第3話 刀

茜が正気を取り戻して数日後

剣術の師、筆岡ふでおか十内じゅうないが山里家を訪ねてきた


十内は無言で風呂敷包みを開き

包みから現れたのは茜の刀であった


静かに十内が話し出す

「一つ目に、鴻上殿より請け負ったのは

 下手人の捕縛の手伝いであった

 にもかかわらず其方そなたは首を切り落とした

 二つ目に、剣客でありながら刀を手放し

 事もあろうか置き去った」


茜は今の今まで自分の刀が何処に有るのかさえも

忘れていた


其方そなたのような不出来な弟子は持った事が無い

 この様な行いをする者に刀を持つ資格は無い

 よって私が許すまで刀を抜くことは禁じ

 私が預かる。よいな」

「はい、承知致しました」


「話はそれだけだ」

十内が立ち上がろうとした時

「先生、この度の事は全て私の未熟が成した事

 お詫びのしようも御座いません」

「それで」


「心を入れ替え、己の慢心を捨てます

 ですから一から修行をし直させてください

 私は強くなりたいのです」

「まだまだ剣士として未熟であるのに

 お前は己は強いと慢心していた

 それに気付いたのだな」


「はい」

返事をし茜は唇を嚙みしめた


「では茜、何のために強く成りたいのだ」

「それは、それは、

 もう二度と大切な者を亡くしたくない

 大切な人達を守りたいからです」

「やはりお前は未熟者だ」


十内は立ち上がり障子に手をかけながら

「私も何人もの友を亡くした

 中にはむ無く、この手にかけた友もいる

 剣客とは、そういう定めを背負って生きる事

 まあ良い、明日から修行に参れ」


茜は十内の話を聞き体を震わせ

己の剣客としての覚悟の無さを痛感する


平左衛門へいざえもんは十内を見送りに出て


「先生、妹の為わざわざお越しくださり

 有難うございました」


と礼を言うと十内は笑いながら


「鬼の平左へいざも丸くなったものよのお

 昔は手が付けられぬ無頼漢ぶらいかんであったのに」

「先生、その話はお止めください

 息子に真似されたはかないません」


―――——  ―――——  ―――——


翌朝から茜は十内の元へ修行におもいた

十内が居ても留守であっても

弟子入りしたての頃と同じ様に

水汲み、薪割り、洗濯、掃除

と雑用をこなし

午後からは只管ひたすらに日が傾くまで

木刀での素振りを繰り返し


十内の女房のおせい

黙って茜と一緒に並び雑用をこなす

お勢は茜が十内の弟子になってから

押し掛けて女房になった女で正式な妻では無い

兄弟子あにでしや出入りする者達は

お勢さんと呼んでいる 

元々は名の知れた深川芸者で

世話焼きで気配りが上手く

が良く怖いもの知らずである


お勢が十内に訊ねた

「十さん、茜さんをどうするんです

 このまま剣の道に進めさせても

 いいんですか」

「さなぁ、辞めるか進むかは茜しだいだ

 そんな事はどっちらでもいい

 ただこれから先、どんな困難も己の力で

 乗り越えられる人間になってくれれば

 それでいい。それが師匠の責任だ」

「もう、じゅうさんたらいきなんだから

 惚れ直しちゃいますよ」

 

―――——  ―――——  ―――——


明日は英之進の四十九日である

茜は稽古から戻ると

平左衛門へいざえもん羽場はば家へと向かった


茜は一人で行くつもりだったのだが

平左衛門は妹が心配で付いて来た


仏前に線香を上げ手を合わせて

「この度は私の、」

と茜が言いかけると養父母は

よく来てくれたと喜び


「本当に。茜さんが元気になってくれて

 英之進も安心していますよ」

「茜殿、私達の事は気に留めずに

 何があろうとも強く生きて欲しい

 英之進の分まで生きてくれ」


茜は羽場の両親の言葉に唇を嚙みしめ

「はい、英之進殿に頂いた命

 決して粗末にせず生きて参ります」

と深く頭を下げた


羽場家からの帰り道

茜の心苦しさは晴れなかった

英之進の養父母の思いがけない優しい言葉が

息苦しく感じ、

逆に罵詈雑言を浴びせられた方が

どれだけ楽だったことであろうか

などとは自分勝手な考えだ

それでも、英之進は養父母に愛情を掛け

育てられていたと知り友として嬉しくあったが、

これもまた自分勝手な思いであるのかも知れない

結局、私は己の逃げ道を求めていたのか

情けないと下を向いて歩く


平左衛門へいざえもんが茜の背中を叩き

「茜、胸を張り前を向け」

と無表情で静かに強く言う

茜は我に返ったように

真っ直ぐに前を向き

「はい」

と応えた


久しぶりに兄の平左衛門と肩を並べ歩く茜は

幼い日の事を思い出した

山里家に引き取られて間もなく

死んだ生みの母に会いたくて泣いていたら

平左衛門が母と暮らしていた深川まで

連れて行ってくれた日のことを


思えば、あの日から兄の背中を追いかけた

剣術も兄を真似て始めた事であったのだが

今の茜は剣の道より他に生き方が分からない

何か他にやりたい事はないのか

と尋ねられても

自問自答してみても

剣より他に極めたい事は無い

それが答えだ

十内の、剣客として止む無く友に手をかけた

の話を思い出しても

やはり自分は剣客として生きたいと願う


―――——  ―――——  ―――——


英之進の死から一年が経ち

茜の刀は十内の手から戻された


久しぶりに手にした刀は重く

その重さに己の命と他者の命が左右されるのだと

今の茜は深く理解している


帰りに英之進の墓を参り手を合わせ


「英之進、日々向上を怠る事無く

 剣の道を突き進むからな

 約束通り日の本一の剣豪になってやる

 お前が生きてたら何て言うかな

 きっと、頑張れと言うんだろうな」


今は亡き友に語り掛けながら

後回しにしてきた事に

片を付ける決心をした


それは、お袖の事である

英之進が言い交した大切なひと

会いに行かねばと思いながら

一年も経ってしまった

「お袖さんに会い、

 きちんと頭を下げて始末を付けて来るよ」

と英之進の墓前に誓った


茜は本当は羽場はば家の養父母よりも

お袖の事が一番の気掛かりであった

英之進が嬉しそうに

言い交したひとができたと

桜の花弁ななびらが降る中で

嬉しそうに話した顔が忘れられない


自分のせいで

お袖が所帯を持とうと約束した想い人が

別れの言葉もなく帰らぬ人になったのだ

袖になんと声を掛け謝ればいいのやらと

今迄の茜は腰が引けていた


だが、これからは剣客として

多くの死を見届ける覚悟ができた

いや、その覚悟無くしては

剣客としては生きられないと悟った

ならばこそ逃げずに

お袖に会い、しっかりと詫びなければ


そう決めたのは良いが

肝心のお袖の居所を知らない

知っているのは薬問屋の娘という事だけだ

そこで岡っ引の耕吉こうきちに事情を説明すると

「承知致しやした、

 お任せください直ぐに探しやす」

と二つ返事で請け負ってくれた


耕吉もまた

一年前の英之進の死に心を痛めていた

同心の鴻上に見込まれ

十手じってを預る身でありながら

あの日、あの時、

むざむざと英之進を死なせてしまった

いったい俺は何の為に十手を腰に差してるんだ

情けねえ、と後悔の念に駆られていた

お袖を探すことで

少しでも死んだ英之進の役に立てると

茜の依頼が嬉しくあった


翌日には耕吉が

お袖を探し当てたと茜を訪ねて来た


「耕吉さん、もう見つけたのかい」

と茜は驚いた

「ええ、薬問屋といえば日本橋ですから

 ささっと見つけて来やした」

 

耕吉の話によれば

甲子きね屋の娘さんに間違い無い」

そうである

二人は早速に甲子屋を訪ね日本橋へと向かった


耕吉が暖簾のれんくぐりながら

「ごめんよ。

 甲子屋さん、お宅にお袖っていう

 娘さんはが居るのは間違い無いかい」


店の番頭らしき男が慌てて来て

「はい、間違いなくあるじのお嬢様は

 お袖といいますが

 親分さん、いったいお嬢様に何のご用で」

「いや、ちょいとな、こちらの方が

 お袖さんに話があって探しておいででよ」

「はあ」


番頭らしき男は不審そうに茜を見る

茜が

「私は山里茜と申します

 お袖さんに会ってお話したい事が」

そこまで言うと店の中がざわめき

番頭らしき男は顔色を変え

「貴女様が山里茜様ですか

 かしこまりました、少々お待ちください」

と言い小走りで奥へ行った

茜はその様子から

英之進の一件に自分が関わっている事を

皆が知っているのだと思った


奥から五十代の男が出てきて

「私が甲子きね屋のあるじでございます

 この度は、お袖にご用とのこと

 店先ではなんですので

 どうぞ、お上がりくださいまし」


茜と耕吉は女中に部屋に案内され

障子を開けると

色白肌の可愛らしい娘が座っていた

なるほど、英之進が好きそうな娘だ

と茜は納得した


部屋に入るなり娘は

「貴女様が茜様なのですか」

と、いきなり尋ねた


「はい、私が茜です。

 お訪ねするのが遅くなり申し訳ない」

「では、英之進様から私との事をお聞きに」

「ええ、聞いていました」


するとお袖は

「嬉しい。英之進様は親友の茜様に

 私の事を話していてくれた

 本気で私を嫁にしてくださるおつもり

 だったんですね」

「英之進は純粋で正直で

 軽々しく噓をつくような男ではありません

 心の底からお袖さんを好いていましたよ」


茜は姿勢を正して


「英之進の事、誠に申し訳なかった

 お袖さんに辛く悲しい思いをさせて

 全ては私が未熟で有ったが為

 一生、私を恨んでくれて構わない」


そう頭を下げたのだが

お袖は

「恨んでなんかいません。

 英之進様との事は親も知らないんです

 だって、お武家様に嫁にいくなんて

 烏滸おこがましいことですもの」

 

そして笑顔で

「私もう直ぐ親の決めた相手にとつぐんです」

明るく言う


英之進が死んだ時

茜は、お袖に申し訳ないと

粥を口に入れながら泣いた

なのに当のお袖は英之進の事など

まるで無かったかの様に

明るく嫁に行くと言いう


しかし茜は驚きも呆れもしなかった

この一年の間で

生き方は人それぞれであり

他人が人様の生き方に責任も取れないのに

滅多に口出しなどするものでは無い

との思考をつちかっていたし

何よりお袖が幸せになる事は

英之進が望んでいる事だと分かっている


茜は笑みを浮かべながら祝いの言葉を掛けた

「それは目出度いことだ、

 お袖さんが幸せになることが

 英之進への何よりの供養になる。

 どうぞ末永くお幸せに生きてください」


お袖は満面の笑みに涙をこぼしながら

「はい、有難うございましす

 英之進様との思い出は私の宝

 死ぬまでずっと

 胸の中に大切に持っておきます」


大切に持っておきます、

その一言に

茜も耕吉も目の前の乙女が

どれだけ英之進を想っていたのかを知り

切なさを覚え

亡き英之進を想いながらも

親が決めた相手に嫁ぐという運命を受け入れ

強く生きて行こうとするお袖の人生が

幸福に溢れる事を祈る


邪魔をしたなと声を掛け

茜と耕吉が店を後にしようとすると

お袖の父が

「娘にどの様なお話しだったので」


と心配そうに尋ねたのだが

お袖が英之進との関係を

親に話して無いと言っていたので

耕吉が機転を利かせ


「お袖違いだった

 無駄な心配をかて、すまなかったな」

謝ると

「そうでございましたか」

と安堵の表情を浮かべた


―――——  ―――——  ―――——


甲子屋からの帰り道

耕吉が

「これで茜様の気持ちも

 楽になりましたね、ようございやした」


すると茜は、ふっと笑いながら


「それは耕吉親分も、だろ」

「へい、あっしも安堵しやした」

と耕吉も静かに笑った


「なぁ耕吉さん

 英之進とお袖さんの仲は

 店の者は知らなかったんだよなぁ」

「そうですね、親も知らないんですから

 店の者が知るはずはねぇですね」


「じゃぁなんで私が名乗った時に

 店の中がざわついたのは何故だろう

 私はてっきり英之進の件で

 皆がざわついたと思ったんだが」

「あぁそれですか、そりゃあ茜様は

 あの首切りの一件以来

 すっかり有名になっちまって

 巷では江戸の鬼娘って呼ばれてますからね」


「そりゃ本当かい」

「本当ですよ、ご存知なかったねすか」

「知らなかった」


茜は驚いた

この一年の間

英之進の墓参り以外は

自宅と十内の処への行き来だけで

町にも行かずにいた

まさか自分にそんな呼び名が付いていたとは

夢にも思っていなかった

全くもって迷惑至極な話である


―――——  ―――——  ―――——


十内から帯刀たいとうを許された茜は

仕事を求めて一年ぶりに

口入屋の黒木屋を訪れた


「おう、黒木屋、久方振りだな」

「これは茜様、ようお越しくだった」


「何か適当な仕事はないかい

 笠張でも使いっ走りでも構わねいぜ」

「何をおっしゃいます

 茜様に頼みたいと仕事の依頼が

 何件も来てるんですよ」


「私にかい、そりゃ有り難い事だ

 いったいどんな仕事だい」

「はい、大店おおだなの御嬢さん方の稽古事の

 送り迎えの警護でございますよぉ」

 

黒木屋は依頼台帳を見せながら


「こちらなんぞ如何ですか

 いま勢いのいい大店ですから

 良い稼ぎになりますよぉ

 それと、こちらとこちらも如何ですか」

「一度に三軒の掛け持ちか」


「どちらも依頼の時間が

 違いますから不都合はないかと」

「なるほど、こなせるな

 そして黒木屋への仲介手数料も

 がっぽりて訳だな」


「へっへっ。まあ、こちらも商売ですから

 頂ける物は多いに越したことはありません」

「よし、請け負った」


「そうですか、有難うございます

 ではこちらの紹介状を持って行ってください」

「おう、承知致した。

 ところで、何で私に依頼なんだい」


「そりゃなんたって有名な江戸の鬼娘ですから

 皆さん、こぞって頼みたいんですよ」


ああ、あの迷惑な呼び名が原因か

まあでも、そのお陰で高い給金が貰えるなら

まんざら悪くもないな

などと考えた


「茜様の兄上様はれっきとした

 幕府の御役人でらっしやるのに

 なんで仕事をして稼がれるのです」

「兄上には妻子が有るからなぁ

 私は冷や飯食いさぁねぇ

 欲しい物くらい自分の稼ぎで買わないと

 申し訳ないだろ」


「いやはや、さすが茜様

 きちんと筋を通してらっしやる」

「黒木屋」


「はい」

おだてても口入の礼金は出さねえよ」


「いや、そんなつもりは御座いませんよぉ」

「ははっ、冗談だよ」


それから入りのいい仕事に恵まれ

仕事の無い日は

酒が好きだが甘い物にも目がない十内の為に

団子や饅頭を下げて稽古に通った


―――——  ―――——  ―――——


ある日、姉の千草が山里家に来て


平左衛門へいざえもん、平左衛門」

と怒りの声を上げながら平左衛門を呼びつけた


茜は巻き添えを食らうのは御免と

知らぬふりで家を出ようとしたら

千草に見つかり

「茜、お前も来なさい」


平左衛門と茜は並んで千草の前に座った


「私は、茜の輿入れ先を探していたのに」


あぁ姉上は、そんな面倒なことをしていたのか

誰も嫁に行きたいなんぞ言っても無いのに

と茜は溜息をつく


「何処へ行っても断られるので

 どうしてかと悩んでいたんですよ」


千草は怒りで顔を赤くしている

平左衛門と茜は心の中で震えた

歳を追うごとに

厳しかった母親に似てきた姉の千草は

弟妹にとって一番怖い存在である


「江戸の鬼娘とはいったい何ですか

 平左衛門、お前が付いていながら

 妹にどんなしつけをして来たのです」


平左衛門へいざえもん

「はあ、行き届かずに面目ございません」

と小さくなっている


「茜、その格好は何です

 年頃の娘が男装束おとこしょうぞくなんて恥ずかしい

 そんな事だから変な通り名が付くんですよ

 それでなくとも

 お前には庶子しょしと言う引け目が有るのに」

「姉上、それは」


平左衛門が慌て千草を制した

茜は顔を曇らせ下を向く


庶子しょしなどと妹を傷つける言葉を口にし

千草は青褪あおざめ部屋の中は静まり返った


美佐子が

義姉上あねうえ、お宅の皆様はお変わりなく

 お過ごしでらっしゃいますか」

と話をらした


「それが最近は姑様の足腰が弱って

 一日中、家でごろごろしているのよ」

「まあ、それは心配ですね」


茜は

「私は用が有りますので失礼いたします」

と言い残し外へ出た


が、門を出た所で足が止まる


姉の千草は悪気が有って

庶子しょしと口にしたのではない

それは分かっている

だが自分は嫡子ちゃくしではい

妾の子で庶子である事は紛れもない事実であり

その事で姉兄に余計な気遣いや

苦労をさせているなら申し訳なく思う


いっそ山里の家に引き取られなかった方が

皆の為に良かったのかも知れない

との思いが頭にぎる


「ええい、そんな事を今さら悩んでも

 仕方ない」

と自分の太ももを叩き

いつか平左衛門が掛けてくれた言葉を口にする


「茜、胸を張り前を向け」

そして前を向き歩きだす。


 



 






 


 

 

 


 

 

 







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