第一話 「地下に降る血の雨」 chapter 10
「ーー人が死ぬ姿って美しいと思わない? 作り物っ分かってるけどホラー映画は好き。血飛沫と悲鳴と暗い雰囲気が最高。でも作り物だから、ふとした瞬間に冷めちゃう」
火照る体を手で扇ぎ、興奮を抑えるように自制する相川。行間を埋め尽くす言葉が徐々に常軌を逸していく。
「スナッフフィルムって知ってる? あれも作り物が大半なんだけど、ネットの深い深い暗部にはたまに演出も脚本もぶっ飛んだ本物がある。夢中で魅入って、気が付けば友達が増えた。あの人が提供してくれる映像は本物かの。お金があればもっともっと楽しめるのに、私の家庭は平々凡々……だから、殺し以外何でもやった。だって汚れるのは嫌だったから」
話し相手が返答するのを待たずに、相川は思いの丈を吐き出し続ける。息継ぎすら忘れて、口の端から涎が垂れた。彼女の言う友達とは、言うまでもなく斉藤ではなく真鍋の事である。
疑念が形を成して、黒猫の中で確信に変わった。
「でもでも、奴隷にされる寸前まで行った時は流石に死にたくなったよ? 私はあくまで傍観者としてスリルを味わいたいの、被害者になったらつまらないもん。愛美には悪いけどもう私が提供出来る対価は友達のあの子しかいなかったから。本当に悪い事しちゃったと思う。謝っても謝っても足りないくらい、親友だと思ってる」
本心を吐露している筈の彼女の顔は、感情を失ったように冷え切っていた。会話が成り立たない相川を黒猫は無言で見つめている。
「最悪な一日だったけど、同じくらい最高の一日でもあった。私、黒猫さんみたいな人大好き。殺されてみたいって、初めて思った。人を殺す感覚ってどんな感じ? 罪悪感って切ない感じ? 私を殺すなら、どんなやり方で殺してくれる?」
弾丸の如く話し続けた相川がようやく黒猫に返答を求める。肌艶のない能面のような表情と裏腹に、身悶えを抑え込めず肌蹴る肩紐と汗の滲む肢体が彼女の理性を刻一刻と蝕んでいく。
「……どうでもええわ、お前の質問に答える義理ないし五月蝿い女は趣味やないねん。依頼はお前の都合で破棄になるぞ、俺から言う事はそれだけや」
話の最中から吸っていた煙草を灰皿で揉み消して、黒猫は面倒な女の要求を跳ね除ける。長々と語られた相川の身の上話にはまるで興味がなかった。警護対象である筈の二人の内一人が裏切り者であった以上、依頼は白紙に戻される。
「女の子に興味ないの? お酒とお薬飲んですると、最高に気持ちいいのに」
相川は黒猫を背後からそっと抱き締めた。慈愛の籠もった抱擁も内に秘めた狂気的な破滅願望が台無しにしている。
「……離せや。相手して欲しいんやったら、その辺の奴でも釣ってこい」
黒猫は懐にあるコルト・シングルは抜かなかった。殺して欲しいと懇願する女に銃弾を与えても意味がない。依頼のキャンセルを正当化する為にも、相川は生かしておかなければならないのだ。
何より、殺した所で金にならない。彼は慈善事業には手を出さない。
そして今彼が最優先で行動するべき事がある。連絡のつかない白猫と恐らく同行している斉藤の安否の確認、特に斉藤が無事でなければ依頼もキャンセルどうこうの話ではなくなってしまう。
相川や真鍋の策略で間違いないとして、肝心の彼女は既に陶酔しまともな話を聞ける状態でもない。誘惑にもならない誘惑を力付くで剥がして黒猫はホテルを出る。
「エル、白猫の端末から居場所探してくれ。昨日の定時連絡から連絡つかへん。急げ、最短でや」
黒猫は万全の準備を整える為に再び無人タクシーに乗り込み自宅へ向かう。戦況はすぐに加熱していく。相手の土俵に踏み込んででも、徹底的に叩きのめさなければ事が収まらない。
斉藤愛美は相川真琴をどうするつもりなのか。友達の為と身銭を切って命の危険から守ろうとしていた筈が、実はその友達が裏切って嵌められていたと知ったのならば。
友情、そもそも人間関係の機微に興味のない黒猫には単純明快な解決策がある。敵意を向けてきた相手には死を持って報いるのみである。もし彼が同じ立場にあれば、迷わず友達を斬り捨てる筈である。
当然の如く真鍋も殺さなければならない。元凶となる相川が裏社会の闇に落ちて深みに嵌まったのは自業自得として、餌を与えて誘い込んだのは真鍋に他ならない。
斉藤の安全を確保しつつ、相川についての依頼はキャンセルでこの仕事は終わりである。その後にどうなろうとも、黒猫には何の責任もない。
「白猫様の位置情報を捕捉しました。地図を表示します」
ホログラムが投射され、黒猫の現在地と白猫の位置情報がピン留めされた地図が浮かび上がる。定時連絡で聞いていたセーフハウスとは離れた場所に彼女はいるようである。
「自宅からそこまでの最短ルートを設定しろ。虎徹取ってくるからその間タクシーは停めとけ」
思考を切り替えて黒猫はエルに指示を出す。大方の予想通り、白猫は下手を打ったと見て間違いない。
警護対象である相川がまさか山田組の人間に与しているとは白猫も対応出来なかった。致し方ない事なのかもしれない。
周り全てを敵と見做す黒猫でさえ、違和感を覚えていたとしても振り回されたのだ。彼女達を守る為に尽力した白猫を背後から狙い撃ち出来た相川にしてやられたとして、それを悔やむのは白猫本人くらいである。
自宅マンションに到着した黒猫は手早く武装を整える。黒猫の持ち得る能力全てをぶつけない事には、後手に回った戦況は覆らない。
本当の意味で最初から掌の上で踊らされていたのだ。この屈辱を綺麗な幕引きで終わらせては黒猫の沸々と滾る反骨精神が許さない。
銀猫が手を焼いた相手であろうと知った事ではない。刺し違えようともこの無益でくだらない戦いを終わらせると心に誓った。
闇が滲み出す夕暮れに、たった十五歳にして酷く暗い意欲が迸る。
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