手のひらの紅(あか)

桶星 榮美OKEHOSIーEMI

第1話 茜

あかね、急げ。遅れては相手に失礼だ」

「遅れたのは

 兄上が支度したくに手間取ったからです」


「文句を言わずに早く歩け」

「はいはい、歩きますよ」


「よいか、今日の見合いは筆岡先生の口利き

 けっして失礼無きように」

「はいはい、心得ておりますよ」


山里やまさと茜は

兄の平左衛門へいざえもんに付き添われ

剣術の師、筆岡ふでおか十内じゅうないの紹介で

見合いに向かっている

この娘、剣客けんかく生業なりわいとし

市中の人々から

『江戸の鬼娘』と渾名あだなされている


師匠の紹介とあらば断る訳にもいかず

仕方なく見合い場となる

料亭へ向かってはいるが

内心では

私と見合いするとは随分な物好きか変り者だ

面倒くさいったらありゃしない

と内心は気が進まずにいた


料亭に着くと平左衛門が

「それでは行って来い」

と背中を押す

「はぁ、兄上は付き添わないのですか」

茜は呆れて言う


「筆岡先生から、

 二人きりで合わせるようにと言われている」

「そんなべらぼうな、

 随分と乱暴な見合いですこと」


「いいから早く行け」

「はいはい、行きますよ」


仲居が部屋に案内し

「お連れ様がお着きです」

と障子を開けた


「お待たせし申し訳ございません」

と膝をつき頭を下げ

その頭を上げ相手の顔を見た途端

茜は

「仲居さん部屋を間違ってますよ」

と言った

そこには顔見知りの菱尾ひしび藩士

朝倉あさくら帯刀たてわきが座っていたのだ

しかし帯刀は

「間違ってはいません

 見合いの相手は私です」

と言うので茜は驚き

こりゃ先生と狸爺さんに

はかられたと舌打ちした


―――——  ―――——  ―――——


先生とは剣術の師

筆岡ふでおか十内じゅうないのことで

たぬきじいさんとは

菱尾ひしび藩主の諏訪すわ光定みつさだである


十内じゅうない光定みつさだは古くからの友人で

光定が江戸滞在中に

よくお忍びで十内を訪ねるので

茜は十内に弟子入りした十三歳の時から

光定みつさだとはよく顔を合わせている


朝倉あさくら帯刀たてわき

二年ほど前から光定みつさだの護衛として

共に十内の屋敷に来ており顔見知りであった


茜が帯刀と初めて会った時に

余りにも無表情なので

こいつは能面かと心の中で笑ってしまった


光定が

「朝倉、茜と手合わせしてみよ」

と言い出したので茜は困った

十内じゅうないは当然断るだろうと思っていたのに

「ご所望ならば」

あっさりと受けたので

手合わせをする羽目になった


立振る舞いを見れば相手の強さは推し量れる

能面男はかなりの腕前だが

勝てない相手ではない

面倒くさい事になったもんだが仕方ない

あきらめ木刀を構えて立会った


立会いが始まると

茜は帯刀たてわき剣捌けんさばきを見て

流派は知らねども

真っ直ぐに前を見据える姿勢から

素直に教えられた通りに

我流を加えていない事がうかが

性格の実直さを感じ

それと同時に眼光の鋭さからは

お役目のためなら

何時でも人を切ると言う覚悟が伝わる


なんて真面目な奴なんだ

それが帯刀たてわきへの第一印象であった

その後も何度も顔を合わせ

世間話をする仲になっていた


帯刀が

十内と光定のくだらない話に笑うのを見て

存外に中身は普通なのだな、などと思い

また周囲への気遣いも

義務ではなく自然とするので

存外に優しい男なのだなとも思っていた


―――——  ―――——  ―――——


普通、見合いとは

知らない者同士がするものだ

なのに自分が見合いの相手とは

きっと帯刀たてわきは狸爺さんにごり押しされ

断れ無かったのだろう

茜は帯刀たてわきを気の毒にとあわれんだ


帯刀たてわきは緊張の面持ちで口を開かないし

茜も何と声を掛けてよいのかわからず

下を向いていた


開け放たれた障子からは庭が見える


広い庭に一本の大きな桜の木が

堂々と立っていた

茜がそれに気付き

「あっ」

と小さな声を上げると帯刀たてわき

「見事な桜ですね、庭に出ましょう」


二人は桜の木に無言で近づいた

桜の木は満開であか花弁はなびら

雪のように降り注ぐ

舞い落ちる紅い花弁を手の平に受け止めようと

茜は手を伸ばす


―――――――――――――――――――

―――――――――――――――――――


山里やまさとあかねの母は

父の正妻では無く武家の娘でも無い


父は月に一度だけ帰って来る

いつも母と二人で父の帰りを待ちわびていた

帰宅するたび

必ず土産を買って来てくれるし

膝の上に乗せて色々な物語を聞かせてくれる

父は優しく一度も𠮟られたことが無い

茜はそんな父が大好きで

ずっと一緒に居て欲しいと願っていた


そんな生活に転機が訪れたのは五歳の時だった


母が一月ひとつきほど病で寝込み

そのまま亡くなり葬儀が終わると

父に手を引かれ知らない家に連れてこられた


「今日からここが茜の家で

 この人が母上だから

 よく言うことをきくんだよ」


違う、この人はおっ母さんじゃない

そう言いたかったのに

子供心にも言ってはいけないと感じ

口には出さなかったが

涙を止める事はできなかった


「これは茜の姉上と兄上だ」

茜は姉の千草ちぐさと兄の平左衛門へいざえもんを見て

この家が父の本当の家なのだと悟る


姉の千草はすでにとついでおり

一緒に暮らすのは

父と、その妻と兄の平左衛門

それに使用人達であった


忙しい父と会えるのは朝だけで

その他の時間は知らない者達に囲まれ

使用人達からはさげすまれ

妾の子と冷ややかな目で見られる


父の妻からは

歩き方、お辞儀の仕方

口の利き方に箸の上げ下げまでと

武家の作法を厳しくしつけられる

それまで江戸の下町で

自由奔放に育った五歳の茜には

辛く孤独な日々であった


辛抱堪しんぼうたまらずに庭で隠れて泣いていると

兄の平左衛門へいざえもん

「どうした茜、なにを泣いている」

「おっ母さんに会いたい、家に帰りたい」


五歳の幼子には

死ぬという事が理解できるはずもなく

家に帰れば母が待っていると信じていた


だが、

どうやって家に帰ればいいのかが分からない

ただ「家に帰りたい」と泣くばかり

平左衛門へいざえもん

お前の母親は

もう何処どこにも居ない、と言いかけたが

言葉を飲み込み

「兄様が連れてってやる、家はどこだ」

「深川」

「そうか、じゃあ一緒に行こう」

「うん」


茜はおっ母さんに会えるのだと

と嬉しくてたまらない

平左衛門へいざえもんに手を引かれ必死に歩いた


家に着き表戸を開け

勢い良く上がり込み

「おっ母さん」

と大声で恋しい母を呼んだ


しかし、家の中はもぬけの殻

箪笥たんすも掛け軸も

母の大切にしていた三味線も無い

何よりも

笑顔で帰りを待っていてくれるはずの

母の姿がどこにも見当たらない


茜は必死に呼び続ける

「おっ母さん、おっ母さん、おっ母さん」


いくら呼んでも母は現れず

茜の呼ぶ声は

段々と小さくなり涙があふれ流れる


「おっ母さん、おっ母、」


平左衛門へいざえもんは幼い妹の背中を撫でながら

「おっ母さんは

 もう居ないんだ遠くへ旅に出たんだ」


茜は激しく泣く

息ができないほどに泣き叫ぶ


妹のその姿に

平左衛門へいざえもんはどんなに辛いだろう

かと心を傷め、掛ける言葉が無い

ただ静かに

「茜、帰ろう」

と手を引いた


下町は活気に溢れ

あちらこちらから絶え間なく

人々の声が鳴り響く

その活気の中

疲れて動けなくなった茜を

平左衛門へいざえもんは背負ってやった


妹は泣き続け

兄の肩は妹の涙で濡れる


「泣くな茜、

 おっ母さんは居なくても兄様がいる

 俺がお前を守ってやる」

「私を守るの、なんで守るの」


泣きじゃくりながら茜が問う


「お前は俺の大事な妹だからだ」

「大事なの」


「ああ大事だ、だからもう泣くな。

 さあ帰ろう、俺達の家へ」


そして背中の妹に

「母上がお前を厳しく躾けるのは

 意地悪じゃ無いんだ

 お前を立派な娘に育てようと必死なんだ

 だから怖がらなくていいんだよ」

いたが

幼い茜には

その意味が分からなかった

ただ兄の背中は温かくたのもしい

此れからは

兄にの言うことは何でも聞こうと思った

この時、平左衛門十七歳 茜五歳


茜より一回り年上の平左衛門へいざえもん

根は優しいが曲がった事が嫌いで

あくどい奴を見ると我慢ならずに

相手かまわず殴り飛ばし負かしてしまう


喧嘩と聞けばはかままくり上げ

せ参じて暴れるので

巷では鬼の平左へいざ渾名あだなされていた

剣術も免許皆伝の腕前で

本当は剣の道に進みたいが

山里家の跡取りの身の上なので諦めていた

茜は強くて優しい兄を尊敬し憧れた。


―――——  ―――——  ―――——


茜、七歳の時

外で遊んでいると近所の子供達に囲まれ

「やぁいもらわれっ子、貰われっ子」

といじめられている子供を目にした


茜が

「おい、お前ら何してる」

と止めに入ると

「ああめかけの子だ、妾の子が来たぞ」

と今度は茜をはやし立てた


茜が囃し立てた子供を目がけて走り出し

こぶしで顔を殴ると 

殴られた相手はごろごろと地面を転がった


「やったな、女のくせに生意気だ」

と一斉に殴り掛かってくる


茜は一歩も引かずに殴る蹴る

まげを掴み顔面に頭突きをする

勝てないと悟った悪童達は逃げて行った


「何でやり返さないんだ」

茜が怒りながら言うと

「本当のことだし、私は喧嘩は弱いから」

「そうなのかもらわれっ子なのか

 私は妾の子だ」


「堂々と言うんだね」

「兄上が妾の子だからと何も恥ずかしく無いし

 悪くも無いと言っていた」


「なるほど、そうだよね。

 私は羽場はば英之進えいのしん

「私は山里やまさと茜だ」


これが茜と英之進の出会いであった


英之進は子供のできない羽場家に

五歳で養子に貰われた

年は茜より二つ上であったが

体が細くて弱々しい

剣術よりも学問が好きな秀才で

子供らしからぬ落ち着きがある

茜と何故か気が合い仲良くなった


「英之進、論語を教えろ。

 覚えられなくて母上から𠮟られる」

「ああ、いいよ」


「その代わりに

 私がお前の用心棒になってやる」

「はははっそれは有り難い」


まるで性格が正反対な二人が

似たような境遇の共通からか

互いに心を開けるただ一人の友となった


―――——  ―――——  ―――——


茜は八歳になると

兄を真似て剣術を習いたくなり

父に話すと

「それならば小太刀こだちを習いなさい」

と言われ道場に通い小太刀術を習い始めた


英之進とは変わらずに仲が良く

一緒に出掛ける

出掛けるといっても神社の縁日や祭りで

話すことも

英之進は学問で茜は小太刀術

互いに相槌は打つが

相手の話の内容は分からない始末

それでも唯一無二の友である


二人で隅田川の土手に花見に出た

桜の木の下で仰向けに寝転び

舞い散る花弁を浴びながら

「綺麗だな、まるで紅い雪が降るようだ」

「茜は時々

 柄に似合わない詩文的な事を言うな」

「私は思った事を口にしただけだ」


英之進が思い詰めた顔で突然

「弟が生まれた」

「はぁなんだやぶから棒に、誰の弟だ」


「私のだ、羽場はばの母上がお生みになった」

「えっ、いつ生まれたんだ」


三月みつき前」


茜は驚いた、

そんな話は寝耳に水である

「それで英之進は親から邪険にされてるのか」

「いいや、そんな事は無い」


それを聞いて茜は安心した

実子が誕生したことで

養子の英之進が邪魔者扱いされてはないかと

心配したのだ


「なら目出度い事なのに、

 お前は何を悩んでいる」

家督かとく

 実の子である弟が継ぐべきだと思うんだ」


「英之進は家督を継ぎたいのか

 お前、本当は他に

 やりたい事があるんじゃないのか」

「できれば医者になりたい」


「なら弟ができて良かったじゃないか」

「えっ」


平左衛門へいざえもん兄上は

 剣の道に進みたかったのに諦めた、

 でも兄か弟がいたら剣の道に進めた

 英之進には弟ができたんだ

 医者になれ

 そして私は剣豪になる。約束だ」

「約束か。うん約束しよう」


―――——  ―――——  ―――——


茜が十歳になって直ぐに

父が急死した

突然の事に家族は悲しみに打ちひしがれる

特に気丈と思っていた

山里やまさとの母の悲しみは大きく

葬儀を済ませると

そのまま崩れるように寝込んでしまい

日に日に目に見え弱っていった


もういよいよ駄目であろうと医者が見立てると

山里の母は三人の子を枕元に呼び寄せた


「千草、旦那様によく尽くし

 子供達を立派に育てるのですよ

 それが亡き父上と私の願いです」

「はい、幼き頃より母上に教えて頂いた通り

 良き妻、良き母として

 家を守ってまいります」

千草はすでに二人の男子の母である


平左衛門へいざえもん、こんなに早く家長になるとは

 お前には苦労をかけます

 ですが山里の男として

 泣き言は言ってはなりません

 なにがあっても胸を張り

 お務めに励みなさい」

「心得ております、どうかご心配なさらずに

 必ず山里の家を守ってまいりますので」


「茜、お前の母は幼い娘を残し

 どんなに無念だった事か

 同じ母としてその無念さがよくわかる

 だからせめて、

 お前の母の代りに花嫁姿を見届けて

 あの世で話してやりたかったのに。

 千草、平左衛門、茜を頼みましたよ

 茜、これからは千草と平左衛門の言付けを

 守るのですよ」

「委細心得ました」

それだけ言うと茜は部屋を出て行った


山里の母の本当の想いを知り

涙が溢れそうになる


山里の母に泣き声を聞かれてはいけないと

茜は廊下を走った


女中のタカが走りくる茜を受け止めた

茜は

「泣いたら母上に怒られる」

と必死に泣くのをこらえている


タカが茜を抱きしめて

「いいんですよ、泣いていいんですよ」

タカの優しさに包まれ

糸が切れた様に茜は大声で泣いた


初めて山里の家に来て母に会った時に

父から、今日からこの人が母上だと言われ

この人はおっ母さんじゃないと反発したし

いつか平左衛門の背中で聞かされた

母上がお前を厳しく躾けるのは

意地悪じゃ無いんだ

お前を立派な娘に育てようと必死なんだ

の言葉も理解できずにいた

でも自分は思い間違っていたんだ

母上は

おっ母さんの代りに私を育ててくれてたんだ

と気付き

二人も母を亡くす悲しみに耐えられず

タカの腕の中で泣き続けた


いま大人になった茜は

夫が外で産ませた子を

自らの手で育てるなどと

普通に出来る事では無いのに

なんの戸惑いも無く引取ってくれ

その上、将来を考え愛情を持ち

厳しく育ててくれた

山里の母の慈愛深さに感服し

自分は二人の母から愛された

幸せ者だと感謝している。










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