悲運の少女
驚きの表情を浮かべながら、
「今、何て?」
「「殺そう」って言ったんです」
彼の質問に、
「殺すって…」
「だって、さっちゃんを苦しめていたんですよ。自分の存在をアピールするのに、動物を平気で殺せる。そんな奴が次に何をしてくるか分からない。もし、自分の部屋に害虫がいたら、真っ先に殺すでしょ?」
「…っ」
羽田の力強い物言いに気圧され、加藤は口を噤む。「どうして分からないの」と、責められているように聞こえ、返す言葉が浮かばない。
「私が提案した時、さっちゃんは首を左右に振りました。でも、私は彼女の両肩を掴んで、説得し続けました。「このままじゃ、いつ危害が及ぶか分からない。そうなってからじゃ、もう遅い。私は、さっちゃんにそんな目にあってほしくないの」ってね。私は本音で言いました。すると、彼女は泣きながら、ゆっくりと頷きました」
「…それで、君たちは本当に殺したの?」
加藤は、恐る恐る尋ねた。その時、真上からゴロゴロと雷の音が響き渡った。空を見上げると、ポツポツと小雨が降り始めた。
「雨か。今日は雨降るなんて聞いてなかったのに」
「あの日も雨が降ってました」
羽田は、物憂いげに呟いた。
「あの日?」
「ええ。殺害実行の日ですよ」
羽田は、空を見上げた。そして、空へ視線を向けたまま、黙り込んでいる。
二人の間に流れる沈黙。そのせいからか、加藤には小雨の降り注ぐ音がやけに大きく聞こえてくる。
「その日、君たちは何をしたの」
「階段から突き落としたんです」
「階段から?どうして」
「事故に見せかけて、殺すためですから」
「一体、どうやって」
加藤の問いに、羽田はうっすらと笑みを浮かべた。
「さっちゃんのアパート近くに、石造りの階段があるんです。人通りがほとんどない裏路地みたいなところにあって、階段のすぐ側に小さな公園があるんですよ」
「もしかして、ブランコとベンチしかない公園のこと?」
加藤は確かめるように言った。すると、羽田は加藤に頷いてみせた。
「やっぱりそうか。あそこらへん、家が道の左右に並んでるけど、店とか全くないから人気が全然ないんだよね。まさか、散歩で通る道が彼女のアパート近くだったなんてね」
「散歩、ですか」
羽田が何かに引っかかっているような呟きをした。それに加藤は反応し、疑問を抱く。
「それがどうしたの」
「いいえ、何でもありません」
羽田は、落ち着いた口調で答えた。
-何だよ、その答え。でも、今はそんなことより話の続きだ。
彼女の答えに納得していないものの、加藤は複雑な気持ちを抑え込む。
「殺害を提案した5日後。大雨が降っている午後17時頃、私たちは実行に移しました。さっちゃんには囮役として、一人で歩いてもらいました。手提げ袋を持って、傘を差しながら買い物に行く格好をさせてね。背後に奴がいる中、外を歩かせることに心が痛みました」
-だったら、警察に相談すればよかったんじゃないか。
羽田への反論が頭に浮かび上がる。しかし、加藤はそれを口に出すことはしなかった。彼女の怒りを買って、面倒なことになるかもしれないと思ったからだ。
「一方の私は、さっちゃんのアパート前にある小さなスーパーの前にいました。彼女が出たすぐ後です。彼女のアパート横にある路地から、誰かが出てきました。実際に会ったことがないから、どんな姿なのかは分からなかった。私は、向かいのスーパーから、その男を撮った。それをLINEでさっちゃんに送ると、「間違いない」ってすぐに返事が来ました」
「まさか、ずっと彼女の側にいようと…」
「気持ち悪かった」
羽田が吐き捨てるように言った。語気を強めて言ったわけではなかった。しかし、加藤には強い不快感を表しているのが伝わってきた。
「「今すぐにでも殺したい。背後から首を絞めてやりたい」、そんな衝動に駆られましたが、歯を食いしばって我慢しました。我慢しながら、私は二人の後を追いました。そして、さっちゃんは、計画の場所まで向かい始めました」
「それが、さっきの場所なんだね」
加藤の返事に、羽田は頷いた。
「歩いて15分くらいで、私たちは目的の場所に着きました。そこには、人がいませんでした。絶好の機会だと思いながら、前にいるさっちゃんたちを見ていました。彼女が階段を降りてから、少し間を空けてその男が降り始めました。その瞬間、私は奴の背中に忍び寄って、思いっきり押しました」
羽田は、両手を前に突き出した。その動作を見た加藤は、背筋が凍る感覚に襲われる。
「…君は、本当にやったのか」
「ええ」
羽田が加藤に目を向ける。彼女の目はひどく冷たく、加藤にさらなる恐怖を与えた。
「その男は、転げ落ちていきました。バタバタと大きな音を立てながら落ちていき、中腹で止まった。仰向けに伏し、動かない奴を見下ろしました。奴の目は開いてたけど、死んでいるのだと思いました。さっちゃんは、涙を浮かべながら怯えていました。まあ、死体を見たら誰でもそうなりますよ。私もそうでしたから。でも、達成感の方が大きかったんです」
「達成感?」
「さっちゃんを苦しめるクズが、ようやくいなくなったからですよ」
そう語る羽田の目は、大きく開かれている。淀みなく語る彼女に対し、加藤は口を半開きにし、唖然とする。
「その日は雨。雨で足を滑らせることなんて、珍しくない。それなら、雨で足を滑らせて階段から落ちたと事故に見せられる。だから、雨が降る日を選んだんですよ」
羽田がそこまで言うと、雨脚が強まってきた。すると、彼女は不意に口角を上げた。
「これくらい強い雨でしたね、その日は」
「…それで、その後は?」
「私は、泣いているさっちゃんを抱きしめました。「もう大丈夫。これで終わったの」って、頭を撫でながら言っていました。そんな時、私は気づいた。下から誰かが上がってくるのを。水溜まりを踏んで水が飛ぶ音が、雨に紛れて聞こえたんです。「このままじゃ、私たちが疑われる」、私はさっちゃんを連れて階段を上がりました。そして、そばにある公園の茂みに隠れました。様子を窺っていると、一人の男が上がってきました」
「男?」
加藤は、不思議そうに呟いた。
「ええ。傘を差しながら、ゆっくりと階段を登ってきたその男は、倒れている奴を見て呆然としていました」
「えっ?」
加藤は驚き、目を大きくする。そして、不安で心臓の鼓動が速まっていくのを感じる。
「だけど、すぐさま落ち着きを取り戻して、スマホで救急車を呼びました」
「…っ!」
-そんなはずがない。そんなはずが…。
羽田の話を聞きながら、加藤は心の中で必死に否定し続ける。しかし、その言葉を打ち消すように、頭の中である光景が浮かび上がってくる。彼は、それを止めるように両手で髪を掻き上げる。
「止めに行こうかと思いました。まだ死んでなくて、これで助かってしまったら、どうしようもない。でも、そんなことをしたら、自分が犯人だと名乗り出るようなものです。だから、私は必死に祈りました。「どうか助かりませんように」って」
彼女の言葉が、加藤の心を抉った。彼は唇を小さく震わせながら、羽田に尋ねる。
「…そのストーカーを助けたのは、僕じゃないよね?」
「…あなたですよ」
羽田の冷たい目が、加藤に向けられる。そして、彼は心臓が締め付けられる感覚に襲われる。
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