一 消失 -2-

 部屋の前につき声をかけると、後藤は家茂とは違い、入室をあっさりと許可してくれた。部屋の照明はつけられていて明るいが、後藤は目元を真っ赤にして布団にくるまっていた。いつもは自然体ながらきっちりとセットされている髪も、いまは完全に乱れている。

「ご心配をおかけしてしまって、すみません」

 後藤はもごもごとくぐもった声を出す。

「気にしないでください。仲間を失う辛さは、俺にも経験があります」

 この言葉は嘘ではない。麻薬取締捜査官は、警察官に比べても危険な職である。警察が携行を許されているのがリボルバー銃であるのに比べ、麻薬取締捜査官の携行する銃が、連射可能なオートマチックであることがその証左だ。俺自身も、潜入捜査中に仲間が死ぬという経験をしていた。

 畳の上に膳を置くと、後藤は布団から出てきて夕食を食べはじめた。俺は少し離れたところに腰を下ろし、彼の様子を見守る。と、後藤は味噌汁を飲みながら、また、ぱたぱたと涙を流した。そして、独り言のように言葉を紡ぎはじめる。

「俺たちは地元が一緒だったんです。家茂さんは昔から地元じゃ有名人でした。顔が広くて、何か困ったことがあったら、家茂さんに相談しろって言われるくらい。俺は地元のスタジオで、雇われのカメラマンをしていたんですが、このご時世でスタジオが潰れていくところがなくなってしまって。恥ずかしながら、流れ流れてホストになって、腐っていたところを拾われました。そのときすでに、家茂さんは複数の飲食店でオーナーをやっていたんです。でも、家茂さんは探検家をやるって言い出して。正直はじめは、この人、なにを考えてるんだろうと思ったんですけど。専属カメラマンとして俺を連れて行ってくれて、それが本になって、結構な売り上げになって、自分の撮った写真が多くの人にみてもらえることが、嬉しかった」

 後藤の口から語られる昔話を、俺は時折相槌を打ちながら静かに聞く。

「健は中卒で、地元の建設会社で働いてたんですけど。あいつ、見た目によらず昔は結構なワルで……っていうか、家庭環境が悪くて荒れてただけなんですけど。喧嘩ばっかりして、何度も警察の世話になってて、会社辞めさせられて。そんな健を家茂さんが拾って、俺と一緒に冒険に連れ出したんです。健の得ていた知識と経験はすごく家茂さんの役に立って、健には、それが何よりも嬉しかったんだと思います。初めはツンケンしていた性格がすごく丸く人懐こくなって、きっと、いまの健が本来の健の性格なんだなって、思ってました」

 話がそこまで進んだとき、俺は雨音に気がついた。ポツポツと雨粒が屋根に当たりはじめている。気持ちを吐露して落ち着いてきたのか、代わりのように後藤の涙が止まる。

「家茂さんは、なにを考えているのかわからないところもありましたが、リーダーシップがずば抜けてて。いつだって、ついていけば大丈夫だって思える力がありました。強面ですが基本的に慎重で、探検家なんていう酔狂な職業ですが、俺にも健にも、絶対に危険なことはやらせないんです。俺も健も、そんな家茂さんだからついてきて、三人でなんでもやって……っ」

「いまさらな質問ですが、いつも三人で動かれていたのに、どうして今回の調査隊は、追加メンバーを募集したのですか?」

「調査隊は必ず男四人で構成しろというのが、勾島上陸にあたっての、宮松さんからの要望だったんですよ。俺も詳しいことはわかりませんが、そのほうが縁起が良いとかいう理由だったと、家茂さんからは聞いてます。こんなことがあって、縁起がいいなんて本当に馬鹿らしいですけど」

 後藤の言葉に、俺は眉を寄せた。宮松が上陸する人数を指定していることには、「縁起」などという漠然としたものよりも明確な意図があるような気がしたのだ。

 俺が考え込んで沈黙すると、後藤もしばらく黙々と食べ進めたあと、意を決したように顔を上げた。

「浅野さん、すぐにでも島から出ませんか。そもそも、俺たち二人では大穴の調査はできませんし、ここに残っている理由もないと思います」

「しかし、家茂さんと健くんのことは良いのですか?」

「認めたくはないですが、あの高さから落ちたときに、もう家茂さんは死んでいます。いまは、遺体を探しているに過ぎない。健にいたっては、遺体を引き上げることは絶望的。本当は二人の発見を待ちたいに決まっていますが……なにより、家茂さんが最期に言った言葉が、頭から離れないんです」

 家茂の最期の言葉といえば、もちろん「逃げろ」という一言だ。後藤は言葉を続ける。

「ずっと考えないように……いや、現実的に考えようとしてましたが、この島はおかしい。きっと呪われているんです。春樹くんの死に方も、健の死に方も、やっぱりどう考えたって、人智を超えてますよ。家茂さんだっておかしくなっていた。それに、俺自身も変なものをよく見るんです。ずっと自分を誤魔化してきましたが、もう限界です。俺もいつ家茂さんみたいにおかしくなるのか、化け物に殺されるのか、怖くて仕方ないんです。もう、逃げましょうよ」

 後藤は箸を取り落とすと、俺の手を握って力説した。冷静に考えたうえで、それでも超自然的なものを認めようとする彼の言葉に、俺の中の考えもまた揺さぶられる。春樹・健の死は、常識的な説明ができない。度々見ているものが幻覚ではなく、本当に島に巣喰う化け物であり、春樹と健はそれらによって殺されたのだと考えたほうが、たしかにまだ自然な気がした。

 しかし、俺と後藤では持っている情報量が違う。俺は、自分が見ているおかしなものが、ドラッグによって引き起こされている可能性があることを知っている。根贈らしきものも、健の死体と共に見かけた。ここでやらねばならないことが、俺にはまだ残っているのだ。

「わかりました。瀬戸さんにお願いして、来たときと同じように、後藤さんを八丈島まで送ってもらえるようにしましょう。ただし、俺は一緒に帰ることはできません。大穴の調査はできなくなりますが、瀬戸さんたちがそれでもよければ、俺はまだ島に残るつもりです」

 後藤は瞠目する。

「どうしてですか。この島の異常さは、浅野さんもわかっていますよね」

「はい。けれど、俺も酔狂で調査に来たわけではありません。それに、俺が残っていれば、家茂さんや健くんが見つかったときに後藤さんへ連絡することもできますし」

 後藤はまだ納得できないような表情をしていたが、しばらくすると、止まったはずの涙がまたポロポロと溢れはじめる。

「すみません。俺だけ、意気地がなくて。でも、もう……」

「どうか気にしないでください。島に残りたいというのは、俺の勝手な意地のようなものであって、後藤さんが島を出たいと思うのは当然なことです」

 俺が麻薬取締捜査官だということを、後藤は知らない。それに、家茂が死んでしまったいまとなっては、彼はこの島に残っていても、やることがない。島を出るという選択をするのは当然のことだ。


 それから俺は、後藤が落とした箸を拾い直し、落ち着いて夕食を食べ終えるまでそばで付き合った。後藤の部屋を出て、膳を台所で片付けると、瀬戸の部屋へ向かう。木戸の前で声をかけても返事がなかったため、中を伺うように、ゆっくりと木戸を開ける。

 部屋の中の照明は消されていて暗く、廊下からの明かりでぼんやりと物の形がわかる。瀬戸はどこかに出かけているようだ。

 そのことを認識してから、俺の眼差しは、真っ直ぐに部屋の奥に置かれている電話機へと向いた。一応はプッシュ式ながらも、最近では見かけなくなった古い型の電話機だ。この島についてからスマートフォンが使えなくなり、一度も外部と連絡を取っていない。俺は廊下の左右を見渡してから、照明が消えたままの瀬戸の部屋へと入った。電話機へと歩み寄り、受話器を耳に当てると、本町がいるオフィスの電話番号を真っ先に押した。

 数回のコールのあとに女性の声がする。角田だ。

『お電話ありがとうございます。株式会社オンスタッフィングです』

 名乗られた社名は、オフィスの表向きのものだ。潜入捜査中に万が一オフィスへの出入りが知られても言い訳できるように、人材派遣会社ということになっている。

「お疲れ様です、浅野です。角田さんですか? 本町さんに代わってもらえませんか」

『あら浅野さん、お疲れ様です。本町さんはちょうど先ほど帰られたところで。伝言を承りましょうか?』

「はい。勾島で起こったことの共有なのですが、実は……」

 俺が、そう話しはじめようとしたとき。

「浅野さん?」

 背後から声をかけられた。心臓が跳ねる。

 部屋の照明がつけられる。突然の明暗差に眩しさを感じながら振り向くと、タオルを肩にかけた瀬戸が立っていた。様子を見るに、風呂から上がったところなのだろう。

「すみません、勝手に部屋に入ってしまって。所属している研究室に連絡を入れたくて」

「いえいえ、構いませんよ」

 瀬戸は気にした様子もなく微笑むと、電話を続けてくれという仕草のあと、そのまま部屋の中に入ってきた。ここは彼の部屋なのだから当然のことなのだが、俺としては通話内容を聞かれるのは困る。

 無意識のうちに唾液を嚥下すると、『浅野さん、大丈夫ですか?』という、受話器の向こうから聞こえる角田の呼びかけに答える形で通話に戻った。

「ええ、問題ありません。ただその……事故が、ありまして。同行していた調査隊のメンバーが二名亡くなり、大穴の調査は続行不可能となっています。俺の植物調査は、見たことのない花の枯れたものが島に漂着することを確認したのですが、生育地は特定できていません。調査を続行します」

『承知しました。進捗報告として、本町さんにお伝えしておきます』

「よろしくお願いいたします」

 聞かれても構わない表面上のことだけを述べて、俺は通話を切った。

「もうよろしいのですか?」

「はい。改めてすみません、お声がけしてから部屋に入らせていただくべきでした」

「本当に気にしないでください。ここは私の自室というよりは、皆の居間という感覚ですから」

 瀬戸の物言いは相変わらず穏やかだ。浮かべられる微笑みは優しく、彼と接していると、心の中に僅かに芽生えた不信感のようなものが溶けていくような気がした。

「それと、実はご相談がありまして」

 俺は気を取り直すと、そう前置きをして話を始めた。

 依頼されていた大穴の調査ができなくなったため、後藤はできるだけ早く島を離れたい意向であること。それとは別件で、島の植生調査のために俺を引き続き滞在させて欲しいということを伝える。

「なるほど。今回の事故で調査が続行できるかどうかというのは、こちらからお伺いすべきことでしたね。もちろん後藤さんの件も、浅野さんの滞在の件も問題ございませんよ。大穴の調査が進められなくなってしまったことは残念ですが、こうなってしまっては仕方がありませんからね。来ていただいたときと同様に、立川さんにお願いいたしましょう。しかし、音でお気づきかもしれませんが、先ほどから雨が降りはじめまして。天気予報どおりですと、明日は海が荒れるそうです。ですので、早くとも明後日の出航になるかと思いますよ」

「ありがとうございます。どのみち明日は、家茂さんや健くんの荷物を含めて支度を進めなければならないと思いますから、出港日はもちろんそれで構いません。それと、俺の引き続きの滞在も許可していただいて、ありがとうございます。ご依頼いただいていた大穴の調査と、俺の滞在理由が別物になりますから、食事などの滞在費はお支払いさせてください」

 瀬戸はふふっと笑う息を漏らした。

「そのようなことは、どうぞお気になさらないでください。初日にもお伝えさせていただきましたが、お客さまがいらしてくださることは本当に嬉しいのです。冬夜も喜んでいますし、これからもどうか親戚の家に遊びに来たようなお気持ちで、お過ごしください」

 瀬戸の言葉を聞きながら、俺の体は固まった。

 目の前にいる彼の肩に、背後から伸びてきた白い手が乗せられたことに気がついたからだ。手の主は見えない。けれども、妙に細長い八本の指が、何かを思案するように肩の上でもぞもぞと動いている。

 瀬戸の柔和な微笑みは、いつもと変わらぬ優しいものだった。

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