぶ声がしたので

二人は足を止めた


声の主は岡っ引きの耕吉こうきちであった


「茜様、いいとこでお会いできた」

「耕吉親分、一体どうしたんだい」


茜が問うと耕吉が

「この人が巾着きんちゃく切りに

 財布を取られたそうで」


耕吉こうきちの後ろで青い顔して

商人風の男が立っている


「そりゃあ気の毒に」

と茜が言うと耕吉が

「なんでも、お袋さんが病で

 そのお袋さんの為に

 奉公先から薬代を前借りしたそうでして」


男が涙ながらに話し出す

「母が病になってから

 随分と前借まえがりをして

 もうこれ以上は借りられないのです

 医者から母の命は長くないと聞かされ

 寿命が伸びないのは分かっていても

 薬を飲ませて

 少しでも痛みを軽くしてやりたいんです」


その話を聞いた茜の眉が、ぴくりと動いた


「この辺りは蜂の文左ぶんざしまだろう」

茜が耕吉に言うと

「そいつは、わかっちゃいるんですが

 あっしは、鴻上こうがみ様のご急用で御座いやして」


「成程、鴻上様の急用ってことは

 大きな事件てぇ事だね」

「へい、そうなんです」


「よし、この件は山里茜が引き受けた」

「そりゃぁ有難てぇ

 おめえさんも礼を言いな」


何が何だか分からないが

岡っ引きの親分が言うので

男は

「有難うございます

 どうか宜しくお願い致します」

と頭を下げた


「いいって事よ

 親孝行したいときには親は無しだ

 お前さんの孝行心

 決して無駄にはさせねぇからな」


そこまで言って茜は帯刀たてわきの存在を思い出し


「朝倉様、そう言う事なので

 少々寄り道をしますが宜しいでしょうか」

と尋ねた


帯刀たてわきそばで一連の遣り取りを聞きながら

先日は、やくざ者を相手にし

今日は掏摸すりを相手にするのかと驚いたが

今度は茜がどんな風に相手を遣り込めるのかと

内心は興味津々では有ったのだが

いつも通り表情を変えず

「勿論、構いませんよ私も是非ご一緒します」


こうして帯刀たてわきと男は茜に連れられ

蜂の文左ぶんざの家へと向かった


俗に言う巾着切と呼ばれる掏摸すり

腕の立つ者のもとで修行し

決められた場所で仕事をする

蜂の文左ぶんざは有名な掏摸で

手下を多く抱えていた


四度お縄になれば

重い罰が課せられる掏摸すり

やくざとは違い

仁義も無く道理も通らないやから

厄介やっかいな相手である


茜は蜂の文左ぶんざの家に着くと

躊躇ちゅうちょすること無く玄関扉を開け


「御免よ、邪魔するよ」

と上がり込み

廊下を歩いて一枚のふすまを開けた


「こりゃぁ茜様

 どうなさいやした、何ぞご用で」

「おぅ悪いな文左ぶんざ

 実はこの人が神田明神の近くで

 財布を無くしたってんだよ」


「そうで御座いやすか」

「命幾ばくも無い母親の為に

 薬を買う大切な金だそうでよぉ」


「そいっぁ気の毒に」

「神田明神といえば

 お前さんとこの若い衆が

 いつも彷徨うろついてるだろ」


文左は目を吊り上げ

「そちらさんの財布と

 家の若い衆と何の関係があるってんです」


明らかに怒りをあらわにしている


相手は掏摸すりの元締めであり

一歩間違えば血を見る事にもなり兼ねない

その場に居る者達に緊張が走る


ところが茜は手をつき頭を下げたので

帯刀たてわきはもちろん男も文左ぶんざ

一体何事かと驚いた


文左ぶんざ親方、力を貸してくれないか

 若い衆達に財布を探させて欲しい

 もう直ぐ母親を亡くすこの人に

 最後の親孝行をさしてやりてぇんだ

 これは私の借りにしてくれて構わねぇ

 だから頼む親方」

「ほう、それじゃあ

 俺が茜様に貸しが出来るって事ですね」

「ああ、そうだ」


文左は笑い出し

「こいっぁいい、

 江戸の鬼娘に貸しができるとは。

 ですが、貸しには及びやせんぜ

 江戸の鬼娘が頭を下げた

 それだけで充分に俺に箔が付きやす

 だから貸し借りは無しで。

 但し、頼みを聞くのはこれっきりですよ。

 おい、誰か財布を探して来な」


「親方、いいんですか」

と若い衆が言うと文左ぶんざ

「馬鹿野郎

 江戸っ子が一度引き受けると言った事を

 引っ込められるか。

 それで、どんな財布なんだい」


文左に尋ねられ男は震えながら

藍染あいぞめに黄色と赤のしまが入った財布で

 三両十分が入っています」

「だそうだ、愚図愚図ぐずぐずしてねぇで

 さっさと探してこい」


若い衆は外へ走り出て行った


「お茶でもお出ししましょう」

文左ぶんざが言うと茜は

「結構だ」


「おや、うちの茶は飲めませんかい」

「当家は幕府に仕える身

 お前さんからは

 水の一杯も貰う訳にはいかない」


歯に衣着せず

はっきりと断る茜に

帯刀たてわきは又しても驚いた


「茜様は、ぶれないねぇ正直でらっしゃる

 親切でがいい

 江戸っ子は皆が茜様にぞっこんですぜ」

「よせやい文左ぶんざ

 正直なもんかい、私は噓つきさねぇ

 こちとらの商売は

 人を斬るのが生業なりわいの剣客なんだぜ」


茜は

お前に頭を下げたのは

言う事をきかせる為の噓なんだよと

言わんばかりに眼光鋭く文左ぶんざを睨み

文左も茜を睨む

帯刀たてわきは剣客とは大した物だと

茜と文左ぶんざの睨み合いを見ながら感心した


半時と待たずに財布が届き

男の手に渡された


「中身を確認してくんな」

文左ぶんざの言葉に従い確認する


「確かに三両十分入っております」

「そうかい、そりゃ良かった

 次からは落とさねぇように気い付けな」


茜は、にやりと笑いながら

文左ぶんざ、世話になったな有難よ」

そう言うと

さっさと立ち上り

蜂の文左ぶんざの家を後にした


何度も頭を下げ

「有難うございます」

と繰り返す男に

「礼はいいから早く薬を買って

 おっ母さんに飲ませてやりな」

茜に言われ

男は必死の形相で母の為に走っていた


―――——  ―――——  ―――——


茜の案内で古本屋に着くと

帯刀たてわきが何冊かの書を選び

代金を払おうとすると

茜が帯刀の手を押さえ


「店主、こちらは菱尾ひしび藩士の

 朝倉様と申される」

「あの菱尾藩のお武家様でございましたか」


「知っての通り菱尾ひしび藩は

 文武両道が藩風、朝倉様は此れから

 お前さんの店を贔屓にしてくださる

 だから今日は一つ負けてやったらどうだい」

「へい、それでしたら

 茜様のご紹介でも有りますし

 今日は特別に負けさせて頂きます」


店を出て歩きながら

帯刀たてわきは茜の事を考えていた


市井しせいの者達に慕われ頼りにされ

親切で優しい

かと思えば

やくざや者や掏摸すりかしらを相手に

一歩も引かずに堂々と渡り

言いたい事、言うべき事を

歯に衣着せずはっきりと口にする

そう言えば我が藩主にも

いつも臆せず言いたい放題で

そばに居るこちらが冷や汗をかく始末

一体この人の本性は何なのだろうか


「あっ、綺麗」

急に茜が小さな声でつぶやいた

帯刀たてわきが茜の視線の先に目をやると

風車かざぐるまの物売りがいた


風車を見て綺麗と言う茜を

まるで娘の様だと意外に思った

そして思い出す

そうだ、この人は娘だったと


帯刀たてわき

青地に赤い鹿の子模様の風車を買い

茜に

「案内して頂いたお礼です」

と風車を差し出した


「お礼などりませんのに」

「風車では礼にはなりませんが

 ほんの気持ちですから受け取ってください」


嬉しそうに受け取る茜の顔を見て

本当に普通の娘なのだと実感する帯刀たてわき


暫く肩を並べて歩き

それではこれでと二人は別の道を帰った


帯刀は、ふと振り返り

茜がもらった風車をかざ

弾むように歩いている後ろ姿を見て


「まるで無邪気な童女わらめではないか

 本当に面白い人だ」

と小さく独り言を言いながらほほゆるませた。







 










 

 

 

 






 





 






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