第2話 友

茜は十三歳になると小太刀術の免許皆伝となり

道場へ通うのを辞めた

いよいよ剣術を習いたいと

名のある道場を廻り

その目で確かめて歩いたが

心動かされる流派は中々見つからず

毎日町中をぶらぶらとしていた


ある日、浪人が町人に

お前は俺の刀にぶつかった

刀は武士の魂

このまま捨て置けぬと怒り

町人は震えながら土下座する所に遭遇した


茜はその浪人に対し

それはお前が悪いだろう

己の魂ならば人にぶつからなように

気を付けるべきで

それが出来ないのは

日頃の鍛錬がなって無いからだ

二本差しだからと威張りやがって

と腹を立てた


「斬り捨て御免である」

と浪人が刀を抜き

周りで見ている者達も騒然とする


侍のその横暴な態度に我慢ならず

茜が止めに飛び出そうとすると

「おやめなされ、相手は罪なき町人ですぞ」

と初老の侍が止めに入った

だが見ると初老の侍は刀を持たず丸腰なので

こいつはいけない爺さん返討ちになるぞ

茜は慌てた


ところが初老の侍は

町人に向けられた浪人の刀を

あっという間に取り上げ鞘におさめた

一体どうやって刀を奪い取り

相手の鞘に収めたのか

目にも止まらぬ早業である


「武士の魂を勿体無い事に使いますな」

持っていた刀を鞘に入れられた浪人は

青褪あおざめて足早に去っていった


なんて凄いお方だ

きっと名のある道場主に違いない

この方の門弟になろう

と茜は心に決めたのだが

今ここで弟子入りを願い出ても

断られるに違いない

まずは道場を突き止め

後日に押しかけて

是が非でも門弟になってやると

茜なりに策を練り

初老の侍に気付かれないように

そっと後を追いかける


随分と町から外れた場所まできた

辺りは畑で閑散としている

こんな所に道場があるのか

と不安になってきた時

初老の侍が垣根の中に消えた

そっと中を覗くと

広い庭の向こうに家が建っている


なるほど此処は自宅なのだな

どうしようか、

このまま弟子入りを乞うか帰るか

と悩んでいると庭の木の陰から

「何かご用かな、

 ずっと私をつけて来られたが」

と初老の侍から声を掛けられ

茜は驚いた

こんなに近くに居たのに

全く気配を感じさせないとは

やはりこの方は凄い剣豪に違いない

ここで門弟にしてもらわねば一生悔いを残す


「私を貴方様の道場の門弟に加えてください」

と腹から力一杯声を出した


「残念ながら私は道場など持たぬし

 弟子も取ってはおらん、

 名も無きただの剣客けんかく

 娘さん、お引き取りなさい」

まだ十三歳の茜は

「うっ」

と次の言葉が出てこない

だが引き下がりたくもない


そこに町人風の男がやって来て

「筆岡先生、

 与力よりき鴻上こうがみ様がお呼びです」

「貴方はいま先生と呼ばれましたよね

 貴方は此の方のお弟子さんなのですか」

「はい、私は町人ですが筆岡先生の弟子です」

「剣術の弟子であられるのですね」

「さようで御座います」


筆岡は

「佐吉、その娘に余計な事を言うでない

 面倒は御免だ」


そんな言葉など気にも留めずに

茜は勢い良く

「弟子がいるではないですか

 なぜ弟子は取らないと言われたのですか

 私が女だからですか

 こう見えても小太刀術免許皆伝です」

筆岡は

其方そなたが佐川流の小太刀術免許皆伝である事は

 分かっていた」

「どうして佐川流と分かっていたのですか」

「立振る舞いを見れば

 それが知っている流派なら分かって当然

 またその力量もだ

 それが見分けねば剣客とは言えない」


茜は目を輝かせた

「弟子にしてください

 何が何でも弟子になります

 私は日本一の剣豪になるのですから

 筆岡先生の下で修行をさせて下さい

 ご指南下さい

 お願いです弟子にしてください」


大声でまくし立てる茜に筆岡は舌を巻き

「其方はいま何歳で名を何と申すのか」

と尋ねた

「あっしまった、

 弟子になりたいで頭が一杯になっちまって

 申し遅れました

 私、山里平左衛門やまさとへいじえもんが妹山里茜

 十三歳です」

「そうか、少しここで待て」


筆岡ふでおか十内じゅうないは家に入り

暫くすると手紙を手に出てきた


「これを兄上に見せよ、兄上が承知すれば

 明日から此処へ通う事を許す」


茜は手紙を受け取ると頭を下げ

嬉しそうに足早に帰った


佐吉が

「あの娘さんは、もしや

 鬼の平左へいざの妹ではないのですか」

「ああ、そうだな。

 茜とやらは平左に負けず劣らずの

 気の強さと、剣の才の持ち主とみた」


―――——  ―――——  ―――——


茜は平左衛門へいざえもんが勤めから帰宅すると

瞳を輝かせながら

筆岡十内の手紙を手渡した


「いったい今度は何の騒ぎだ」

と言いながら手紙を受け取った平左衛門は

裏に書かれた送り主の名を見て驚いた

更に手紙を読み目を丸くした


「茜、本気で十内じゅうない先生に弟子入りする気か」

「勿論です。

 良いですよね、

 弟子入りを許してくれますよね」

「十内先生の下での修行は

 生半可な心構えでは続かぬぞ」

「そんな事は心得ています。

 いいですよね弟子入りしても」


茜は早く答えろと言わんばかりに急き立てる


平左衛門へいざえもんは溜息をつきながら

「俺は心配だ」

「何がです」


「お前が将来、嫁に行けるのかと心配なのだ」

「私は兄上が心配です、

 何時になれば所帯が持てるのやら」


「茜、話をすり替えるな」

「では私は

 明日から筆岡先生の弟子になりますので」

と言い残し外へと飛び出した

行先は英之進えいのしんの所である


―――——  ―――——  ―――——


「英之進、話がある」

「ちょうど私も茜に話があったんだ」

二人は何時いつものように

隅田川に並ぶ桜のもとに腰を下ろした


桜の木では硬い蕾が春の訪れを待っている


「私は明日から筆岡十内と言う

 凄い剣豪の弟子になる

 兄上の許しも得た」

「えっ、そうなのか」


「うん、私は修行して強くなる

 目指すは日の本一の剣豪だ

 明日からは女子おなごなりは止めて

 袴姿で修行に励むんだ」

「そうか良かったな、頑張れよ茜」


「おお、見てろよ英之進」

「茜なら成れる、必ずやり遂げると信じてるさ

 応援してるからな」


「有難うよ英之進。ところで、そっちの話は」

「ああ実は、

 両親に医者になりたいと話したら

 許してくださった」

「そりゃ良かったじゃないか」


「その上、父上が伝手つてを頼って

 脇田わきた匡臣まさおみ先生の門下生になれた

 明日から住み込みで学ぶ」

「そいっぁ良かったなぁ英之進

 こっちも明日から修行三昧だぜ」


己の未来を夢見て

そして無二の親友の新たな門出に

二人の心は踊り、瞳は輝いた


―――――――――――――――――――――

―――――――――――――――――――――


時は流れ茜、十八歳

兄の平左衛門は既に妻を迎え息子も生まれた


元々剣の才を持ち合わせていた茜は

十内じゅうないの下で修行しながらも

袴姿で颯爽と剣客として

仕事を請け負う程に成長した


仕事は商家の娘の護衛が殆どであったが

まれに十内の旧知である

与力よりき鴻上こうがみに頼まれ

表向きは奉行所には内密の手伝いをした


その日は珍しく英之進が茜を訪ねてきた

二人は何時も通り

隅田川の桜の下に寝ころび

言問こととい団子を頬張ほおば

降り注ぐあかい花弁を浴びながら

空を見上げた

互いに己の道を歩み始めてからは

こうして会う機会もめっきり減ったが

友情はなんら変わりない無二の親友である


「なんだ英之進、何かいい事があったんだな」

「何で分かるんだ」


「そりゃ分かるさ、友だもの」

「茜には敵わないな、

 実は言い交したひとができた」


「はぁ、お前、惚れた女ができたのか

 しかも言い交した仲だって

 いったい何処の誰だい」

「薬問屋の娘で、お袖さんだ」


「へぇ、お前がねぇ。こりゃ驚いた」

「驚くことは無いだろう、私だって二十歳だ

 恋ぐらいするさ」


「お袖さんは町人の娘だろ

 羽場はばのご両親が許してくれるのか」

「一人前の医者になれば許してもらえるさ

 その為にも、頑張って学ばなければ」


「何時になれば一人前なんだ」

「あと五年、いや十年」


「おい、随分と先じゃぁないか。

 お袖さんとやらを

 そんなに待たせて大丈夫なのかよ」

「いつまででも待っていると約束してくれた」


茜は着物に降り積もった紅い花弁を

勢い良く舞い上げながら起き上り


「しょうがねぇなぁ、

 いざの時は応援してやるぜ

 だから十年なんて言わずに

 一日でも早く一人前になって

 お袖さんと所帯を持て」

「あぁ心強いよ。有難うなあ茜」


「おうよ、こちとら無二の友だからな」


実のところ

恋などしたことの無い茜にとって

男女の色恋の真意は分からない 

それでも、

養子先の羽場家で身の置き場が無く

孤独だった英之進に

言い交したひとができた事で

もう英之進は一人じゃないんだ

そう思うと友として嬉しかった


―――——  ―――——  ―――——


与力よりき鴻上こうがみからの依頼で

茜は岡っ引の耕吉こうきち

快楽で三人もあやめた浪人を追い

葛飾かつしかに向かっていたのだが

道すがら英之進と出くわした


「おう、英之進、珍しいな何してるんだ」

「先生の使いで

 患者に薬を届けに葛飾へ行くところさ 

 茜こそ、こんな所で何してるんだ」

「あぁ、うん、ちょっと小遣い稼ぎさ」


鴻上こうがみの手伝いは内密事で

さすがに英之進にも本当のことは話せない

三人で葛飾へ向かう道を歩いていると

遠くに浪人風情の後ろ姿が目に入ってきた


「耕吉さん、あれが下手人だ間違いない

 あの歩き方、頭がいっちまってるぞ」


茜の言葉に耕吉は

「取り敢えず鴻上様が追いつくまで

 後をつけましょう」

「いや、まずいぞ。向かいから人が来る

 あの野郎たぶん切り殺すぜ。急ごう」


何も知らずに無防備な農夫が

下手人に向かって近付いていく

茜と耕吉が歩みを早めると

訳も分からず英之進まで歩みを早めついて来た


茜の予感は当たり浪人は刀を抜いた


「畜生め」

そう吐き捨て茜は走り出したが間に合わない

耕吉が足元から石を拾い浪人の背中に当て

こちらに気をらせた



「おい、てめぇ何してやがる」

茜の放った言葉に

浪人は振り返り

生気のない眼でぎろりと睨み

又すぐに前へ向き直して

腰を抜かし身動きできずにいる農夫に

刀を向けた


「ひいぃ、たっ助けてくだせぇ」

と必死に懇願する農夫


「耕吉さん、こりゃ始末にえねぇ

 私は刀を抜くぞ」

「承知しやした」


「おい、腐れ外道

 これ以上は罪のない者を殺させねえ」

そう言い茜は刀を抜いた

浪人はきびすを返し茜に斬りかかる


勝てない相手ではない

それが良く分かっている事が

若く未熟な茜に慢心を抱かせた


間合いを取りながら

一つ二つと刃を合わせ

これなら楽勝だと心の奥で思った瞬間

道に転がる大きな石につまずきよろけた

ほんの刹那のすきが命取りの真剣勝負


浪人が容赦なく斬り込んだ

その刀は

「茜、危ない」

と叫びながら茜をかばい前に出た

英之進の体を深く切り

その身体を崩れ倒させた


その一瞬の光景を目の当たりにし

茜の心と体は怒りにのみ支配され

思考は止まり

ただ本能だけで力任せに刀を振り切り

浪人の首を切り落としてしまった


斬り離された首は左へ落ち

緑映みどりはえる田園風景の中で

地面の上をまりのように勢いよく

ごろごろと転がり

ゆっくりと右へ倒れた胴体は

首の付け根から音を立てるように

血が溢れで赤い水溜りを作る


茜は刀を放り投げ英之進の体にしがみつく


「英之進、おい、しっかりしろ、おい英之進」


返事はない


「英之進、頼む目を開けてくれ。

 なぁ英之進、一生の願いだ

 目を、目を開けてくれ」


見るに見かねて耕吉が

「茜様、もうお亡くなりになってます」

と言葉をかけるが


「そんな、そんな事があるもんか

 英之進が死ぬわけがない。

 これからこいつは

 一人前の医者になって

 お袖さんと所帯を持つんだから

 なぁそうだろ、英之進。なぁ英之進」


―――——  ―――——  ―――——


奉行所では浪人を斬り捨てた茜には

手柄として金一封が出された


奉行所からの急の知らせを受け

義姉あねの美佐子が

奉行所へ迎えに来たのだが

茜は道中も帰宅してからも一言も発せず

自室にこも

布団の中で目を開いたまま

じっと天井を見つめている。


帰宅した平左衛門へいざえもんが廊下から

「茜、今日はよく休め」

とだけ声を掛けた


平左衛門へいざえもん

自分を助ける為に親友を亡くした妹に

何と言えばいいのか言葉が見つからない

妹の気持ちを考えると平左衛門の胸も

張り裂けんばかりに辛く苦しい


翌日、羽場はば家で行われた英之進の葬儀に

平左衛門と美佐子が参列した


「この度は誠に申し訳ないことを」

と平左衛門が頭を下げ言いかけると

英之進の養父は

平左衛門へいぜもん殿、英之進は男らしく死んだのです

 幼い頃は気が小さくていじめられていたのに

 茜殿と知り合ってからは明るく強くなった」


平左衛門と美佐子は黙って聞いた


「剣術はからっきし駄目だったのに

 人を助ける為に己の身を投げ出した

 英之進は勇気ある男だ、自慢の息子です

 ですから、謝らないで欲しい

 私達夫婦は微塵みじんも茜殿を恨んでは無い」


その言葉に平左衛門は

英之進が武家の男子として

友を護る為に選んだ行いを尊重したい

だから恨み言を吐ない

との養父の思いを察した


養父の隣で泣いている養母の

「茜さんどうされているの」

との問いに美佐子が

義妹いもうとせっております」

と小さな声で答えた


「そうよね、英之進と茜さんは

 本当に仲の良い幼馴染だもの

 さぞや茜さんも辛いでしょうけど

 早く元気になってくれないと

 あの世で英之進が心配してしまうわ」


「羽場様、奥方様、

 妹へのお心遣い痛み入ります」

平左衛門と美佐子は深く頭を下げた


―――——  ―――——  ―――——


その日以来

茜は部屋にこもり何も口に入れず

言葉も発せず、ただ天井を見つめている


美佐子と女中のタカが粥を運んでも

話しかけても

魂が抜けたように反応しない


五日目の朝

美佐子とタカが茜の部屋から

手付かずの粥を持って出てくると

平左衛門へいざえもんが鬼の形相で

その粥を美佐子から取り上げ

茜の部屋に入った

美佐子とタカは慌てて後を追う


平左衛門はいきなり茜に馬乗りになり

胸ぐらを掴み体を起こし


「お前は死ぬ気か、死んで逃げるのか

 死ぬことは許さん」

己の顔を茜の顔に近づけ怒鳴り

粥の乗った匙を無理矢理に口に押し込んだ


「食え茜、お前が生きていれば

 英之進もお前の中で生き続ける

 それが羽場のご両親の願いでもある

 さあ食え、食って生きろ」


口の中に粥を入れながら

無表情の茜の目から涙が落ちた


英之進が死んでから初めて涙をこぼ

やがて幼子のように

わんわんと泣き出した茜は声を震わせながら

兄の平左衛門にすがるように話し出す


「兄上、私のせいで英之進が死んだのです」

「うん」

「羽場家の皆様に申し訳ない」

「うん」

「お袖さんに、英之進の嫁になるはずだった

 お袖さんに申し訳ない」

「うん」

「私の目の前で、たった一人の親友が死にました」

「うん」

「兄上、兄上、私は、私は」

「英之進は、お前を生かす為に死んだのだ

 お前に生きて欲しい、それが英之進の願いだ

 友の思いを無下にするな。

 茜よ、友を死なせて辛かろう、情けなかろう

 悔しかろう、申し訳なかろう

 お前はこれから一生

 その後悔の重荷を背負って

 生きなければならない

 だがお前一人には背負わせん

 その重荷、俺も共に背負って生きる

 それが兄の覚悟だ」


幼子の様に

わんわん泣きながら粥を食べる茜の姿に

美佐子とタカは安堵し

平左衛門へいざえもんの兄としての情に涙した。







  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る