忍び寄る男
電車を待っている時に突如現れた女子大生、
-なぜ、こんな話を僕に。
そんな疑問が頭に浮かび、反響する。
「どうして、僕にそんな話を?」
「聞いてくれるって言ったじゃないですか」
「それは…、そうだけど」
羽田の反論に、加藤は戸惑う。そして、彼の口から次の言葉が出ることはなかった。
確かに、聞き役になると返事したのは自分だ。しかし、見ず知らずの人から突然、そんな話をされたら、誰だって困惑するだろう。
「自身の反応は間違っていない」、そう心の中で正当化していると、羽田がゆっくりと鼻息を吐いた。
「それで、続きなんですけど」
羽田が話を再開する。そして、彼女は校舎の方へ目を向ける。
まだ落ち着かない気持ちではあるものの、加藤は黙って耳を傾ける。
「今年の4月に、私たちは大学生になりました。あの大学、私の偏差値じゃ入るのが難しくて、思った以上に結果が出なくて辛かったんです。でも、さっちゃんはいつも励ましてくれた。頭が良くて、優しかったあの子のおかげで頑張れたんです」
羽田の目は細められ、眉が八の字になる。もう会えない人との思い出に耽っているような表情。その表情は、加藤にさらなる哀愁を感じさせる。
「ホームページで合格したのを見た時、「また4年間一緒だね」、なんて笑い合ったのが懐かしいです」
「…本当に大切な人だったんだね」
「…ええ。周りが羨むくらい、私たちは親友同士でした。これからまた、楽しい学生生活を送れると思っていたのに…」
「…何があったの?」
加藤がおそるおそる尋ねる。すると、羽田は視線を少し上げ、小さなため息を吐いた。その仕草は、気持ちを落ち着かせるために見え、加藤は少し胸が痛くなる。
「最初に言ったように、事の発端は約2ヶ月前。大学に入って一人暮らしを始めたさっちゃんは、アルバイトをすることにしたんです」
「何のバイト?」
「コンビニです。家の近くにあるコンビニの店頭に、求人のチラシが貼られているのをたまたま見て、応募したそうです。でも、人生初めてのバイトだったから、とても不安がってました。「私なんかに上手くできるかな」なんて、よく私に言ってたのを思い出します」
「何を始めるにも、最初は怖いからね」
加藤の言葉に、羽田がゆっくりと頷く。
「でも、そんな不安はすぐに消えました。店長はいい人で、先輩や同僚は優しく教えてくれる。「怖い人がいたらどうしよう」、なんて言ってましたが、それは杞憂に終わりました。それに、仕事内容も思った以上に楽しかったようでした。態度の悪い客に嫌な思いをする時もあったみたいですが、客に「ありがとう」って言われたり、笑顔を見るとやりがいがあるって言ってました」
「仕事に恵まれた彼女は、幸運だったんだね」
「…幸運、ね」
羽田の呟きに、加藤は焦りを感じ始める。
「あっ、そんなつもりじゃ…」
加藤は、慌てて訂正をする。羽田は首を左右に小さく振り、口角を上げた。
「大丈夫ですよ」
羽田はそう言ったが、加藤は素直に受け取れなかった。
-殺されてしまうのに、幸福だなんて。神経を逆撫でするようなことを言ってしまった。
加藤は顔を伏せ、心の中で自身を責める。そんな彼をよそに、羽田は話を再開する。
「彼女にとって、そこは楽しい職場でした。でも、それがそうじゃなくなってしまった」
「何があったの?」
加藤が尋ねると、羽田は口を閉じた。それから一呼吸置くと、口をゆっくりと開けた。
「バイトを始めてから1ヶ月が経った頃、さっちゃんが暗い顔を浮かべるようになったんです。気になった私は尋ねました。でも、「何でもない」の一点張りで話してくれませんでした。いつもならすぐに話してくれるのに、とてもショックでした」
羽田の目線が下がり、自身の足元に目を向く。
「「私にも話せないほど深刻なものなのか」、そんな不安が頭から離れず、授業に集中できませんでした。…ところが、それから1週間後のことです。彼女が、ようやく話してくれたんです。「ある男にずっと付き纏われている」って」
「…ストーカー?」
加藤の呟きに、羽田はゆっくりと頷く。
「バイトを始めてから、3週間を迎えた頃です。ある男がさっちゃんの店にやってきました。今時の若者みたいに髪を染めたり、アクセサリーを付けてなくて、格好が地味で大人しそうな男だったとのことです。次の日から、店に来るとさっちゃんに挨拶をするようになったそうです。挨拶だけでなく、「今日は暑いね」なんて他愛のない話を会計時に話す仲になったそうです。彼女は、客から声をかけられるようになったのがとても嬉しかったみたいです。だけど、会って3回目の時、その男が突然、連絡先を聞いてきたんです」
「連絡先?」
「ええ。急にそんなことを聞かれた彼女は、断りました。まだ慣れ親しんでいない異性にそんなこと聞かれたら、私でも嫌ですよ。すると、その男はしつこく理由を尋ねてきました。怒鳴ったり、カウンターを叩きつけたりと乱暴な態度ではありませんでした。でも、何度もしつこく聞いてくる様子に、彼女は怖くなりました。そんな時、他の店員がやってきて、その男は逃げていきました」
「その後はどうなったの?」
「店にぱったりと現れなくなりました。でも、それから3日後、あるものが送られてたんです」
「あるもの?」
加藤が尋ねると、羽田が険しい表情を浮かべ始めた。
「バイトから帰ると、自宅の郵便受けに茶封筒が入っていたそうです」
「茶封筒?」
「差出人の名前と住所はおろか、届け先の人のも書かれていなかった。下半分だけが妙に膨れていて、触ってみると柔らかかった。何が入っているのか気になった彼女は、怖い気持ちを抑えながらも封筒を開けました。そして、開けたことをすぐに後悔しました」
加藤は固唾を飲む。一体何が入っていたのか、それを知る不安と興味が入り混ざっている。
「封筒の中には、《何かの生き物の耳と目玉が入っていたんです》》」
「…はっ?」
加藤は、背筋が凍る感覚に襲われる。それと同時に、激しい嫌悪感に苛まれる。
「…それは、何の動物だったの」
「分かりません。実際に見たのは、さっちゃんですし、何の動物だろうなんて知る気にならないですよ」
加藤は眉を顰め、言葉を失う。
「その封筒には、手紙が入ってたそうです。折り畳まれたその紙には、ところどころ血がついていて、開いてみると、こう書いてあったそうです。「いつでもどこでも君の声を聞いて、君を見ていたい」って」
「…っ」
男の凶行に、加藤はただ唖然とする。
「それから、さっちゃんが一人で歩いていると、背後に尾けられることになった。もちろん、誰かにすぐ相談して、助けを求めようとしたと思います。でも、相手は自分の存在をアピールするために、生き物を平気で殺せる人。気に食わないことをして怒らせたら、何をされるか分からないし、周りに被害が加わるかもしれない。それが、彼女を苦しめていた…」
羽田の両手がわずかに震えている。膝の上に置かれた拳に、力がこもっているせいだった。それは静かな怒りを表しているように見え、彼女の表情にも現れていた。眉を顰め、歯を食いしばりながら、語り続ける。
「「自分が耐えればなんとかなる」、そう考えたんでしょうね。でも、いつかは壊れてしまう。そうなる前に、私に話してくれたんでしょうね」
「…それで、その後はどうなったの」
「涙ながらに話す彼女を見て、悲しかった。それと同時に、怒りも湧いた。さっちゃんをこんなに苦しめるなんて。なんとかしたかった私は、こう提案しました。「そいつを殺そう」って」
「えっ?」
予想もしていない展開に、加藤は驚き、目を瞬かせる。一方の羽田は、さっきまでの表情から打って変わって、不気味に感じられるほどの無表情になっていた。
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